「気がつきましたか?」
タバサが目を覚ますと、そこはテントの中だった。
寝床代わりの藁の上に、寝かせられていた。
むくりと起き上がると、身体の節々が痛い。
見ると、包帯が幾重にも巻かれている。
隣にはシルフィードが人間の姿のまま、自分と同じ様にして寝かせられている。
タバサとシルフィードを介抱してくれたであろう人物は心配そうにタバサの顔を覗き込んでくる。
年の頃十七、八と思われる少女だ。
長い髪は無造作に後ろで束ねられ、顔も汚れている。
服はボロボロになり、所々穴があいている。
しかし、彼女の薄い鳶色の瞳には、強い意思の力が宿っている。
生活臭漂う薄汚れた格好だが、高貴な生まれ特有の雰囲気を放っている。
なるほど、右手には杖を握っている、貴族だ。
「あなたが、助けてくれたの?」
少女は首を横に振る。
「わたしはその包帯を巻いただけです。実際にあなたを助けたのは別の二人です」
「別の二人?」
「ええ、何でも『火竜は何匹も倒した事がある』と言う凄腕のメイジとその方のご友人である剣士の二人組です。わたしと目的が偶々一致していたので一緒に行動を取っていたのですが、火竜に襲われていたあなたを二人が見つけ、彼らが火竜の相手をしている間に、わたしが風魔法であなた方をここまで運んだのです」
そのうちに、シルフィードも気付き、ぱちくりと目を開けて絶叫した。
「おねえさまぁ~~~!火竜が~~~~!きゅい~~~!」
慌てた少女はシルフィードに取りつき、その口を塞いだ。
「しっ!音を立てないでください。このテントは魔法で岩に偽装してるんです。今火竜の群れは繁殖の時でその大部分はこちらに気付かないとしても、先ほどの様な雌にあぶれた火竜に気付かれてしまうかもしれません」
シルフィードは、んぐんぐと、言葉を飲みこんだ。
「その二人は今どうしている?」
タバサは少女に訪ねた。
「あの二人組が、先程の傷を負った火竜と何度か対峙した所を見た事があるので心配は無いと思います。息の合ったあの二人は、確かに凄腕だとわたしでも思いました。でも、例の火竜が中々仕留め切れなくて、すぐに逃げられてしまうので、戻って来るとしたらそろそろ……」
少女がそう言った時に、テントの外から人の足音が近づいてきた。
テントの幕が捲れあがると、橙色の色眼鏡をかけたメイジが入って来た。
いつぞやタルブ村で見かけた男だ。
「参った参った、今回もあいつに逃げられてしまったよ。魔法の風で奴が飛び立つのを止める作戦も失敗してしまったよ」
続いて後ろから白い鉄仮面を被った剣士風の男が愚痴をこぼしながらテントに入って来た。
「お前頭悪ぃな火竜が空を飛べるのはずるい」
「はっはっはっ、友の言うとおりだ。私の考えた作戦が甘かったな。だがいい経験になった」
タバサは意外な顔ぶれが登場した事に顔色を変えずとも、驚いた。
そしてタバサが何か言おうとした瞬間、シルフィードが仮面の男に飛びついた。
「うわ~!
ブロントさんだ~!きゅいきゅい!ぴかぴかのブロントさんだ~!」
仮面の男は手でシルフィードを押しのけた。
「は?俺がブロント?なんでそうなるのかわからん。俺は仮面ヴぁーんなんだが、俺がどうやってブロントだって証拠だよ。言っとくけど俺はブロントじゃないから。あんまりしつこいとバラバラに引き裂くぞ」
シルフィードはむー、と頬を膨らませる。
「う~、そのぴかぴかはブロントさんなのね。シルフィ見間違えるわけないのね。絶対ブロントさんなのね!」
そこに色眼鏡の男が割り入って来る。
「まあまあ、彼がブロントではないと言う事を証明してあげよう」
色眼鏡の男はこほん、と咳払いをして仮面の男に問う。
「こんにちは」
「何か用かな?」
仮面の男は律儀に答えた。
「ブロントさんですか?」
「俺はブロントさんじゃない」
「そうですかありがとうデルフンすごいですね」
色眼鏡の男はにっこり微笑み、仮面の男の腰に帯びた剣を指差して言った。
「それほどでもない」
「それほどでもねえって、相棒そりゃないぜ……」
腰に帯びた剣が切ない呟きを漏らした。
色眼鏡の男は再びシルフィードに向かってにこやかな笑顔を見せた。
