忘れられない人の話

19 名前:忘れられない人の話[] 投稿日:2011/04/07(木) 01:24:52.93 ID:74Jc7CUd

俺と彼女は今のソファに向かい合わせで座っていた。
彼女を呼び出したまでは良いが、
言おうとする事をどうしても言えないで俺は黙っていしまっている。
なんとか意を決して口を開こうとするよりも早く、
彼女が先に俺に問い掛けた。
「えっと、海斗さん、どうしたんですか?」
困った様子でこくんと彼女は小首をかしげる。
それを見て、彼女と対峙している自分の口から言葉が抜けていくのを感じた。
「……何でもないよ」
「もう、海斗さんったら」
無邪気な笑い声が彼女の口から漏れた。
「あ、ああ、そうだな」
「ふふふ、変な海斗さんです」
彼女は無邪気に笑う。

違う……
彼女は真由なんかじゃない。
彼女は俺の妹の草夏(そうか)だ。
真由はもう3年も前に死んでるじゃないか。
なのにどうして俺はそれが分からないんだ?


20 名前:忘れられない人の話[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 01:25:33.35 ID:74Jc7CUd
真由(まゆ)
草夏の小学生の時からの親友。
俺が出会ったのはその何年も後。
背丈は草夏と同じくらいでやや小柄、
厳格な家庭にほんの少しだけ反発して薄く髪を染めていた。
控えに笑う笑顔が印象的な俺の恋人だ。

真由との出会いは草夏が切欠だった。
高校2年生の時、家に帰ると知らない少女と一緒に妹が玄関に立っていた。
そして”この子は私の親友です。この子なら海斗さんを任せられます”
の一言で強引に引き合わされた。
あの時は空良の押しの強さに驚かされた。
そして、俺も真由も草夏は何をやってるんだと呆れたものだった
けれど、草夏の見立ては正しかったようで俺達はすぐに親密な仲になれた。
時には喧嘩をしたりすれ違ったりもしたがその度に草夏に助けてもらって、
そうやって何年も付き合って行く内に、
彼女は俺にとって何にも代えがたい存在になっていた。

21 名前:忘れられない人の話[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 01:26:00.21 ID:74Jc7CUd


真由のいない日々なんてて考えられない、それくらいに。


それなのに、考えられない日々はあっさりと訪れた。
真由と付き合ってから4年目、大学2年生の夏。
真由は朝の満員のホームで列車に飛び込んで自殺した。
その知らせを受けた時に俺には何の感情も浮かばなかった。
実感できなかった。
俺は彼女の最期の姿を見ていない。
ただ、草夏から知らされただけだった、”真由が死にました”と。
だから俺は真由の居ない日々を受け入れられなかった。
なぜ、あんなにいつも側に居た真由が居ないのか?
朝、扉を開ければ彼女が笑顔で迎えてくれるのじゃないか?
夕、校門を出ればそこで彼女が待っていてくれないか?
待っていれば真由が居るんじゃないか?
あそこなら、ここなら、この時間なら……。
そうやって俺は幽霊のようにいる訳の無い真由をぼんやりと探し続けていた。
そんな俺の様子を見かねた草夏は俺の心の穴を埋めるために、
少なくともその時はそう思っていた、
真由になった。

22 名前:忘れられない人の話[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 01:26:29.26 ID:74Jc7CUd
ある朝、扉を開けるとそこには俺の探し続けていた姿があった。
そう、”おはようございます、海斗先輩”と控えめに笑う、
あの日から片時も忘れたことの無い最愛の少女が居た、と勘違いした。
それは髪を切って薄く染め、真由の口調をした草夏だった。
元々、真由と草夏は声も背丈も体格も似ていたから
その時の彼女の姿は真由の生き写しに見えた。
驚いて何も言えない俺へ彼女は優しく語りかけた。
”これからは私が真由の代わりになります。
 兄さんの傷が癒える日まで、いえ、例え癒えてからも”
その日から彼女と俺の奇妙な関係が始まった。
同じ家に暮らしているのに玄関前で出会って、玄関前で別れる。
そして、家の中の生活ではお互いに存在しないもののように振る舞う。
いつの間にかそういう暗黙のルールも完成した。
そうやって俺の元に真由が戻ってきて、草夏が消えた。
草夏はずっと昔から真由の親友だった。
俺の知っている事はもちろん、知らない事も全部、誰よりも知っている。
細かな仕草も、反応も、二人だけの時にしか見せない甘えた様子さえも。
だから、草夏の演じる真由は俺にとって真由そのものだった。
その時はどうして草夏がそんな事をするのかも、できるのかもどうでも良かった。
ただ、死んだはずの真由が帰ってきてくれた、それだけで十分だった。
確かに俺の心の傷は偽物の真由によって癒されていたんだと思う。
けれど、ある時を過ぎてからは草夏の行為は、
逆に俺の心を蝕んでいるんじゃないかと思うようになった。
深すぎる傷口は舐めれば舐めるだけずぶずぶと腐っていくように。
あの時から頭の中では分かっていたんだ。
死んだ人は蘇らないし、俺の妹で真由の親友の草夏に恋人ごっこを求めるなんて、
そんなのは真由に対する侮辱じゃないか。
だから何度もこんな事は止めようと彼女に話そうとしてきたんだ。
なのに、目の前に居る彼女は完璧な真由で、
今みたいに真正面から彼女を見ていると
彼女を本物だと心が勝手に思い込もうとしてしまう。
駄目なんだ、もう真由を手放す事ができないんだ。
俺は真由を忘れられないんだよ……。

それだけじゃない。
この真由ごっこを止めさせる他にもう一つ彼女に言わないと、
いや、聞かないといけない事がある。

本当に真由は自殺をしたのか?
どうして空良は親友が死んだのに涙の一つも流さなかった?
満員のホームで人が飛び降りた時に自殺と誰かに押されたのと何処で判別できる?


