第13章:国民議会(衆議・査問院)
それは世論においてムスリムを代表する人々から構成される議会であり、カリフは諸事において彼らに諮り、彼らは国民(ummnah)に代わって為政者たちを査問する(musabh)。それは使徒がマッカの『避難者』とマディーナの『援助者』の中からそれぞれの民を代表する人々と衆議され、衆議し意見を採用するにあたって、アブー・バクル、ウマル、ハムザ、アリー、サルマー・アル=ファーリスィー、フザイファなどの一部の弟子たちを他の者たちよりも重んじた先例に倣っているのである。
同様にアブー・バクルも何か問題が生じた時には、マッカの『避難者』とマディーナの『援助者』の一部の人々の意見を聞きくために衆議を行った。アブー・バクルの治世に諮問されたのは、イスラームの学者や教義回答者たちであり、「アブー・バクルは意見を持つ人々、イスラームの学識を有する人々と衆議したい事態が生じた時には、『避難者』とマディーナの『援助者』の人々を呼び、ウマル、ウスマーン、アリー、アブドッラフマーン・ブン・アウフ、ムアーズ・ブン・ジャバル、ウバイ・ブン・カアブ、ザイド・ブン・サービトを呼び出していた。」 これらの者たちはアブー・バクルのカリフ在世中、教義回答を行っていた。教義についての質問で、人々が彼らに頼ったのであり、アブー・バクルもそれを認めたのである。その後、ウマルがカリフに就任したが、やはりこれらの人々を呼び出したのである。また同様にムスリムに為政者の査問を求める典拠も存在する。正統カリフの治世に生じたように、ムスリムたちは為政者の査問を行っていた。そして国民(ummah)は衆議において代表を立てることが許されたように、査問においても代表に委ねることができる。それらのことはすべて、為政者の査問と、クルアーンとスンナの明文において確定している衆議の双方において、「国民(ummah)」を代表する特別議会を設けることの合法性を示している。それは無限定に「国民議会(majlis ummah)」と呼ばれる。なぜならそれは査問と衆議において「国民(ummah)」を代表しているからである。
そしてこの議会に「臣民(ray)」の非ムスリムの議員が、為政者から蒙った不正、彼らに対するイスラーム法の乱用、あるいは彼らへのサービスの提供の不足などを訴えるために存在することは許される。
衆議の権利
衆議は全てのムスリムがカリフに対して有する権利である。カリフが諸事において彼らに諮問し、依拠することは、彼らの権利である。
至高者は言われる。
「事にあたっては彼らと協議せよ、しかし何時が決意を固めたなら、アッラーに一任せよ。」(3章159節)
また言われる。
「彼らのことは彼らの間での衆議」(42:38)
そして使徒は衆議のために人々に諮っておられ、バドルの戦いでは戦闘の場所について彼らの意見を聞き、ウフドの戦いの際にも、マディーナの市外で迎え撃つか、市内引き込んで戦うかについて、彼らと衆議した。第一のケース(バドルの戦い)では、アル=フバーブ・ブン・アル=ムンズィルの意見に従って陣を敷いた。それは経験豊富な専門家の戦術的な意見だったので、それを採用したのである。そしてウフドの戦いの第二のケースでは自分自身の考えと違っていたにもかかわらず、多数意見に従って陣を敷かれたのである。
ウマルはイラクの征服地の処理問題で、それは戦利品なので、それをムスリムたちの間で分配するか、それとも、その土地はその住人の占有に留めたままで、地租を課し、その土地自体はムスリムの国庫の所有とするかで、ムスリムたちに諮った。結果的にウマルは自分自身の推論(イジュティハード)で結論し、殆どの預言者の直弟子たちの殆どが賛成したことを実行し、そのイラクの土地をその地租を払うという条件で、元の持ち主たちの占有のままに残すことに決めたのである。
査問の義務
ムスリムがカリフに対して衆議の権利を有したのと同じく、ムスリムは為政者たちの行為、行動を査問しなくてはならない。アッラーはムスリムに為政者の査問を課し、為政者が臣民の権利を侵害するか、臣民に対する彼らの義務を疎かにするか、臣民の問題を放置するか、イスラームの諸規定に背くか、アッラーの啓示以外に基づく統治を行うかした場合には、臣民に、統治者の査問と更迭を厳命し給うているのである。
「アッラーの使徒は『いずれおまえたちが耐える支配者、否認する支配者が現れる。忍耐した者には罪はなく、否認した者は安心である。しかし満足して従った者は(どうであろう)。』と言われた。人々が『我々は彼らと戦ってはなりませんか』と尋ねると、使徒は『いや、彼らが礼拝をしている限りは』と答えられた」(ハディース)
