狼の子どもたち

狼の子どもたち(おおかみの-)は粕谷紀子の漫画作品。月刊tiara1988年7-12月号連載。

登場人物

  • 正林 薔子(しょうりん しょうこ) - 中学時代、陸上の短距離のタイトルを持つ。
  • 城之内 潤(じょうのうち じゅん)- 薔子を温かく見守っている。父は弁護士。
  • 南風 真由(みなみかぜ まゆ) - 病弱な少女。
  • 九鬼 亮太(くき りょうた)- 保護者のように、常に真由に付き添っている。

あらすじ

第一話

薔子は朝のランニングが日課。ときどき見かけるランナーが気になっていた。

学校では、彼女が負けたらデートするという条件で男子学生たちとかけっこをしており、進学校である光栄高校の中でも、やや浮いた存在。城之内潤があきれつつも、優しく彼女を見守っている。だが、彼女の理想は高く、毎朝見かける、名も知らぬランナーのように情熱的で、自分を追い越せるような男でなくてはいけないと思っていた。

薔子は中学時代に名を馳せたランナーだったが、光栄高校が高体連に加盟していないため夏の高校陸上競技会に出場できないことを、教師から知らされる。そこで彼女は、高体連に加盟するために陸上部を結成することを決意。部として承認されるためには、最低4人の部員が必要だが、進学校故ドライな学生たちは誰一人として興味を示さない。そこへ城之内が現れ、薔子のためなら一年くらい浪人しても良いと入部してくれることに。

「わ……わたしのためにとかさ……そういういいかたって、ずるいのよね」

城之内はあくまで一種のボランティアで、薔子が出場しないと高校陸上界が損失を被ること、薔子の毎朝の練習が無駄になることを理由に挙げた。薔子は朝練を知っていることに驚くが、城之内は偶然朝の散歩のときに見かけたのだという。…ということで、多くの学生が遠巻きに見る中、二人は練習を始めるが、城之内はハードな練習についていけず、デモとしては失敗に。薔子も城之内が自分のために無理をしていることを感じ、帰り際そっと唇を寄せる。

城之内は、彼女を初めて見た朝のことを思い出す。誰もいない公園で、風とたわむれる自由な生き物……。城之内はその時から薔子に恋いこがれつつも、同時にそれを彼女には言わないと思う。しばろうとすれば、自由な小鳥は逃げてしまうから、と。

光栄高校の学生が活発でないのは、部活動に限ったことではなく、体育の授業も見学者が続出する有様。薔子が激しく投げたボールを、男子はとることが出来ず、ボールは見学者の方へ。サボっていると思った薔子は、ボールの近くにいるクラスメートの女子に、ややきつい言い方でボールを取ってくれるよう頼む。しかし、その途端、少女は動悸が激しくなり、ついに気絶してしまう。薔子はきつい言い方をしたことを後悔しつつ、保健室に行き、その少女・南風真由に謝罪する。真由は、自分は病弱だからよくあることと薔子を許すどころか、生き生きとした薔子に憧れていたから話すチャンスが出来て嬉しいと話す。養護教諭から、真由の荷物を持ってくるよう頼まれた薔子と城之内は保健室から退出するが、薔子はその時すれ違った真由のボーイフレンドが、あのランナーだと気が付く。城之内に聞くと、彼は同じ1年生の九鬼亮太だという。

薔子は保健室へ戻り、真由の荷物を手渡す際、亮太に公園でのことを聞くが、彼は陸上もやったことは無く、公園にも行ったことが無いという。薔子は彼を試そうと、亮太の持っていた真由の荷物を奪い走り去る。いつもなら、男子を軽く振り切れる薔子だが、亮太は差を縮めるところかついに追いつく。薔子を乱暴に壁に押し付け、こういう試され方は気にくわない!と激怒、真由と二人で下校していく。だが薔子はあのランナーに出会えたことが嬉しく、その場で涙を流す。

第二話

城之内に調べてもらったところ、亮太は中1のときにジュニア陸上の短距離で優勝していることが判明。中2・3では、不自然なことに出場を取り消していた。薔子は、なぜ彼がすばらしい才能を持ちながら、陸上をやっていたことを隠すのか、好奇心を強める。

