暁闇(月のない夜明け)前半 *ミヤコ×千歌音で鬱展開

神無月の巫女 エロ総合投下もの

暁闇(月のない夜明け) 前半

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    「おやすみなさい…」
    千歌音の声は、姫子にはどのように聞こえただろうか?
    千歌音の心の声を察するように、嘘の口実を作ってくれた人が暗くしてくれた廊下を逃げるように歩いていく。脳裏には先ほど聞いた姫子の言葉が離れなかった。

    「私のことを待っててくれる人って、ソウマ君なのかなぁ…」
    確かにそれまでは自分が護ると、千歌音は姫子に約束した。
    あれはきっと、別離の言葉。もう自分は必要ないのだろう。
    薄く上気した頬。上ずったうれしそうな声。一つ一つが千歌音に向けられたものでなくてもうれしい。
    姫子のうれしそうな…それだけでうれしかった。
    幻の教会の中で叫んだ言葉。それは[ほんとう]だった。

    なんでそれで苦しいのだろう?
    千歌音は大きく息を吸おうと、廊下の窓を開け、上を向いて空気を吸い込み…咽喉に当たる冷たい空気にむせた。

    咳き込む声にあわせるように、あのシスターの声が聞こえてくる。
    「あの小鳥を護っているのは誰?」
    「あの小鳥のそばにいるのは誰?」

    苦しい…息が…
    咳が止まらない。
    ひゅうと言う音だけが、咽喉元から出て廊下に響く。

    姫子とこのまま一緒にいる方法があった。
    [剣神 アメノムラクモ]の復活。
    だからこそ、千歌音はソウマと姫子の絆が決定的になる前に、二人だけの力が欲しかった。

    小さく浅く息を繰り返し、咳き込みながら、窓枠にすがりつくように座り込む。
    咳と同時に、押し込めていた思いも吐露されていく。

    「護りたいのなら、アメノムラクモとやらをさっさと復活させればいいだろう!」
    先日投げつけられたソウマの声。
    彼に言われるまでもなく、千歌音もそれにすべてをかけていた。

    けれども……
    今日、思い出してしまった。
    すべての結末を。神が何を望んでいるかを。

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    結局、すべては手詰まりだ。
    千歌音は、やっとつけるようになった息をつきながら結論付けた。
    [アメノムラクモ]の復活は、姫子を再び手に掛けることになる。前世のときと同じ。あの綺麗な心を持った彼女が、千歌音を斬れるはずがない。

    それに比べて…千歌音は脳裏に姫子を思うもう一人の姿を思い出した。明るくまっすな目を持った青年を。
    大神 ソウマ。
    ソウマは力強い腕を持っていて、何事にも屈しない強い心を持っている。世界のすべて兄すらを敵に回しても、それでよいとと言い切れる強い意志を持っている。
    姫子だけを大切にしてくれる。たぶん自分の命よりも。

    そしてオロチの血によって、人智すら超えた力を持つ人形すら手に入れている。


    「どうすればいいの…」
    月明かりすら届かなかった廊下の床を、焦点のあわない眼で千歌音は眺めていた。自分の感情にあわせて眼に映る模様が揺らいでいく。
    オロチに勝つ力は、ソウマが姫子を手に入れれば、たぶん手に入る。
    けれどもその後の世界を再生するには、千歌音か姫子のどちらかの命が必要だ。

    姫子が記憶を取り戻す前に、千歌音自身でどうにかすることができないだろうか?
    先ほど見た前世の記憶を、もう一度思い出して、考えてみる。
    伝承には伝わっていないけれど、オロチを倒した後、[月の巫女]の命を捧げることで、世界は再生するとでも伝えてみようか?
    自分の単純な思い付きに苦笑しながら、冷え切った身体をゆっくり起こす。
    さすがにそんな嘘は、姫子にだってばれてしまう。


    ふと視線を中庭に移すと、何か光るものが千歌音の視界に入る。
    そこには一人……人がいた。
    ぞわりとした感触が、千歌音の背筋を撫でていく。
    これはオロチだ。オロチが自宅の庭にいる。
    頭の中で一瞬、警報がなった。あのオロチには近づくなと。
    それを無視して、階段を駆け下りる。

    大神神社に村人のために姫子と一緒に結界を張った日に、千歌音は、同じく家の周りにも結界を張った。ここには姫子がいるから…大神神社よりも何倍も何倍も慎重に張ったはずなのに…
    ひとりだけの力では、結局役に立たなかったのか?

