「よし…これでいいかな。」
姫子は最後のダンボールをガムテープで止めると、ホッと一息ついた。
ドアがノックされ、千歌音が様子を見に来たようだ。
「姫子、荷造りは済んだかしら?」
「うん、今やっと終わったよ。」
「そう、じゃあお茶にしましょう。喉も渇いたでしょう?」
「うん、すぐ行くね!」
「やっぱり乙羽さんの淹れた紅茶と、手作りのケーキは美味しいね。」
「ええ…」
テーブルには温かい紅茶と、乙羽の手作りのケーキが置かれている。
「ありがとうございます。」
「私、ちゃんと乙羽さんみたいに作れるかなぁ…」
「大丈夫ですよ。レシピもお渡ししましたし…この間はお上手に作られたじゃないですか。」
姫子は数日前から乙羽に美味しい紅茶の入れ方や、ケーキの作り方などを教わっていた。
これから先は姫子が千歌音のために作る。
しっかりと教わっておいたのだが、こんなに美味しいケーキを食べると自信をなくしてしまいそうだ。
「でも、やっぱり乙羽さんの紅茶とケーキは絶品だよね、千歌音ちゃん?」
「………」
「千歌音ちゃん‥?」
「えっ…?」
「どうしたの、大丈夫‥?」
「え、ああ…ごめんなさい。それで、何の話しだったかしら?」
まただ。
千歌音は最近こんなふうにボーッと考え事をして、ずっとうわの空だ。
その理由は、姫子も乙羽も分かっていた。
(やっぱり…気にしてるんだ‥千歌音ちゃん)
「本当に此処を出て行かれるんですか?」
ティーカップを片付けながら、乙羽は姫子に尋ねた。
「はい、いつまでも此処でお世話になるわけにはいかないし…自分達の力で生きていこうって決めたんです。」
「そうですか…」
「でも、千歌音ちゃん…やっぱりまだ気にしていると思うんです。この間の事…」
数日前…。
千歌音は両親に電話で知らせたのだ。
姫子と結婚する事を…。
やはり分かってはいたが、大反対されてしまった。
千歌音の説得で母親は分かってくれたのだが、 父親は許してくれなかった。
どうしても結婚したいなら姫宮家を出るように言われた。
もちろん、お屋敷からは最初から出るつもりだったが、父を慕い尊敬する千歌音はショックを受けたようだ。
千歌音は自分の窓から庭を覗いた。
たくさんの思い出が詰まっているこの家を、明日の結婚式が終われば離れる。
「もう最後なのね…ここで過ごすのも‥」
結婚式当日‥。
その日は晴天で、まるで2人の結婚を祝ってくれているかのような青空だった。
「本日はおめでとうございます、どうぞこちらへ。」
すでに先に来ていた、姫宮家のメイド達に控え室に通される。
「なんだか緊張しちゃうな…」
姫子は小さな声で呟いた。
「大丈夫よ、私達と乙羽さんと神父の方だけなのだから。」
「うん…でも本格的なんだもん。ドキドキするよ‥」
千歌音は結婚式をあげるために、天火明村にある唯一の教会を選んで貸し切りにしてもらった。
今日はそこで式をあげる。
「乙羽さん、遅いね。間に合うのかな?」
姫子はたった一人の出席者である乙羽を心配していた。
今日の朝、乙羽は出発する直前に用事があるので遅れて行くと言い出した。
必ず行くと言っていたはずなのに、まだ来ていない。
「もうそろそろお時間です。お着替えの方を‥」
しばらく待っていたがメイド達に促され、仕方なく頷いた。
「確かに遅いわね…式ももうすぐだし。とりあえず着替えだけでも済ましておきましょうか?」
「うん…」
2人がウエディングドレスに着替えようと、立ち上がったその時だった。
「お待ちくださいっ!」
控え室の扉が勢いよく開かれ、大きなふたつの箱を抱えた乙羽が息を切らせて入ってきた。
「乙羽さん‥!ど、どうしたんですか?」
「はぁ‥はぁ‥なんとか間に合ったようですね。」
「いったいどうしたと言うの、何かあったの?」
心配そうに乙羽の側に駆け寄る2人。
「着替えるのは、まだお待ち下さい。」
「どうゆうこと?」
「これを…」
乙羽は2人にそれぞれ大きなふたつの箱を差し出した。
「これは‥?」
「それは‥御自分の目でお確かめ下さい。」
「うわぁ‥綺麗なドレス!」
姫子から先に開けると、そこには新しい純白のウエディングドレスが入っていた。
「これ…どうしたの?ドレスなら用意していたのに…」
千歌音は乙羽に尋ねた。
ドレスならもう用意していたのに、なぜもう一着必要なのか?