一方、真由は亮太が陸上を続けていたことを嬉しく思う。

「わかってよ、亮太をしばりたくないの。あの事故はあなたの責任じゃないのよ」

「おれが、責任感で真由とつきあってると思うのか?」

「思いたくない…でも…本当はいつも不安なの」

真由は亮太には例えば薔子のようなひとがふさわしいのではと言うが、亮太は真由の不安を取り除くように、口づける。だが、再び真由は発作を起こしてしまう。真由は亮太に、ただ並んで歩くことしか出来ない自分でいいのか訪ねる。亮太はそれでよいと励まし、彼女に合わせしばらくその場で休憩することにした。だが、真由はやりきれず、子どもの頃からの病気なのに、切なさを感じていた。

休み時間、教室移動の際に亮太を見つけた薔子は、彼に先日の件を謝罪しつつ、また陸上をやらないかと誘う。亮太はそっけなく無視しようとするが、薔子はそれを追い、周囲から冷やかされる。そこで大胆にも彼に抱きついて見せるが、おしゃべりで図々しい女は嫌いだと言われる。城之内は、彼女にあきらめるよう諭すが、薔子は亮太が本当は走りたがっていると確信していた。授業に遅刻しそうになった二人は、慌てて次の教室へ走るが、一連の様子を真由は静かに見つめていた。

錦花山への登山遠足の日、薔子は真由が遅れたことに気づき、城之内と列を離れ、真由のもとへ駆け寄る。教師と相談の末、薔子は真由を介抱しつつ下山してバスへ戻ることに。薔子は城之内に亮太への連絡を頼んだ。小川のほとりで、少女二人で休憩しつつ、様々なことを話す。亮太との約束を破ってまで、真由は自分を試そうと登山に挑み、そして具合が悪くなったのだった。きっといつか登れるようになりたいと言う真由を、薔子もきっとそのうち上れるようになると励ますが、真由はその言葉の重みを感じていた。やがて亮太が迎えに来て、やはり怒るが、薔子が自分が連れて来たと真由をかばう。亮太は真由を抱き上げバスへ連れ帰り、薔子を追い払おうとするが、荷物と靴があるので結局三人で帰ることに。

真由の家まで、薔子と亮太は付き添うが、真由の父・浩介は亮太が来たことに不快感をあらわにし、きみの顔は二度と見たくないと突き放す。薔子は真由の父に抗議するが、亮太がそれを止め、真由とふたりだけの視線をかわす。帰り際、薔子は親の了解を得ていなかったことが意外で、彼らの事情を質問するが、きみには関係ないと亮太はやはり答えない。亮太は、昼の態度について謝罪し去っていった。

薔子は、真由と亮太の間に自分が入り込めない世界があるのに嫉妬から、真由が病弱な振りをしているのではないかとさえ思う。そんなある日、正林家の営むスーパーに亮太が訪ねてくる。薔子は驚きながらも、二人でいられることに満足していたが、彼が薔子を訪ねて来た理由が、欠席している真由の様子を見て来て欲しいからだだと知り、内心残念に思いつつ、いじわるそうに亮太が陸上部に入ることが条件だと突き放す。

薔子は、自分が彼らに嫉妬していることを認めつつ、亮太を恋することを止められない。

「真由に遠慮なんかしない。わたしは真由の存在を知る前に、あの人に恋していたんだもの」

決意を胸に、薔子は花束を買い、真由の家に見舞いへ向かう。

第三話

薔子が見舞いに来たことと花束を、真由は素直に喜び、薔子は複雑な気持ちに。真由は元気そうだが、父が精密検査を受けさせていたのだという。くつろぎながら、真由は薔子に事情を話しだす。

まず、真由の両親は再婚しており、夏に赤ちゃんが産まれるのだという。そして、前妻である真由の母・多喜子は、雨の日に真由を連れ車で病院へ赴く途中、ランニング中の少年・亮太を避けようと交通事故を起こして死亡。父は葬儀の場で、亮太を怒鳴りつけていた。

次に、真由の病気は「ジェラズニィ症候群」という難病(注:架空の病名)で、激しい運動・精神的ショックで動悸が起こって息苦しくなり、最悪の場合気絶してしまうのだと言う。いつ発作が起こるか分からないため、ずっと母が付き添っていた。しかし母の死後、家から出られなくなり、代わりに看護婦が付き添ってもめまいを起こし、父はカタログ通販やVTRで何とかなると悲しそうに笑い飛ばす。真由も父を悲しませたくないと、自分一人で登校を試みるが、駅の大階段の途中でしゃがみこみ、倒れかけるが、それを助けたのが亮太だった。