    玄関の扉に手を掛けたところで、その推測が間違っていることに気がついた。
    大神 ソウマ。
    どうして忘れていたんだろう?先日、夜中に彼が尋ねてきたではないか?
    オロチの血の者を入れないようにと言う結界を、彼を招きいれたことで崩したのだ。
    奥歯をかみ締めるが、それももう遅い。
    とにかく、もう一度会うしかないのだ…幻を扱うオロチに。

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    嫌になるほど、月が明るい夜。

    千歌音が警戒しながら中庭に出ると、相手はまだそこにいた。
    目の前には大きな鏡。千歌音は数時間前に幻の教会で見た光景を思い出した。
    その鏡に寄りかかるのは、教会にいたオロチの…二の首、シスターミヤコ。

    「…その手には乗らないわ。」
    目の前にいるオロチが仕掛けた罠のことを、千歌音は脳裏に浮かべながら、慎重に周りの様子を伺う。
    敵は、一人だけ。
    目の前の相手に意識を置きつつ、背後の屋敷の一室に視線を移す。
    大丈夫、姫子が起きた様子はない。
    オロチの人形の気配もないし、このオロチを手に掛けてしまえば、姫子の眠りを妨げることはない。
    ゆっくり息を整え、頭を振って、隠し持っていた懐剣の存在を確認して、今まで抱えていたソウマの声を追い出した。

    「そんな物騒なものを抜かないでね」
    親しげにそしてほんの少しの嘲りを含めて、オロチが声を掛ける。
    「ねぇ…思い出したんでしょ?すべてを」
    それ以上、千歌音の側によれば、斬りつけられてるのを承知の上で、わざと千歌音が動くように仕向けている。


    「でもね、あなたは知らない…私たちを縛る神の御心を。」
    「だから、見せてあげるわ。月の巫女」
    すっと、オロチが鏡の表面を愛しげになで上げた。
    鏡の表面がわずかにきらめき、それまで映し出していた千歌音の姿から違うものを映し出す。

    鏡は、暗い空間を映し出していた。
    眼を凝らさなければ、よくわからないが、そこには二人の姿があった。
    一人は、千歌音にわずかに残る記憶の中のかつて戦ったオロチの男。そして、もう一人はぼんやりと糸が切れた人形のように、男に抱かれている女性。
    二人が、鏡の外にいる千歌音に相対するように正面にいた。

    「そこは獄よ…月の社のもう一つの呼び名…」
    千歌音の後ろから、楽しそうなオロチの声がする
    千歌音のほうは、その声には耳を貸さずに、その女性を見つめていた。
    赤い巫女の装束。後ろに一つに束ねた長い、綺麗な琥珀色の髪が乱れた装束に掛かっていた。
    「いつか壊れる社とは違って、閉じ込められた剣の巫女と、私たちオロチが永遠に交わる…月の獄…」
    女性の眼は虚ろでこちらを向いているものの、視線は感じられない。
    記憶にある、懐かしい姿。けれども千歌音が知っている懐かしい陽の巫女の姿とかけ離れた惨状だ。

    「…嘘よ…これは貴女が私を動揺させようと見せている偽者…違う?」
    「別に信じてくれなくてもいいわ、教会であなたが見た小鳥さんとそれを護る騎士の姿…覚えてる?私の鏡は真実も見せることができるのよ?」
    信じても信じなくても、あなたの自由。そんな風にいわれた気がして、千歌音の動きが止まる。
    もしもこれが本当のことだったら、どうするのか?
    そんな言葉が頭をよぎり、千歌音は息を飲み込んでもう一度鏡に視線を戻す。わずかに女性の唇が動いた。まるで何かをささやいているように。

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    「ち…」
    弱弱しい、吐息とともに形作られるつぶやかかれているはずの言葉の意味を解こうと、千歌音は鏡の中の光景に眼を凝らした。
    オロチの手は陽の巫女の袂を割り、それによって陽の巫女の身体がはねる。
    「か…」
    知らないうちに己の手が、陽の巫女が触れられている場所と同じところに触れていた。手の届かない場所でも陽の巫女と同じ感触を味わっているようで…これが幻覚であることは解っている。オロチの二の首が見せているものだから。
    小さく首を振って、千歌音はその感触を振り払おうとした。
    身体の中に湧き上がる甘い感触よりも、目の前の大切な人が何を伝えようとしてるのか、そのほうが重要だったから。
    「ね…」

