梅田佳声先生の自伝

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梅田佳声先生。1928年6月12日生まれ、東京都出身の紙芝居師。

2006年04月13日(木曜日)

佳声先生、このあいだ大津の能楽堂で『猫三味線』を公演し、大ウケだった由。DVDと自伝の発売など、今年後半は佳声ブームを巻き起こしたいというのが私の願望である。若い頃めざした芸人の道を、定年後に実現させ、78で大輪の花を咲かせようとしている先生の存在は、来年、大量定年退職者を出す団塊の世代にも大きな希望の星になるはずだ。

2006年04月24日(月曜日)

梅田佳声先生の『幽』のインタビュー、編集のNくんに電話口で伝えたインタビュー予定日と佳声先生に伝えた予定日が、よしゃいいのに自分でスケジュール組んだので全然違っていた。その時間には私にもう予定が入っていて、どうすべえと青くなった。ところが今日、佳声先生側から来た時間変更依頼があり、Nくん側の都合とツキ合わせたことで、最初に間違えて伝えた時間で結果オーライとなって、私の方がスケジュールを変更する必要がなくなった。
とんだスラップスティックだが、何か最近はこういうことが連続してあって、自分の中に「私の周囲のトラブルは、かなりドタバタはするが結局万事うまい具合におさまる」という根拠のない確信まで生ずるに至っている。各人の人生にもし天の脚本家がついているとするならば、私のそれはドタバタ・コメディの得意な人物らしい。で、あるから、今回の例の件も、私はある程度後からの意外な解決に自信を持っている。根拠のない自身だが、“「根拠のない自信はくつがえりようがない」(京須偕充)”という言葉もある。

2006年04月26日(水曜日)

4時半、また出て金王神社近くのメディアファクトリー社、『幽』での梅田佳声先生との対談。担当Nくん、東雅夫編集長まで同席。『猫三味線』中心に猫と怪談について。さすが佳声先生、話題豊富で、怪談収集のオーソリティである東さんでも“へえ!”というような話がいくつも出る。ただし、放っておくと紙芝居に偏るので、芝居とか、物真似、都市伝説などの方にふってバラエティ性をもたせるように気をつかう(これはあとで担当者に大変感謝された)。

2006年05月31日(水曜日)

自室で仕事。佳声先生本のタイトルの件などいろいろやりとり。紆余曲折の末、まず無事に治まった。

2006年06月12日(月曜日)

梅田佳声本のテープリライト作業を10時まで黙々とやる。前半はテープ起こしの人間が「はいはいはい」「あははは」「へー、銀座で」「そうそう」などという合の手まで全部起こしており、これを消すだけで大変な苦労。

2006年06月14日(水曜日)

帰りに西部デパ地下で買い物し、それから仕事場で佳声本、テープおこし原稿の推敲にかかる。内容は自分で読んでいて喜んでしまうほど面白いが、量が膨大なのを如何せん。

2006年06月15日(木曜日)

日記つけ、佳声本テープ起こし一章チェックして送る。佳声先生、佳枝さんからのメールによると、某企画に大いに乗り気で、各地公演等でDVDや本のチラシをまく、と張り切っているらしい。

2006年06月16日(金曜日)

佳声評伝テープ起こし続ける。山本弘さんもミクシィ日記で書いていたが、人間はふつう、会話の中では文法や語順をきちんと話していない。と、いうより、かなり支離滅裂、めちゃくちゃな話し方をしているものだ。以前、自分のしゃべった内容を機械的にそのままテープ起こしした文章を読んだが、ほとんど精神異常者の言葉のようなものだった。考えてみると人間の脳というのは、耳から入ったそういう無茶苦茶な言葉を、無意識のうちに構成しなおしつなぎなおして、意味の通る内容に直して理解しているのである。凄いなあ。

もちろん、それが可能なのは、聞いてる内容についてこちらにある程度の知識があってのことだ。まるで知らない内容のことについて話を聞いたりしていると、脳が構成しようがなく、タモリのハナモゲラみたいなもので(古いね!)、日本語ではあるのだがまったく何を言っているのか理解できぬ、奇妙な言語としか聞こえない。