ここでは「礼拝」はイスラームによる統治の比喩である。
アブー・バクルの背教戦争の決断を、ムスリムたちは最初は反対した。その筆頭がウマルだった。
「アッラーの使徒が亡くなった時、アブー・バクルがおり、アラブ遊牧民の者が不信仰に陥った。ウマルは「アッラーの使徒が『私は、人々がアッラーの他に神はない、と言うまで彼らまで戦うことを命じられた。それを唱えた者は、その財産と生命が私にとって不可侵となる。但し、その権利による場合を除く。その者の裁定はアッラーにある。』と言われているというのに、どうして我々が人々と戦えるでしょうか」と言った。するとアブー・バクルは『アッラーにかけて、私は礼拝と浄財を分ける者と戦う。浄財は、財産の権利なのである。アッラーにかけて、もし彼らがアッラーの使徒に納めていた羊の貢納を私に拒むなら、私はその拒絶に対して彼らと戦う』と言った。そこでウマルは言った。『アッラーにかけて、これはアッラーがアブー・バクルの胸を開き給うたに他ならない。私はそれが正しいと分かった。』」(ハディース)
またビラール・ブン・ラバーフ、アル=ズバイルなどはウマルがイラクの征服地を戦士たちに分配しなかったことに反対していた。またある遊牧民の男はウマルに、彼が土地の一部を反故地にしたことで反対していた。
「遊牧民の男がウマルのところに来て言った。『信徒の長よ、我々の土地は、我々が無明時代に戦い取ったもので、イスラーム時代になってその上で我々はイスラームに入信しました。それなのになぜあなたはそれを保護地にして取り上げるのですか』ウマルは黙って頭を垂れ、口髭を振るわせた。というのはウマルは怒ると口ひげが震えたのである。それを見た遊牧民は彼に対してその言葉を繰り返した。そこでウマルは言った。『財産はアッラーの財産であり、僕はアッラーの僕である。アッラーにかけて、もしアッラーの道での運搬用の動物がいないのなら、私は1シブルの土地も保護地としなかった。』」
ウマルは共有財の土地の一部をムスリムの馬のために保護地としたのである。またある女性は、婚資が400ディルハムを越えることを禁じたことで、ウマルを非難して「ウマルよ、それはあなたの権限ではない。アッラーの御言葉『お前たちが彼女らの一人にキンタールを与えていても、彼女から少しでも取り上げてはならない』をあなたは聞いていないのか。』ウマルは、女性が正しく、ウマルが間違った、と言った。
またアリーはカリフであったウスマーンの巡礼と小巡礼の完遂についての言葉を批判した。
「我々はウスマーンとアル=ジャフファの地にいた。彼と共にシリア人の一団がいた。その中にはハビーブ・ブン・マスラマ・アル=ファフリーもいた。彼がウスマーンに小巡礼を巡礼と纏めることを提案したところ、ウスマーンは彼に『巡礼と小巡礼をもっとも完全に行うには、その両方を共に巡礼月中にしないほうがよい。小巡礼を遅らせて、アッラーの館(カアバ神殿)を2度訪れるほうがより良い。アッラーは誠に良いことに広い幅を持たせ給うた。』と言った。その時、アリー・ブン・ターリブは谷底でラクダに草を食べさせていたが、ウスマーンの言葉が彼の耳に届くと、ウスマーンのところへ行き、面前に立って、言った。『あなたはアッラーの使徒が定められたスンナと、アッラーがクルアーンでその僕たちのために許された軽減措置に楯突き、それを禁じて、人々を苦しめるのですか。それは、やむをえない事情がある者、遠くの者のために許されていたというのに。』そこでウスマーンは人々の方を向いて言った。『私はそれを禁じましたか。私はそれを禁じたわけではありません。あれはただ私が示唆した意見に過ぎません。望む者はそれを採用し、望む者はしなければよい。』」
これらの伝承の全てに基づき、国民議会には衆議の権利があり、査問の義務があることになる。既述の通り、衆議と査問は異なる。衆議とは、(カリフが)決定の前に、意見を求める、あるいは意見を聞くことであり、査問は、決定をした後、あるいはその執行を終えた後での反対表明なのである。
国民議会議員選挙
