『カリフ国家の諸制度―統治と行政』
発行:解放党(増補版)2005/1426年
P.O.Box 135190
Dr al-Ummah, Beirut, Lebanon
目次
増補版前書き
序文
カリフ国家の諸制度 ― 統治と行政
第1章:カリフ
称号
カリフの資格条件
就位の資格条件
カリフ任命手続
カリフ任命と忠誠誓約の具体的手順
カリフ臨時代行
候補者の絞込み
忠誠誓約の形態
カリフの唯一性
カリフの権限
カリフ立法のイスラーム法による制限
カリフ国家 非神政人治国家
カリフの任期
カリフの罷免
カリフ制樹立猶予期間
第2章:カリフ補佐(全権大臣)
全権補佐の資格条件
全権補佐の職務
全権補佐の任命と罷免
第3章:執行大臣
第4章:地方総督
カリフの地方総督監督義務
第5章:ジハード司令 - 軍部(軍隊)
ジハード
(1)軍隊
(2)国内治安
(3)軍需産業
(4)国際関係
軍隊の分類
軍司令官としてのカリフ
第6章:国内治安
治安部門の任務
第7章:外交
第8章:工業
第9章:司法
裁判官の分類
裁判官の資格条件
裁判官の任命
裁判官の給与
法廷の構成
風紀監督官
風紀監督官の権限
行政不正裁判官
行政不正裁判官御任命と罷免
カリフ国家樹立以前の契約、社会行為、裁判
第10章:行政機関(福祉)
非統治的行政機構
福祉政策
行政機構官吏資格者
第11章:国庫
第12章:情宣
情報メディアの許認可
情宣国家政策
第13章:国民議会(協議と査問)
協議の権利
査問の義務
国民議会議員選挙
国民議会選挙の方法
国民議会の議員資格
国民議会の議員任期
国民議会議員の権限
自由な発言、発議権
付録
旗章、旗印
国歌
増補版 前書き
アッラーに称えあれ。アッラーフの使徒ムハンマドとその御家族、御一統、そして彼に従う者に祝福と平安あれ。
「アッラーは、汝らの中で信仰し、善行を為す者たちに、約束し給うた。彼ら以前の者たちに継がせ給うたように、彼らに大地を継がせ給い、また彼らのために嘉し給う宗教を彼らに堅固なものとし給い、恐怖の後で、代わりに安心を授け給う、と。彼らは我(アッラー)を崇め、我に何物も並置しない。しかしその後に不信仰に陥る者は、不義の輩である。」(クルアーン24章55節)
またアッラーの使徒は言われた。
「おまえたちの中に預言者制はアッラーが望まれる間は続くが、彼は望まれる時にそれを取り上げられる。次いで尚武の王制が現れる。それはアッラーが望まれる間は続くが、彼は望まれる時にそれを取り上げられる。次いで専制王制が現れる。それはアッラーが望まれる間は続くが、彼は望まれる時にそれを取り上げられる。そして預言者職に倣うカリフ制が現れる。」こう語り終えてアッラーの使徒は黙された。(アフマド・ブン・ハンバル が収録するハディースより)
我々、解放党は、アッラーの御約束とアッラーの使徒ムハンマドの吉報の予言を信じ、ウンマ(ムスリム共同体)と協働し、カリフ制の再興のために献身する。
我々は、カリフの兵士となりその旗を掲げ、勝利を重ね、カリフ制の樹立に成功するようにと、その実現を確信しつつ、アッラーに祈る。アッラーにはそれはいとも容易いこと。
我々は本書では、明瞭で分かり易く実践的な表現で、カリフ国家の統治と行政の制度について、なによりも心から納得できて胸に響くような厳密な論証を行うようにと心がけた。
我々が本書を書くに至ったのは、今日のイスラーム世界に存在する多くの政治体制が、形式においても実質においても、本来のイスラームの統治制度とかけ離れていることによる。
実質については、現行の政治体制は全て、クルアーンとその使徒のスンナ(言行)に基礎をおかず、それを指針としておらず、むしろイスラーム的統治とは真逆の政体であることは、ムスリムたちの誰の目にも明らかである。それ誰にも異議がない明々白々たる事実である。但し、イスラームの統治体制が、制度面においては現行の(西欧の国民国家の)統治制度と大差なく、現在の人定法の統治制度と同様な構成と権限を有する内閣や省庁といったものがあっても構わない、と考える誤解の余地はあるかもしれない。
そこで我々は、カリフ国家の統治制度について、アッラーの御心により将来その実現を見る前に、その統治機構の姿を脳裏に思い描くことが出来るようにと、それを詳述することにした。またカリフ国家の旗章、旗印、将来発布するカリフ選挙法、忠誠誓約の形式、カリフが捕虜になった際の解放が見込まれる場合とそうでない場合の臨時代行の権限、地方警察の執行と行政の組織、治安部門の女性警官の任命、地方議会、国民議会の選挙法、国歌など、原著になかった必要事項を該当箇所に書き加えた。
アッラーが我々の勝利を早められ、我々の共同体が人類最善の共同体となり、カリフ国家が、世界最高の国家となり、世界の隅々にまで善と正義を広めることができるよう、我々に恩寵を垂れ、栄光と恵みを授け給いますように。そしてその時、信仰者はアッラーの神佑を喜び、アッラーは信ずる民の心を癒し給うでしょう。最後に我々は祈る。万世の主アッラーにこそ賞賛あれ。
序.
