姫子のお腹に赤ちゃんを授かり、出産予定日を間近に控えたある日…。
「あ、洗濯物取り込まなきゃ。」
姫子がベランダに干した洗濯物を、取り込もうと立ち上がったその時だった。
「だめよ、姫子は休んでいないと!」
台所に立っていた千歌音が、慌ててこちらへやって来る。
「大丈夫だよ、千歌音ちゃん。それくらい私が…」
「だめ。私がやるから座っていて。」
千歌音は姫子の初めての出産が心配で付き添う為にしばらくの間、休暇を取って家にいる。
千歌音も出産を経験しているが姫子の身体とお腹の子が心配で、いてもたってもいられないようだ。
何をするにも、すぐに駆けつけて来る。
しかし、それは千歌音だけではなかった。
「そうだ、部屋のお掃除でもしようかな…」
「だめ~!おかあさんはやすんでなきゃだめ!」
今度は雛子が姫子の下にやって来る。
「雛子?大丈夫よ、これくらい…」
「だめったら、だめっ!おなかには、あかちゃんがいるんだよ!おそうじはひなこがやるっ!」
雛子は初めての妹が産まれる事が相当嬉しいらしい。
千歌音がいつも姫子を心配しているのを見て、出産が大変なのを子供ながらに感じているらしい。
雛子まで何かと駆けつけてくる。
「はい…わかりました。」
あまりに雛子が訴えてくるため、姫子も仕方なく諦めリビングへ戻ろうとしたその時…。
「……っ!」
「おかあさん…?どうしたの?おかあさん!」
姫子は突然その場に座り込んだ。
お腹に痛みを感じる。
(これって…もしかして…)
「ママぁ…!」
雛子はリビングにいた千歌音の下に泣いて走って来た。
「雛子?どうしたの?」
「ママ!おかあさんが、おかあさんが…」
「……!」
雛子の様子にただならぬ雰囲気を感じて、千歌音は姫子がいる部屋に向かうと姫子が座り込んでうずくまっていた。
「姫子!大丈夫?」
「千歌音ちゃん、もしかしたら…陣痛…かな…?さっき急に…」
苦しみながらも心配をかけさせまいと姫子は笑顔を作って話すが、額には汗が滲み出ている。
「予定日まだなのに…」
「心配しないで、そうゆう事はよくあるわ。今すぐ病院へ行きましょう。」
千歌音は姫子を抱えて車に乗せ、かかりつけの産婦人科に車を走らせた。
病院へ着くと、姫子はすぐに分娩室に運ばれた。
「おかあさん…」
雛子が涙を浮かべて、分娩室を見つめたまま千歌音のスカートをギュッと掴んだ。
「大丈夫よ、雛子…」
「でも…おかあさん、ものすごくいたがってたよ!?」
先ほどの姫子の苦しむ様子に、不安を感じた雛子は大粒の涙をポロポロと流す。
「心配しないで、雛子。ママもね、雛子が産まれる時すごく苦しかったのよ。」
「ママも…?」
千歌音は雛子を安心させるように、優しく肩を抱いた。
「そうよ。痛くて苦しかったけど、雛子に早く会いたくて頑張ったの。」
「ひなこに…?」
「ええ、雛子も早く赤ちゃんに会いたいでしょう?」
「うん…」
「今度はお母さんが頑張っているの。だから雛子も泣かないで、無事に赤ちゃんが産まれるようにママとここで待っていましょう。ね‥?」
そう言って、ハンカチで雛子の涙を拭いてやると落ち着いたのか笑顔を浮かべた。
「うんっ!おかあさん、がんばってるんだもんね。ひなこいいこにしてまってる。」
「雛子…」
姫子に似て、意志の強い雛子を千歌音はぎゅっと抱きしめた。
どれくらい時間がたったのか、千歌音と雛子は病院のソファーに座ったまま待ち続けていた。
雛子は千歌音の膝に頭をのせてウトウトとしている。
雛子の頭を撫でながら、窓を見ると外はもう暗くなり始めていた。
(長いわね…私の時もこんなに長かったかしら…?)
千歌音が雛子を産んだ時を思い出していると、突然分娩室から赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
「今の…!?雛子、雛子、起きて…」
眠りかけていた肩を揺り動かすと、雛子が目を擦りながら目を覚ました。
「うぅん…おかあさんは…?」
分娩室の扉が開き、中から先生が出てきた。
「先生!?赤ちゃんは…」
「無事に産まれました。お母さんも無事ですよ。」
「ありがとうございます…!雛子、赤ちゃん産まれたのよ。雛子の妹が。」
「ほんと?ほんとにほんと?」
「ええ、本当よ。」
「わぁ!!ひなこにいもうとができたぁ…!」
喜んでピョンピョンと飛び上がる雛子を見て、千歌音は微笑んだ。
(よかった…姫子も赤ちゃんも無事で…)
千歌音はやっと安堵して胸を撫で下ろした。
病室に入ると、ベッドには姫子と産まれたばかりの赤ちゃんがいた。
「千歌音ちゃん…雛子…」
姫子がこちらに微笑むと、雛子はベッドに駆け寄った。
「おかあさん…!」
「心配かけてごめんね‥」
「ひなこいいこにしてまってたよ。」
「そう、えらいね。雛子。」
姫子にほめられて、雛子は嬉しそうに笑う。
「身体の具合はどう?」
千歌音が心配そうに姫子の顔を伺った。
「うん、大丈夫…先生が数日後には退院出来るだろうって。」
「そう、よかった…」
「それより、千歌音ちゃん…抱いてあげて。」
「いいの…?」
「もちろん、私達の子だもん。千歌音ちゃんに抱いて欲しいの。」
ベッドに眠る産まれたばかりの赤ちゃん。
姫子と千歌音の子。
千歌音はそっと赤ちゃんを抱き上げた。
雛子を産んだ時よりも、少し小さいような気がする。
しかし、こんなに小さいのに確かに生きているのだ。
千歌音の腕の中で。
「ね、千歌音ちゃんに似てない?」
「そうかしら?」
「似てるよ。顔とか、目とか…輪郭とか。きっと大きくなったら、千歌音ちゃんみたいに綺麗になるんだろうな。」
まだ産まれたばかりの我が子を嬉しそうに自慢する姫子。
「ママぁ!ひなこも、あかちゃんだきたい!」
雛子は妹を抱きたくて、千歌音の服を引っ張りねだる。
赤ちゃんを渡し、雛子にも抱かせてやる。
「わぁ…ちっちゃ~い。ねぇねぇ、あかちゃんなんてゆうなまえなの~?」
「あ、そうだった…千歌音ちゃん、この子の名前まだ決めてないでしょ?」
「え?ええ‥。」
「この子の名前、私がつけてもいいかな?」
「姫子が?私は構わないけれど…」
「あのね、千歌音ちゃんの千と、羽が生えてる天使みたいな女の子で…千羽。千羽ってどうかな?」
「千羽…いい名前ね。」
「でしょ?この子の顔を見た時、決めたの。」
千羽を見つめ柔らかく微笑む姫子の顔は、もうすでに母親の顔になっていた。
千歌音が心配しなくても、姫子は大丈夫だったようだ。
「姫子、ありがとう。」
千歌音は感謝の気持ちを伝えた。
「…千歌音ちゃん。」
「雛子、妹が出来てよかったわね。もうお姉さんね。」
「千羽と沢山遊んであげてね、雛子。」
「うんっ。」
雛子は産まれたばかりの妹の柔らかい頬を指で触れると、千羽はギュッと指を掴んで強く握り返した。
「わたしがおねえちゃんだよ。よろしくね、ちはね!」