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俺の目の前で人魚が微笑んでいる。彼女は海面から顔を出し、船の側で海中を見ている俺に変わらない微笑みを向けていた。

レジャーダイビング体験。といっても免許の必要なそれではなく、観光の一環として出来る足ヒレとシュノーケルを咥えただけのものや、水中バイク。顔に逆さにした金魚鉢を被るアレである。その程度のもの。

だが、このイベントは毎回人気であった。その理由が、目の前で微笑んでいる人魚。足がヒレになっており、胸に貝殻のビキニ。腰の部分は鱗と肌の境目まできちんと作られた美少女着ぐるみとの遊泳である。

常夏のある町。今ここはある観光に力を入れていた。昨今のゆるキャラブームに乗り、だが何を勘違いしたのか、美少女着ぐるみでのアピール。

だがこのアイデアが一部オタクな連中や、小さな子供を連れた家族連れに人気を博し、そこからジワジワと業績を伸ばしていた。

向こう側が見える透明な背ビレがヒラヒラと揺らしながら、その人魚『マーメイちゃん』が海中を泳いでいく。

場所は深さこそ、20メートル前後だが、ごろごろと大きめの岩が転がり、魚の住みかとなっているのと同時に、小さな子供の足場代わりとなっている場所。

だからこそこういった観光の場所にも選ばれるが、中に入った人を隠せるように一回り大きく作られているマーメイちゃんにとっては狭い。

だけどそんな迷宮じみた海中でも我が物顔で泳ぎ回るマーメイちゃん、正確にはその操者は流石だと言わざるを得なかった。

時々、腰のあたりに着けたポーチから、チャック付きのビニール袋を出して、そこから魚のエサを取り出し、この辺りを泳いでいた色取り取りの魚を呼び寄せていた。

魚にその周りを囲まれているその様子は、リアルさに欠ける美少女着ぐるみであることを逆に神秘的に見せていた。海面に顔をつけ、海中を覗いているとマーメイちゃんが本物の人魚のように見えて来る。

「そろそろ帰りますよー…」

イベント会社の船の上から船頭の声が周りに響く。海中に居たマーメイちゃんや、イベント会社の、子供が海中に落ちたり、事故が起きた時に対処するために海中に居た人達がウェットスーツから海水を滴らせて船の上へと上がってきた。

どうやら夢中になってマーメイちゃんを見ている間に時間が来たようだ。

船上に上がってきたマーメイちゃんは、備え付けられたベンチに腰掛けながら、近寄ってきた子供の相手をしている。長い七色の髪から滴る海水をそのままにしたまま。

陸上に戻った俺は観光を兼ねてブラブラ散歩をしていた。夕食までの自由時間であり、そこそこ時間はある。この地のお土産を買わせる目的があるのだろう。少し遠目に足を延ばしても余裕がある様に時間が組まれており、あちこちの土産屋や、地元の市場で同じツアー客の姿を見かけた。

だけど、俺はそんな気分ではなかった。来れなくなった元々オタクな友人の代わりに来ただけなのだから。

なんでも、必死扱いて申込みが殺到した為に抽選となったこのツアーの抽選に当たったのはいいが、インフルエンザで来れなくなり、無駄にするのは嫌だと、無理やり俺に押し付けて来たのだ。

だから土産は期待するなよとだけ言って、溜まっていた有給を使ってやって来たのだ。

その友人の土産も、あれだけマーメイちゃんの写真と言っていたからと、近くの観光協会で売られていたマーメイちゃんの写真集と、当地土産の定番であるクッキーの箱詰めをダイビング前に買っているので問題もないだろう。

ふらふらと歩き、外れまで来てしまっていた。そういえば此処って、あのマーメイちゃんのダイビング体験に出る時に、マーメイちゃんを乗せた場所だ。

マーメイちゃんが着ぐるみである以上、ましてやあの船はそれ程大きくなく、着替える場所が無い為、マーメイちゃんのまま船に連れて来られていた。

そして帰りもこの辺りで降ろされていた筈。案外マーメイちゃんの着替えている場面に出会えるかなと思ってしまった。

馬鹿馬鹿しいと、たった一回で俺も虜になってんじゃないかと思い直す。

いまだ降り注ぐように輝く太陽光に汗を掻き、少し日陰で休憩しようと、傍に有った建物の壁を背にして凭れ掛かる様に座った。

「チャックだけ降ろしておきますね。」

そんな時、そんな声が聞こえた。

少し離れた場所に、大きなテントが張られている。どうやらそこから聞こえてきたようだった。

その時はなんで見に行ったのか判らないが、気になって見に行った俺は、開いている隙間から覗き込み、そこでマーメイちゃんを見た。

マーメイちゃんの背びれが取れており、背中側がパックリと割れている。そこから黒いウェットスーツが見えている。

まるで蝉の脱皮の様に、徐々に黒いそれが出てくる。

顔は、俺が見ている側に背中を見せている為見えないが、水中メガネのゴムが見えていた。それを上半身だけ出した状態で、真っ黒な手で取り去ると、後頭部まで覆っていたダイビングスーツを脱ぎだした。