国民議会議員は指名により任命されるのではなく、選挙で選ばれる。なぜならば彼らは意見表明における人々の代理だからであり、代理はただ代理任命者によってのみ選ばれるからである。代理は代理委任者に対していかなる条件も課されない。なぜなら国民議会議員は個人、集団としての、意見表明における人々の代表であるが、広大な地域における互いに知らない民の間での代表を知ることは、その者を代表に選んだ者にしか可能でないからである。そしてまた使徒も、意見を聞くのに依拠した者を選ぶにあたって、その者の能力、適性、人格などを基準にはせず、第一に能力や適性に関わらず世話役(nuqab)であること、第二にマッカの「避難者」とマディーナの「援助者」の代表者であること、の二つの基準で選任されたからである。衆議院議員設立の目的は、人々を代表することにある。それゆえ国民議会の議員が選ばれる基準は、世話役からの選任の場合に意図されていたように人々を代表していることであるか、「避難者」と「援助者」からの選任の場合に意図されていたように諸集団を代表していることか、である。周知でない人々の間では、個人であれ団体であれ代表することは選挙による以外にはできないため、国民議会の議員の選任は選挙に定まるのである。誰に相談するかを使徒が決めていたことについては、「避難者」と「援助者」が住んでいた土地、マディーナは狭く、使徒ムハンマドは、ムスリムたちは全てのムスリムをよく知っていたからである。その証拠として、(マディーナの住民が集団入信しムスリムの数が増えた)「第二次アカバの誓い」では、もはや誓いをたてたムスリムたちを使徒は知っていたわけではなかったので、「お前たちの中からそれぞれの部族に責任を負う12人の世話役を私のために選び出しなさい」と彼らに言って、世話役の選任を彼ら自身に任せたのである。
それゆえ国民議会の議員が意見表明における代理人であること、国民議会設立の目的が意見表明及び監査における個人と集団が代表されていることであること、そして互いに顔見知りでない人々の間ではその目的は総選挙によってしか実偏しないこと、これらの全てから、国民議会の議員が指名によって任命されるのではなく、選挙によって選ばれることが結論されるのである。
国民議会選挙の方法
1.地方総督についての議論の中で既に述べた通り、我々は地域についてその住民を代表する議会の選挙を採用した。その目的は二つあり、第一はその地域の現実と需要についての必要な情報を総督に知らせることである。それは地域住民に平穏な暮しを保証し、必要なものを揃え、サービスを提供する任務を総督が遂行する手助けのためである。第二に総督の地域住民の統治に対する満足、不満の表明である。議会が多数決で総督の不信任を議決すれば、総督は罷免されるのである。つまり地域議会の地位は、総督がその地域を知る手助けと、住民の総督に対する信任、不信任の表明による行政的地位であり、総督の職務遂行の円滑化が目的の全てであり、以下に述べる国民議会の場合と異なり、地域議会には他のいかなる権限もないのである。
2.我々はここで国民議会(衆議・査問院)の設立、及びそれが国民の代表として選挙によって選ばれ、以下にのべるような権限を有することを法制化する。
3.つまり、地域議会議員の選任のための選挙と、国民議会議員の選挙があることになる。
4.選挙手続を簡略化し、臣民の選挙の重複による負担を無くすため、地域議会の選挙が先ず行われ、次いで地域議会の当選者が集まり、彼らの中から国民議会議員が選ばれる、つまり地域議会は国民の直接選挙により、国民議会は地域議会が選ぶと我々は決めた。つまり国民議会の任期は地域議会の任期と一致するのである。
5.選ばれて国民議会議員に昇格した地域議会議員の欠員は、地域議会選挙で時点で落選した者が繰り上げ当選する。同点だった場合は籤引きで決める。
6.庇護民は地域議会における自分たちの代表を選挙で選ぶ。そしてそれらの代表が国民議会の代表を選ぶ。それは地域議会選挙、国民議会選挙と同時に行われる。
以上の事項を考慮し、地域議会選挙法、国民議会選挙法が起草される。アッラーのお許しがあれば、詳細については適当な時期に議論されることになる。
国民議会議員資格
(カリフ国家の)国籍(tbiyah)を有する全てのムスリムは、成人で正気でありさえすれば、男女を問わず、国民議会の議員の選挙権、被選挙権を有する。なぜなら、国民議会は統治機構の類ではないので、ハディースにある女性が統治者となることの禁止は該当しないからである。国民議会は衆議と査問を任とし、それは男性の権利であるのと同じく女性の権利でもある。召命13年目(つまりマディーナ聖遷の年)、マディーナから男性73名と女性2名の合計75名のムスリムがマッカのアッラーの使徒の許にやって来て、全員が第二次アカバ誓約を使徒に捧げた。
この第二次アカバ誓約は、戦争における忠誠誓約、政治的誓約であった。この誓約の締結の後、使徒は彼ら全員に向かって言った。「お前たちの中からそれぞれの部族に責任を負う12人の世話役を私のために選び出しなさい」と彼らに言って、部族長の専任を彼ら自身に任せたのである。
