神無月の恋

神無月の巫女 ハアハアスレ投下もの

神無月の恋

  十月――神無月――の最初の朝、二人の巫女は街の交差点で運命の出会いを遂げる。
そう、この出会いは運命。
時間を越えた遠い世界で陽の巫女と月の巫女との間に交わされた約束が守られたのだ。
しかし、陽の巫女である姫子は、その約束を曖昧にしか覚えていない。
実は、どんな歴史書にも記されてはいないが、過去に世界は滅びた。
そして、月の巫女の命を引き換えにして、世界は再生された。
時間を巻き戻すようにして生き返った世界に、姫子は転生した。
絶対に忘れてはならない約束を、記憶の奥底に焼き付けて……。

 


運命の人が私を待っている。
それが、来栖川姫子の口癖だった。
彼女は小学校に上がる前から、毎日のように友達や両親に話していた。
名前も顔も覚えていないけれど、愛し合った人がいる。
幼い姫子がそう言うのを、最初は周りも笑って見ていた。
しかし、幼い姫子の恋愛話は、生々しさを伴っていた。
子供は知らないはずの下半身の疼きや痛み、口付けの味。
リアルすぎる彼女の話を、両親は見過ごせなくなった。
そして、姫子は想い人の話をすることを禁止させられた。
以来、姫子は「愛し合った人」を「運命の人」と呼ぶようになった。
どんなに周りから白い目で見られようとも、愛する人のことを話さずにはいられなかったのだ。


朝七時。目覚まし時計の電子音で目を覚ました姫子は、のそのそとベッドから出て、パンとコーヒーで簡単な朝食をとる。
寝起きで働かない胃にコーヒーを流し込み、むりやり身体を覚醒させる。

「急がないと遅刻しちゃう」

 パジャマを脱ぎ捨て、ばたばたと着替えを始める。
乙橘学園を卒業して社会人となった姫子は、アパートで一人暮らしをしていた。
動きのとろい彼女は朝が苦手だった。
学生の頃は寮のルームメイトが助けてくれたが、今は誰も頼りにできない。
それでも、彼女の責任感の強さもあって、会社の遅刻は一度もなかった。
ジャケットを着て、貝殻のペンダントを首にかける。
ペンダントの桜色の貝殻を、いつ手に入れたのか思い出せなかったが、彼女は大切にしていた。
大切にしなければいけない、と彼女は極自然に思うようになっていた。


姫子は通勤時間の人通りの多い歩道を、流れにおいていかれないように歩く。
都会の慌しさに慣れるには、まだ時間がかかりそうだった。
前方を歩いていた人たちが足を止めた。横断歩道の信号が赤だった。
姫子はほっと一息ついて立ち止まる。
この交差点が、人生の本当の出発点だということを、彼女は知るはずもなかった。

 信号が青に変わり、再び人が流れ始めた。
姫子は前を見て、流れについて行く。
交差点の中央に差し掛かろうという時、姫子は懐かしい雰囲気を感じた。
瞳が自然にその雰囲気を探す。
そして、姫子は一人の女性の胸元に釘付けになった。白いワンピースが朝日に映えて眩しい。
向こうから歩いて来る女性の長い黒髪が揺れる。胸元のペンダントが波に揺られるように踊る。
そのペンダントには桜色の貝殻が一枚、あしらわれていた。
姫子は交差点の真ん中で歩くのを忘れていた。
貝殻のペンダントの女性から目が離せない。
胸の奥から湧き出る感情は、熱いを通り越して苦しかった。
呼吸が止まりそうだった。


姫子の前で、その女性は立ち止まった。
姫子は視線を上げて顔を合わせる。
海のようにきらきらとした青い瞳が、姫子を見て涙をこぼしていた。
それだけで姫子は全てが分かったような気がした。
ああ、この人が、私を待っていてくれる、私の愛する人なのだ、と……。
姫子は歓喜に突き動かされるまま、彼女の胸に飛び込んだ。

「やっと逢えた……やっと逢えたんだね」

 姫子はしがみついて泣いた。
そんな姫子を、貝殻の女性は強く抱き締めた。

横断歩道を渡った姫子は、歩道の端に寄って苦笑いを浮かべていた。
二人が抱き合っていたのは交差点のど真ん中だったのだ。
信号が赤に変わっても、道路上に取り残された二人はそのまま抱き合っていた。
信号が何回青と赤を繰り返したのか、姫子は覚えていない。
ただ、かなりの時間、抱き合っていたのは確かだった。
腕時計を見て姫子は青ざめた。
長い針が十二の数字を回っている。
遅刻が確定していた。

