磊 前世 巫女の運命編

神無月の巫女 エロ総合投下もの

磊 前世 巫女の運命編

 

いまよりももう少し幼かった私は、怖い夢をみると、姫子のところへ行った。
「大丈夫」と姫子が言って腕の中へ抱き込んでくれたら、もう平気。
甘い香りに包まれてみる夢は、起きたら覚えていないような儚いものばかりだったけど
そんな夢をみて目覚めた朝は、夢の残滓で幸福感に満ちていた。
姫子がいれば、良かった。
どんな運命だって姫子さえいれば、私は……何でもやれる。何者にだってなってみせる。

そんな覚悟だって夢だった。
ずっと見続けることは叶わない甘い夢だった。


邪神ヤマタノオロチが復活する──
日本の各地から天火明村へ届く報せはオロチによる破壊、そして慄き逃げ惑う人々について語っていた。
頭を垂れて刈り取られるのを待つばかりだった稲穂を業火が焼き、巨大な邪神たちが畑を踏み荒らし、
家を破壊し、山はえぐられて獣たちが姿を消し、河は濁って魚が白い腹を上にして浮かんだ。
まるで地獄を目の当たりにしているようだと綴られていた。
人の手に負える相手ではない。
剣神アメノムラクモを復活させるしか、人が生き残る術はないと……


姫子と千歌音は社の地下の奥深く、人知れず隠されてきた洞窟でアメノムラクモ復活の儀を行っていた。
鈴の音にあわせて祝詞を唱え、気が高まってくると共に雷が走り抜けるような衝撃が、何度も身体を襲う。
耐え切れず、姫子は小さく悲鳴をあげて片膝をついた。千歌音も唇を噛みしめて、その場にうずくまる。
「……千歌音、今日はここまでにしましょう」
千歌音はゆっくりと頷いた。
それは、村人たちが救いを求めて苦しむ姿をもう一日見なければならないということを意味していた。
祈りをこめて村の女たちが織った巫女装束は土埃で汚れている。埃を叩いて綺麗にしようとあげられた腕に輝くのは
翡翠を金で囲み、飾りとして縫い付けたもの。翡翠は古代より村に伝わる宝物だった。
想いがこもった装束を身に着けると霊力が高まるのを感じられた。
「明日こそは復活させなくては。村人たちにも限界が来ているわ」
「あせっては駄目よ」
姫子が微笑む。どうして儀式がうまくゆかないのか、理由をきっと知ってるだろうに、姫子は千歌音を急かさない。
「……私のせいね」
「千歌音?」
「私の心がまだ揺らいでるから、だから」
姫子は千歌音のそばに寄って、そっと千歌音の唇を指で押さえた。
「千歌音のせいではなくて、私のせいかもしれないわ。同じ立場なら誰だって怖くなる。お願いよ、自分を責めたりしないで」
「姫子……」
二人はお互いの身体に腕を回して見つめあい、長い接吻を交わした。
千歌音は名残惜しげに唇を離すと、言った。
「私、もう行かなくちゃ」
「今日は休んだら?」
姫子の言葉に首を横に振る。
「いいえ、もう時間がないの。もっと腕を上げなくては」
傍から見ればきっとおかしな会話だろうと、千歌音は思った。


思いもよらない、残酷な神託を受けたのはオロチたちが各地で動き始めたのと同じ頃だった。
ヤマタノオロチは滅ぼすことはできない。鎮めることができるだけ。
そして、オロチによって破壊された世界を修復するには巫女の命と想いを、もう一人の巫女の手によって捧げなければならないと。
初めにその神託を受けたとき、千歌音の胸に浮かんだのは「自分が死のう」という思いだった。
姫子は皆から慕われていて、村の要だ。失うわけにはいかない。誰もがそう思うだろうし、姫子の手にかかって死ねるのなら
むしろ自分は幸せだと、どこか醒めていた。
協議するのは無意味だと、村の長、長老たち、神主などが連なる場を中座して、外に出て月を見上げた。
姫子に殺されて、あの月にある社に封じ込められる……それはどんなに怖ろしく寂しいことだろう。
けれど、と千歌音は思う。姫子にそんな運命を背負わせるよりも自分が受けたほうがいい。
代わりになれるのは自分だけだと思うと、誇らしかった。
どのくらいの時が過ぎたのか、背後に人の気配を感じて振り向くと、姫子が立っていた。今までに見たことの無い厳しい顔をして。
「姫子、話は決まったの?」
「ええ。あとは貴女がうなずいてくれれば」
千歌音は微笑んだ。やはり自分は死ぬのだと思った。
「お父様も長老たちも、貴女次第だと言っているわ。千歌音、私のことを好きだって、私だけが好きだと言ったわよね」
「ええ、そうよ……?」
姫子の口調にふと背筋を這いのぼる不安を覚えて、千歌音は眉を寄せた。
「お願い、千歌音。私を殺して」
はじめは姫子が何を言っているのか、理解できなかった。
「姫子、何、何ていったの」
「千歌音」
もう一度姫子が口を開く。千歌音はとっさに耳を塞いだ。膝から力が抜けてその場に崩れおちた。
「いや! 聞きたくない!!」
じわじわと先ほどの言葉が脳を侵していく。姫子の言葉の意味が今やっとわかった。
「どうしてなの。貴女は村の長の娘で、私はただの孤児なのよ。死ぬべきなのは私よ! 皆そんなことも分からないの!?」
千歌音の身体は震えだす。本当に怖いのは長や長老たちなどではない。姫子が何を思い、何を決断したのか、
それを知るのが怖くてたまらなかった。
「確かにそういう意見も出たわ」