見たところかなり高価なドレスのようだった。
「それは来栖川さまに‥奥様からの贈り物でございます。」
「お母様から‥!」
「千歌音ちゃんのお母さんから‥私に?」
「はい…お嬢様も御自分のをご覧になってみて下さい。」
千歌音は自分の目の前にある、もうひとつの箱を開けるとそこには…
「これは…?」
そこには、一着のウェディングドレスとカードが一枚入っていた。
「素敵なドレス‥」
姫子はそのドレスに見とれていた。
純白の生地に美しいレースがあしらっていて上品なドレスだ。
「このドレス…どこかで‥」
千歌音はどこかで見たのか、そのドレスに見覚えがあった。
「それは‥奥様が旦那様とご結婚された時に着たドレスです。」
乙羽の言葉に、千歌音は思い出した。
昔一度だけ、母が着ていた写真を見せてもらった事がある。
「そうだわ…お母様が着ていたあの…でも、どうして‥?」
千歌音がドレスを箱から出すと、一枚のカードが目に入った。
「これ‥お父様の‥!」
そのカードを見た途端、千歌音の瞳からポロポロと涙が溢れた。
「千歌音ちゃん‥?」
姫子は心配そうに千歌音を見つめる。
「この字‥間違いないわ、お父様のよ。」
そのカードにはこう書かれていた‥。
“ 愛する娘へ、結婚おめでとう。“
「昨日連絡を受けまして多忙な為、式には出席できないがこれをお二人にお渡しするようにと‥」
「それじゃあ…」
「たまにはお二人でお屋敷に顔を出すようにと…旦那様からの伝言にごさいます。」
その言葉を聞いて、千歌音の涙がさらにこぼれた。
「よかったね、千歌音ちゃん‥!」
「ええ‥」
(ありがとう‥お父様、お母様‥)
千歌音は心の中で両親に感謝しながら、カードとドレスを抱きしめた。
「よく似合っておられますよ、お嬢様。」
長い黒髪を整えながら、乙羽は鏡に映った千歌音に微笑みかけると千歌音も微笑んだ。
「乙羽さん、本当にありがとう。」
「そんな‥有り難いお言葉、私には‥」
「お父様を…説得してくれたのでしょう?」
「……!」
「このドレスと姫子のドレスを用意するために、今日遅れたのね。」
千歌音にはなぜだか全て分かった。
あんなに頑なに反対していた父が、なぜ許してくれたのか。
それは母ではなく、乙羽だとゆう事を。
「私は…何も…」
「いつだって、貴女は私を支えてくれたわね。それなのに…ごめんなさいね、何もしてあげられなくて。」
「そんな‥!私はお嬢様が幸せなら、私も幸せです。」
「本当に‥ありがとう。ずっと側にいてくれて‥」
「お嬢様…さあ、来栖川さまがお待ちですよ。」
「そうね…」
乙羽は、自分の涙を拭って鏡の中の千歌音にもう一度微笑んだ。
ステンドグラスから、美しい光が差した教会の扉が開く。
そこには美しい2人の新婦。
その2人の新婦は腕を組みバージンロードを、神父の下まで歩いていく。
その姿を乙羽は涙を浮かべ、見守っていた。
「来栖川姫子。病める時も健やかなる時も、汝はこの者を愛し、敬い、死が二人を分かつまで愛し、共に歩むことをここに誓いますか?」
「はい、誓います。」
「姫宮千歌音。病める時も健やかなる時も、汝はこの者を愛し、敬い、死が二人を分かつまで共に歩むことを誓いますか?」
「はい、誓います。」
誓いの言葉を交わし、2人は指輪をそれぞれ薬指にはめた。
「それでは、誓いのキスを‥」
互いのベールを上げ、キスを交わす姫子と千歌音。
大きな教会の鐘が響き渡る。
2人の新婦の新しい人生を祝うように‥。
「はい、乙羽さん。」
