逃げたその先

「ミィッ、ミィッ!」「ミッミッミッ!」
木漏れ日が差し込む明るい森の中。
タブンネの家族が息を切らしながら走っていた。
親2匹、子ども6匹の計8匹。子どものうちの1匹は母タブンネに抱えられている。
なぜ、このタブンネたちが走っているのかというと、

「ピィィィィィッ」

タブンネたちの後方から、羽ばたく音とともに、甲高い鳴き声が聞こえてくる。
その声の主はムクバードの群れ。この森を巣にしている、比較的小規模の群れだ。
ムクバードたちはタブンネ家族の周りを囲むように飛行している。
ときおり、タブンネたちの進行方向に高度を下げ、タブンネたちの逃げるルートを限定させる。
そのせいで、タブンネ家族は草むらの中に逃げ込むこともできずに、ひたすら逃げるしかないのだ。

「ミヒャァ!」
1匹の子タブンネが足をもつれさせて、転んでしまう。
その瞬間、数羽のムクバードが降下し、子タブンネに襲い掛かる。
「ミィィィィィ!」
ムクバードたちに踏まれ、ついばまれ、子タブンネの全身はどんどん傷だらけになっていく。
涙を流しながら、必死に抵抗し、助けを求める鳴き声を上げ続ける。

必死に助けを求める子タブンネ。
しかし、親タブンネはそっちをチラリと見ただけで、すぐに足を動かして逃げ始めた。
その判断は極めて正しい。
子タブンネ1匹を見捨てることで、ほかの3匹の子タブンネが生き残る可能性が上がる。
そのことをわかっている親タブンネは、即座に逃げるという行動を選んだのだ。

「ミィ…ミィィ…」と弱々しくなっていく鳴き声を聞きながらも、タブンネたちは足を止めるわけにはいかない。
バサッバサッという羽ばたく音がムクバードたちの接近を知らせているからだ。
タブンネたちが生きるか死ぬかの逃走はまだ終わらないのだ。

タブンネたちが逃げ、ムクバードが追いかける。
スピードが落ちてきたり、転んだりした子タブンネをムクバードが狩る。
その光景は繰り返され、タブンネ家族はたった3匹だけになってしまっていた。
親タブンネが2匹と、母タブンネに抱えられた幼い子タブンネ1匹。
たくさんいた子どもたちは一気にいなくなってしまった。
親タブンネは涙を流しながらも、ムクバードたちを振り切るために逃げ続けるしかなかった。

親タブンネは走りながらもチラリと後ろを見る。
最初の頃に比べればムクバードの数は減っている。追ってきているのは2羽だけだ。
この調子で逃げ続ければ振り切ることができるかもしれない。
しかし、現実というものはタブンネの思い通りに運ぶものではない。

母タブンネのスピードが落ち始めた。
「ミヒッ、ミフッ」と息をきらし、体もふらつき始めている。
小さいとはいえ、子ども1匹抱えた状態では当然であろう。
スピードの落ちた母タブンネにムクバードたちが狙いを定める。
高度を落とし、大きなピンク色の背中にむかって、一気に襲い掛かる。

「ミィッ!」
母タブンネとムクバードの間に父タブンネが割って入る。
母タブンネと抱えられた子タブンネを逃がし、ムクバードの前に立ちはだかる。
これ以上家族を失う訳にはいかない。
父タブンネは命がけで、残った家族を逃がすことを選んだのだ。

父タブンネがムクバードたちを足止めしている間、母タブンネはひたすら逃げ続けた。
後ろを振り向き、ムクバードたちが追ってきていないのを確認すると、近くの草むらの中に身を隠す。
息をひそめて周りの様子に耳を澄ませ、安全であることが確認できてから「ミフゥ」と息を吐く。
腕の中に抱いた子タブンネは「ミィミィ」と小さな鳴き声を上げている。
母タブンネはその様子を見て微笑みを浮かべると、子タブンネにお乳を与え始めた。

おっぱいに吸い付くわが子を見ながら、母タブンネはこれからのことを考える。
たくさんいた子タブンネたちはいなくなってしまった。父タブンネと再会することも難しいだろう。
残った子どもは乳離れできておらず、やっとヨタヨタと歩くことができるようになったばかりだ。
自分1匹で餌を探し、野生のポケモンから身を守り、わが子を育てなくてはならない。
母タブンネは途方に暮れてしまった。