千歌音の正面に座って、姫子は言った。千歌音の手が塞いでいた耳から力なく落ちる。
「そう発言した人たちを説得するのに今までかかってしまった……」
夜空の月を遠く見やる姫子の表情は静かだった。
「私には、貴女は殺せないの」
呟きは小さいのに残酷なほどはっきりと耳に届いてしまう。
「どうしても、駄目なの。だから貴女に私を殺して欲しいの」
「姫子、それは、姫子は優しいから、私を殺すのは嫌だと思うわ、でも」
必死にすがる言葉を遮るように、姫子はゆっくり首を振る。
「私が優しいからではないの。それだったら貴女にこんな残酷なことをさせたりしない」
ぽつりぽつりと姫子が語る。言葉も表情も優しいいつもの姫子なのに、手を伸ばせば届くほど近くに居るのに、
千歌音にとっては、今の姫子が不思議に遠かった。
「初めて出会ったとき、貴女はやせ細っていて、乳母の目には貴女の美しさは見えない程だった。あれから何年経ったのかしら。
私はあなたの姉だったし、保護者、そして師でもあった。嵐の夜は一緒に眠ったわね。貴女の手が私の衣をつかんでしがみついたとき、
私は自分の心に誓ったの。貴女を守るのは私。真っ先に倒れるのは必ず貴女ではなく私だと」
じっと手の平を見つめて姫子は語り続けた。千歌音に対してというよりも、もっと深い何か、まるで運命にでも言い聞かせるように。
「この手は貴女を守るための手なの。貴女は大輪の花よ。まだ咲ききらないのに、死んではいけないわ」
きゅっと姫子の手が握り締められた。
「愛しているわ。誰よりも貴女に生きていて欲しい。だからお願い、私を殺して、千歌音」
「姫子……」
千歌音は言葉を失った。多分、この世の何者もいまの姫子を動かすことはできないだろう。

「私、私、できないわ……きっと死んでしまう。姫子の居ない世界になんて生きていたくない」
頬をつたって涙があふれだす。言っても甲斐のないことと知りつつ、分かったと頷くことができなかった。
「ヤマタノオロチは滅ぼすことはできない、だから巫女もまた生まれ変わって復活したオロチを再び鎮めるのかもしれない。
いつかは分からない、遠い遠いそのときに私と貴女はまた出会えるのかもしれないわ」
千歌音ははげしく頭を振った。
「いつかなんて、そんなのは嫌よ」
「……だったら、使命を投げ出して二人で逃げましょうか?」
はっと姫子を見ると、姫子は微笑んでいた。
「それでもいいわよ」
本当にいいわけがない、と千歌音は思う。優しい姫子は今は自分の為にいいと言っているだけ。逃げ出しても、心を痛めて病んでしまうだろうと。
運命が明らかになって姫子と自分がそれを知った時点で、どちらかが死ぬのかは決まってしまっていたのだと。
心が絶望と嘆きで染まっていく。
愛しい人、愛しくて愛しくて残酷な人……
垂れていた頭を高くあげて、月を見る。目元をぬぐっても、すぐ月の姿はぼやけてにじんでしまう。あの月に姫子を奪われるのだと思った。
「わかったわ」
声が弱々しい気がして、力をこめて言い直した。
「いいわ、姫子。私が貴女を殺すわ。それが貴女の望みなら」
同時に姫子を殺したあとですぐ自分も死のうと心に決めた。それだけが今の千歌音の慰めとなった。

