無題27

264 名無しさん@ピンキー sage 2010/03/26(金) 01:41:06 ID:Y4Wq2FOS
四月も目前だというのに、随分と寒い夜だった。
雨はいつしか雹へと変わり、車のフロントガラスの上で弾ける。
こんな時に限って、我が家の乾燥機は故障してしまい、
私は家族の衣類を後部座席に詰め、コインランドリーへと向かっていた。
車を駐車場に止め、駆け足でコインランドリーに駆け込む。
中は無人で、乾燥機は一つとして回っていない。
衣服を全て押し込むのに、計三台分の乾燥機を使い、
それぞれに小銭を入れる。
スイッチを押すと、地鳴りのような音と共に
それらはすぐさま動き出した。
同時に、「ひっ……!?」という悲鳴と共に一人の少年が、
別の乾燥機から飛び出してきた。
呆気にとられる。
少年の目には、キュッと口を一文字に結ぶ私が、
さぞかし阿呆な中年男に見えただろう。
しかし彼にも、もちろん私にも、この瞬間はそのような
些細なことを気にする状態にはなかった。
少年は一種異様なくらいに怯えていたし、私もまた、
少年の突然の登場に、危うく溢れかかった悲鳴を抑えつけるので
精一杯だったのだ。
恐らく、十数秒の沈黙であったのだろう。
だが、私には随分と長く感じられ、「一体何と声をかけるべきなのか」
ということに思考を巡らせる頃には、声をかける機会すらも失っていた。
まず、少年が口火を切り、
「驚かしてすみませんでした」
と私に頭を下げる。
つられて私も、こちらこそ申し訳ない、と言葉を返す。
まだ声変わりのしていない、例えるならば、羽毛のような声だ。
顔つきも相応に幼く、非常に可愛らしい。
男と女の性差の、ちょうど中間に位置するような姿だった。
そんな少年がこんな夜遅くに、それも乾燥機の中で、
一体全体何をしていたのか。
頭に浮かぶ疑問は、ちょうど私の横で踊る洗濯物のように、
ぐるぐると渦巻く。
改めて少年の姿を見つめると、髪はべっとりと頭に貼りつき、
衣服もそこかしこが汚れている。
なるほど、と私は一人頷く。
「もしかして、家出でもしたのかな?」
私の問いに、少年はびくりと身じろぎした。



265 名無しさん@ピンキー sage 2010/03/26(金) 01:42:55 ID:Y4Wq2FOS
返事は無くとも、肯定を貰ったようなものだ。
寒さもあるのだろうが、不安そうに震える少年を見て、
私の世話焼きな生来の気質が、首をもたげ始めた。
そばに設置されていた自動販売機のボタンを押し、温かい茶を取り出す。
少年にそれを差し出し、ここは寒いから、と私の車へ連れて行く。
あの大量の衣類が乾くには、まだまだ時間を要する。
その間、少年には私の話相手になってもらおう。
もちろん、家へ帰るように説得もするつもりであった。

※ ※ ※ ※ ※

暖房の効いた車内で、私達は色々なことを話した。
少年は今年、小学校を卒業したばかりだという。
着のみ着のままに家を飛び出し、宿泊施設を利用する金銭も年齢も
有していなかった彼は、あてもなく街中をさまよっているうちに、
このコインランドリーにたどり着いたのだった。
少年はもう一週間も、ここに寝泊まりしていて、驚くべきことに、
乾燥機の中で睡眠をとっていた。
「故障中の乾燥機が一つだけあって。あの中、とても暖かいんです」
そう言って恥ずかしそうに微笑む少年に、私はますます憐憫の情を
掻き立てられる。
「そろそろ、お家へ帰った方がいいんじゃないのかい?
きっと、親御さんも心配しているだろう」
何度目かの私の言葉に、彼は表情を暗くする。
「家は、嫌です」
それだけ言って、黙り込んでしまう。
―――児童虐待。
こんな言葉が、私の頭をよぎる。
もしや、少年は本来なら無償で降り注ぐ愛情すら与えられずに、
いよいよをもって、家から逃げだしてきたのではないか。
だとしたら、私はとんでもない拾いものをしてしまったことになる。
たとえ、専門の施設に駆け込んだところで、虐待された児童の皆が皆、
救われるとは限らない。
「お父さんやお母さんは、いつも恐いのかい?」
これに対して、意外にも少年は首を振り、「全然」と答える。
「でも、お姉ちゃんは、恐いです」
何かを思い出したようで、少年の顔はみるみる青ざめていく。
「お姉さんは、君を怒鳴りつけたり、殴ったりするのかい?」
私がそう尋ねると、彼はまたも首を振る。