    「ちかね……ちかね……」
    そこにいるはずなのに、鏡版一枚で隔たれた触れることのない世界。しかし聞こえないその声は、今、千歌音の咽喉から漏れている。段々、鏡の向こうの甘い吐息と千歌音の声が合わさっていく。
    「…千歌音……!!」
    自分の声が信じられなかった。その吐息が意味するのが、自分だったとは…恨み言を言われこそすれ、甘い吐息で呼ばれていいはずがない。
    「千歌音…千歌音…」
    自分の声が愛しい失われた人の声になっていく…聞きたくて聞きたくてたまらなかった声。

    視線をはずすことができない。
    それ以上、自分の名を呼ぶことがないように、口元を押さえる。
    これ以上、愛しい人を貶めてはいけない。
    ぐらつく足をなんとか押さえ、鏡のほうに足を進める。
    何もないところで足がもつれて、そのままへたり込む。
    それでも前に進むのをとめられない。千歌音は這うように腕を伸ばす。


    自分の足元に崩れ落ちた、千歌音を見てミヤコは満足げに眼を細めた。
    すでに千歌音の視界にはミヤコなど存在しない。彼女の全神経は鏡の中のミヤコが作り上げた幻だけに向けられている。
    教会での失敗を考えて、作り上げる幻を変えたのは、正解だった。
    記憶に色濃く残る今の陽の巫女より、今さっき思い出したはずの後悔の記憶とにしまわれている人のほうがいい。
    結果、自分の思いだけにひきづられて、自分からすべての意思を放棄した。

    ミヤコの腕の中に入って来たのも同然…後は、そのまま抱いてしまえばいい。


    「姫子さま」
    千歌音の手が鏡にすがりつくようにして、鏡の中の人に声を掛ける。
    苦しそうに、うつむいてしまった陽の巫女のその姿が、たまらなく苦しい。
    「姫子さま…姫子さま」
    すでに千歌音の声は、いつもの冷静に物事に向かっていく姿ではなく、鏡の中の巫女が愛した幼い前世の巫女に近い。弱弱しく、そして声に感情を隠すことができない。本来の千歌音そのままだった。

    そのとき、不意に陽の巫女の身体が動く。
    すっと顔を上げ、一瞬だけ千歌音のほうを見た。千歌音と視線がすれ違う。陽の巫女は千歌音がわかったような気がした。
    しかし、記憶にあったすっとした遠くを見ているような、時々愛しげに千歌音を見つめてくれる眼ではなく、ぼんやりと情欲さえ含んだ潤んだ眼だった。

    …それが限界だった。罠だと言う千歌音の頭の片隅の声が消えて、何も聞こえなくなる。

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    「……を……助けて…」
    堕ちた。
    そうミヤコは確信して、ゆっくりと千歌音のそばによって、その髪をすいて口付ける。
    「何を助けるの?月の巫女様?」
    「姫子さまを…お願い…」

    「あら…それはこまるわ…巫女がいなくなってしまっては、誰があの獄のオロチを鎮めるのかしら」
    わざとからかうようにミヤコは、うつむいてしまった千歌音の背中を軽く指でなでおろす。
    千歌音の息の飲む音と同時に、背が反り返り、自然に上がった顔はミヤコを見つめることになる。
    「私が……私が…代わるから、姫子さまの代わりに…」
    「だから…姫子さまを助けて…」
    ミヤコを見つめたまま、千歌音は涙があふれてくるのを止められなかった。
    敵に何を懇願しているのか、そもそももともとが真実かどうかもわからないのに。
    「そうね…?でも、貴女の陽の巫女様は貴女を月の社に送ってくれる?」
    ミヤコは慎重に言葉を選んで話しかける。すべてを千歌音に決めさせなければならない。
    「それは…」
    先ほどまで千歌音自身、答えが出ない質問だった。ミヤコの表情から答えを探そうと、合っていた視線をそらす。
    「…八の首があいてるわ」
    ミヤコはすがり付こうとする千歌音から身体を離して、千歌音の胸元に手を伸ばした。ちょうど、陽の巫女が有している刻印があるところと同じところ。
    「…オロチになれば、討ってもらえる?」
    自分の声をもう一度、千歌音は心の中で問い直した。
    そうすれば、すべての願いがかなう。千歌音はそう結論付けた。