洞窟で姫子と別れたあと、千歌音は社の後ろの山へ向かった。山の中腹に開けた場所があり、藁を束ねたものが杭にくくりつけられて何本も立っていた。
用意してきた太刀の鞘を払って、千歌音は低く身構える。藁は姫子の背と同じ高さにしてあった。
(一番狙いやすいのは剥き出しになってる首……)
真っ直ぐ立っている姫子の姿と目の前の藁の束を重ね合わせて、千歌音は走り、首を斬った。
藁は切り落とされて、地面に落ちる。首が落ちた幻影をみて、身体が震えた。
(姫子の首を落とすのは、やっぱり嫌。確実さでは劣るけれど、心の臓を狙うしかないわ。骨のあいだを一息に刃で刺し貫いたら、
痛みも多分そんなには無いだろうし)
また姫子を思い描きながら、藁を切る。何度も何度もそれを繰り返し、全て斬り終えたころには、千歌音は汗だくになっていた。
荒い息を整えて、藁の散らばる練習場を後にした。

身体を清めるために、千歌音は衣服を脱ぎ捨てて屋敷の裏手の小川に入っていった。
秋も深まり、水は凍えるほど冷たくなっている。それが丁度良かった。
実際に流したのは汗だけなのに、身体が血にまみれているような気がしてならない。
神経質なほど身体を手拭でこする。長い時間をかけて水浴した後ようやく上がると、身体は冷え切っていた。

邸に戻り、薄い粥をもらってから自分の部屋にひきあげた。服を替えて、姫子の部屋へ向かう。
「姫子?」
声をかけてから入ると、姫子は衣を身体にかけて眠っていた。暗い洞窟では気づかなかったが、姫子の頬がこけてきている。
そういえば先日、姫子が自分の粥を村の子供にあげていたことを思い出した。
(もう、これ以上は待たせるわけにはいかない)
幻影のなかでは何度も姫子を斬った。それが現実になるのだと思ってみても、もはや何も感じない。
(私の心は死んでしまったのかしら、それともこんな感じは今だけなのかしら?)
考えにふけりながら、千歌音は姫子の傍らに腰をおろす。その気配を感じたのか、身じろぎして、姫子が眼を開いた。


「千歌音……」
うっとりと幸せそうに姫子が微笑んだ。
「寝てていいのよ。顔を見に来ただけだから」
「顔色が悪いわ、千歌音」
姫子は千歌音の手に何気なく触れて、驚いて言った。
「冷たいじゃない! はやく暖めないと」
「水浴が長すぎただけなの。大丈夫よ」
身体にかけていた衣を持ち上げて、姫子は少しだけ怖い顔をつくった。
「今すぐここにいらっしゃい」
「姫子の身体が冷えてしまうわ」
「いいからいらっしゃい。命令よ」
千歌音は泣きたくなるのをこらえて、笑った。
「わかったわ……怖いわね、姫子」


厚手の衣の下で身を寄せ合うと、本当に暖かかった。
ついでに甘えてしまおうと、千歌音が姫子の腰に手を回し、胸に顔を擦り付ける。
「千歌音、どうしたの? まるで子供みたい」
抱きしめてくれる身体は柔らかく、甘くていい匂いがして、暖かい。
「今日は一緒に寝てもいい?」
上目遣いでおねだりをする千歌音に、姫子は優しく笑って答えた。
「いいわよ」
ぴったりと抱き合っても、以前感じていたような欲望は覚えなかった。
ただ愛しい。こんなに愛しくたまらないのに……
「千歌音、どうしたの?」
涙が勝手にこぼれて、姫子の衣を濡らしていた。
「姫子、私ね、決めたの。きっと明日はアメノムラクモが復活するわ。だから今日は最後の夜なの……」
「千歌音」
それきり黙ったまま、姫子は千歌音の髪を撫でていた。
(この夜が明けないといいのに……)
きっと夜通し眠れないだろうと思っていたのに、何度かうとうとした。
目覚めて、姫子を抱きしめている自分と、姫子に抱きしめられている自分を確認して、安心して再びとろとろと眠りに落ちた。
胸につかえる重い塊さえなければ、幸せな夜だった。

私は目を開いて顔を上げた。
彼女は私の身体を抱いて泣いていた。
ああ、貴女は泣き顔だって美しいのね。
夢を見たのはほんの刹那だった。
いつかきっと傷つけてしまうんじゃないかと思っていた。
こんな形でだとは、知らなかったけれど。
誰よりも純粋で綺麗な貴女。
できることなら、ずっとずっと見つめていたかった。
貴女の涙が胸に痛くて、慰めたくて、私は手を伸ばす。
……口の中で金くさい味がした。