カリフ国家の機構の詳細について論ずる前に、以下の点を先ず明らかにしておく必要がある。
(1)万世の主アッラーが義務として課されたイスラームの統治制度はカリフ制である。
この制度においては、アッラーの啓示に則る統治を行うために、アッラーの啓典クルアーンとその使徒ムハンマドのスンナ(言行)への忠誠の誓いに基づき、カリフが擁立されるのである。クルアーンとスンナと預言者ムハンマドの直弟子たちのコンセンサスの中に、それを示す典拠は無数に存在する。
クルアーンでは、至高なるアッラーは預言者ムハンマドに訓戒し以下のように述べられている。
「アッラーが啓示されたものによって彼らの間を治めよ。彼らの欲望に従い、汝のもとに齎された真理から逸れてはならない。」(クルアーン5章48節)
「アッラーが啓示されたものによって彼らの間を治め、彼らの欲望に従ってはならない。アッラーがお前に啓示されたものの一部から逸らせるように彼らが汝を誘惑することを警戒せよ。」(クルアーン5章49節)
彼らの間をアッラーの啓示に則って治めよ、との使徒ムハンマドへの訓戒は、彼のムスリム共同体への訓戒であり、それは、使徒ムハンマドの逝去後にアッラーの啓示に則って治める為政者を擁立せよ、との意味なのである。ここでの訓告の主題は義務を課すことであり、訓告の命令法は法理学の教える通り、厳命を示す文脈であるから、それは厳命を意味するのである。そしてこの「使徒ムハンマドの逝去後にアッラーの啓示に則って治める為政者」がカリフであり、このような統治制度がカリフ制なのである。他方、法定刑などの全ての法規の執行は義務であるが、為政者が存在しなければその執行が不可能である。そして義務の遂行に不可欠な行為はそれ自体もまた義務である。つまりイスラーム法を施行する為政者の擁立もまた義務なのである。そしてこのような為政者がカリフであり、この統治制度がカリフ制度なのである。
スンナについては、預言者の孫弟子のナーフィウは預言者の直弟子アブドッラー・ブン・ウマルが彼に以下のように語ったと伝えている。「私はアッラーの使徒が『服従から手を引いた者は、最後の審判の日にアッラーにまみえるが、彼には弁明の余地はない。忠誠誓約をせずに死んだ者は(イスラーム到来以前の)無明時代の死に方をしたことになる』と言われるのを聞いた」(ムスリム が収録するハディース)
預言者は全てのムスリムに忠誠誓約を立てるように命じ、忠誠誓約をせずに死んだ者を無明時代の死に方をしたのだと言われたが、アッラーの使徒の逝去後には、忠誠誓約は、カリフ以外の誰にも与えられることはない。それゆえ全てのムスリムにカリフに忠誠誓約をすることを義務付けるこのハディース(預言者ムハンマドの言行録)は、つまりその前提として全てのムスリムの忠誠誓約を受けるに相応しいカリフの存在をも義務付けているのである。
またムスリムが伝えるところでは、
アブー・ハーズィムは「私はアブー・フライラに5年間仕えたが彼はいつも預言者が以下のように言われた」と語っていた。「イスラエルの民は預言者によって統治されてきた。それで、一人の預言者が亡くなると次の預言者が跡を継いだ。だが私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。一人一人順に忠誠を尽くし、アッラーが彼らに授けられた権限に従え。まことにアッラーは、彼が彼らに何をしたのか、彼らに尋ね給うであろう。」
これらのハディースには、ムスリムを統治する者がカリフであるとの言明があるが、預言者がカリフへの服従と、カリフ位に異を唱える者たちの討伐を命じられている以上、その言明はカリフ擁立を求めている、つまりカリフ擁立の命令であり、カリフへの反逆者の討伐によるカリフの守護の命令なのである。
またムスリムは預言者が「イマーム(カリフ)に忠誠を誓い、按手し信義を捧げた者は可能な限り服従し、彼に背く者が現れれば、その反逆者の首を刎ねよ。」と言われたと伝えている。カリフへの服従の命令は、カリフ擁立の命令を含意し、カリフに背く者の討伐の命令は、カリフは常に唯独りでなくてはならないとの厳命を文脈的に示しているのである。
また預言者ムハンマドの直弟子たちのコンセンサスについては、彼らはアッラーの逝去後にカリフを擁立する必要があることに合意し、先ずアブー・バクル(初代カリフ在位632-634年)を、次いでウマル(第2代カリフ在位634-644年)、次いでウスマーン(第3代カリフ在位644-656年)を、それぞれの死後にカリフとして擁立することで合意した。そして死体は死後直ぐに埋葬することが義務であるにもかかわらず、預言者が亡くなった後、直弟子たちが彼のカリフ(後継者)擁立に専心し、彼の埋葬を遅らせたことも、カリフ擁立についての彼らのコンセンサスを裏付けている。
