【前回までのあらすじ】
ナレーションby下屋則子(+川澄綾子)
私立乙橘学園の女子高生、来栖川姫子は幼馴染の少年、大神ソウマと河原で
ランチの最中、仔犬を助けようとして水難事故に遭った。瀕死の彼女の一命
を取り留めたのは、姫子の友人で同居人、姫宮千歌音だった。姫子と千歌音
は、一千年前に世界の危機を救った太陽と月の「巫女」の生まれ変わりである。
だが、姫子に友情以上の感情を抱く千歌音は、前世の縁よりさらに深い絆を
求めていた。千歌音のキスをきっかけに、二人の乙女の運命は変わり始める…。
姫子「千歌音ちゃん、私、どうしたらいいのかな…?」
千歌音「月と地球と太陽と、貴女がいればそれでイイ…」
【OP】「Re-sublimity」の脳内演奏お願いします♪
【タイトル】Episode 2:Remember Kiss
―――あれ…ここ、どこ……?
姫子は気がつくと、誰かの腕の中にいた。
その人物は、純白の上衣と紫苑色の袴といった装束で、豊かで美しく長い黒髪を
後ろでひとつに束ねていた。その出で立ちから、どこかの神社の巫女だという
ことが分かる。
見たこともないような不思議な仮面を着けている。だから、表情は分からないけれど、
その顎のラインと口元はどこかで見覚えがある…。
自分のおかれた状況が、いまひとつ把握できない。
頭を少し巡らせて、視野を広げてみた。目に飛び込んできたのは、何重にも連なった
朱色の社に囲まれた参道と、その奥にかすかに見える祭壇らしきものが一瞬見えた。
どうやらここは鍾乳洞の中のような空間らしい。締め縄のかかった大きな岩塊が天井
から突き出ている。周囲は大きな溜池で、その水が不吉なほど赤褐色に濁っていた。
心なしか、血生臭い匂いが立ち込めている。
どうやら自分と、自分を抱きかかえるこの女性、二人っきりのようだ。
目を自分の身体に転じてみると、自分も、その女性と色違いの紅色の巫女服を
身に纏っている。
そういえば、私、川に落ちたんだっけ。ここ、天国なのかな…?
だとしたら、この人、着物着てるから和風の天使?
でも、なんで私もお揃いの服着てるのかな……。
姫子が想像を膨らませていると、頬に冷たい雫が当たった。
見上げると、その人が仮面の下から涙を流していた。姫子は右手を伸ばして、
その人物の頬にそっと触れる。
―――「貴女」は誰……?
その人物は、仮面をゆっくりと外した。そして、姫子が差し出した手の甲に
手を合わせ、重なった二人の手を自分の頬に擦りつけるように押し付けたのだった。
仮面の下の素顔は、自分と同じ年頃のうら若い女性だった。
どこか、懐かしく愛しく思われる、その人の顔が、
目に大粒の雫を湛えたその顔が、だんだんと近づいてきた。
唇になにか、甘く、柔らかく、湿った「もの」が押し当てられた。
姫子は、自分の口の中を、ねっとりとした生ぬるい液体が、溢れているのを感じた。
それが口元から一筋垂れるやいなや、姫子の意識が遠のきはじめた。
視界がぐらつき、世界は色を失っていく。
目の前の人物が必死に、自分に向かって、しかし自分のものではない誰かの名
を叫び続けている。
すすり泣く声を遠巻きに耳にしながら、瞼が重くなって、ついに瞳は閉じられた。
その最後の瞬間に、かすかに、こう聞こえた――。
「愛しています、さようなら。ありがとう…」
―――姫子の意識が次第にフィードバックしてゆく……。
姫子がぱちりと目を覚まして、最初に目に映ったのは、見覚えのある顔の輪郭と
可憐な口元だった。
懐かしい人の顔が間近にあった。
豊かで長く美しい緑なす黒髪をヘアバンドで留めたその人、
姫宮千歌音は切なそうな眼差しで、じっと正面から自分の顔を見つめている。
姫子は、千歌音の顔のどアップに少々面食らってしまった。
さらによくみれば、彼女は、目のなかにうっすらと小さな海を湛えているのだ。
両頬には涙の河の跡が残っている。
普段、気丈な千歌音が見せたことのない情景だったので、姫子はかなり心を
揺さぶられた。
何で、なんでそんな心配そうな顔してるの?…千歌音ちゃん……。
そういえば私、川に落ちたんだっけ。
ここは天国、じゃもちろんないよね……。
背中にあたった寝具や枕の確かな感触で、姫子は今の自分のおかれた状況を
いち早く察知した。
なにより目の前にいる千歌音の存在が、明瞭にそれを物語っている。
姫子は姫宮家の一室で、いつも使い慣れたベッドに寝かされていたのだった。
手足を少しもぞもぞと動かしてみたり、頬を少しつねってみる。
今が現実ってことは、さっきの場所は夢…?