これは使徒の彼ら全員に対して全員の中から代表者を選べとの命令であり、選挙人に関しても被選挙人に関しても男性のみに限定して女性を排除してはいないのである。無限定な表現は特に限定する典拠がない限り、限定されない意味を表す。それは一般語が特殊化されない限り一般的意味を表すのと同様である。ここでの使徒の言葉は一般的で無限定であり、どこにも限定、特殊化する言葉はない。それゆえ使徒はこの2名の女性にも世話人を選ぶことを命じると同時にムスリムの世話人に選ばれる権利も認められたのである。
そしてある日、使徒は人々と忠誠誓約を交わすために座られたが、アブー・バクルとウマルは彼と共に座っており、男女のムスリムたちが彼に忠誠を誓ったのである。この忠誠誓約は統治に対する誓約であって、イスラーム入信の誓約ではなかった。なぜなら彼女らは既にムスリムになっていたからである。そしてフダイビーヤでの「満悦の誓約」の後にも、女性もまた使徒に忠誠を誓っている。至高なるアッラーは言われる。「預言者よ、おまえの許に信仰する女が来て、アッラーになにものをも同位とせず、盗みをせず、姦通をせず、子供たちを殺さず、手と足の間で捏造した虚偽をもたらさず、善においておまえたちが背かないことをおまえに誓約したなら、彼女らと誓約し、彼女らのためにアッラーに赦しを乞え。まことに、アッラーはよく赦す慈悲深い御方。」(60章12節)この誓いも統治に対する誓いである。なぜならばクルアーンは彼女らが信仰あるムスリムであることを認めているからである。この忠誠誓約は、善において使徒に背かないことに対してであったのである。
加えて、女性には意見の表明において代理を立てることも、他人の代理として意見を述べることも許されている。と言うのは、自ら意見を述べることも、代理にそれを依頼することも女性の権利だからである。それは代理委任契約には、男性であることは条件とならず、女性も代理人となることができるからである。
またウマルの事跡から、彼が世論を聴取したいと思う出来事が起きた時には、それが聖法の諸規範に関わるものであれ、統治に関わるものであれ、あるいは国家のあらゆる行為に関わるものであれ、ムスリムたちをモスクに呼び集めたことが知られている。彼は男性と女性を呼び、彼ら全員の意見を聞いたのであり、婚資の上限設定のケースである女性が彼を論駁した時は、自分の意見を撤回したのである。
またムスリムが国民議会に権利を有するように、非ムスリムも国民議会に代表を送ることも、そこで自分たちの選挙人の代議員となり、イスラームの法規定が彼らに対して濫用されていないか、統治者から不正を蒙っていないかについて、彼らに代わって意見を述べることができる。
ただし、意上とは違って、イスラーム聖法の規定については、非ムスリムには意見を述べる権利はない。なぜならばイスラーム聖法はイスラームの教義から派生し、聖法の詳細な典拠から演繹される行為規範であり、イスラームの教義によって決まる特定の観点から人間の諸問題を扱うのであるが、非ムスリムはイスラームの教義と矛盾する教義を信奉し、生き方についてイスラームの見方と対立する見方を有しているため、聖法の規定について彼らの意見が聞かれることはないのである。
また非ムスリムにはカリフの選挙権、カリフ候補推薦権もない。なぜなら非ムスリムは統治については権利を有さないからである。それ以外の国民議会の権限とそれに関する意見の表明については、非ムスリムはムスリムと同じである。
国民議会議員の任期
国民議会議員には任期が定められる。なぜならアブー・バクルは諮問の人選にあたって、使徒が諮問に依拠した人々に限らなかったし、ウマル・ブン・アル=ハッターブも諮問の人選にあたってアブー・バクルが諮問した人々に限らなかったからである。またウマルがその治世の後半に依拠した者は、治世の前半に諮問していた人々とは違っていた。これらのことは国民議会の議員の任期が特定期間であることを示している。我々はここでその期間を5年間と定めたい。
国民議会の権限
国民議会は以下の権限を有する。
1.(a)カリフによる国民議会への諮問
国民議会は、深遠な思想や研究を必要としない内政上の臣民の諸事に関わる実務的な仕事や問題についてカリフに答申する。例を挙げるなら、統治、教育、保健、経済、商業、工業、農業などの諸問題で臣民が生活の安心を感じられるような必要なサービスを充実させること、都市の防衛、治安の維持、敵襲への備えなどの臣民の要求であり、これらの全てにおいて、議会の見解はカリフを拘束する。つまり議会の多数意見は執行される。