「ほらこの通り、彼はブロントではないよ。しかもインテリジェンスソード持っているのに、それほどでもないと言う程、とても謙虚な者だ」
シルフィードは全然納得がいかず、うー、と唸る。
「そんな白々しい事されてもシルフィ騙されないのね。絶対ブロントさんなのね。それにシルフィ知っているんだから、そこのあなた本当はウェー……」
タバサは杖でコツンとシルフィードの頭を軽く叩いた。
「痛い!何するのね!このちびすけは!」
タバサは首を横に振って、ポツリと呟いた。
「『彼』はブロントでは無いと言っている。人にはそれぞれ自分を名乗れない時がある。それ以上詮索するのは良くない」
「何ね、おねえさまも。ふん、いいわ。シルフィも本当は別に名前があるけど、それはおねえさまとの間だけの秘密だもん」
一同の中で一番見た目が大人っぽく見えるシルフィードが、まるで子供みたいに拗ねた。
タバサは尋ねようした事をようやく聞く事ができた。
「あなたたちは、ここで何をしているの?」
一同はタバサ達が火竜に襲われた所までやってきた。
辺りは相変わらず白い水蒸気に包まれていたが、色眼鏡の男が軽く杖を振り、風を起こすと、山のごつごつした黒い岩肌が露わになった。
「タバサさん、巣のあった場所覚えていますか?」
タバサは辺りを良く見まわして、見慣れた岩の形を探しだすと、巣があった岩の隙間を指差した。
「では、私が魔法で岩の中に潜り隠れます、そこでええっと、シルフィさんでしたっけ?あなたが親鳥を鳴かして火竜を呼んだら、すぐにテントの所まで逃げてください。ヴァーンさん達が火竜の注意を惹きつけた所を見計らって、私がタマゴを回収します」
一同はリュリュの出した作戦に対して頷く。
リュリュは『土』の魔法を唱え、巣の傍らの地面に潜りこむ。
タバサは男達二人と共に火竜が現れた時に飛び出せるように岩陰に隠れる。
一人残されたシルフィードは、辺りに再び白い靄が立ち込めるのを見て、急に不安になりだした。
火竜が今くるのではないか、と軽く怯えながら、岩の隙間を覗き込む。
「シ、シルフィ行くよ?あの火竜呼びだすのだからね?み、皆準備いいのね?」
だが誰も返事をしない。
「ええい、もうどうにでもなれなのね!」
シルフィは隙間に手を突っ込んでバタバタと振りまわした。
突然差し伸べてきたシルフィードの手に驚いた極楽鳥の親鳥はけたたましく鳴いた。
ビャアビャア!ビャアビャア!
火竜を呼び寄せるに様に甲高く鳴いた後、間もなくして巨大な影が靄の中に現れた。
「きゃ~、火竜がきたのね~!」
そう叫び、シルフィードは一目散にテントのある所へと走り出した。
その叫びを合図に、岩陰に隠れていたタバサ達が飛び出す。
計画通り、片目の火竜が又しても極楽鳥の鳴き声によってやって来たのだ。
片目の火竜は雄たけびを上げながら、上空から飛び降りてきた。
しかし、仮面の男の姿を見るや否や、逃走しようと翼をはためかせた。
「おいィ!
ウェントゥス!?」
「今度こそ大丈夫だ!」
色眼鏡の男が杖を振ると、火竜の周りの空気が歪む。
するとまるでずしりと重くなったかの如く、火竜がバランスを崩し、再び足が地につく。
「友が言っていたな、火竜が飛べるのはずるいと!それならば、と<フライ>の逆をする風魔法をかけてみたのさ!奴の周りの空気を重くした」
「ほう、経験が生きたな」
仮面の男は剣を抜き放ち、盾を上げて地に降りた火竜に突貫する。
火竜の塞がれた右目の死角に入るように仮面の男は火竜の周りを時計周りにぐるぐると旋回する。
姿が中々捉えられない火竜は必至に首を回して、白く光る人間の姿を見つけては炎のブレスを吐く。
灼熱のブレスは仮面の男を掠めつつも、大した効果はでていないようだ。
「タバサ君、ブレスの直線上に立っては危険だ、我々も回るぞ!」
そう言い放ち、色眼鏡の男は反時計回りで火竜を中心に旋回しはじめた。
タバサは少し考えて、仮面の男と重ならない様に大きく時計回りで回りだした。
土から顔を出したリュリュはその様子を遠目から見て、その宇宙の様に壮大で綺麗な光景を前にして、ふと見とれてしまっていた。
「きゅい~~~!道を間違えたのね~~~!」
逃げる時に、逆の方向に向かってしまっていたシルフィードが、戻って来て、横切って行った。
