ある日、突然私の前に降り立った春の日差しのような天使…来栖川姫子
同じ学年の隣りの隣りのクラスに在籍、入学時より学園寮に住む…
私は理事のひとりを通じて、彼女に関する情報を得た
成績は中の中、運動が苦手らしくクラブ活動も委員会にも所属していない
大勢の生徒の中ではほとんど目立たない平凡すぎる子…
でもあの日を境に、私にとってはどんなに大勢の中に紛れていても必ず見つけ出せる存在になっていた
誰かをこんなにも求めてしまうなんて、私にとっては初めての経験だった
もっと彼女の事が知りたくなった、もっと話したかった、もっともっと…近づきたいと、許されるのなら触れてみたいとさえ思うようになっていた
ある朝、私は下駄箱の前で彼女の姿を見つけた
「来栖川さん」考える暇もなく私は彼女の後姿に声をかけていた
ビクリとして振り向いた彼女の顔は驚きと戸惑い、少しの照れ笑い…
私の心は瞬時に高鳴った
「よろしかったら、昼休みに」昼休みに「薔薇の園」へ誘ってみようと思った
あそこなら確実に二人だけの時間を過ごせるから…
しかしその声を掻き消すかのように、私はすぐに大勢の人に囲まれてしまった
「宮様ーっ、ごきげんよう」悲鳴にも似た黄色い声があちこちから飛ぶ
私は彼女の姿を見失ってしまった
せめて…同じクラスだったらと思う
数分の時間さえあれば、私は彼女を「薔薇の園」へ誘うことが出来るのに…
私は常に大勢の人に囲まれる 休み時間も移動する時もトイレに行く時でさえひとりになる事は出来ない
彼女が…この輪の中に混ざっている事は決してない
私はいつも遠くからでしか彼女の姿を見ることが出来ないのだ
どうすれば良いのだろうか?私は毎日毎日そのことばかり考えるようになっていた
偶然のチャンスを待つしかないのだろうか?
私は少し古典的だけれど、手紙を書いて彼女の下駄箱に入れるという方法をとることにした
『来栖川さんへ お話ししたいことがあります 昼休みにあの薔薇の園で待っています 姫宮千歌音』
これはラブレターだと自分でも思って少し赤面していた
ラブレターの類は今まで数え切れない程、貰ってはいたが自分で書いたなんて初めての経験だ
私は高鳴る胸の鼓動を押さえながら、その日はいつもより少し早めに学校へ行き彼女の下駄箱の中に手紙を入れた
その日の昼休みまでの時間がとても長く長く感じられた…
昼休みの終わりまであと五分…。もう校舎に戻らねばならない
結局彼女は来なかった 私はいいようのない脱力感に襲われて薔薇の園を後にした
手紙を読んでくれなかったのだろうか?それとも私に逢いたくないということだったのだろうか?
悲しかった…無性に悲しくなった
ただほんの数分でもいい、彼女の顔が見たかったのに…
私はその日の午後、彼女の姿を意外な場所で見かけることとなった
大量の本を抱え、ひとり旧校舎の中に入っていくその姿を…
私は夢中で後を追った
彼女は今は古い本の置き場となっている旧図書室に入っていった
どうやらそこで古い本の整理をしているらしい
声を掛けようとした時、バタバタと走ってくる足音に私は思わず物陰に身を隠していた
「姫子ーっ」息を切らせながら図書室に飛び込んで行ったのは、確か…
そう、彼女とよく一緒にいる、そう、陸上部で目立っている早乙女さんという子だ
確か寮でのルームメイトでもある
「クラスの子から聞いて飛んできたんだけど、アンタ本当にこんな事やらされてたの?」
「マコちゃん…」
「イズミのヤツ許せないっ…何であんなヤツの仕事を代わりにやってるんだよっ」
「だって…イズミさん、体調が悪いからって…今日中に整理しなきゃダメだからって…その…代わりにやってって、頼まれたから…」
「アホかっ、あいつならピンピンしてるよ あのバカ三人組で街まで限定品のなんとかを買うって元気に下校して行ったってさ」
「…」
「…昼休みもずっとやってたんだろ?どうしてアタシに話してくれなかったのさ」
「ごめんね…マコちゃんには迷惑かけたくなかったし…」
「本当…バカだよアンタってば…お人よしにも程がある」
そう…そういう事だったの
「ほらっ さっさと片付けて帰るよ 手伝うからさ」
「でも…あの、マコちゃん、部活が…」
「いーの、今日はサボリ だってさ…」
「部活よりも姫子の方が大事じゃん」
「マコちゃん…」
「バーカ 泣くなっ」彼女を優しく抱きしめている早乙女さん…
私はそのやりとりを盗み見して、心が締め付けられる思いだった
悔しかった…正直悔しかった
私はただ遠くから彼女の姿を見ているだけで、実際、早乙女さんのように彼女に手を差し伸べてあげることも抱きしめてあげることも出来ないのだ
私は…早乙女さんに嫉妬していた
心優しく、気弱で嫌な事もはっきり嫌と言えない子…だからクラスのいじめっこ的存在にいいように使われてしまうのであろう
イズミさん…そういえば私の取り巻きの中に必ずいる