「どうしたの?」

 姫子の様子が気になって、貝殻の女性が声をかける。今も姫子と一緒だった。
道路上で抱き合っていたというのに、姫子と違って堂々としていた。彼女にとっては恥ずかしくないのだろう。

「い、いえっ、べつに何も」

 姫子はとっさに会社の遅刻を隠した。
離れたくない。
何があっても離れたくない。
姫子の心が悲痛に叫ぶ。
だから、少しでも近づけるように自己紹介をした。

「私は来栖川姫子。よろしければ、名前を聞かせてもらえませんか」
「姫子……」
 

 貝殻の女性が、姫子の名を反芻して何やら思いに耽る。
すぐに名前を教えてもらえなかった姫子は、気を悪くさせたのかと不安になった。

「ご、ごめんなさい。失礼でしたよね。こんな急に……」
「――違うのよ。私は千歌音。姫宮千歌音」

 考え込んでしまっていたことに気が付いた千歌音は慌てて名乗った。

「ごめんなさいね。あなたの名前がとても懐かしくて。でも、どうしても思い出せなくて……」

 謝る千歌音だったが、姫子は聞いていなかった。
今度は姫子が感慨に浸る番だった。
『千歌音』という言葉が胸を熱くする。どうしようもなく、心を騒ぎ立てる。

「千歌音ちゃん……」

 言ってしまってから、姫子は口をはっと手で押さえた。初対面の人に「ちゃん」付けは失礼だ。
千歌音は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。

「ごめんなさいっ。私、何を言ってるんだか。本当にごめんなさい」
「いいのよ。もう一度、同じように呼んで。お願い」

 千歌音は、何度も頭を下げて平謝りする姫子の肩を掴んでお願いした。
姫子に名前を呼ばれるだけで、心に来るものがあった。
姫子はやや恐縮しながらも、頬を上気させて名を呼ぶ。千歌音という名前を声にできるだけで嬉しかった。

「千歌音ちゃん」
「姫子」

 呼び合っただけで、二人の瞳に涙が溢れてきた。

「千歌音ちゃん」
「姫子」
「千歌音ちゃん」

 二人は泣きながら見つめ合い、飽きることなく名前を呼び合った。


街の交差点で惹かれ合った姫子と千歌音は、そのまま喫茶店でコーヒーを注文していた。
モーニングサービスのトーストとサラダがテーブルに置かれ、二人はおしゃべりをしながらゆっくりと食べた。
二人はお互いに離れられないでいた。だから、トーストを食べるのも少しずつかじって時間をかけていた。
喫茶店を出たら、そこでお別れになるかもしれない。二人は怖くて、トーストをひと口分だけ残して皿に戻した。

「姫子、今から時間はあるかしら」

 別れの恐怖を振り払いたくて動いたのは千歌音だった。

「うん、大丈夫だよ、千歌音ちゃん」

 姫子は答えた後に会社のことを思い出した。
遅刻の連絡もまだだった。
だが、彼女にとって会社と千歌音は天秤にかけるまでもなかった。
千歌音と別れてしまうくらいなら、会社を辞めてもいいと思うほどだった。
迷わず、このまま無断欠勤することにした。
誘いを断られなかった千歌音は、ほっとして微笑む。

「よかった。じつは私、実家に帰ってきたばかりなの。屋敷に招待しようと思って。記念すべき、私のお客様一人目よ」
「ほんと? うれしい」

 姫子はトーストの残りを口に放り込み、千歌音と喫茶店を後にした。

 千歌音の屋敷は天火明村にあった。山に囲まれた静かな村だ。
姫子は屋敷の門を見上げて、口をあんぐりと開けていた。

「ここが千歌音ちゃんの家?」

門の奥には、これまた見上げるような大きな建物がある。
ここは姫宮の屋敷。
この村に住んでいる者なら、誰もが知っている土地の有力者だ。当然、この村で育った姫子も知っている。
姫子はもう一度、千歌音の名前を思い出した。
――姫宮千歌音
間違いではなさそうだった。

「ひ、姫宮って、ここの姫宮だったの?」
「そうよ。知ってるの?」
「知ってるもなにも。私、乙橘学園に通っていたの」
「そういえば、あそこも姫宮が運営していたわね」