そのとき、母タブンネの耳が何かが近づいてくる音を捉えた。
草むらの中からおそるおそる外の様子を観察すると、近づいてくるのは人間だ。
こっちに気付いている様子はなく、何かを探すように辺りをキョロキョロと見回している。
母タブンネは以前に聞いた噂を思い出す。

野生のポケモンに負けないくらい強いポケモンを人間は持っている。
人間はポケモンをお世話してくれ、立派に育ててくれる。

その噂を思い出し、母タブンネは決心する。
あの人間に連れて行ってもらおう。
そうすれば、野生のポケモンに怯えることなく、餌を探して苦労することもない。
さらに、わが子を立派なタブンネに育ててもらうこともできる。

万が一のことを考えて、子タブンネを地面にそっと寝かせ、草や葉っぱを乗せて姿を隠す。
そして草むらの中で身動き一つせずに飛び出すタイミングを計る。
人間が近くに来た瞬間、ガサガサと草むらを揺らして自分の存在を知らせる。
草むらから飛び出すと、クリッと首を傾け笑顔で自分をアピールする。
「……経験値きた! ゆけっ、キノガッサ!」

1匹のタブンネが森の中を歩いている。
ムクバードたちと戦うことを選んだ父タブンネだ。
タブンネ特有の打たれ強さと、父タブンネの持つ執念がムクバードを追い払うことに成功したのだ。
しかし、爪やくちばしで攻撃された体は傷だらけで、体力も限界に近く、足取りもおぼつかない。
それでも、逃がした母子の姿を求めて、あてもなく森の中をさまよい続けていた。

やがて、父タブンネの目にある光景が映った。
全身をアザによる青と、出血による赤に染めた母タブンネだ。
その体は力なく横たわり、ふわふわの白い尻尾もなくなっていた。
わずかな呼吸のたびに体がかすかに上下するだけで、もう助からないことは明らかだ。
やがて、父タブンネが来るのを待っていたかのように、母タブンネの呼吸が静かに止まった。

「ミィ……」
母タブンネの死を見て、がっくりと落ち込む父タブンネ。
しかし、次の瞬間にはあわてたように辺りをグルグルと見回し始める。
いっしょに逃がしたはずの子どもはどこに行ったのか、と。

そのとき、草むらの中から「ミィミィ」という鳴き声が聞こえてきた。
泣き声の方に駆け寄り、急いで草むらをかき分けると、草や葉っぱで隠された子タブンネの姿があった。
大喜びでわが子を抱き上げようとした父タブンネだったが、あることに気付いてしまった。
母タブンネは死んでしまった。もちろん、自分はお乳を出すことができない。
まだ、乳離れできていないわが子をどうやって育てればいいのか。

父タブンネはその場で立ち尽くす。
そして、野生の世界において、無防備な姿をさらし続けることはあまりにも危険なことだった。
バサッ、という大きな音が父タブンネの耳に入った。
そちらを見上げると、太陽の光を背中に受ける大きな影。
先ほど追い払ったムクバードの倍近い大きさ。ムクホークが父タブンネを見下ろしていた。
父タブンネはあわてて走り出す。
生き延びるために。わが子からムクホークを少しでも遠ざけるために。


…………………………
…………………………
…………………………


ここはとあるトレーナーの家。
1匹の子タブンネがトレーナーの腕に抱かれ、哺乳瓶でミルクを与えられている。
一生懸命に吸い付いて、こくこくとミルクを飲んでいく。
やがて、飲み終えると「ケプッ」と小さなげっぷをして、うとうとし始めた。
男はそれを見ると寝床にしている毛布の上に子タブンネを乗せる。
すうすうと寝息を立てはじめた子タブンネを見ながら、男は微笑みを浮かべる。

「これで森に行かなくても、レベル上げができるぞ。よかったなキノガッサ」

キノガッサのレベルを上げに行った森の草むらの中で子タブンネを見つけた時、トレーナーは思いついたのだ。
育てればいいサンドバッグになるのではないか。
倒したタブンネのから切り取ってきた尻尾を眠っている子タブンネに持たせると、
子タブンネはそれをキュッと抱きしめる。
子タブンネはただ眠る。
これから待ち受けているものを知らずに。

(おわり)

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最終更新:2013年09月25日 02:52
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