自分なんてどうだっていい、ママの代わりに自分が死ねば良かったと取り乱す真由を、亮太はきみが強く生きることこそお母さんの願いじゃなかったのかと励ます。真由は母との会話を思い出し、きっと亮太のように言ったに違いないと考える。そう考えた途端、心が軽くなり動悸が嘘のように静まった。

「その日から、亮太は母の代わりになったの」

全ての事情を理解した薔子はため息をつく。ふと、写真立てに飾られた真由と亮太の写真が目に入る。未公認のカップルだからデートをしたことが無く、二人の写真はそれ一枚しか無いという。真由は薔子からデートの話を聞く

「いいわね、風の中を走りまわれたら!きっとすてきでしょうね」

薔子は心の中で、

「九鬼くんはわたしとならそれができるのよ、思いきり」

と思うが、そのとき、真由がきっぱりと言う。

「薔子さん、亮太をとらないで!」

薔子は慌てて否定し、真由も謝罪するが、生き生きとしている人を見ると不安になるという。自分が亮太をしばっているのではないか、不安でたまらなくなるが、同時に彼を失ったら生きていけない、と。

薔子は笑い、真由が心配だから見に来てくれと頼まれた時の彼の必死な様子を話す。

「……そう?」

帰宅する薔子を見送りながら、真由は自分の卑怯さに震えていた。学校で、亮太の視線の先にいた生き生きとした薔子の姿に、二人が出会わないよう気をつけていた。走る喜びを共有する二人が惹かれ合うことは当然で、いつか病弱な自分と亮太は別れる日が来るし、彼を愛するなら彼を自由にすべきだと分かっているのに、今の真由はそれに耐えられそうも無く、動悸が激しくなり玄関先でしゃがみこんでしまう…。

薔子はドーナツ屋に亮太を呼び、真由の様子を話す。頼まれたから行ったのではないと、交換条件を無効にすることを告げる。

「4人集まらず、陸上部が成立しなかったら?」

「競技会にエントリーしない、それだけのことよ」

そう言って、二人は別れた。

「走りたい、九鬼くんと走りたい、すべてをぶつけあって」

だが、真由にストレートに頼まれた以上、その望みを叶えることは出来ない。薔子はこれまで、ボーイフレンドも友人も、競技会のトロフィー・高校受験に至るまで、望む物で手に入らない物は何も無かった。だが、彼女の望みが断たれた以上、それが何の役に立つのだろう。薔子は夜道でひとり涙を流す…。

第四話

夏休みは続く。

薔子は城之内を誘ってプールへ。賑やかな流れるプール・スライダーではなく、ガラガラの競技用プールへ。彼女は2kmもひたすら泳ぎ続けた。城之内は日光浴専門。帰り道、目標を失うと人間はだらけるものね、と薔子は城之内に話しかける。宇治金時をおごってもらいながら、競技に没頭していない夏は初めて、と話すと、城之内は陸上の競技人生は長いのだから人並みの夏もいいじゃないかと応じる。そして、秋には部員をかき集めて陸上部を成立させようと励ます。

帰宅後、薔子はかつてのライバル・藤ケ岡が高校新記録を出したことをニュースで知る。両親は薔子が落ち込んでいないか不安がるが、彼女は明るい笑顔で、公園へランニングに出かける。城之内の励ましを思い出しながら彼に感謝し、自分は走ることそのものが好きなのだと、さわやかな気持ちでいっぱいだった。

するとそこへ亮太が現れる。真由から事情を知った今、亮太は薔子に一緒に走ろうと誘う。二人は次々と目標を決めながら走っていく。本気で走りながら、心を一つにした二人は楽しいひとときを過ごす。やがて休憩し、亮太はふと薔子の乱れた髪に手を伸ばす。薔子を身を強ばらせ、遅いから帰る、と別れる。彼女はむろん真由の願いを思い出していた。しかし、たとえ真由と亮太が愛し合っていても、二人で心を一つにして走った世界は、真由には奪えないと考える。