教会の入口で姫子が乙羽にブーケを手渡した。
「わ、私くしにですか?」
「乙羽さんには幸せになってもらわないと。ね、千歌音ちゃん。」
「ええ。」
「…私はもうすでに幸せです。お嬢様の結婚式をこの目で見れたのですから。でも…せっかくですから。」
乙羽はブーケを抱えて、青空の下で幸せそうに微笑んだ。
「千歌音ちゃん、お屋敷に戻らないの?」
式も無事に終わり、車は姫宮邸とは反対方向へ向かう。
「姫子に見せたい物があるの。」
そう言って千歌音は微笑んだ。
車はある場所で止まった。
そこには小さくも大きくもない、ちょっとした会場のような建物が立っている。
「ここは‥?」
「さあ、行きましょう」
手を差し伸べて、千歌音は姫子をエスコートした。
扉を開けて進むと、中は真っ暗で何も見えない。
「千歌音ちゃん、何も見えな‥」
その時‥。
真っ暗だった室内に突然明かりがついた。
そして‥。
「きゃっ‥!」
パーンとゆう大きな音が響いた。
「な、何‥!?」
姫子が目を細めて辺りを見回すと、そこには数人の見知った顔があった。
「結婚、おめでとう!!」
いっせいにかけらたお祝いの言葉。
それを理解した姫子の視界が涙で歪んだ。
「みんな…どうして…」
姫子の前には、真琴、イズミ達や、ソウマ、カズキ、ユキヒトらが集まっていた。
「この親友の真琴さまが、姫子の結婚式を知らない訳がないでしょ!」
皆の前でそう言うと、真琴は姫子の隣までやって来て本当の事をこっそりと囁いた。
「なんてね‥本当は宮様に呼ばれたんだ。」
「千歌音ちゃんに‥?」
姫子が千歌音を見ると、にっこりと微笑んでくれた。
(千歌音ちゃん…私のために…)
「あの、宮様…ご結婚おめでとうございます。」
イズミ達が千歌音に駆け寄り、花束を渡す。
「どうもありがとう、とても綺麗ね。」
千歌音に微笑みかけられたイズミは、顔を赤らめていた。
その様子を姫子と真琴が見ていると、イズミがこちらに顔を向けた。
「…はい。」
「あ、あの…」
突然姫子の前にやって来て、無愛想に花束を渡すイズミ。
「べ、別にあなたのために来た訳じゃありませんわよ。宮様のために来たんだから…」
背けた横顔は少し照れくさそうに見えた。
「ありがとう…イズミさん…」
「まったく、素直じゃないんだからイズミは。」
真琴がイズミをからかうように、にやけた顔でそう言った。
「なっ…大体、早乙女さん!あなたがどうしても来てくれって言うから、来て差し上げたのよ!」
「はい、はい、そうゆう事にしておきます。」
「早乙女さんっ!あなたねぇ…」
その様子を見ていた人々は、微笑ましい笑顔を浮かべている。
「来栖川、おめでとう。」
「大神君‥ありがとう、来てくれて。」
「よかったな、大切な人に会えて‥」
「うん…」
ソウマも微笑んでいる。
姫子は心の底から幸せだった。
「気持ちいいわね、風が。」
パーティー会場の庭で姫子と千歌音は夜風にあたっていた。
「うん…」
「そういえば、もうひとつのブーケはどうしたの?」
たしかもうブーケがもうひとつあったはずだ。
「あれ、マコちゃんにあげたの。」
自分の一番の親友に、幸せを願って。
「そう‥」
「千歌音ちゃん…今日は本当にありがとう。」
「私は…何もしていないわ。」
「そんなことない!こんなに幸せな時間をもらって…本当なら私が千歌音ちゃんを幸せにしなきゃいけないのに…」
「もう十分幸せよ、姫子が笑顔を見せてくれるから…」
「千歌音ちゃん…」
夜空の下で寄り添う2人を月が優しく照らし祝福してくれていた。