266 名無しさん@ピンキー sage 2010/03/26(金) 01:44:44 ID:Y4Wq2FOS
「お姉ちゃんがそうするのは、他の女の子です」
この返答に、私は混乱するばかりだ。
「僕が女の子と話をすると、お姉ちゃんは女の子をぶつんです。
僕が女の子と遊ぶと、お姉ちゃんは女の子に、大きい声で怒鳴るんです」
ようやく、私にも合点がいった。
「お姉ちゃんが僕にするのは、全身を触ったり、舐めたり、
無理やりトイレに入ってきて……その……」
言葉を濁し、少年は落ち着かない様子で座り直す。
つまり君と―――と言いかけたところで、私のポケットが盛んに震えだす。
ポケットから携帯電話を取り出すと、画面には、
家族の名前が表示されていた。
洗濯物が乾ききるには充分過ぎる程の時間で、この電話は、間違いなく、「遅い」というお叱りの電話であろう。
ちょっと失礼、と少年に告げて、私は電話の相手に弁解しながら、
再びコインランドリーへと踏み入る。
洗濯物を急いで取り込み、もうすぐ帰るから、と言いおいて電話を切った。
とりあえず、少年は私の家へ連れて行こう。
もっと詳しく事情を聞いて、彼を説得し、何とか日常に
送り返してやらねばならない。
待たせたね、と車のドアを開くと、既に少年の姿は見えなかった。
すっかり冷たくなったお茶の缶と、「ありがとうございました」
と、曇ったフロントガラスにおそらく指で書いたのであろう礼の言葉が
残されていた。
周囲を見渡しても、もう影も形もない。
彼は旅立ってしまった。
少年から楽園を取り上げてしまったことに、私は罪の意識を
感じずにはいられなかった。

※ ※ ※ ※ ※

それから数日後、我が家の乾燥機は未だ直ることなく、
私は再びコインランドリーへ出向くことになった。
やはり、少年の姿は無かった。
衣服を乾燥機に投げ入れ、スイッチを押す。
少年の寝ていた乾燥機を見つめ、私はしばらくもの思いにふけっていた。
ふと視線を流すと、いつからいたのか、一人の少女が乾燥機の蓋を開け、
中をのぞき回っている。
そして、かつては少年の寝床であった乾燥機に顔を突っ込み、
あっ、と叫び声を上げた。
「見つけた! 見つけた!」
少女は興奮気味に、そう呟いて、足早にコインランドリーを去っていく。


267 名無しさん@ピンキー sage 2010/03/26(金) 01:46:35 ID:Y4Wq2FOS
彼女の手には、ハンカチが一枚握られていた。
どんどん小さくなるその背中を見つめ、私は思う。
少年は、数日の内に見つかってしまうだろう。
かつて、私がそうであったように。
私一人になったコインランドリー内に、着信音が響き渡る。
携帯電話を耳に当て、もしもし、と応答する。
―――兄さん、15分おきに連絡してください、と言ったでしょう。
涼しげで、それでいて、威圧感のある声音が耳に飛び込んできた。
かつての少年は、結局逃げきれず、今や分刻みで
生活を支配されているのだった。
―――パパ、早く帰ってきてね。
電話が、今度は娘の声を運んでくる。
「ああ、すぐに帰るよ」
そう言って電話を切る。
洗濯物が乾くまで、あと4、5回電話をかけなくてはならないだろう。
―――つまり、君と私は、同じ境遇なのだな。
あの夜、言いそびれてしまった言葉を思い出しながら、
コインランドリーの出口に目を向ける。
もう少女の姿は無かった。
少年の乾燥機に近付く。
乾燥機の中に頭を差し入れ、肘を曲げ、肩を押し込む。
それ以上どう頑張っても、私の体が入ることはなかった。
「諦めるしかないのだよ」
自然とそんな言葉がこぼれる。
私の呟きは、狭い乾燥機の中を反響し、ぐるぐると渦巻く。
電話はすぐに鳴りだした。




タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2010年04月15日 18:15
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。