    オロチになれば、オロチから姫子を護ってあげられる。

    姫子をこの手に掛けなくてもすむ。
    とらわれの陽の巫女を助けることができる。
    姫子が、この先にも生きていてくれる。幸せに。


    千歌音は一回目を閉じて、深く深く呼吸をすると、小さく笑みを浮かべてミヤコの首元の十字架の印にいとおしげに頬を摺り寄せた。
    「感謝します、感謝します…ありがとう…ございます」
    ミヤコもゆっくり千歌音を抱きしめる。千歌音のその声が、演技でない…彼女の本当と言うことがわかったから。
    彼女の心からの懺悔を聞くことができたから。


    「…ふふ、いい子ね。それじゃ誓ってもらおうかしら…永遠の服従を」
    ミヤコはすっと池の淵に座り込んだ千歌音の傍らにしゃがんで、池の水を一すくい、手に取りそのまま千歌音の頭上に掛けた。洗礼のつもりだろうか?先ほどまで抱えていた胸の苦しさが、だんだんぼうっとしてきて楽になっていく。
    「…私は…」
    目の前に前世の姫子の姿が、ミヤコの姿に重なる。ごめんなさい、世界より貴女が…。そう心の中で千歌音はつぶやいてミヤコに口付けた。
    「もうこれはいらないわね。貴女を傷つけるものはないのだから」
    先ほどまで隠し持っていた懐剣を、ミヤコが抜き取った。頼るものがなくなった感覚に、千歌音のどこかがさびしく感じていた。
    そのまま唇をミヤコから放し、身体を捩じらせて館を見上げた。もう訪れることはないだろう姫子の部屋。
    ミヤコに促されるまで、じっとその窓を見つめていた。

    「千歌音?名残惜しいの?」
    「いいえ…」
    小さく首を振って千歌音は否定した。ミヤコの声は先ほどから嘲りの音は消えて、うって変わって、やさしい。
    それが、千歌音が姫子を裏切ったことをさらに強調しているような気がする。
    「…自分を責めなくてもいいの。千歌音は大事な人だけ思っていればいいのよ」
    拒否しようとする千歌音の顎を片手で押さえ、懐から鏡を取り出し、千歌音の視線の先にかざす。千歌音の瞳から光が薄くなって、寂しげだった表情も和らいだ。
    「私たちの巣に帰るまで、寝ていなさい…よい夢を見ながらね」
    ミヤコが力の抜けた千歌音の身体を腰にまわした手で押さえると、千歌音もミヤコを見つめ、子供のような笑顔で微笑んだ。
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   ■黄泉比良坂

    一歩、一歩 歩みを進めるごとに、千歌音の表情が不安の色を濃くしていく。
    反対に傍らにいるミヤコは、喜の色を深めていく。

    念じれば、ミヤコの力は千歌音も連れて、一瞬でオロチの住処にたどり着けるのだが、今回はそうすることをせず、少し手前の黄泉比良坂の袂で姿を現し、そこから歩いて下ることにした。

    人の嘆き、苦しみ、怒り、恨み…そんなものにあふれる場所に、千歌音をおいてみたかったと言うのが、ミヤコにとっての一番の理由。
    人の身であれば、黄泉比良坂に溜まる情念に一刻も持たずに、気が違ってしまうだろう。特に心の純粋である神域の住人の巫女がどのようになっていくのか、興味があったのだ。
    どうせ、このくらいで月の巫女が壊れてしまうのならば、オロチの神域にいることすらできない。

    千歌音にはミヤコが施した術を掛けてあるから、今までの生活で見せていた理知的な自制など利かない。すべてを千歌音自身で受け止めていくしかない。


    気がつくと、ミヤコのすぐ後ろにいたはずの千歌音の気配がなくなっていた。
    「千歌音?」
    気配がなかった。と言ったら大げさなのだろうが、ミヤコの少し後ろに先ほどまで歩いてきた道を眺めている千歌音がいた。
    不安そうであるものの、怖がっている気配はない。
    すっと背筋を伸ばし、蛍のように寄せてくる光の輝きを愛しそうに見つめていた。
    月明かりで見たよりも、ずっと白い肌。
    場に溶け込んでしまうような漆黒の優しい髪。
    地の底に下りていくにしたがって、この場の怨念たちよりも淡い気配。
    地の底に住むミヤコたちオロチよりも、この場にふさわしい常世の住人。
    「千歌音!」
    とっさに千歌音の腕を取り、ミヤコは千歌音を抱きとめる。
    「あ…」
    このままでは、千歌音はオロチの元に来るのではなく、常世の国の神々の元へ向かってしまいそうだったから。迎えが来てしまいそうだから。
    千歌音は姿勢を崩し、そのままミヤコにすがりついた。少しだけ身体を震わせて、ミヤコの熱をうれしそうに受け取っている。
    「あったかい…」
    その千歌音の言葉に、ミヤコは千歌音がいまだに屋敷を出てきたままの部屋着であることと、オロチになる前のことを同時に思い出した。
    記憶の中のことだけであることを確かめるように、千歌音のわき腹に手を滑らせ、そこが濡れていないことを確認して安堵する。