また預言者の直弟子たちは、彼らの生涯にわたって、カリフの擁立が義務であることでは合意していた。彼らは誰がカリフに選ばれるべきかについては意見が対立していたが、アッラーの逝去に際しても、正統カリフのどの一人の死に際しても、カリフの擁立義務自体に関しては誰も反対する者はいなかった。預言者の直弟子たちのコンセンサスは、カリフ擁立の義務の明白かつ強力な証拠なのである。
(2)イスラームの統治制度(カリフ制)は、知られている世界のどの統治制度とも異なっている。
それは立脚する原理についても、諸事を処理する指針となる思想、概念、基準によっても、施行し適用する憲法や法律によっても、またイスラーム国家が成り立ち、世界の全ての統治体制と相違するその体制の形態においても、異なっているのである。
それは王制ではない。
イスラームは王制を認めず、カリフ制は王制に似てもいない。なぜなら王制では、王子が世襲によって王になり、ウンマ(国民)はそれに関与しないからである。他方、カリフ制においては、世襲はなく、ウンマの忠誠誓約が、カリフ就位の手順なのである。また王制は、王にのみ、彼以外の臣下の誰にもない大権、特権を認めている。また一部の王制では、王を法律の上に置き、ウンマ(国民)の象徴としており、王は君臨するが統治はしない。また別の王制では、王は自らの欲望のままに土地と臣民を処分し、君臨し、統治し、自分がいかなる悪行、不正を行おうとも、裁かれることを拒否する。
他方、カリフ制は、王制のような臣民の上に立ついかなる特権もカリフに認めず、裁判においても国民の一人と異なるような特権を与えない。またカリフは、王制のような意味において、国民の象徴であるわけでもない。カリフは、ウンマ(国民)に対してアッラーの聖法を施行するために、ウンマ(国民)が自ら選び忠誠を誓った統治と権力におけるウンマ(国民)の代行者に過ぎず、その全ての行為、裁定、国民の諸事、福利の処理において、イスラームの法規定によって束縛されているのである。
またカリフ制は帝国制でもない。
帝国制はイスラームと異なること甚だしい。イスラームが治める遠隔地方は、いかにその民族が多様で違っていようとも、唯一の中心に帰一するからである。イスラームは諸遠隔地方を帝国制によって統治するのではなく、逆に帝国制の反対の原理によって治めるのである。なぜならば帝国制は、帝国の遠隔諸地方における異なる民族を平等に扱わず、統治、富、経済において帝国の中心に特権を付与するからである。
イスラームの統治の仕方は、国家のどこにあっても被統治者たちを平等に扱い、民族主義を否定し、市民権を有する非ムスリムにも、イスラーム法に則って、臣民の権利と義務を与える。非ムスリムもムスリムが享有するのと同じく権利において公正に扱われ、またムスリムに課されるのと同じく義務においても公正に裁かれる。更に言うならば、裁判においてイスラームは、属する宗教・宗派が何であるかにかかわらず、たとえムスリムであっても、市民の誰にも他の者と違う特権を認めない。この平等性においてカリフ制は帝国制と異なり、遠隔諸地方を植民地化せず、搾取の場、中央だけに収益をもたらす財源とはしないのである。カリフ制は、いかに中央からの距離が離れていようとも、また住民の民族構成が多様であろうとも、地域の全体を単一の一体、全ての地域をカリフ国家の一部とみなし、全地域の住民に、中央と他の地域の住民と同じ権利を与え、全ての地域において、統治権、統治制度、立法権が等しく行き渡るようにするのである。
またカリフ制は連邦制でもない。
連邦制では、外交など共通の政策のみにおいて統一されている他は、諸地域が政治的自治権を有するが、カリフ制はあくまでも一体である。もしイスラーム国家の首都がエジプトのファイユーム地方であればカイロであるように、東部であれば中央アジアのホラサーン、西部であればモロッコのマラケシュとなるが、どの地域に対しても、国家財政、予算は単一で、地域にかかわりなくカリフ国家全域の住民全ての福利を考慮して支出される。たとえばある地域が資源と生産が需要の倍あったとしても、その地域には資源と生産高に応じてではなく需要に応じて財政支出される。つまりある地域の資源と生産が需要に追いつかなくても、それを考える必要はなく、その地域の資源と生産が需要をカヴァーするかしないかにかかわらず、国家の一般会計からその需要は賄われるのである。
またカリフ制は共和制でもない。