姫子はやや緊張した面持ちで門を抜け、千歌音の後を追って屋敷へと向かった。


「お嬢様、おかえりなさいませ」

屋敷に入ると、メイド長の乙羽が出迎えた。
初めてメイドを見た姫子は恐縮して頭を下げる。

「おじゃましますっ」
「ようこそいらっしゃいました。お嬢様のご友人ですか?」
「え、えっと……」

千歌音と今日会ったばかりの姫子は、友人かと聞かれて困惑した。
気持ちだけなら友達以上のものを持っているが、それを説明できるとは思えなかった。
困っている姫子を見て、千歌音が代わりに答える。

「彼女は来栖川姫子。私の親友よ」

乙羽の唇がヒクリと一瞬痙攣した。「親友」という言葉に驚いたのだ。

「来栖川姫子様ですか……。初めてお聞きするお名前のようですが」
「親しさと付き合いの長さは必ずしも一致しないわ。そうでしょう?」
「失礼しました。では、そう心得ておもてなし致します」

乙羽は最上級のもてなしを約束し、その準備のために屋敷の奥へと下がった。


千歌音の後ろを歩く姫子は、姫宮の屋敷に懐かしさを感じていた。
ここを訪れるのは初めてのはずなのに、どこを見ても見覚えがあるように思えてならなかった。
吹き抜けのシャンデリア、廊下に敷き詰められた絨毯、壁の絵画――どれも庶民の姫子には縁のない物だ。
しかし、彼女は自宅に帰った時のような安らぎを覚えていた。
姫子はグランドピアノが置いてある部屋を見つけて立ち止まった。

「あのピアノ……」
「ピアノに興味があるの?」
「ううん、違うの。千歌音ちゃんと一緒に弾きたいな、なんて急に思って……」

姫子は自分がおかしなことを言っているのは分かっていた。
今日会ったばかりの人に、ピアノの演奏を頼んでいるのだ。千歌音がピアノを弾けるのかも分からない。
それでも、姫子はそれが不自然だとは思えなかった。
そして、千歌音も同じ気持ちだった。

「いいわよ」

快く返事をした千歌音が、ピアノの屋根と鍵盤蓋を上げ、椅子を引いた。
椅子の端に腰を下ろして、姫子を隣に誘う。

「どうぞ」

姫子は顔を赤らめながら、千歌音に寄り添うように座った。


二人の演奏は一曲目からぴったりと息が合った。
姫子は、千歌音と一つになれたような気がして、音のハーモニーに酔いしれた。
時を忘れて演奏に浸っていた二人を引き戻したのは、乙羽だった。

「お嬢様、お食事の用意が整いました」

ピアノの音が止む。すると、二人は無性に寂しさを覚えた。
その寂しさを紛らわそうと、どちらともなく、隣に座る彼女を見る。

「うふふ、食事にしましょうか」
「ご馳走になります」

間近で見つめ合えたのが嬉しくて、気恥ずかしくて、二人ははにかんだ笑みを浮かべた。


姫宮での食事は姫子にとってはそれは豪勢な物だった。
レストランのように前菜から順番に料理が運ばれてくる。
庶民の姫子は恐縮しながらも、料理の美味さに負けて食を進めた。
何よりも料理をおいしくしていたのは、千歌音の笑顔だった。
千歌音の対面に座るだけで、姫子は舞い上がった。

「ごちそうさまでした」
「どう? 姫子のお口に合ったかしら」
「あんまりおいしくて食べすぎちゃった」

食事を終え、満足そうにお腹をさする姫子を千歌音は嬉しそうに見る。
いつまでも、姫子が喜ぶ顔を見ていたかった。
だから、千歌音は非常識と思いながらも、誘わずにはいられなかった。

「姫子、よかったら今日はここに泊まってもいいのよ」
「え?」

姫子は驚きで口をぽかんと開けていた。
あまりにも自分の思い通りになることに驚いていた。
姫子も千歌音といつまでも一緒にいたかった。

「こんな急には無理だったわよね」
「と……泊まる! 泊まるからっ」

お泊りの話が無かったことになりかけ、姫子は大慌てで世話になる意思を伝えた。
真っ赤な顔でお願いする姫子を見て、千歌音はくすくすと笑った。

 

神無月の恋 その2

 

最終更新:2007年07月02日 01:00
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