その前でマーメイちゃんの着ぐるみがクタッと垂れている。

(……結構美人だな)

熱気を取る為だろう、顔を左右に振り、その時見えた素顔に思わず見とれる。化粧はしていないのに、野暮ったさは無く、ご当地のと言うのであれば、アイドルと言われても通用しそうだ。

「なっ…」
「えっ…」

ただそれも首から下を見るまでであったが、思わず出してしまった声に、マーメイちゃんの操者もこちらを振り向き、そして確信してしまう。

「…お、男?」
「だっ、誰ですかっ!?」
「まっ、待て、あやしい者じゃないっ!!―――って言っても信じて貰えないだろうけど…」

やけにガッシリしていたのだ。それだけなら筋肉質なだけと言えるかもしれないが、前を向いた時に胸が無い。いや男の上半身が見えてしまったのだった。

見られていたとは思っても見なかったのだろう。誰何してくる操者に両手を振りつつ、言い訳をする様に言葉を重ねる。

だがそんな俺の支離滅裂な言い訳がおかしかったのだろう、マーメイちゃんの操者は笑い出してしまっていた。

「ああ、ジーとこっちを見てた人ですか…」
「バレてたか。」
「それはそうですよ。興味ありませんって顔しながら、絶対に視線を外しませんでしたから。」
「すまんな。マーメイちゃんに完全に一目ぼれしてしまった。」

着替える間、マーメイちゃんの操者である整(まさし)君と背中越しに話していると、以外にも話は弾んだ。

別に男同士で、見ても大丈夫だと思ってはいたが、なんとなく顔をそむけてしまっていた。

整君の顔があまりに女顔だったのもあるし、何よりマーメイちゃんの中身だと意識してしまったら、気まずく顔を合わせ辛かった。

「双子の姉と二人でマーメイちゃんやっているんですよ。」
「そうなのか?」
「はい。元々姉は地方のスーツアクターをやってまして、地元活性化に協力したいと言い出して、そして出来たのがマーメイちゃん何です。」

マーメイちゃんは今の様に公認キャラクターではなく、自分の家でやっている個人経営の会社を盛り上げて、整君の家の会社は例のマーメイちゃんの企画をやっている。そこから地方活性に繋がればいいな程度の非公認キャラクターだったらしい。

それが以外にも大当たりして、それならばいっそ大々的に売り出そうという話になったのだそうだ。

ちなみに今も海にマーメイちゃんは居り、そのマーメイちゃんは整君の姉が操者をやっているそうだ。

イベント自体はそれ程長い時間ではないが、船での移動時間も考えると2時間近く、着ぐるみで居なくてはならず、一日三回行われるマーメイちゃんイベントは二人で回しているのだそうだ。

「着ぐるみに入る瞬間、……見て見ます?」

そう言われた。なんでも姉の知り合いに着ぐるみオタクが居て、その人は着ぐるむ瞬間を見るのが好きなんだそうだ。俺もそう思われたのだろうか?だが、実際見てみたいのも確かで……

「良いのなら、見せて欲しい。」
「なら、明日12時にここに来てください。」
「分かった。」

次の日の昼前に、ツアーの今日の予定は午前のみ予定があり、朝食はホテルで、昼食は商品券を渡されて市場等の地元の店で自由にというスケジュールである為、昼食を取らずに整君の待つテント小屋?掘立小屋?へとやって来た。

「ああ、来ましたか。こちらも、ちょうど着ぐるみを着る所ですよ。」

目の前には黒いウェットスーツに身を包み、水中ゴーグルを装着して出ている所は口元ぐらいの整君が俺に気付いて声を掛けてくる。

彼の足元にはマーメイちゃんの着ぐるみが……

「あの、それでスミマセンが、着るの手伝だってもらえません?」
「俺がか…」
「はい、何時も手伝って貰っている人が急に休んじゃって、説明はしますから。」
「あ、ああ、かまわないが…」
「すみません。…えっと、声が聞こえ辛いと思いますが、よろしくお願いします。」

なんだか声が昨日よりも高くなっている?スタッフも休んだと言っていたし、もしかして連日の疲れでも溜まっているのだろうか?