内容はもう、私のような昔のもの好きな人間にとっては抜群の面白さなのだが、テープ起こしの人にはそういう知識が皆無だったらしく、ハナモゲラ部分が非常に多い。苦労して何度も聞き直したのだろうが、まるきり『空耳アワー』の様子を呈している(タモリつながり)。それをこっちは、「何と聞き間違えたのか」逆推理しながら正解を出していかねばならない。
『モロッコ武士』→鴨緑江節
『イツミ天然』→泉天嶺(活動弁士)
『ボタンにササニシ、タケにソラ』→牡丹に唐獅子、竹に虎
『ゲタが偽装』→ゲタが十足
イツミ天然なんてのはこっちに泉天嶺っていう名前の知識があるから何とか理解できる。鴨緑江節や牡丹に唐獅子もしかり。やっかいなのは“ゲタが偽装”のようなやつだ。最初は何のことだかさっぱりわからなかった。これ、実は地口であって、ゲタが十足で葛根湯(下駄《かっこ》が十でカッコトウ、カッコントウ)というので、そこから何とか類推して十足だろうと推理したのだがなんで十足が偽装なのか? と不思議に思っていた。やがて、佳声先生が見事な霊岸島生まれの江戸っ子弁を使うことを思い出して、あ、と気がつき、膝を打った。江戸弁では十足を“じゅっそく”とは言わない。“じっそく”と発音する。それをアルバイトさんが“偽装”と聞き違えたのですね。

2006年06月18日(日曜日)

佳声本のものと同人誌用のもの平行で。資料をサイトからひっぱってきては、英米サイトが多いのでそれを翻訳ソフトにかけて、おかしいところを直して、という作業がほとんど。

2006年07月25日(火曜日)

どんよりとした曇り空ながら雨のないのだけでもうれしい。日記つけ、各仕事先と電話、メール連絡。『幽』京都イベント出演に関する件も。あと、佳声先生のご家族サイトから、DVD『猫三味線』、アマゾンでは佳声先生と私の名前が、“出演者、スタッフ”に載ってない、という指摘。

2007年03月27日(火曜日)

車中、佳声先生自伝の原稿に目を通す。

6時、カフェ・ミヤマ会議室にて佳声先生自伝本の補遺的インタビュー。本としてもう少しふくらませたい部分の重点的聞き書きである。佳江さんがいろいろと佳声先生の世話をやいている。佳声先生、暮れの恵比寿の口演の出来が非常によかった、と喜んでくださって、かえって恐縮。あれは私の中ではリベンジ熱望、のものなのだ。

2007年06月10日(日曜日)

『トンデモ本の世界』の新作用原稿、書きはじむ。平行して佳声自伝の原稿、こっちであぐねるとあっちを、という感じ。

2007年06月12日(火曜日)

東急本店で買い物して帰宅、佳声自伝の原稿ちょっとやるが急激に眠くなる。別に天候が崩れたわけではないのだが、ラニーニャが発生したとか聞くがそのせいか?

2007年07月12日(木曜日)

佳声本、遅々としているがそろそろ馬力をかけないと。何にせよ、イラつく。気圧のせいもあるだろう。

2007年07月24日(火曜日)

自室に戻り原稿。目下の最至急の仕事は佳声先生自伝なのだがちょっと二日ほどお休みをいただくことにし、夏コミ用同人誌『Bの墓碑銘(中)』にかかる。

2007年07月31日(火曜日)

日記つけ、出版社とのメールやりとり。佳声先生本、同人誌のおかげで遅れてしまった。こっちもやらねばならぬ。

2007年08月11日(土曜日)

あと、老人力アピールの原稿と、梅田佳声自伝原稿なのだがその前に取材一本あり。死ぬんじゃないか

2007年08月14日(火曜日)

佳声自伝原稿、冒頭のところまとめてバーバラと佳江さんに。

2007年12月22日(土曜日)

お仕事、と言っても私ではなく佳声先生に、某地方局から依頼。細かいことを再確認する。マネージャー仕事は楽し

2008年01月30日(水曜日)

それから滞っていた佳声自伝、再スタートを清流出版で。

2008年02月08日(金曜日)

俎板橋の清流出版打ち合せ。ストップしていた梅田佳声自伝の執筆再開の打ち合せ。こちらの勝手な多忙で一年以上執筆を引き伸ばしていたので叱責受けるかという覚悟で行ったが、温かく理解していただいたのにホッとする。

