自分の保育論
人は一人で生きていくことなど儘ならなぬ存在である。いや、心に愛がある生き物すべてにいえることである。何故ならば、皆、愛を求めて生きているのだから。生き物が生きる理由はたったこれだけなのだ。自殺する人は死を以て愛を訴え、一人でいる者は他者の愛を眺め、妬み、憎しむ。これらは愛の裏返しなのだ。皆、愛が欲しいのだ。
そして私はその辛さを誰よりも知っている。経験してきたのだ。自分が認められない、親からの押し付け、集団内でのいじめ、疑心暗鬼、孤立。
人はたった一人でいるとき、必ず心のどこかでは誰かを求めている。寂しいのだ。その一人でいる時間が長ければ長いほどより寂しさが増していき誰かを求めるようになる。不安になるのだ。相手が信じられなくなるのだ。これは私が経験してわかることである。知らず知らずのうちに自身の愛を誰かに捧げているのかもしれない。愛が失えば、それはやがて諦めにも繋がっていく。自身の愛があまりにもなくなってしまっているから、自身の愛で自身を慰め、癒しているのだ。だがそれは他者から受けとる愛とでは、あまりにも比べるに値しない。それくらい他者から貰う愛の果実には意味が詰まっているのだ。
最終更新:2016年04月23日 07:30