一方、亮太も二人で走ったことを快く感じていた。やがて真由に毎晩恒例の電話を掛けるが、その時ひとりで走っていたと嘘をつき、そのことに悩む。

二学期となり、再び陸上部の募集をかける。気持ちが楽になった薔子は、以前と違い楽しむことを目的に生徒たちを説得し、今度は興味を示す者も出て来て順調そうだった。

真由には、弟が産まれていた。必然的に子どもの話になり、薔子は真由にはもう恋人がいるんだからと言ったところ、真由はたぶん赤ちゃんも産めないし結婚も出来ないだろうと遠くを見ながらつぶやく。掃除中だったため、やがて薔子は窓の桟によじ上って高いところを拭こうとするが、見事に落ちてしまう。しかし、真由を手伝うために来た亮太がちょうど彼女を抱きとめる。すぐさま二人は口論となるが、以前と違う雰囲気に真由は気づいてしまう。亮太との帰り道、何気ない会話から、真由は亮太が壊れやすい人形のようにしか扱わないことを痛感してしまう。

雨の夜、薔子は真由の「結婚できない」という言葉が気になり、寝付けずにいた。そこへ亮太から電話があり、公園へ向かう。真由の具合が悪いのか尋ねる薔子に、亮太は真由のことでなければ呼び出しては行けないか、と逆に聞く。薔子は亮太に背を向け、用もないのに呼び出されたら困ると言い返す。

亮太は薔子のお転婆な様子を挙げ、真由との違いを強調する。だが、真由は力を入れれば壊れてしまうが薔子は対等だ、と。そして、またいつかの晩のように二人で走りたいと告げる。……薔子は、ちょっと親しくすると男の子が誤解する、わたしには好きなひとがいる、と亮太の好意を拒む。

「真由!だめじゃない!彼の心をしっかりつなぎとめておかなくちゃ!」

第五話

薔子は真由の家を訪れ、二人で真由の弟・慎也(しんや)を可愛がっていた。両親はすっかり弟に夢中で自分のことを忘れたようだと、そう話す真由を薔子は心配そうに見るが、亮太と自由に会えるのでかえってホッとしているのだと言う。薔子は、このチャンスにいっぱいデートしてお父さんに認めさせればいいと勧めるが、真由はこのごろ亮太の様子がおかしいと相談する。

帰り道

「真由のために、うそをついてまで九鬼くんを拒んだのよ!真由さえいなかったら……」

そう思いながら、薔子は自己嫌悪する。

学校では、亮太に自分を拒む何かがある、と真由は感じていた。そして、つい卑屈になる自分に情けなさも感じていた。その頃、校庭では薔子が100mのタイムを計ろうとしていた、目標は11秒76、ライバルの藤ケ岡が先日出したタイムだ。校舎の壁までギリギリ3mとしかない直線コース。

「わたしのほうが速く走れる!」

その想いを胸に薔子は疾走する。しかし彼女は止まりきれず……

気が付くと、保健室のベッドの上だった。城之内と養護教諭が心配そうにみつめる。彼女は壁ではなく、間に入った亮太に激突したらしい。城之内はじめ、素人だから誰もが薔子が止まれると思っていた。激突して騒ぎになったが、亮太は平然と彼女のタイムを質問したという。その話を聞いて、薔子も思い出したようにタイムを尋ねる。

「きみたちはそっくりだね、正林も九鬼も、速く走ることしか頭にないみたいだね」

タイムは11秒6だった。シューズをはじめ条件の劣るなか、これなら藤ケ岡に勝てる!と薔子を自信を強めた。

一方、亮太と真由は、また、亮太が真由よりも先に歩いてしまった。息を切らしながら追いつく真由に気づき謝るが、真由はこのごろ亮太がおかしいと指摘する。ごまかそうとするが、真由はいつになく強い口調で問いただす。薔子さんね、という指摘は的中し亮太はうつむく。

「…少し時間をくれないか」

「わかったわ、もうむかえにこなくていい、帰りも家まで送らなくていい、わたしだいじょうぶだから」

真由は精一杯平静を保とうとしたが、別れた途端、道に倒れ込んでしまう。亮太は愛しているのは真由だけだ、さっきのことは忘れてくれ、と真由を抱きしめるが、真由は自分の心と身体の情けなさを感じていた。

