上記に簡単に述べた典拠の全体は周知でもあり、ここで繰り返すことはできない。理性を有する者たち、賢者たち、知恵ある者たちよ。あなた方と同等か、それ以下の者たちの(作った)法規、思い付きがあなたがたに課せられることにどうすれば満足していられるか。彼らは過ちを犯すことがあるというのに。いや、彼らは間違うことの方が正しいことより遥かに多い。いや、彼らの裁定が正しいのは、明文テキストにしろ含意によるにしろ、アッラーとその使徒の裁定から演繹された場合だけなのである。どうすればあなた方は、彼らが過ちが生じることがなく決して不正が起きない誉むべき英明なるアッラーからの啓示であるアッラーとその使徒の裁定によってあなた方を裁くことを怠り拒否する一方で、あなた方の身体、血、皮膚、名誉、そしてあなた方の妻子、家族、そしてあなた方の財産、その他の全ての権利について(人定法で)裁くのを放置していることが出来るのか。人々がその主アッラーの裁定に従い、服するのは、自分を崇拝するようにと人間を創造された御方アッラーの裁定に従い、服することである。それゆえ人間がアッラー以外に跪拝せず、アッラー以外に崇拝を捧げず、被造物を崇拝しないのと同じように、疑惑、妄執、混乱によって滅び、無関心、冷酷、不義に心を奪われた不正で無知な被造物の裁定を拒否せねばならず、慈悲深く憐れみ深く誉むべき全能な英知ある御方アッラーの裁定以外に従い、服し、屈することがあってはならないのである。
それゆえ理性ある者は、「・・・アッラーが下し給うたもので裁かない者、それらの者こそは不信仰者である」(5:44)とのアッラーの御言葉の明文により、それ(人定法による支配)が不信仰であることに加えて、人間の奴隷化、人間に対する欲望、悪意の目的、迷妄、過誤による支配があるが故にそれを警戒しなければならないのである。
第六は、砂漠の遊牧部族、氏族の族長たちの多くが則って裁定している父祖の言い伝えや、自分たちの「サルーム」と呼んでいる慣習である。無明時代の掟に留まり、アッラーとその使徒の裁定からの離反を望み、彼らはそれを先祖代々受け継ぎ、それによって裁き、係争に当たってはそれに裁定を求めるのである。
アッラーの他に力も権能もありません。
アッラーの下されたもの以外によって裁く者の不信仰の二つの種類のうちの第二のものは、イスラーム共同体からの破門を招かないものである。
「・・・アッラーが下し給うたもので裁かない者、それらの者こそは不信仰者である」(5:44)とのアッラーの御言葉についてのイブン・アッバースの釈義が、この種類の不信仰に該当することは既に述べた。それは、この節についての「不信仰以下の不信仰」、及び「あなた方が思い浮かべる不信仰ではない」との言葉である。
それは、欲望と煩悩に負けてアッラーが下されたもの以外によって問題の裁定をしてしまうことで、アッラーとその使徒の裁定こそが真理であることを信じ、自分が間違っており、導きから逸れていることを自分自身でも認めた上でのことなのである。
これはその不信仰がイスラーム共同体からの破門を招くものではないとしても、姦通、飲酒、窃盗、偽証などの諸々の大罪よりも重大な背神行為なのである。なぜならばアッラーがクルアーンの中で「不信仰」と呼ばれている背神行為は、「不信仰」と呼ばれなかった背神行為よりも重大だからである。
ムスリムが団結し信服してクルアーンに裁定を求めるようになることを我らはアッラーに祈り求めます。まことにアッラーこそ、それがおできになり、それを引き受け給う御方にあらせられます。
最終更新:2011年02月12日 15:25