共和制は、そもそも王制の暴政に対する反動として、つまり王が自分の意のままに恣意的に土地と人を支配し、自分の望み通りに法を制定する主権、権力を有する暴政に対する反動として成立した。共和制の諸政体が生まれると、民主制と呼ばれるものでは、主権と権力は臣民に移管され、法律を定め、許可し、禁じ、善と悪を決めるのは臣民となる。統治権は、大統領(共和)制においては大統領とその大臣たちの手中に、議院内閣(共和)制では議会の手中にある。(王が統治権を剥奪され「君臨するが統治しない」立憲君主制においても同様に統治権は議会にある)
他方、イスラームにおいては、立法権は臣民には属さない。立法権はただアッラーのみに属し、アッラーを差し置いては誰にも何かを許し、禁ずる権利はない。人間に立法権を認めることは、イスラームにおいては重大な犯罪なのである。
「彼らはアッラーを差し置いて、彼らの中の律法学者や修道士たちを主と崇める」(9章31節)の聖句が啓示された時、アッラーの使徒は、この句を釈義して「彼ら(ユダヤ教徒、キリスト教徒)は人々に掟を定め、許されたもの、禁じられたものを決め、人々は彼らに服従していたのである」と説明された。 使徒が明らかにされた通り、これが「律法学者や修道士を主と崇めること」の聖句の意味であり、それはアッラーを差し置いて、許されたこと、禁じられたことを人間が定めることの罪の深さを示している。
またイスラームの統治行政は内閣を通じて行われるわけではない。カリフ制では人々の公益が集権化された単一の行政機構によって処理されるので、内閣制のように各大臣に他の大臣と区別された固有の職務、職権、予算があって、公益に関する一つの問題に関わる多くの官庁の管轄事項が重複し、煩雑を極め時間のかかる手続を経なくてはある省から別の省への権限、予算の移行ができず、人々の福祉の実現に困難をきたすようなことはない。
共和制においては、統治行政は各官庁に分権されており、集団体制で統治行政権を有する内閣がそれを集約する。他方、イスラームにおいては、(民主制の形態で)集合体として統治行政権を有する内閣は存在せず、カリフこそが、アッラーの啓典クルアーンと使徒のスンナ(言行)に則って国民(ウンマ)を治めるという条件で国民(ウンマ)が忠誠を誓った為政者であり、そのカリフが自分を助けてその様々な職務を分担する補佐(全権全権補佐)を任命する。これが語源的な意味での大臣(wuzar)、つまり、カリフが自分のために任命したカリフの補佐役(muwin)なのである。
イスラームにおける統治制度は、「臣民が立法権を有し、許可し、禁じ、善と悪を決め、自由の名の下にイスラーム法の規定に拘束されない」という民主制の真の意味においては、民主制ではない。ムスリムがこの真の意味での民主制を決して受け入れないことを不信仰の徒たちは理解している。それゆえ植民地主義の不信仰の国々(今日では特にアメリカが)は、民主制が為政者の選挙の手段であるかのごとくにムスリムたちを欺き、ムスリムの国々に民主制を輸出しようと謀っている。彼らは為政者の選挙に話を絞り、民主制の基礎は為政者の選挙であるかのような誤解を招く偽りのイメージをムスリムたちに抱かせ、ムスリムたちの民主制に対する認識を誤らせようとしている。なぜならムスリムの国々は、暴虐、不正、言論弾圧、抑圧(そして独裁)に苦しめられており、それはそれらの政権が王制を名乗っていようと共和制を名乗っていようと変わらないからである。ムスリムの国々はこうした不正と弾圧にあまりにも苦しめられているので、(独裁者から解放され、選挙で自分たちの支配者を選ぶことさえできるなら、どんな政体にでも飛びつくようになっているので)不信仰者たちは、為政者の選挙だということで民主制をムスリムの国々密輸するのは容易なのである。その際、彼らは民主制の本質であるところの「立法、許可、禁止が人間の主であるアッラーではなく、人間の権利となる」という事実を隠蔽しており、そのため、一部の者たちは(イスラーム主義者、そればかりか彼らの中の伝統的イスラーム学者までが)善意から、あるいは知っていながら確信犯として、この欺瞞の民主制を受け入れているのである。
もし彼らに「民主制とは何か」と尋ねれば、彼らは、「民主主義は為政者の選挙である」と考えて、「それではイスラームでも許されている」と答えるであろう。悪意の確信犯たちは、民主制の創始者たちが意図した真の意味を故意に隠蔽して話を逸らす。つまり、民主制とは人民主権であり。人民が多数決で望みのままに法を定め、許可し、禁じ、善と悪を定めることであり、個人は自分自身の行為については「自由」であり、民主主義と自由の名の下に、酒を飲もうと、姦通を犯そうと、背教しようと、聖なるものを誹謗中傷しようと、望みのままに振舞ってよいということなのである。これが民主制であり、これがその真相、意味するところ、本質なのである。イスラームを信ずるムスリムが、「民主制は許される」、あるいは「民主制はイスラームに属する」などとどうして言うことができようか?