「前は自分でも着替えられますから、後ろだけお願いしますね?」
「あ、ああ。」

そんな事を考えている間にも整君は足元からマーメイちゃんに入って行く。マーメイちゃんの皮膚は光沢があり、もしかしなくてもラバー系の素材を使っている様だ。

「この着ぐるみ、海中でも大丈夫なようにゴムで出来ているんですよ。その所為で着づらくて着づらくて。」

そんな事言いつつ、ピチピチと音を立てて手際よく足をヒレに収めて行く。

手も入れて、腰ぐらいまで来た後は、マスクの部分を持ち上げて顔を居れた。

「今からチューブ咥えますから、耳を口元に近づけて貰えないと聞こえないと思いますよ?」
「分かった。」

整君がマスクに顔を埋めて行く。まだ背中側が開いているので、声は聞こえて来るが、直ぐに「背中のチャックを降ろしてください」と言って来た。

『次に、そのチャックの外側の幕を閉じて、これでその幕を挟んでください。』

そう言われ渡されるヘアーアイロンの様な物。出る時はどうやって出るんだ?と思いながら言われたとおりにする。

「おお!?」

思わず驚きの声が漏れた。ヒラヒラしていたゴム質なそれが、熱で溶かされて透明なヒラヒラとした背びれへと変わって行ったのだ。

「凄いな、これは。」

思わず感嘆の声を上げてしまった。だがマーメイちゃんの中に入った整君は何も答えない。そこでああ、そうかと思い直し、マーメイちゃんの口元に耳を寄せて行くと…、シューという空気が抜けるような音がする。

「何処か失敗したかっ!?」
『あっ、いえいえ、これは空気で密封する音ですよ。』

これから海中へと潜って行くのだ。下手をすれば海水が中に入ってしまい、潜る用の装備を着ているとは言っても問題になりそうで慌てていると、マーメイちゃんがすまなさそうに答えてきた。

中へと海水が入らない様に、中に空気を充満させているのだと言う。それと同時に、マーメイちゃんという重装備をしていても動きやすい様に、マーメイちゃんは二重幕になっており、そこに空気を送り込んでぴっちりとさせているのだそうだ。

「うおっ!?」
『あはは、これは着ぐるみですよ?』
「そうだけど、そうなんだろうけど…」

口元に耳を寄せて説明を聞いていた俺は、ふとした瞬間下を見てしまい、プックラとしてきたピンク色の先端を持つ、体格に合わせる為かそれなりに大きい胸を凝視してしまう。

気恥ずかしくなって慌てている俺に、整君は思わず笑ってしまっていた。貝殻のビキニを渡されて、恐る恐る?恥ずかしい気分になりながら付ける。

背中側で金属で止めるタイプなので、苦労はしないが、なんとなく無性に恥ずかしい。

『運ぶの、お願いできますか?』
「あ、ああ…」

そういい、両手をこちらに向かって伸ばしてくる。確かにこの格好では歩けないし、昨日見た時もスタッフが運んでいた。

その事を思い出しながら、俺はマーメイちゃんを横抱き。所謂お姫様抱っこと言われるアレで、昨日見た船の停泊所まで運んだのだった。

そんなマーメイちゃんを運んでいる姿をこっそりと見守る二つの影があった。

「本当にこれで上手くいくんですか?」
「ああ、いくはずだ。あいつ、隠しているけど異形フェチと密閉系の拘束フェチなんだよ。」
「異形フェチ?」
「正確にはちょっと違うけど、要するに特殊メイクされてたり、コスプレしてたり、ボディペイントとかな…」
「ああ、だから着ぐるみですか。」

其処に居たのは整君と、そしてインフルエンザで来れなくなった筈の親友であった。

事の経緯はこうだ。整君の姉、聖(ひかり)がイベント会社との提携の話の為に、知り合いである親友の会社に出向いた時、ある男に一目惚れをしてしまう。それが今マーメイちゃんを運んでいる男であり、マーメイちゃんの中身はこの聖であった。

ただ何も知らない女から、いきなり告白しても上手くいくわけも無く、ただ意外な事にこの男と知り合いは親友の仲だと知り、相談した所、今回の企画が考えられたという訳だ。

男はマーメイちゃんの中を、自分が見たイベントの時も、今回も整であると思い込んでいる為、マーメイちゃんに照れながらも、密着してくるマーメイちゃんを受け入れている。

整と聖は双子であり、二卵性双生児であるにも関わらず一卵性の様に顔が似ていた事が、今回の企みを後押ししていた。

確かに男性と女性では体格は違うが、ウェットスーツを着てしまえば見えている所は顔だけであり、ましてや着ぐるみの中に入ってしまえば解らなくなる。

「でも姉さんも良くやるよ、二回連続だからね。」

このマーメイちゃん着ぐるみは、海中でも行動できるように作られている為、圧迫感がとんでもなく、また熱が籠ってしまう。だからこそ交代で着ぐるんでいたのだが。

「後は、何時アイツにばらすかだなぁ…」
「それこそ最終日でいいんじゃないですか?」
「そうだな。後は聖ちゃんの努力次第ってことで。」

このツアーは全日程四泊五日。という事になっており、あと二日あるから。それまでにばれてしまったら仕方ないにしろ、変に今ばらして拗らせてしまっては元も子もない。

船にマーメイちゃんを運んで、一息吐いている男が二人の視界の先に居た。

(ここで完結)
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最終更新:2017年12月24日 09:57