    崩れた教会、たくさんの死者。自分だけが生き残り、たくさんの人を看取った。救いの言葉を求める人々に何もできず、神に従う人として、何も言えず、怨嗟の声のみ受け取った日々。
    その中で一人だけ、ミヤコのために泣いてくれた人がいた。消え逝く最後の意識で抱きしめてくれた人。
    もう姿形も忘れてしまったけれど、オロチになったときに置いて来てきてしまったけれど。
    確か、こんな………

    千歌音の腕が、ミヤコの背中に回った。
    「あぁ…寒いのね。ごめんなさいね。そうね…暖かいものに着替えましょうか?」
    千歌音の腕を下ろし数歩後退ると、虚空から包みを一つ取り出して、中のものを取り出す。
    それをぼんやり見ていた千歌音の眼が、中から出てきた一つの色に反応して光を取り戻す。
    無意識にその服から逃げようと、頭を振りながら後退さった。


    「きっと似合うわよ。脱ぎなさい…着せてあげるから」
    ミヤコが手にしているのは、巫女装束。それも緋の色の。千歌音が後退りをするのにあわせて前に進む。千歌音が手を伸ばせば、衣に触れる距離を保つ。
    (神様に怒られるよ…)
    千歌音のぼんやりとした記憶から、同じ装束を着た娘の戸惑った声が引き出された。
    「…神様に…怒られる…姫子が…怒られるの」
    拒みながら、千歌音の右手は姫子の装束に手が掛かろうとしている。触れるか触れないかの距離で、ちょっとミヤコが衣を揺らすと、慌てて手を引き込める。その仕草がかわいらしくて、珍しくミヤコは眼を細めた。
    オロチになってから、そんなことをしたことはないのだが、千歌音のそばにいるとなぜかそんな気分になってくるから不思議だ。巫女装束だってそう。ツバサ様のためだったら、ただ堕としてそのままにしておけばいいのに、月の巫女のまま置いて置けないか?なぜかそう思った。
    「大丈夫。罰する神様は、もういないわ…天群雲は貴女がいなければ、復活できない。貴女たちを罰する神様も、現れない…そうすれば、陽の巫女も殺す必要がなくなるもの」
    ミヤコの声に、千歌音は不安な色を隠しもせずじっと眼を合わせてくる。一言も逃さぬかのように。
    千歌音がじっと聞いているのは、服従を誓ったせいなのか、ミヤコが言う言葉に賛同したいのか、ミヤコには判断付かなかったが、つける必要もない。
    ただ、ミヤコの指示に従うか、従わないのか。それだけでいい。
    ミヤコも頭を振って、今までの思考をとめる。自分もツバサ様の指示に従うか、従わないかしかないのだ。

    「もう一度言うわ。千歌音。着ているものを脱ぎなさい」
    千歌音も今度は返事も拒否もなかった。ただじっとミヤコを見つめるとそのまま羽織っているカーディガンに手を掛ける。
    確かに羞恥はあるのだろう、時々止まりかける手がそれを物語っているが、視線は決してミヤコからはずさなかった。
    やっぱり、千歌音が動いたのは、誓いのほうだった。ミヤコもよくできましたと言わんばかりに笑みを浮かべて千歌音の唇に口付けをおとす。触れるだけの軽いものからそのまま肌の上を滑らせて、首筋、鎖骨の上、そして姫子の刻印と同じところに印を残す。

    それだけで肌を上気させるのを確認すると、衣を羽織らせる。袖を通させ、重ねをあわせ、袴の帯を結んでやる。
    ふわりと衣がかかったときに時に、ふわりと香りがした。
    千歌音はその香りの先をゆっくり眼で追って、愛しそうに自分が羽織った装束の袖に頬を寄せる。
    「…そう…お日様の香りがするのね?」

    ミヤコは、千歌音の顔を見ずに、今度は千歌音が立ち止まらないように、肩を抱いて、今度こそ目的地に下っていった。

 

最終更新:2008年11月19日 11:31
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