国民(ウンマ)による為政者の選任、つまりカリフの選任について言えば、それはクルアーンとスンナの明文が定めていることなのである。イスラームにおいて主権は聖法(shar)に属するが、人々によるカリフに対する忠誠誓約が、カリフ就位の前提条件なのであり、かつて世界が独裁者の暗黒と王の専制の下に暮らしていた時代に、イスラームにおいてはカリフの選挙が実践されていたのである。
アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリー(第4代カリフ在位656-666年)の正統カリフの選任の方法について研究した者は、「解き結ぶ者(有力者たち)」とムスリムの代表者たちのうちの一人がムスリムたちに服従が義務となるカリフになるために、彼らによる正統カリフたちに対する忠誠誓約がどのように締結されたかを明瞭に知ることが出来る。ムスリムの代表たち(それは首都マディーナの住民である)の見解を調べることを任されたアブドッラフマーン・ブン・アウフは、彼らの間を回り、あの家、この家と訪ね、誰彼となく聞き回り、男性にも女性にも、カリフの候補者の中から誰を選ぶかを質問した結果、最終的に人々の意見はウスマーンをカリフに選ぶことに落ち着き、彼に対して忠誠の誓いが締結されたのであった。
要約すると、民主制は不信仰の政体であるが、それは為政者が選挙で選ばれるからではない。それは本質的な問題ではないのである。そうではなく民主制の本質は立法権を万世の主アッラーから奪い人間に与えることなのである。アッラーは言われる。
「統治権はアッラーにのみ属する」(クルアーン12章40節、67節)
また言われる。
「いや、汝(預言者ムハンマド)の主にかけて、彼らは自分たちの間で生じた紛争において汝を調停者とし、汝の裁定に対して心中に不満を抱かず、全てを委ねるのでない限り、信仰したことにはならない」(クルアーン4章65節)
立法権がアッラーのみに属することを示す典拠は数多く知られている。このことは、民主制が認めるところ「個人の自由」を別にしての話である。民主制の「個人の自由」により、男と女は、イスラーム法上許されているか禁じられているかを問題とすることなく、好きなことができるのである。またいかなる束縛もない背教と改宗の宗教的自由も同様である。そして更に様々な手段による強者による弱者の搾取を許す所有権の自由があり、富める者はますます豊かになり、貧しい者はますます困窮していくのである。思想の自由も同様で、それは真理の言葉についてではなく、ウンマ(ムスリム共同体)が神聖とみなすものに敵対する言論の自由でしかない。彼らは思想の自由の名によってイスラームを侮辱する者を優れた思想家とみなし、多くの賞を授けさえするのである。
それゆえ上述の通りで、イスラームの統治制度(カリフ制)は、王制でもなく、帝国制でもなく、連邦制でもなく、共和制でもなく、民主制でもないのである。
(3)カリフ国家の制度は、外見上、一面的には類似点があるとしても、現在知られている他のいかなる政治体制とも異なっている。
カリフ国家の制度は、アッラーの使徒がマディーナに移住し、そこにイスラーム国家を樹立した後で立ち上げられ、彼の逝去後、正統カリフたちが、それを踏襲した制度を引き継いでいる。
それについて書かれたクルアーンとスンナの明文を詳細に検討すれば、カリフ国家の統治と行政の機構は、およそ以下のようなものであることが分かる。
カリフ - 補佐(全権大臣) - 執行大臣 - 地方総督 - ジハード司令官 - 国内治安 - 外交 - 工業 - 司法 - 行政機構(福祉) - 国庫 - 情宣 国民議会(協議と査問)
次章以下では、アッラーが我々を勝利せしめ、正統カリフ制の再興を成功させ、イスラームとムスリムに栄光を授け、不信仰と不信仰の徒を卑しめ、全世界に善が広まるように、祈りつつ、これらのカリフ国家の制度の詳細と、その典拠について述べていきたい。
「アッラーは彼の命令を貫徹し給う。アッラーは万物に一定の分を定められた。」(クルアーン65章3節)
アッラーこそ援けを求められるべき御方であらせられます。彼にのみこの身をお任せいたします。
1425年ズルヒッジャ月14日/2005年1月24日
カリフ国家の諸制度(統治と行政)
第1章:カリフ
カリフは統治と権力、イスラーム聖法の諸法規の執行におけるウンマ(ムスリム共同体)の代行者である。というのは、イスラームは統治と権力をウンマのものとし、アッラーはウンマに聖法の法規の全てを執行することを義務付けられたが、ウンマの代理としてそれを代行する者が、ウンマの代わりを務めるからである。