それにしては、どこかで見たことがあるような……。
姫子はそのビジョンへの既視感に、思いを巡らせていた。
一方、姫子のお目覚めに胸を撫で下ろした千歌音は、いつもは冷静沈着な自分が
心取り乱していたことに気がついた。
千歌音は慌ててハンカチを目頭にあて、涙の筋道をごまかした。
「千歌音ちゃん、どうして泣いていたの…?」
「姫子が、このまま死んじゃうんじゃないかと思っていたの」
そんな、大袈裟だよ…。
と姫子は返そうとした。
が、相手があまりにもナーバスな表情をしているので、その言葉を飲み込んだ。
「私がちょっと目を離した隙にこんなことになってしまって…ごめんなさい」
「え?どうして千歌音ちゃんが謝るの?悪いのはドジな私なのに」
僅か数秒間のうちの出来事とはいえ、姫子の転倒は自分が背を向けたことにあることを、
千歌音は激しく後悔していた。
あのとき、自分が河原に居合わせた理由なんていくらでも取り繕えたのだ。
なぜ、さんざん傍観していながら、姫子が心配で声をかけなかったのか。
千歌音は自責の念に駆られているうちに、自分の行動の裏に潜む、どす黒い感情の
塊に気がついた。
そうだ、数日前、姫子とソウマのキスを目の当たりにした。
だから嫉妬しつつも、あまりにも姫子が嬉しそうなので、二人の仲に割り込むのを
ためらったのだ。
姫子はそんな千歌音の深層心理など知る由もない。
大切な友人を困らせている原因が、そもそも自分にあるのだということは
薄々感じていた。
しかし、千歌音がなぜそこまで暗く思いつめた表情をするのか分からない。
よく分からないが、ともかく今回の事故で迷惑かけたのは自分なのだ。
ここはひとつ、正式に、盛大に、謝っておかないと。
先に千歌音の口から謝罪の言葉が出たので、意表をつかれてしまったけれど。
「千歌音ちゃん、あの、私…いつも迷惑かけてばっかで…ごめんなさい。
今回の件もすごく反省してます……」
すごくはにかんだ口調であったけれど、姫子のまっすぐな眼差しは、その言葉が
嘘偽りのないものであることを告げていた。
その言葉に触発されて、千歌音は心のわだかまりを払拭しようと、笑顔をつくって
みせる。
「いいのよ、そんなことくらい気にしなくても。それに、姫子ったら寝てる間、
いびきかいていたのよ」
「えぇっ、やだもぉ、千歌音ちゃんたら!」
いつしか二人の間のしんみりとして澱んだ空気は、和やかで明るいムードに
変わっていた。
姫子には自覚はないだろうけれど、場の雰囲気を和ませ、誰とでも打ち解け
あえるような不思議な能力が備わっている。
その親和力を一番身近で理解しているのは他ならぬ自分なのだ、
と千歌音は自負する。
千歌音は、姫子が蘇生した後の事の顛末を語りだした。
曰く、姫子は救急車で病院に担ぎ込まれたものの、千歌音の迅速かつ適確な
「応急処置」(この言葉を云う時、なぜか千歌音は声のトーンを落とした)の
おかげで大事には至らなかったこと。
後頭部を強打していたが、検査でも脳波に異常はなく後遺症の心配もないこと。
それで姫子を姫宮家の寝室に移したのだが、三日三晩昏睡状態にあったこと。
一昨日の晩から高熱を出して今までずっとうなされていたこと。
その間にソウマとマコトがお見舞いにきてくれたこと。
仔犬はソウマが預かって世話していること…etc。
ソウマの話をするときになって、千歌音が蔭りのある顔つきをしたのが
気にかかった。
――…千歌音ちゃん、疲れてるのかな……?