困惑した火竜は、重くなった自分の翼を無理やり広げ、飛び立とうとした。
「相棒!こいつ逃げる気だぞ!」
剣がそう叫ぶと、仮面の男は盾を突きだし、それで火竜の腹を強打した。
心臓が止まるような衝撃を受けた火竜がぐらりとよろめく。
「未だタバサ君!『氷』の魔法で火竜の動きを!」
色眼鏡の男がそう叫ぶのを聞き、タバサは杖を振り、<ウィンディ・アイシクル>を唱える。
『水』一つに『風』二つをあわせたトライアングルスペル。
しかし、先ほど受けた怪我によって本調子ではない上に、思っていたよりも精神力を消耗していたタバサは『水』一つを詠唱するのがやっとだった。
「ダメ、氷が作りだせない」
タバサは首を振ったが、色眼鏡の男は明るく答える。
「『水』魔法、それで良い。私は『風』には少し自信があるが、『水』魔法の詠唱が不得手なのでな、あとは任せろ!」
色眼鏡の男はタバサの水の詠唱に重ねて、『風』を二つ合わせてきた。
タバサは驚いた。
他人の魔法に重ねて詠唱する事など聞いた事が無い。
自分はいつもの様に『水』を唱えているが、この男は慣れた雰囲気で、『風』の詠唱を自分にあわせてくる。
「ラグーズ・ウォータル…」
続けて色眼鏡の男が詠唱を完了させる。
「イス・イーサ・ウィンデ!」
その瞬間、タバサの杖から無数の氷の矢を飛び放たれる。
火竜の翼の薄い膜を突き破り、穴だらけにして再び火竜を地に落とす。
その隙を逃さず、仮面の男が剣を振り上げる。
「ボッパルブレードでバラバラに引き裂いてやろうか!」
一呼吸の合間に、仮面の男の剣が火竜を四回切り裂く。
火竜に刻みつけられた斬撃の痕が捻じり、湾曲する。
小さくうめき声を一つ上げて、片目の火竜はずずん、と地面に倒れ、絶命する。
「す、凄い……本当に火竜を退治してしまうなんて……」
倒れた火竜を見つめるタバサ達の後ろから、泥まみれのリュリュがタマゴを大事そうに抱えていた。
「それほどでもない。まさかそれが出来なかったらタマゴだけ持って逃げるつもりだったのかよ?お?」
「いえ、そんな事は!でも一応念を入れて、逃げられてしまってもタマゴだけでも確実に手に入れておけるかな、と思って。その」
「それより俺はこの火竜を倒した証拠がいるんだが、貰ってもいいのか?」
仮面の男は倒れた火竜を指差してタバサに尋ねた。
タバサは任務としては問題の火竜さえ倒せれば、別に証拠品を持ち帰る必要が無いので、構わない、と一言だけ返事をした。
それを聞いて、仮面の男は剣を手にとって倒れた火竜に向かう。
「お、おい相棒。俺様を構えて何をするのかな?一応念を入れておくが、俺は武器であって、調理器具じゃねえからな」
仮面の男が携えた金色に輝く盾が口を開く。
「火竜の鱗をも斬り開き、骨を断つ程の切れ味を持つ刃と言えば誰かのう?」
「そりゃ、お前。このデルフリンガー様しかいないだろう……っておいちょっと待て相棒!俺様は包丁じゃねえって!いやー、やーめーてー!」
仮面の男は剣の悲鳴を無視しならが、てきぱきと火竜の角、爪、頭骨、肉、心臓と次々と『素材』へと解体してゆく。
リュリュはタバサに駆け寄る。
「タバサさんありがとうございました。おかげで無事極楽鳥のタマゴが手に入りました!わたし、このタマゴをおろそかにしません!きっとこの味を、代用肉に活かせてみせます!」
そう言って、リュリュは自分に一つだけ残して、残りをタバサに渡す。
「修業にもっと必要なのでは?」
「修業と言っても、食べて味を知るためですから。一口あれば、用は足ります。もしよろしければ今ここで試してみます?」
リュリュはそう言うと、タマゴを持ち、それに杖を振りかざした。
タマゴの周りの空気が熱せられ、表面が蒸されて瑠璃色の殻が土気色に変色していく。
リュリュが慎重に殻をむくと、ぷりんとした白身が現れる。
いい匂いが辺りに立ち込めた。
「ふむ、これが幻の季節の、幻の極楽鳥のタマゴか……見た目は普通のタマゴに見えるが」
色眼鏡の男は興味ぶかそうに覗きこむ。
「あ、ヴァーンさん達もどうぞ、一緒に食べてみましょうよ」
火竜を解体し終わって、いつの間にやらどこかに仕舞い込んだ仮面の男は剣を布で拭っていた。