アメノムラクモは無事に復活した。
赤くオロチの力によって染まった地球を眺めていた姫子がゆっくりと千歌音を振り向いた。
うすく笑みを唇にのせて、両腕を広げる。風に袖がひるがえるさまは白い鳥の翼のよう。
姫子が首を傾げて促すと、千歌音は口元を厳しく強張らせ、太刀を手に一気に斬りかかった。
千歌音を迎えて、姫子は静かな覚悟と共に目を閉じた。
刃は吸い込まれるように白い胸に埋まっていく。あれほど怖れていた瞬間なのに、呆気ないほどに。
藁の束とは違う手応えに、退きたくなる身体を抑えて、千歌音は刃をさらに深く押し込んだ。
姫子の身体が傾いで後ろへよろめいたのを見て、咄嗟に刃を抜き、姫子の身体を抱きとめた。
二人の間の地面に、血が滴り落ちる。止まることなく。止めようもなく。

目蓋を再び開くまでの一瞬、姫子は粛々と歩む数多の人々の列を見ていた。
(これは……?)
行列の中には見知った顔もある。思わず走りよって声をかけても、反応は無かった。
ただ人は姫子の前を過ぎて行く。不思議に思いつつも、見ているうちに慣れてしまい、ただ傍観しているしかなかった。
人々の服が次第に変わっていくのを目に留めていた。
不意に姫子はとても懐かしい顔を見た気がして、慌てて傍へ寄った。
長い黒髪、印象的な立ち姿。服装は見慣れないものだけど、自分が間違える筈がない。
「千歌音!」
叫ぶと振り返った、黒曜石の瞳。
唇が何かを言う。
音は姫子には聞こえなかった。
それでも確かに、その口は「姫子」と動いていた──

「姫子!」
自分の名前を呼ぶ声に、姫子は目を開いた。
いったい何の夢を見ていたのか。目覚めた瞬間にほとんど忘れてしまっている。
千歌音は泣いていた。
深く傷ついた色の瞳をしていた。姫子は残っていた力をふりしぼって、千歌音の身体を抱きしめた。
「頑張ったわね」
耳元に囁くと、「姫子」と呟いたきり、嗚咽が激しくなった。
千歌音は死ぬつもりではないかと思っていた。それを止めることに罪悪感を覚えてもいた。
不思議なことに今は感じない。再び会えるという確信だけがあった。
「死んでは駄目よ、千歌音」
抱きしめている身体が震える。
「だって、貴女のいない世界は私には何の意味もないもの…」
囁きは迷い児みたいに頼りない。
熱い傷口から滴り落ちていく生命を意識した。せめて必要なことを言い終えるまで、もってほしい。
「そんなことを言っては駄目。無傷の世界をあげるわ……受け取って、お願いよ」
唇から溢れおちていく血が伝えたい言葉の邪魔をする。
「貴女を忘れて生きたくなんてないの」
「もう一度会えるわ」
涙で潤んだ千歌音の瞳が大きく見開かれた。
「会えるわ、必ず。私の予言が当たるのは知ってるでしょ?」
少し笑う。視界が霞む。千歌音の背に回した腕に力が入らない。まだ、言いたいことがあるのに……
「だから、泣くのは止めて……」
ちゃんと言葉にできたのか、姫子には分からなかった。


「千歌音さま」
声をかけてきた少女は千歌音の知らない顔だ。不審そうな表情で察したのか、あわてた様子で少女は言葉を続けた。
「あ、あのっ、私今度から千歌音さま付きの下女となりました、乙羽と申します」
「ああ、その話なら聞いてるわ。よろしくね、乙羽さん」
微笑みかけると、乙羽の顔が真っ赤に染まった。
「噂は耳にしておりましたが……」
「なあに?」
首を傾げる千歌音に乙羽は「な、何でもありません」と首を振った。
「気になるわ。噂ってどんな?」
優しく促されて、しぶしぶといった様子で口を開いた。
「千歌音さまは、まるで竹取物語のかぐや姫のように美しい方だと……もう、本当にその通りで、
私、つい失礼なことを申し上げてしまって」
「そんな噂が? 困ったわね」
千歌音が本当に困っているので、乙羽はまた動転してしまったようだ。
「私ったら、失言ばかりで申し訳ありませんでした。で、では失礼しますっ」
乙羽がどたばたと賑やかに部屋を出ていくようすに、千歌音はくすっと笑った。
しっかり者だと聞いているのに、人は噂では判断できないものだと思う。
それでも慣れてくれば、邸のことを任せられるようになるだろうか。


その夜、千歌音は月光に誘われるように表へ出た。
満月が薄雲におおわれて、おぼろに光っている。
月を眺めていると、いつも胸がやり場のない想いでいっぱいになってしまう。
両腕を広げて、強い憧れをこめて遠い月へ手を伸ばした。
遠い天に高くあがっているあの月に、この両手が届けばいいのに。

……本当に抱きしめたいのは、月ではないような気がした。


end

最終更新:2007年04月21日 18:42
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