「"そのとき"を先へのばしただけなのに、必ずくる亮太との別れのときを」

休み時間、薔子と真由はゲーム(オセロ?)をして過ごしていた。そこへ亮太がやってくる。真由はわざと亮太を呼び寄せようとするが、彼は外で待つという。真由はゲームを中断して立ち上がり、薔子は真由さえいなければと思いつつそう考えてはいけないと強く念じる。

「薔子さん、みにくい顔してるわよ。でも、わたしのほうがもっとみにくい顔だわ」

城之内が、なんと美しき女の友情、と薔子を冷やかす。しかし彼は冷やかしに来たのではなく、亮太と会うべきだと勧めに来たのだった。自分が今度の模試をキャンセルして九鬼と秋川渓谷(注:東京郊外)へ釣りに行くことにするから、秋川でなく渋谷へ、城之内とではなく薔子と、そう変更になってもいいじゃないかと。薔子は彼のおせっかいぶりに苦笑しつつも、それを受け入れることにした。

「気持ちをいつわると一生後悔する」

城之内の言葉が響き、亮太を取るのではなく、一度会って自分の気持ちを伝えるために会うことを決意する。そして、亮太も、次の日曜に城之内と釣りに行くと真由に嘘をついた。

…数日後、同じクラスだから落とし物のスケジュール帳を渡すよう頼まれた真由は、城之内の名前を確認する。そして、次の日曜、城之内が模試を受けることを知る。スケジュール帳を手渡しながら、城之内に亮太が本当は誰と会うのか問う。もしはキャンセルしたととぼける城之内に対し、ならば亮太に聞くから、と言うが、逆に自分が惨めになるだけだと諭される。城之内は亮太と薔子が会うことを教える。真由は嘘をつかれたことに怒りと悲しみを感じるが、嘘をついたのもまた彼の気持ちだと城之内は言う。

「わたしはがそうさせたというの!」

城之内は、会うのを止めようとする真由を思いとどまらせようとする。

「なぜ?あなただって正林さんがすきなんでしょ。なぜふたりをそうまでして会わせようとするの」 「正林にひとを憎むようになってほしくない」

彼女はまっすぐで、競争意識はあってもひとを憎んだことはないはずだ、だから自分は正林が好きだ、そう語る城之内を真由は驚きの目で見つめる。城之内の愛情の大きさに衝撃を受けた真由は、帰宅しても亮太もわたしを憎むことになるならみな不幸になるが、でも亮太を失うのが怖いと感じ、また震えが始まった。水を飲みに階下へおりると、弟が両親に可愛がられている姿がドア越しに見えた。父は、病弱な真由に対しては心配が先に経って可愛いとしみじみ感じる暇もなかったと回想する。

ショックを受けた真由は、自室へ駆け戻り、自分のせいでみなが不幸になると、苦しみ、自分はどうすればいいのか思い悩みソファに崩れ落ちる。

薔子と真由は表面上いつもと変わらずに過ごしていた。

「ごめんね真由、いちどだけ九鬼くんに会わせてね」

「やさしくてうそをつくのがへたな、すてきな薔子さん。あなたが好きよ、憎まれたらつらいわ」

そして、亮太に対しても真由は知らないふりをとおしていた。

「やさしい大好きな亮太。あなたを苦しめたくないわ」

…そして、日曜日、待ち合わせの場所になかなか亮太は来ない。薔子は心配するが、やがて彼が現れる。しかし同時に、真由が昨夜から行方不明になったことを知る。そして、二人とも、今日隠れて会うことを真由に教えていないことを確認すると、唯一今日の事情知っていた城之内に電話をして呼び出す。

城之内が、二人が会うことを教えていた。いずれわかるなら隠さない方が良いという判断だったが、真由がそこまで追いつめられていたとは城之内も予想外だった。

「真由、まさかばかなことしないわよね!?もしなにかあったら、わたし自分を一生許せないわ」

第六話

三人は心当たりを全て探した。

薔子は内心いらだっていた。彼を失ったら生きていけない、普通本気のはずはあり得ないし、たった一度会うだけなのにあてつけがましく家出をするなんて…

落ち込む亮太に対して、笑いながら大騒ぎをすることはない、きっと友達のところに泊まったはずだと言う。

「真由の友人は”きみとおれ”だけだよ、正林」

亮太に冷たい目で言われてもなお、それでも深夜喫茶なりコンビニなり行く場所があるはずだ、と主張するが、あざ笑うように真由と正林は違うと言われ、薔子は亮太を平手打ちにし、城之内が間に入って止める。亮太は、ひとり歩きが生命に関わる真由が不安でならず、三人で真由の家へ行くことにする。