(b) 真理の発見、開戦の決定など、深遠な研究や精査を必要とする思想問題や、戦争計画の準備などの経験、情報、知識を必要とする事柄、全ての技術的問題、実践的問題については、多数決ではなく、専門家の意見が採用される。
また財政、軍事、外交問題は、カリフが聖法の規定に則り自らの判断と裁量で直轄し、議会の見解を行うのではない。カリフはそれらの問題についても議会に諮り、その見解を採用することもでき、議会もそれについての見解を答申することできるが、これらの問題については議会の見解は拘束力を持たないのである
2.立法においては議会の意見は採られない。立法はクルアーンとスンナ、その両者に導かれた預言者の直弟子たちのコンセンサス、聖法に則った類推、つまり正しい法演繹に基づく。聖法の諸規定の法制化、法令の制定はこの方式となる。カリフは議会に法制化を望む諸規定、法令を移管することができ、議会のムスリム議員は、その検討、正誤の指摘の権限を有する。もし議会がそれらの聖法の諸規則の典拠と演繹の正当性についてカリフと見解を異にした場合、それが国家によって採用された聖法の法制化の法理論と不整合によるものであれば、その裁定は行政不正裁判所に移管され、それについては行政不正裁判所の判断が拘束力を持つ。
3.議会は、内政、外政、財務、軍事など全ての国事において、カリフが行った行為についての査問権を有する。(カリフの査問においては)議会の多数決が拘束力を有する問題に関しては議会の見解が拘束力を持つが、多数決が拘束力を有さない問題に関しては拘束力はない。
カリフが既に執行済みの行為のイスラーム法的正当性の有無について議会とカリフが意見を異にした場合、その正当性の有無の認定は行政不正裁判所に移管され、それについての行政不正裁判所の決定は拘束力を有する。
3.議会は、カリフ補佐、地方総督、知事に対する不信任案提出権を有し、不信任案の議会の多数決は拘束力を持ち、カリフはその即座の罷免が課される。
地方総督と知事の信任、不信任に関して、国民議会と当該地域の地域議会の判断が異なった場合、地域議会の判断が優先される。
4.国民議会のムスリム議員には、行政不正裁判所がカリフ就位資格条件に適うと認めた者の中からカリフ候補を絞込む権限がある。それはカリフの選挙手続についての箇所で詳述した通りで、6人に絞り込もうと2人に絞り込もうと同じである。また議会が絞り込んだ候補者以外の候補者は受け入れられない。」
以上が国民議会の権限であり、以下はこれら権限の典拠である。
第1項.(a) - 研究や精査を必要としない実務的な仕事や問題についての国民議会の見解が拘束力を有する典拠は、ウフドの戦いでアッラーの使徒と高弟たちはマディーナでの迎撃を考えていたにもかかわらず、多数の意見に従って多神教徒軍を迎え撃つためにマディーナから出征したこと、また使徒がアブー・バクルとウマルに述べた言葉「もし諮問してお前たち2人が一致したなら、私がお前たち2人に反対することはない」である。それゆえ臣民の平穏な生活のためのサービスの提供、治安の維持、都市の防衛、敵襲への備えなどのための行動を決める見解に関係する実践的な事柄は全て、使徒が自分の意見と異なるにもかかわらず、多数意見に従ってウフドに出陣したように、カリフ自身の考えと異なろうとも議会の多数決が拘束力を有するのである。
第1項.(b) – この種の事柄では、バドルの戦いでアッラーの使徒がアル=フバーブ・ブン・アル=ムンズィルの意見に従って戦陣を敷いたように。カリフは学者、技術者、専門家の意見を採用するのが原則である。イブン・ヒシャームの『預言者伝』は以下のように伝えている。
「アッラーの使徒が、バドルのオアシスの近くに陣取った時、アル=フバーブ・ブン・アル=ムンズィルはその場所に不満で使徒に次のように尋ねた。『アッラーの使徒よ、この場所は、至高なるアッラーがあなたにここで止まることを命じられたのでしょうか。それなら、我々はここから前にも後ろにも動きますまい。それとも、ここで停まったのは、あなた自身の判断、戦略、策謀でしょうか。』預言者が『いやこれはわたし自身の判断、戦略、策謀である』と答えると、アル=フバーブは言った。『ここは軍営には向きません。人々と一緒に立ち敵のクライシュ族の水場の近くまで進軍しそこに軍営を設け、その周辺の井戸を埋めてしまい、その上に溜池を作りそこに水を満たすのです。そうすれば我々はクライシュ族と戦いながら水を飲めますが、彼らは水を飲めません。』そこでアッラーの使徒は共に居た者たちと出立し、クライシュ族の水場の近くまで進軍しそこに軍営を設け、その周辺の井戸を埋めてしまうように命じられ、軍営を敷いた井戸の上に溜池を作りそこに水を満たし、人々は器をその中に入れた。」使徒はアル=フバーブの話を聞き、その意見を採用したのである。
