今日、Hさんにたいする蟠りの原因がわかった。それと同時に、僕は2年を通じてHさんを大人の女性に成長させていこうと決心した。
ことは放課後まで遡る。僕はすれ違い様に、Hさんがクラスメイトの男子と一緒に歩いているのを目撃し、それと同時に何かが崩れ去った。(この男子は、僕自身ともある程度会話が出来る仲でもある)
今思い返してみると、僕はHさんに何かしら期待していたんだと思う。
その後、僕自身も特にすることがなかったので帰ろうとロッカーへ向かうと、HさんとHくん(一緒にいた男子)がいた。
なにやらトラブルの様子だったが、僕は気にも留めようとしなかった。
するとHくんが僕の方へ話しかけてきた。どうやらHさんの明日の授業についてのトラブルであった。
僕は一瞬、意地悪な考えが浮かんだが、頭の中で掻き消した。とりあえずHさんを助けるのを手伝うことにした。
だが、結果的には解決に至らなく、Hさん自身も何かと楽観的だった。
そして帰ることになり、外に出てみると雨が降っていた。
傘は持ってきていなく、そのまま歩くことにした。
Hくんは自転車で帰ることになり、帰り道の分かれ際、Hさんは駅まで着いてきて欲しいとのことだった。
Hくんは自転車で大変だろうし、僕自身、Hくんは何キロも家が遠いのを知っていた。
僕が送って行ってあげることにした。
けれども、僕自身の心の傷は癒えないままだった。
それどころか、Hさんの悪い部分が次々と頭の中から浮かぶようになっていき、僕の心は廃れていった。
二人きりの時間。本来であればいろいろと聞きたいこと、知りたいことが聞けるチャンスのはずだったのに、楽しい下校になるはずだったのに、僕の心はまるで雨のように、しとしとと降り続けていた。
そのまま送り届けた後も寂しさは拭えなかった。
戻る際、僕は反省した。今日の自分は保育士を目指す人とはとても思えなかった。ただのエゴイストだ。
そして今に至る。僕は子どもっぽかったHさんに対して嫌悪感を抱いていたが、それは間違いだった。
例えば早口で喋ることに対して。
人が早口で喋る時というのは興奮しているときだ。心が盛り上がっている時なんだ。これはあたりまえのことである。
このことに嫌悪感を抱くと言うのはおかしい。自分は人間の感情について何を知っているというのだ。
そして相手の顔を見て喋っていなかったことについて。
相手の顔を見て喋れないというのは重症だ。恐らく自分に自信が無いか、相手を心から信頼していないか。それとも自分のことしか考えておらず、周りのことが見えていない、自分一人では生きていけないということの意味がわかっていない、自分が助けられている、フォローされていることが実感できていない、責任能力の欠如か...。
このことについては僕自身が少しずつ心を満たしていかせる必要があるだろう。そして気を付けなければならないのが甘やかさないということ。責任を感じさせること。
(そういえば、昨日Hさんに、相手(僕)に責任転換させているような行動、気持ちが感じ取られたのを思い出した...。)
そしてトラブルがあったのに楽観的で真剣に考えていなかったことについて。これも重症である。
嫌なことがあればすぐ逃げ出す。やりとげようとしない。これでは社会に出ても絶対に生きていけないだろう。
そうならない為にも、まずは周りの誰かに頼る、信頼出来る友だちを作る、誰かを信頼する、周りの人から認められる、ことなどが重要になってくるだろう。
とりあえずは僕はHさんの甘えを満たす受け皿になる。まずは信頼を得ることが第一歩だ。そして次は頼れるようにすること。そのためにもHさんのことを僕自身が認めてあげる。今日のことは二度と起こさない。絶対に。そして護る。
Hさんにもいいところはあったのだ。それは思いやりがあったこと。
雨の中、駅まで送る僕を気にかけて、心配をしてくれていたのだ。僕自身、その言葉がとても嬉しかった。
この反省を踏まえて、明日は笑顔で迎えて、まずは友だちになれるかどうか、お願いしてみようと思う。
断られたらショックだが、、、。

嫌な部分を見続けていると自分の心までが嫌になってくる。次に相手と会うのが嫌になってくる。話をしたくなくなってくる。そっけない態度をしたくなってくる。
でも、相手のいいところを見続けていると、相手に会うのが楽しみになってくる。
相手との関係を壊す時というのは、いつも自分自身なのだ。
最終更新:2016年04月13日 21:16