2008年02月12日(火曜日)

佳声先生と狂志さんの会は大成功に終わったという報告。
佳江さんまかせにしてしまったので、心配していたがホッとする。客も大入り、佳声先生も終始御機嫌であったとか。夏に伊賀良では人形劇フェスタが毎年開催されて、それに佳声先生は例年出演されている。
ちょうど佳声自伝のからみもあり、今度は私もついていくはず。

2008年02月13日(水曜日)

佳声先生宅より、長野の仕事のお礼が届く。

2008年02月22日(金曜日)

佳声先生から、長野公演成功のお礼で送られた牛肉を食べようという会である。マドが遅れてくるというので、待つ間にフィッシュ春巻だの牡蛎と小松菜炒めだのという前菜食べつつ、いろいろ話。

2008年05月31日(土曜日)

5回の応接間で、鮨芳主人、それから佳声先生に久闊を辞す
佳声先生、6月で80になるとは思えないお元気。声量は以前に比べ少し落ちたが、張りはもう十二分。快楽亭に、「少し家元にも佳声先生にあやかってもらいたい」というくらい。

2008年06月12日(木曜日)

そう、今日は佳声先生の80回目のバースディ。
みんなでそこから近くの『美々卯』に移動し、うどんすきでお祝い。幸い、佳声先生の好物だったようで、喜んでいただけた。場をしきったのはヨシエさんで、本当にいろんな話を。東文研の事務所移転の話にも相談に乗っていただき、さらに出版の件から、特許申請(ヨシエさんの本職)のいろんなエピソードなど。
公序良俗に反するものは特許を取れないので、コンドームなどの特許には、こじつけみたいな利用法が説明されてあって面白い、とか。

2009年03月07日(土曜日)

紹介されて前に出、佳声先生の『猫三味線』との出会い、紙芝居という芸の位置づけ、その中での梅田佳声という人物の芸がいかに突出した、紙芝居の伝統を受けつぐというよりは革新的なものであったか、ということなどを話す。
「幸いにも、佳声さんの代表作、猫三味線はDVDに残すことが出来ました。しかし、まだまだ梅田佳声の魅力は伝えきってはおりません。今後とも佳声芸の魅力を広めていく努力を続けてまいりますので、よろしくお願い申し上げます」と、何だか選挙応援演説みたいな感じだな、と自分で苦笑。ただ、石響には大変後で感謝された。

私も、佳声先生の演目を可能な限り記録・商品化するという企画のことを話す。
要は、われわれは紙芝居ファンというよりは梅田佳声ファン、佳声マニアなのではないか、梅田佳声の芸に出会わなければここまで紙芝居にハマりこみはしなかったのではないか、というようなこと。

2009年07月31日(金曜日)

日記つけ、佳声自伝本原稿チェックにかかる。やはり調べものに時間大半とられる。とはいえ、これが完成すれば関連企画も大きく動き出すはず。それを思ってガンバル

2009年08月01日(土曜日)

梅田佳声インタビュー本原稿チェック。
テープ起しした人がわからずカタカナ書きにしている人名など固有名詞を、これではないかと推量をつけて、ネットで検索。それが見事に的中したときにはヤッタと思わず叫ぶ。

2009年08月06日(木曜日)

佳声先生インタビュー原稿にかかる。演劇論のところ、なかなかチェック大変。しかし、やっとラストスパートに近づいてきた。

意外かつ嬉しかったのは、そこで語られる演技論に(注:大塚周夫のインタビュー)、いまもうひとつ進めているインタビュー本の、梅田佳声先生の演技論に同じものがあったことだ。同じく80代同士の方の演技論、思えば似ていることが当然なのかもしれないが。

2009年08月07日(金曜日)

佳声インタビュー原稿、いよいよラストスパート。と、言ってもこういう仕事はスピード上げるわけにもいかず。粛々と進める。

2009年08月08日(土曜日)

佳声本のまとめ部分、書き出す。そう言えば梅田先生の家にY先生の調査が入り、所蔵紙芝居のリスト作成が始まったそうである。これも着実に、かつ急いでやらないと。

それ以降、本の話はピッタリと....
















最終更新:2010年02月22日 08:17
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