判断、戦略、作戦の類のこうした件においては、その決定において、人々の考えには何の価値はなく、専門家の意見だけが価値を有するのである。技術的問題、研究と精査を要する思想などもその例となる。この定義により、こうした問題では人数には価値がなく、知識、経験、専門性だけが価値を有するので、人々の世論ではなく、技術者、専門家の見解が依拠されるのである。
財政問題もこうした例である。なぜなら聖法は徴税されるべき富の種類を定め、またその支給先、徴税時期も定めているので、徴税とその使途について、人々の意見を考慮する余地はないからである。軍事も同様で、聖法はその指揮をカリフに委ね、ジハードの諸規則を定めているので、やはり聖法が既に規定していることでは、人々の意見を考慮する必要はないからである。また他国との外交関係も同様である。なぜなら外交は研究、精査を要する思想問題であり、また作戦、戦略、策謀であるジハードとも関わるので、世論、人数の多寡に意味はないのである。しかしカリフはこうした事柄についても議会に諮問のために議題にし、意見聴取することは許される。なぜなら提案自体は合法な事項の一つに過ぎないからである。バドル戦いの事例から明らかにしたとおり、こうした問題における議会の見解は拘束力がない。権限を有する者のみが決定権を有するのである。
第1項の(a)と(b)の違いを、例を挙げて説明しよう。交通手段のない辺境の地の村などの住人の福祉のサービスで川に橋をかけるにあたっては、
国民議会の多数決はカリフを拘束するが、橋をかけるのに技術的に最適な場所の選定や橋の工学的に最善の設計、けた橋にするか、吊り橋にするか、などは技術者、専門家が諮問を受けるのであり、議会の多数決で決めるわけではないのである。
年の学校に子弟を通わせるのが大変な村に学校を建てる場合も同様で、議会の多数決はカリフを拘束する。しかし村のどこに学校を建てるか、学校のデザインに調和し教育に最適な環境はどこか、あるいは土地も建物も国有化するのか、それとも年契約で借り上げるのか、などの具体的手続きについては、議会の多数意見ではなく、技術者、専門家に諮問する。こうした問題でもカリフは議会にも諮問できるが、その意見に拘束されることはない。
また敵国との最前線の辺境の地については、村の防備、敵襲の撃退、敵襲にあたって住民を殺害、難民化から守ることについては、議会の多数決は拘束力を有するが、いかに防備を固めるか、敵襲の撃退にはどういう手段、武器を用いるかなどの問題はすべて専門家、技術者たちが諮問を受けるのであり、国民議会ではない。
第2項.立法はアッラーのみの大権である。アッラーは言われる。
「統治権はアッラーにのみ属する」(クルアーン12章40節)
また言われる。
「いや、汝(預言者ムハンマド)の主にかけて、彼らは自分たちの間で生じた紛争において汝を調停者とし、汝の裁定に対して心中に不満を抱かず、全てを委ねるのでない限り、信仰したことにはならない」(クルアーン4章65節)
同様に「彼らはアッラーを差し置いて、彼らの中の律法学者や修道士たちを主と崇める」(9章31節)の聖句の解釈についてアル=ティルミズィーが伝えるところでは、アディー・ブン・ハーティムは以下のように言っている。
「私(アディー・ブン・ハーティム)が首に金の十字架をかけて預言者の許を訪れたところ、彼は私に『アディーよ、その偶像を捨てなさい』と言われました。私は彼が『彼らはアッラーを差し置いて、彼らの中の律法学者や修道士たちを主と崇める』(9章31節)を読誦し、『ユダヤ教徒やキリスト教徒は確かに律法学者や修道士を拝んでいたわけではない。しかし彼らは律法学者や修道士たちが彼らに許可したものは許されているとみなし、彼らに禁じたものは何であれ、自分たちもそれを禁じていたのである』と言われたのを聞いた。」