そしてムスリムがカリフを擁立するのであるから、実際には、カリフは、統治と権力、イスラーム聖法の諸法規の執行におけるウンマの代行者なのである。カリフはウンマが忠誠を誓うことによってしかカリフになることはできないので、彼のカリフ位に対するその忠誠誓約がカリフをウンマの代行者とし、この忠誠誓約によるカリフ位の締結がカリフに権力を付与し、ウンマにカリフへの服従を義務付けるのである。
ムスリムの諸事を司る者は、ウンマの中の有力者たち「解き結ぶ者」が、カリフ就位後にイスラーム聖法を執行するとの条件で、カリフの資格を満たす者を納得して選んだ上でその者とカリフ位締結の忠誠誓約を交わすことによって初めてカリフとなるのである。
称号
彼を指す称号は、カリフ(アラビア語の原音では「ハリーファ(khalfa)」)、イマーム、あるいはアミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令)であり、これらの称号は、真正なハディースや預言者ムハンマドの直弟子たちのコンセンサスの中で用いられており、正統カリフたちはこれらの称号で呼ばれたのである。
以下の預言者のハディースに、イスラームにおいて聖法を執行する為政者の称号が述べられているが、それがカリフ、あるいはイマームなのである。
「二人のカリフに忠誠が誓われた場合は、二人のうちの後の方を殺せ」
「イマームに忠誠を誓い、按手し信義を捧げた者は彼に服従せよ」
「お前たちのイマームで最善の者とは、お前たちがその者を愛し、またその者もお前たちを愛し、お前たちがその者に祝福を祈り、その者もお前たちのために祝福を祈るようなイマームである」
アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)の称号については、最も信頼できるのは、以下の伝承である。
ウマル・ブン・アブドルアズィーズ(ウマイヤ朝第8代カリフ在位717-720年)がアブー・バクル・スライマーン・ブン・アビー・ハスマに「初代カリフアブー・バクルの治世には、『アッラーの使徒のカリフ(後継者)より・・・』と書簡には書かれており、次いでウマルは初めは『アブー・バクルのカリフ・・・』と書いていた。それでは誰が最初に『アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)』と書いたのか?」と尋ねた。そこでアブー・バクル・スライマーン・ブン・アビー・ハスマは答えた。「最初のマッカから亡命した女性信徒の一人であったアル=シファーゥ が私に語ったところでは、第2代カリフウマル・ブン・アル=ハッターブがイラク総督に自分の許にイラクとその住民について尋ねたいので二人の強健な使者を送るようにとの書簡を送った。そこでイラク総督はラビード・ブン・ラビーアとアディー・ブン・ハーティムを送った。二人がマディーナに到着すると二人はラクダをモスクの中庭に停めてモスクに入ったが、そこでアムル・ブン・アル=アースに出会ったので、『アムルよ、アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)に取り次いでください』と言った。アムルは『お前たちは、彼の名称を正しく呼んだ。まさに彼は<司令官(アミール)>で、我々は<信徒(ムウミヌーン)>だ。』と言い、ウマルの許に駆けつけ、『貴方に平安あれ、アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)よ』と呼びかけた。そこでウマルは尋ねた『イブン・アル=アースよ、その名前は何か?我が主にかけて、お前の言ったことを説明せよ』アムルは答えた。「ラビード・ブン・ラビーアとアディー・ブン・ハーティムがマディーナにやって来てはラクダをモスクの中庭に停めて私のところにやって来て、『アムルよ、アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)に取り次いでください』と私に頼んだのです。アッラーにかけて、彼らは、あなたの名称を正しく呼びました。まさに私たちは信徒『(ムウミヌーン)』であなたは『私たちの司令官(アミール)』ですから。(アブー・バクル・スライマーン・ブン・アビー・ハスマは)続けて言った。「その時から彼は書簡にそう署名するようになりました。」
こうして預言者の直弟子たちの時代、およびその後も、カリフをその称号「アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)」で呼ぶことが定着したのである。
カリフの資格条件
カリフの有資格者となり、カリフ就位の忠誠誓約が締結されるためには、カリフは7項の資格条件を満たしていなくてはならない。この7項の資格条件は就位締結のための条件であり、そのうちの一項でも欠けていればカリフ位は成立しない。