「うっ、うっ。俺様汚れちまった。生臭い肉を切る包丁にされた。うっ、うっ」
「まったく、剣が女々しく泣くでない。斬ってしまえば、肉はどれも一緒じゃろうて」
「そういうならよ、イージスてめは胡桃割るのに使われてもいいのかよ?」
「それは嫌じゃ。だが胡桃を相手にするわけがなかろう。それとこれは違う問題じゃ」
リュリュは仲良くタマゴを四等分にして分けると、口に含む。
苦労して手に入れた味だ。
さぞかし夢を見る様な味に違いない。
「…………」
「…………」
「…………」
しばらくの沈黙が続いた。
まず色眼鏡の男が感想を漏らした。
「なんというか、懐かしい味がするな……実にアルビオン風な……」
「……その、調理方法が悪かったのでしょうか?」
「おいィ?これはゆで卵なのか?シャレにならんしょ」
タバサが首を振り、一言で切り捨てた。
「まずい」
リュリュはがっくりうなだれる。
「この季節のタマゴは食用に適さないみたいですね。ああ、これでは肉の味が遠ざかるばかりです」
突然仮面の男が両手を上げて、首を振る。
「肉の味を知るのに、タマゴを食べている時点で相手にならないことは証明されたな。本当の肉の味を知りたかったら明日ここにきてもらえませんかねえ・・?」
そう言いながら、腰のカバンから先程切り捌いた火竜の肉を取り出して、熱く滾る溶岩流の隣の地面に剣を突き刺した。
「ちょっ。相棒。てめ、つるはしなら持っているだろ」
仮面の男は溜め息を吐くと、カバンからつるはしを取りだしてザクザクと硬い地面を掘った。そしてその掘った穴に竜の肉を埋めた。
その様子を不思議そうに見つめた後、一同はシルフィードが待つテントへと戻った。
翌朝、肉を埋めた場所に戻ると、何とも旨そうな匂いが立ち込めていた。
「おいしそうな匂いなのねー!お肉ー、おーにーくー♪きゅいきゅい!」
久々の肉の香りを嗅いで上機嫌のシルフィードは腰を左右に揺らしていた。
風竜の姿をしている時の癖で、嬉しい事があると、無意識にその滑稽な仕草を取っていた。
「まさか、あの肉を食べるのですか?そんな事想像した事も無かったです……その、食べる側が食べられてしまうのは盲点でした」
リュリュは仮面の男が掘りだした肉を見た。
分厚い肉の外側がこんがりと焼き上がり、仮面の男が剣で器用に切り分けて行くと、中はルビーの様に朱色を帯びた肉汁滴るミディアムレアに焼き上がったステーキになっていた。
今回はシルフィードも含む一同が切り分けられたドラゴンステーキを口にする。
シルフィードがステーキを口にする時、タバサは声をかけて静止しようとも考えたが、その暇もなく一口で頬張ってしまっていたため、何も言わず、自分も黙ってステーキを口にした。
「…………!」
「…………!」
「…………!」
全員が感銘の息を漏らした。
「これは……!本当に焼いただけの肉か!?ローストした牛肉以上の肉があったとは!」
「凄い!肉の生命力が感じる程に生き生きとした味!まるで体中に血が駆け巡るようです!これ一枚で三日は食べなくても平気な気がします!」
「お肉!最高なのね!これが本当の肉の味なのね!」
タバサが一言だけ的確な感想を漏らす。
「うまい」
リュリュは興奮して、仮面の男の手を取ってぶんぶんと振った。
「この味です!わたしが探していた「肉」の味です!これほど強く記憶に刻み込まれた味は一生忘れません!ヴァーンさんありがとうございます!まだこの世には知らない美味がある事を知りました!ハルケギニアの美食を知っていたつもりであった自分が恥ずかしいです!もしかして、さぞかし名のある料理人なのでしょうか?」
仮面の男は首を横に振った。
「それほどでもない。俺より調理スキルが高い奴なら知っているんだが」
「ほんとですか!お願いです!誰だか教えてください!」
「トリステイん魔法学院のマるトーって言うんだが……」
リュリュは仮面の男の手をぐいぐいと引っ張る。
「場所はわかりません!だから案内してください!何と言ってもそのマルトーさんに合わせて頂きますよ!料理人の意地としてこれは譲れません!」
リュリュが仮面の男を連れて早々と山を下りていき、それに色眼鏡の男も笑いながらあとを追う。