それゆえ立法は全員一致であれ、多数決であれ、国民議会の意見が採用されることはない。立法はクルアーン、スンナとその両者に導かれた正当な法的推論(イジュティハード)のみに基づくのである。それゆえアッラーの使徒はフダイビーヤの和約に際して「私はアッラーの僕、その使徒であり、彼の御命令に背くことは決してない」と言われ、ムスリムの多数意見を拒否されている。和約はアッラーからの啓示だったからである。それゆえ立法において人々の意見に依拠することはないのである。この原則に基づき、聖法の諸規定の法制化、法令の制定は記述の通り、カリフのみの大権となるのである。とは言え、カリフは聖法の諸規定、法令を法制化するにあたって、国民会議の意見を知るために、事前にそれを国民会議に諮問することはできる。ウマル・ブン・アル=ハッターブは聖法の規定についてムスリムたちに意見を求め、預言者の直弟子たちの誰もそれを非難しなかった。一例を挙げると、イラクの征服地に関して、ムスリムたちはウマルに征服地をそれを勝ち取った戦士たちの間で分配するように求めていた。ウマルは人々の考えを聞いたが、最終的にその土地を人頭税に加えて一定の地租を支払う条件で元の所有者たちの手中の占有のままに残すことに決めたのである。ウマルと、その前にはアブー・バクルが聖法の規定について預言者の弟子たちの意見を聞き、時にそれを採用し、そのことで彼らの誰も両名を非難しなかったことは、それが許されていることについての預言者の弟子たちのコンセンサスの証明なのである。
カリフが制定したこうした法令の聖法からの演繹、あるいは国家によるその法制化の方法論の正当性をめぐって、カリフと国民議会が対立した場合、行政不正裁判所に付託することについては、カリフが法制化した法規定について、その法規定に聖法上の典拠があるか、その聖法上の典拠が事実に該当しているか否かについて審査することは行政不正裁判官の権限であるので、カリフと議会の多数派がカリフの制定した法規定がイスラーム聖法上合法か否かで争う場合、その裁定は行政不正裁判官の権限であるため、彼に委ねられ、行政不正裁判の判決は拘束力を有するのである。
非ムスリムの国民議会議員には、カリフが法制化を望む法規定、法令の法案を審議する権限はない。それは彼らがイスラームを信じていないからであり、為政者からこうむる不正についての意見の表明は彼らの権限であるが、法規定や聖法の法令自体について意見を差し挟むことは彼らの権限にないからである。
第3項. その典拠は統治者の査問について述べたハディースの一般原則である。
アッラーの使徒は言われた。「いずれ自分たちが行わないことをお前たちに命ずる司令官たちがお前たちの上に立つことになる。彼らの嘘を本当とし、彼らの不正を助ける者は我らの一員ではなく、私は彼と関わりはない。彼は楽園の池で私の許に来ることはない。」
「最高のジハードは不正なスルタンの許で真実を口にすることである」(ハディース)
「殉教者の長はハムザ・ブン・アブドルムッタリブ、そして不正なイマームに向かって立って、彼に(善を)命じ(悪を)禁じ、その結果殺された者である。」(ハディース) >「いずれおまえたちが耐える支配者、否認する支配者が現れる。忍耐した者には罪はなく、否認した者は安心である。しかし満足して従った者は(どうであろう)。」(ハディース)
と言われた、と述べたと伝えている。これらのテキストは一般的であり、聖法の諸規定に基づいて統治者を査問すべきこと、また査問はあらゆる行為に関わる典拠である。それゆえカリフやその他の補佐、総督、知事たちに対する議会の査問は実際に行われたすべての行為に及ぶ。それは聖法への背反、あるいは過誤、ムスリムへの加害、臣民への不正、臣民の諸事の世話の怠慢であれ、そうであり、カリフはそうした査問、抗議に対して自分の言動、行政について、自分の視点、言い分を説明して応答し、自分の行政、行動が正しく潔白であることを議会に納得させる義務がある。議会がカリフの視点を受け入れず、言い分を拒絶した場合には、第1項.(a)のように議会の多数意見が拘束力を有する問題であれば、議会の見解が拘束力を持ち、第1項(b)のようにそうでない場合には拘束力を有さない。たとえば前出の例で言えば、査問が「なぜある地方には十分な数の学校がないのか」、というものであれば、査問が拘束力を有するが、査問が「ある学校がなぜ甲の設計によって建てられ、乙の設計でなかったのか」との査問は拘束力を持たない。それゆえ「信仰する者よ、アッラーに従い、使徒と汝らの中の権威ある者に従え。そしてお前たちが何かで争うなら、それをアッラーと使徒の許に持ち込め」(4:59)とのアッラーの御言葉により、その問題は議会の求めに応じて行政不正裁判所に付託される。この節の意味は「ムスリムたちよ、お前たちが何事であれ権力者と争うなら、それをアッラーと使徒に訴えよ、つまり、聖法に照らして判断せよ」ということであり、「聖法に照らして判断する」とは「裁判にかけること」であり、それゆえに行政不正裁判所に訴えるのであり、その裁定は拘束力を持つ。なぜならこの件では行政不正裁判所が所轄だからである。