「もしかして、千歌音ちゃん、ずっと徹夜で看病してた?」
「いいのよ、大事な姫子のためだもの。これくらい平気」
ふとまじまじと眺めてみると、千歌音は目が充血気味でいつもより顔も青白く、
一層痩せ細っているようにみえる。
学校の授業に加え、弓道部の活動やら生徒会やらお茶会やら何かと多忙の身の
千歌音が、いつもよりも増して病気の自分のために時間を割いてくれたことが
一際嬉しかった。
「ありがとう、ほんとにありがとう。私のために…こんなにやつれるまで…」
姫子は込み上げてくる感激で、胸が一杯になる。
誠心誠意の感謝の気持ちをこめて、千歌音の右手こぶしを両手でぎゅっと握り締める。
千歌音の胸が、きゅん、と高鳴った。
嬉しさで迷わず左手を重ねて、姫子の手をさらに強く握り返してしまう。
「だから気にしなくていいのよ。それより貴女は早く体が良くなることだけ考えなさい。
休んでいる間の授業のノートは取ってあるから。治ったら私がみっちりしごくわよ」
最後の一言に姫子は思わず苦笑い。
つられて千歌音も口元が緩む。
千歌音ちゃんのためにも早く良くならなくっちゃ、ね。
看病疲れで逆に千歌音ちゃんが倒れたら、
今度は私がつきっきりで看病してあげるんだ。
あ、でも勉強は絶対みてあげられないけど…。
とにかく、これ以上負担はかけたくない。
とにかく元気なところを見せて、今晩は千歌音ちゃんにも、
ちゃんと睡眠とってもらわないと。
と思い立って上半身を起こそうとした矢先、ふらふらと眩暈が襲ってきた。
なんだか、さっきより身体が内側から焼けつく様に熱くなっている気がする。
心なしか息継ぎも乱れがちになってきている。
「姫子!?また熱が出てきたのね。さっきまでは薬で抑えてたから」
「大丈夫、もう…熱下がったよ……」
「だめよ、ちょっとみせてごらんなさい」
姫子はどきりとした。
文字通り目と鼻の先に、あの切れ長の眼の真ん中にあるマリンブルーの大きな瞳が
だんだんと近づいてくる。
前髪をさらりと掻き分けられ、額どうしをくっつけて熱を確かめる千歌音。
姫子は異様に心臓が高鳴る。
必要以上にまばたきの回数が増える自分。
うわ、睫毛が凄く長いんだ、千歌音ちゃん…っていうか、なんで私、
こんなにドキドキしてるの?