就位締結条件
第1項:ムスリムであること
不信仰者には、カリフ位は無条件に無効であり、服従は義務ではない。なぜなら至高なるアッラーが「アッラーは不信仰者にムスリムの上に決して道を設け給わない」(4章141節)と言われているが、統治こそ、統治者が被統治者の上に立つ最も強い『道』であり、また未完了否定詞『決して・・・ない』という表現は、カリフであれ、それ以下の官職であれ、不信仰者がムスリムを支配し治めることは将来に亘って決してないとの決定的な禁止を示しているのである。不信仰者にムスリムの上に道をつけることをアッラーが禁じ給うた、ということは、ムスリムに対して、ムスリムが不信仰者を彼らムスリムの統治者に任ずることを禁じ給うた、ということを意味しているのである。
またカリフは「権威(wal al-amr)」であるが、アッラーは「信仰する者よ、アッラーに従い、使徒と汝らのうちの権威者に従え」(4章59節)「安全、あるいは危険な事柄が彼らにもたらされた時には彼らはそれを言いふらした。もし彼らがそれを使徒と彼らの中の権威者の許に持ち込んでいたならば」(4章83節)、ムスリムの権威がムスリムであることを条件クルアーンの中では「権威(ul al-amr)」の語は、彼らがムスリムであるような文脈でしか用いられない。それは「権威」はムスリムであることが条件であることを示しているのである。そしてカリフは彼自身が「権威」であり、補佐、官吏、総督などの権威者の任命者でもある以上、ムスリムであることが条件となるのである。
第2項:男性であること
カリフが女性であることは許されない、つまりカリフは男でなければならず、「ペルシャ人がホスローの娘を女王に選んだとの報を聞いたアッラーの使徒は『女性に自分たちの政治を任せる民は栄えることはない』と言われた」とのハディース により、女性のカリフ位は有効ではない。女性による統治の政務、とはカリフとその下の統治にかかわる公職のことを指している。なぜならこのハディースのテーマはホスローの娘の女王就位であるが、それはホスロー(ホスロー2世、在位591-628年)の娘の就位のケースだけに限られた話ではなく、ハディースが述べる統治を特に扱ったテーマであり、万事に当てはまる一般論でもなく、統治のテーマの他には適用されないが、それは裁判、諮問議会、行政監査、為政者の選挙は含んでいない。これらは全て女性にも参与が明白に許されているのである。
第3項:成人であること
アッラーの使徒は「3種の者からは筆が上げられる。(悪行が火獄行きの帳簿に記されない)すなわち、子供は成人するまで、眠っている者は目覚めるまで、痴呆の者は癒えるまで。」と言われているからである 。また別のヴァージョンの文言では「3種の者からは筆が上げられる。理性を失った狂人は正気に返るまで。眠っている者は目覚めるまで、子供は精通があるまで。」となっている。「筆が上げられる者」とは、イスラーム法上、責任能力者でなく、自分自身の問題を自分で処理しても有効とならないため、カリフ、あるいはそれより下の統治の役務に就いても有効ではないのである。なぜなら彼には行為能力がないからである。
またアル=ブハーリーの伝えるハディース「ザイナブ・ビント・フマイドが、『アッラーの使徒よ、息子と忠誠誓約を交わしてください』と頼んだが、預言者は『彼はまだ子供だ』と言われ、彼の頭を撫で、彼のために祈られた」 もまた子供がカリフとなることが許されないことの典拠となる。なぜなら子供の忠誠誓約が有効とみなされず、他人に対してカリフの忠誠誓約ができないなら、なおさら自分自身がカリフになることは許されないからである。
第4項:理性を備えていること
「3種の者からは筆が上げられる。・・・理性を失った狂人は正気に返るまで。」とのアッラーの使徒の言葉により、狂人のカリフ位は有効ではない。「筆が上げられた者」は責任能力者でない。なぜなら理性こそ義務付加の事由、法律行為の有効性の条件だからである。ところがカリフは統治の法律行為を行い、イスラーム聖法上の諸義務を果たさなければならない以上、狂人では務まらないのである。なぜなら狂人は自分自身の事柄においてすら法律行為を有効に行うことができない以上、人々の諸事に対する彼の法律行為はなおさら有効でないのである。
第5項:公正であること
悪人(のカリフ位)は有効ではない。正義は、カリフ位締結と継続の必要資格条件である。なぜならアッラーは「汝らの中の2人の義人を証人に立てよ」(65章2節)と言われ、証人に義人であることを条件として課されているが、カリフは証人よりも重要であるので、正義が証人の条件となるなら、カリフには尚更の条件として課されるのである。