第4項.その典拠は、アッラーの使徒によるバハレーン知事アル=アラーゥ・アル=ハドラミーの罷免である。その理由はアブド・アル=カイス族が彼への苦情を使徒に訴えたからである。イブン・サアドはムハンマド・ブン・ウマルから以下の逸話を伝えている。
「アッラーの使徒はアル=アラーゥ・ブン・アル=ハドラミーにアブドルカイス族の20名の男を連れて使徒の許に出頭するように書き送り、アル=アラーゥはアブドッラー・ブン・アウフ・アル=アシャッジュを団長とするアブドルカイス族の20名の男を伴い、バハレーンにはアル=ムンズィル・ブン・サーウィーを代行として残して使徒の許に来た。そこで(アブドルカイス族の)使節団はアル=アラーゥ・ブン・アル=ハドラミーに苦情を申し立て、アッラーの使徒は彼を罷免し、アバーン・ブン・サイード・ブン・アル=アースをその後任に任命され、彼に『アブド・カイス族に気を配り、彼らの長を優遇せよ』と言われた。」
またウマル・ブン・アル=ハッターブもサアド・ブン・アビー・ワッカースを管区の人々の苦情のみによってその総督職から罷免し「私が彼を罷免したのは無能故でも、背任のためでもない」と言っており、これらの事例は、地域住民は自分たちの総督や知事に対する不満、不信任を表明する権利があり、カリフはそれに基づいて彼らを罷免する義務があることを示しているのである。つまり、地域議会と国民議会にはムスリム全ての代理人として総督や知事に対する不信任を表明する権利があり、多数決で不信任案が可決された場合、カリフは直ちにそれらの総督、知事を罷免しなければならない。地域議会と国民議会の議決が異なった場合は、地域議会の議決が通る。なぜなら地方総督、知事の行状については地域議会の方が国民議会よりも詳しいからである。
第5項.第一は候補者の絞込みであり、第二はまず6人に、次いで2人に絞り込むこと。第一の候補者の絞込みについては、正統カリフの擁立の歴史的経緯は、ムスリムの代表たちが自分たちで直接に行うか、あるいは自分たちに代わってカリフに任せることによって候補の絞込みがなされたことを示している。
サアーダ族の屋形では、候補者はアブー・バクル、ウマル、アブー・ウバイダ、サアド・ブン・ウバーダで、彼らだけであった。つまり彼らにまで絞られていた。それはサアーダ族の屋形に集まった預言者の直弟子たちの合意で決まり、その後、アブー・バクルに忠誠誓約がなされたときに直弟子たち全員の合意がなった。
アブー・バクルの治世の末期に、彼は後任のカリフについてムスリムたちと3か月にわたり協議を重ねた結果、彼らは彼の推薦するウマルに賛同した。つまり候補者は一人に絞られたのである。
カリフ候補の絞込みのプロセスがより明らかになったのはウマルの刺殺によってであった。ムスリムたちはウマルに後任の推薦を頼み、周知のごとくに彼は6人の候補を挙げ、彼らに限るように言明したのである。
アリーへの忠誠誓約では、そもそも彼が唯一の候補者であったので、候補者を絞り込む必要はなかった。
こうした絞込みは、ムスリムたちの多くの前でなされたので、もしカリフへ推薦されるべき他の人々の権利を損なうため許されないようなら、拒絶され執行されなかっただろう。それゆえカリフ候補の絞込みは預言者たちの直弟子たちのコンセンサスで許可されているのです。それゆえウンマ(ムスリム共同体)、つまりその代表は、ウンマが直接にであれ、カリフにその代行を委ねてであれ、候補を絞り込むことが許されるのである。
以上が絞込みの許可の典拠であったが、それを最初6人にまで絞り込むことについては、ウマルの事例に倣うものであり、その後で2人に絞り込むのはアブドッラフマーン・ブン・アウフの先例であると同時に、ムスリムの選挙人の多数派による忠誠誓約の実現のためでもある。つまり候補者が2人以上いた場合、選挙者の30%しか獲得していない、つまり50%以上の多数を得ていないことがありうるが、候補者が2人を超えなければ多数派の勝利が実現するのである。
行政不正裁判所がカリフ就位資格条件を満たすと認めた候補者の中から国民議会が2名の候補を絞る込むことについては、国民議会による絞込みがカリフを選ぶためであるから、つまりその者がカリフ就位資格条件を満たしている必要があるのである。それゆえ行政不正裁判所がカリフ候補者から就位資格条件を備えていない者を全て排除し、その後、国民議会が、行政不正裁判所がカリフ就位資格条件を満たすと認めた候補者の中から絞込みを行うのである。これが第5項なのである。
最終更新:2011年02月12日 16:30