私はそれとなくイズミさんに注意を与えた
「イズミさん、ご自分の仕事はご自分でなされた方がいいと思うわ」
本当はもっと言ってやりたかったが、逆恨みで彼女がどんな報復を受けるかもしれないという恐れもあったので私は出来るだけ柔らかく言ったつもりだったのだけれど…
イズミさんは目を丸くしていた 少しは自覚して反省してくれればいいのだけれど
彼女を守ってあげたい…そんな想いが日々強くなっていく
どうしても彼女と逢って話しがしたかった
しかし思いとは裏腹に彼女とはすれ違う日々が続く
朝は通学路でそれとなく待っていてもすぐに囲まれてしまう為、彼女がその横を慌しく通り過ぎて行ってしまう
休み時間に彼女のクラスの前を通って様子を伺うも、早乙女さんがベッタリとくっついている為声さえ掛けられない
放課後も部活動をやっていない彼女はすぐに下校してしまうし、私と言えば生徒会やら部活やらで遅くなってしまうので逢えるチャンスなどほとんど皆無だった
一体、どうすれば? さすがの私も思案に暮れる
意地悪な神様を恨み始めてた頃…
私は放課後の人気の無い音楽室でピアノを弾いていた
生徒会の仕事などで多忙だった日はここに来て一曲奏で、心の平穏を取り戻す
(来栖川さん…)私はただ彼女に思いを馳せて曲を奏でていた
「失礼します…」小さな声と共に扉が開いた時、私の指は止まった
彼女だ…紛れもなく、私の追い求めている人、来栖川姫子
「あっ…」彼女は私の存在に気づき入り口のところで固まっていた
私は真っ直ぐに彼女を見、近づいていく
(逢いたかった…)
「あ、あの…音楽の時間に忘れ物して…取りにきたんですけど…その」
私は彼女の手を掴むとやや強引に中に引き入れて扉を閉めた
夢にまで見た二人だけの時間だ
掴んだ手から彼女の体温が伝わってくる 胸が高鳴る
「明日の昼休み…あの薔薇の園に来てくださらないかしら?」少し声が震えてたと思う
「あ、あの…」赤くなっている彼女の表情が何とも愛しい
このまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られる
「あなたとお話しがしたいの…誰にも邪魔されずに あの場所は立ち入り禁止区域だから他の人は来ないわ…」
「もしかしたら…迷惑?迷惑なら…仕方ないけれど」
「ごめんなさい…」ああ、拒否された 私は掴んでいた手を離した
そう…か、嫌なんだ 心が凍り付いていくようだった
「あの…この前は…行けなくてごめんなさい」
「?」
「手紙貰って嬉しかったんだけれど…用があって行けなくて…行かれないって伝えたくても…その、み、宮様の周りにはいつもいっぱい人がいて…だから、気を悪くさせちゃったかなって…気にしていたんだけれど
どうやって伝えていいかもわからなかったし…」赤くなりながらも一生懸命に伝えようとしている
可愛い…素直にそう思った 凍りかかっていた心が一気に溶けてゆく
「いいの、気になんてしてないわ…あなたが用があって来られなかったこともわかってる」
「明日、ゆっくりお話ししましょうね 約束よ」
「はい…」ニッコリと笑う彼女
そう、この笑顔…私はこの笑顔が欲しかったのだ
乙羽さんに頼んで用意して貰った二人分の昼食と暖かいお茶
私はシートの上にそれらを並べ、彼女が来るのを今か今かと待っていた
(ここのところお元気がなかったので安心しました…そうですか、親しいお友達が出来たのですね…ようございました)
今朝の乙羽さんの言葉が甦ってくる
(友達…か…)でも…側に居られるのならそれだけの関係でも十分だった
ガサゴソと音を立てて茂みの中から彼女が姿を現した
あの初めて出逢った日と同じように…
「待っていたわ さぁ、どうぞ」
待ちに待った二人だけのランチの時間
「わぁ、おいしそう…あの、本当にこれ食べてもいいんですか?」
差し出したサンドウィッチを照れながらも屈託の無い笑顔で頬張る彼女
私はそれだけでとても幸せな気分になれた
「あの…宮様は」
「ねぇ、その呼び方は好きじゃないの…初めて会った時みたいに名前で呼んで欲しいの せめて二人っきりの時だけは」
「あ…じゃ、その千歌音…ちゃん」
「なぁに?姫子…」私はクスリと笑った「こう呼んじゃダメかしら?」
「う、ううん…嫌じゃない…嬉しいかな…お友達になれたみたくて」
「そう…じゃあ姫子、お茶をどうぞ」
柔らかな日差しが降り注ぐ中、私の心は安らぎに満ち溢れていた
私達は周囲の人に知られる事なく、親しい友達になることができた
私は彼女の事を知れば知る程に好きになった
好き…それは始めから友達としてではなく、恋愛感情としての好き
でもこの想いは決して打ち明けてはいけない想いだという事も十分にわかっていた
想いを口にすれば、きっと私は友達としての彼女も失ってしまうであろう…永遠に
今は…側に居られるだけでそれだけでいい…それだけで…