家にもやはり連絡はなく、やや乱暴な口調で真由をとがめる父に対し、後妻は真由ちゃんはいつも明るく振る舞っていたけれどさびしさを心の中に隠していた気がする、と言う。

薔子は、亮太が自分を好きになったことを後悔しているのを見て、真由の思い通りになったと悔しさでいっぱいになる。城之内と二人での帰り道、真由が卑怯だという一方、自分が失った者のことしか考えられない利己主義者(エゴイスト)であることがいやでたまらず城之内に泣きつく。

「ふたりきりの友だちが、ふたりして真由にうそをついて、だから真由は…真由は… わかってるわ、真由が姿を消したのがわたしの責任だということを認めたくないから真由の身勝手さを起こってみせた。 もし真由の身に何かあったらわたしは…」

亮太に電話を掛けても、まだ戻って来ていないという。亮太が死ぬほど心配している、以前にもこんなことが…薔子は錦花山とそのときの真由の言葉を思い出す。そして、真由の義母に聞くと、おそらくスラックスにスニーカーで出かけたらしい。薔子は亮太と城之内を誘い、学校をサボって錦花山へ行くことを決意。

真由は、あの小川のほとりで横たわっていた。亮太に半身を支えられ、ゆっくりと目覚める。帰ろうという亮太たちに対し、頂上につくまでは帰らないと主張。そんなことができるはずがないという亮太に、薔子は理由を聞くべきだと言う。

…真由は一昨日(土曜日)の夜思い立って、両親に反対されそうだからと家を抜け出す。民宿に泊まって、登山道に登ったが苦しくなって引き返し、そして今朝もやはり失敗し、小川のほとりで休んでいたのだった。

そうまでして何故、と尋ねる亮太に真由は答える。

「わたし…亮太のお荷物になりたくない」

「亮太がわたしと薔子さんのあいだで苦しんでいる。 わたしが病気でさえなければ。ふたりで会うために薔子さんと亮太がわたしにうそまでついたのも、わたしが病気だからよ。」

そして、真由は自分の病が心に左右されやすいことに気づき、病気に負けないと自分に証明したい、薔子と対等な立場になりたいと。そして、真由は薔子にいじわるしたことを謝罪し、薔子も真由にうそをついたことを謝罪し、固く抱きしめ合う。

亮太はずっと背を向けていたが、真由の気持ちを理解し、登頂に同意。4人での登山が始まった。しかし、真由はやはり途中でしゃがみ込んでしまう。ところが、城之内も一緒になってしゃがみ込み、亮太と薔子のスポーツマンには自分たち"ふつうのひと"のペースも理解して欲しいと言う。薔子はとことん付き合うから、と真由にも視線を送る。真由は二人の優しさに心から感謝する。

苦しみながら、必死に登る真由を見て、薔子は真由を疑った自分の心の狭さを恥じ、こんなすてきな真由になら負けてもいいと感じる。

…ついに、山頂に到着する。固く抱きしめある亮太と真由。やがて、亮太は薔子に歩み寄り礼を言い、薔子もまたその意味に気が付き、二人は固い握手を交わす。薔子は涙を流して、真由を祝福した。そして亮太は真由をおぶって下山する。

真由は、自分はもう平気だから薔子さんがすきなら彼女のところへ行ってね、と伝えるが、亮太はさっきさよならを言った、真由がこの世でいちばん大切だと。真由は嬉しさで涙ぐむ。そして亮太は、陸上を再開することも伝えた。

「すてき!亮太がそう言ってくれるのを待っていたの」

一方、薔子はぽろぽろと涙をこぼしながら、生まれて初めてふられた!と城之内に言い、励ましの言葉を求める。城之内は彼女の長所を次々と挙げていく。

「いつも全速力で走ってるから、つきあうほうも大変さ」

「それでもつきあって走ってるんだから、城之内もこりないね」

二人の下山は、まだ始まったばかりである。

(終わり)

最終更新:2009年07月03日 23:56