第6項:自由人であること
なぜなら奴隷は主人の所有物であり、自分自身のための法律行為を行うことができない以上、他人のために法律行為を行うこと、人々の上に立つ権威を持つことはなおさら出来ないからである。
第7項:有能であること
カリフの職責を果たしうる能力の持ち主であること。なぜならそれは忠誠誓約が要請するところだからである。とういうのは、無能であれば、忠誠を誓ったクルアーンとスンナに則って公務を処理することができないからである。有能な人材の中から能力ある者がカリフとなるように、行政不正裁判所(makamah al-Malim)が無能力の審査を行わなければならない。
オプショナル条件
上記が、カリフ位締結の資格条件であった。この7条件以外の条件は、たとえクルアーンとスンナの明文の典拠が真正であったとしてもオプショナル条件であるか、あるいは真正な明文の定める規定となるだけであり、どれもカリフ位締結の必要条件ではない。なぜならカリフ位締結の必要条件であるためには、それが必要条件であることを示す典拠が、文脈的に義務であることを明示する決定的要請命令を含意していなければならないからである。そうした決定的要請命令を示す典拠がなければ、その条件はオプショナル条件であり、カリフ位締結の必要条件ではないが、上記の7条件以外には、決定的要請命令を示す典拠は存在しないため、この7条件のみが、締結の必要条件なのである。クライシュ族の出自や、独自裁量の許されるイスラーム学識や、武器の操作などの要請決定的でない典拠しかないそれ以外の条件は、言うならばオプショナル条件に過ぎないのである。
カリフ擁立の手続き
イスラーム聖法がウンマ(ムスリム共同体)にカリフの擁立を義務付けた時、同時にカリフの擁立において採るべき手続きも定めている。その手続きはクルアーンとスンナと預言者の直弟子たちのコンセンサスで確定しているのであり、それは忠誠誓約なのである。カリフの擁立は、クルアーンとアッラーの使徒のスンナに則って、ムスリムたちが彼に対して忠誠を誓うことで成立する。「ムスリムたち」とは、カリフ制が存在している場合には先代のカリフの治めた民であり、カリフ制が不在である場合にはカリフ制が樹立される地の住人である。
統治者擁立手続きが忠誠誓約であることは、ムスリムの使徒に対する忠誠誓約と、イマームに対する忠誠誓約を使徒が我々に命じられたことによって定められている。ムスリムの使徒に対する忠誠誓約は、預言者としての使徒に対する忠誠誓約ではなく、あくまでも彼の統治に対する忠誠誓約であった。つまりそれは行為に関する忠誠誓約であり、信仰における忠誠誓約ではなかったのである。彼は統治者として、忠誠を誓われたのであり、預言者、使徒としてではない。なぜなら彼が預言者であること、使徒であることを認めるのは、信仰であり、忠誠誓約ではないからである。忠誠誓約は、国家元首としての彼に対して以外にはありえない。
忠誠誓約はクルアーンとスンナの中で述べられている。至高なるアッラーは言われた。
「預言者よ、おまえの許に信仰する女が来て、アッラーになにものをも同位とせず、盗みをせず、姦通をせず、子供たちを殺さず、手と足の間で捏造した虚偽をもたらさず、善においておまえたちが背かないことをおまえに誓約したなら、彼女らと誓約せよ・・・」(60章12節)また言われた。「まことにお前に忠誠を誓った者たちは、アッラーに忠誠を誓ったのに他ならない。アッラーの御手は彼らの上にある」(48章10節)
またアル=ブハーリーはウバーダ・ブン・アル=サーミトが「我々はアッラーの使徒に対して、好むと好まざるとに関わらぬ聴従、権威者の命令に背かないこと、どこにいようとも真理を行い、語ること、アッラーに関して謗る者の非難を恐れぬことで、忠誠を誓った」と言ったと伝えている。
またムスリムは以下のハディースを伝えている。
「イマームに忠誠を誓い、按手し信義を捧げた者は彼に服従せよ。」
「二人のカリフに忠誠が誓われた場合は、二人のうちの後の方を殺せ。」
「イスラエルの民は預言者によって統治されてきた。それで、一人の預言者が亡くなると次の預言者が跡を継いだ。だが私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。一人一人順に忠誠を尽くし、アッラーが彼らに授けられた権限に従え。まことにアッラーは、彼が彼らに何をしたのか、彼らに尋ね給う。」
クルアーンとスンナの明文は、カリフ擁立の手続きが忠誠誓約であることを明示している。預言者の直弟子たちはそれを理解し、それに倣った。正統カリフの忠誠誓約がその証しなのである。
最終更新:2011年02月12日 16:01