余計熱上がりそうだよ…。
姫子の頬はただでさえうす紅色に上気していたのに、顔から火が噴き出そうなくらい
真っ赤に染まる。
千歌音はおもむろに体温計を取り出して、姫子の脇に挟んだ。
計測中に千歌音の目を盗んで姫子は、キョロキョロと周りを見回している。
挙動不審な姫子の行動に、千歌音はすぐに勘づいた。
「姫子、探し物はこれかしら?」
と水の入ったコップを差し出す千歌音。
――はい、そうです。 (^^;
「でも、水につけて温度を下げるのは反則ではなくて?」
――はい、そうですか…。 _| ̄|○
古典的な芸当がいともたやすく見破られてすねている姫子を横目に、
千歌音は体温計を取り出した。
38度5分。
昨日の40度よりはましだが、まだまだ全快とは言いがたい温度だ。
「ほら、やっぱり熱があるじゃないの。顔も随分赤いし、まだ安静にしてないと
だめでしょう?」
姫子のほうは、おそらく1度5分ほどの体温上昇が千歌音の額のせいだとは、
口が裂けてもいえない。
全身が無性に汗ばんでくる。
「解熱剤は用意してあるの。お薬飲むわね?」
「あ、うん…お願い…」
ベッド脇のターンテーブルに置いてあった錠剤をやさしく噛み砕いて口に流し込み、
コップの水を口に含む千歌音。
姫子の顎を少し、くいっと持ち上げて、その手で上下の唇を開く。
――ふぇっ?
びっくりしている姫子の唇に、むにゅっ、と柔らかい「もの」がくっついた。
上下の歯の隙間から千歌音の口の中の液体が並々と注がれ、ひたひたと口内に
浸水してくる。
二人の唇の隙間から時々、滴がぽたぽたと垂れ落ちる。
姫子は慌ててこぼれ落ちないように、口をきゅっと真一文字に結んだ。
移し終わった千歌音はそれを見届けてから唇をそっと離す。
やたら生暖かいそれは、しばらく姫子の口内を満たして反芻を繰り返す。
ためらいがちに行ったり来たりした後、堰を切ったように喉の奥へ流れこむ。
こくん、
とかわいらしいく喉を打ち鳴らした姫子。
はあっ、と小さな吐息を漏らす。
千歌音の綺麗な親指が、唇から漏れた液体を拭ってくれた。
爪の形も長さもほどよく切り揃えられていて、よく手入れされた指先だ。
「あ…千歌音ちゃん、ありがと…ね」
気恥ずかしさで目をそらしつつ、礼を言う姫子。
まともに友の顔を拝むことができない。
姫子の胸の鼓動は、一段と激しさを増した。
千歌音のくれた生命の水は、乾ききった喉を潤してくれた。
姫子の指先は、濡れた唇の感触を、返す返す何度もなぞっている。
液体とばらばらの粒とからなる異物は、食道を伝って胃に達しているはずだが、
喉の内側を侵蝕されてゆくような感触が、尾を引きずっている。
それは不味い物を食べたときの後味の悪さではなく、むしろもっと求めたくなるような
まろやかな、でもそれでいて胸が疼く様なほどよい快感。
身体の内側に千歌音が入り込んで、愛撫されているといったらいいだろうか。
そんな姫子の思惑を察したのだろうか?
千歌音は、くすりと笑って、あたかも猫を扱うように、姫子の喉をくすぐった。
さらに、その喉からパジャマ越しに胸の真ん中辺りまで、自分の口が与えたものの軌跡を
たどるかのように、人差し指でなぞってゆく。
その指先の道程の途中には、パジャマの胸元から覗く、あの太陽のタトゥーがある。
いったん下降線を辿った白くて細い指先が、その日輪の痣まで戻ってきて軽くタッチした。
「少し強引だったかしら?でも、ちゃんと飲み込んでくれたのね」
軽く触れた千歌音の指先がひんやりとしていて、思わずはしたない声を
上げそうになる。
声を噛み殺しながら、姫子はうんうんと頷く。
目の前の少女には、自分の内部がなにもかも見透かされているようだった。
ソウマとの熱くさわやかなキスとは違う、甘く濃厚な口付け。
この唇の感触をどこかで記憶している自分がいる。
彼女はその理由を知っているのではないか?
一度味を占めた、この快楽の由縁を是が非でも知りたい。
姫子は、この知りたいという欲求に貪欲になり始めていた。