23 名前:忘れられない人の話[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 01:27:08.81 ID:74Jc7CUd
「ねえ、海斗さん?
 何か、私に聞きたい事があるのですよね?」
その声に俺の意識が思考から現実に引き戻される。
見れば彼女は困惑の表情を浮かべ続けたままだった。
「真由は本当に自殺をしたのか?」
俺は覚悟を決め、肺から鉛を吐き出すような気分で口を開いた。
「くす、何を言ってるんですか?
 真由ならここにいるじゃないですか?」
彼女が愉快そうに笑う。
その笑い方は何処か暗い影が差していて、俺の記憶の中の真由とは違っている。
「違うよ、もう真由はどこにもいないだろ?」
「だから、真由はここに居る私ですってば。
 いい加減にしてくれないといくら海斗さんだからって怒りますよ?」
静かに彼女は抗議する。
静かだがその声音には不当な言いがかりを撥ね付ける強い意志が籠っている。
これ以上言った所で無駄だろう。
あの日から一度だって自分が草夏であると認めようとしなかったのだから。
「分かったよ、じゃあもしも自殺をしたとしたらだ」
「……海斗さんはそんなに真由が死ぬのが楽しいんですか?」
じとーとした目で無言の圧力を押し付ける彼女。
この真由は俺の記憶の中にもある。
「俺達は自殺する日の次の日にデートの約束をしていたとする。
 前の週から二人ではしゃぎながらその日の計画を立てていたんだ。
 そんな日の前日にお前は自殺なんてしたくなるのか?」
「ふふ、私なら絶対にありません」
「……俺の妹の草夏はその時に何処にいたんだろうな?」
「えーと、いつも通りだったら一緒に登校してたんじゃないかなと思いますよ?」
「どうして、草夏は十年来の友達が死んだのに、
 涙一つ見せなかったんだろうな?」
「うーん、はっきりとは分かりませんけど、
 真由なんて実は死んでも悲しくない程度の子なのかもしれませんね」 
「なんだと!?」
「もう、海斗さん、落ち着いてください。 
 もしもの話だって言ったのは海斗さんですよ。
 だって、もし親友が死んだのに何も感情を抱かないとしたら、
 それはそういう事になるじゃないですか?
 くす、それが道理、ですよね?」

24 名前:忘れられない人の話[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 01:27:27.26 ID:74Jc7CUd
「確かに、そうだよな……」
模範的な解答に反論の出来ない俺の悔しそうな顔が面白かったのだろう。
彼女は滑稽そうに笑いを噛み殺している。
それから、わざとらしいニタリとした笑顔を作って言った。
「じゃあ、海斗さんが落ち着けるように楽しい昔話をしてあげます。
 昔々、ある所に素敵なお兄さんとそのお兄さんの事が大好きな妹がいました。
 その妹にはとある大きな悩みがあったのです。
 彼女はお兄さんの事がでしたから当然、お兄さんと交わりたいと望みました。
 交わってお兄さんの子を孕みたいと願っていました。
 それなのにお兄さんは彼女を妹としてしか扱ってくれないのです……」
彼女は交わるという単語を口にして目を輝かす。
孕むという言葉に彼女が恍惚とした表情を浮かべる。
真由の姿と声で作り出すその有様は吐き気がするほどに、気持ち悪かった。
「そんなある日、健気な妹はある事を思い付きました。
 もしも、自分にそっくりな人がお兄さんの大切な人になって、
 その人がいなくなってしまえば、
 自分がその人の代わりになれるのじゃないかと……」
彼女がわざとらしく言葉を止めた。
背中の芯がぞくりと冷えるのを感じた。
彼女の語る内容は馬鹿らしいと思いながらも
俺の頭から離れなくなっている疑いそのものだった。
「お前……お前は本当に……?」
「くす、あくまでお話、ですよ。
 もしも、このお話が本当だったらその妹はその為に十何年も前から、
 自分の都合の良い子を探して、その子を自分そっくりになるように仕立てあげて、
 お兄さんとその子が両想いになれるように気の遠くなるほどの裏工作をして、
 そして、お兄さんのをものにする為に何の躊躇も無く始末する。
 そんな事、できると思いますか?」
その通りだ。
だから、俺も疑っていながらもどうしても信じる事ができていない。
それが本当なら、実の兄を性の対象としていて、
その為に何の感情も無く他人を使い捨てる事に何の良心のも咎めもない、
それもまだ物心が付くか付かないかの頃から、
それが俺の妹の草夏だという事だ。
そんな異常者が自分の一番近しい人間なんだとは
どうがんばっても理性が認めてくれないのだ。
「ただ、もしできるとすれば、
 その妹のお兄さんへの想いはどれくらい深いんでしょうね?」
口だけを歪めて、くすくすと彼女は笑った。
もう真由の原型を留めていない。
真由どころか草夏でも人でもないのじゃいないかと思える、
まるで化生のような不気味さを彼女は醸し出している。


25 名前:忘れられない人の話[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 01:27:51.34 ID:74Jc7CUd
「ああ、でも、海斗さん。
 じゃあ私も、もしもの話をして良いですか?」
「……何だよ?」
「くす、もしも……もしも今の私のお話が本当だったとしたら、
 海斗さんはどうするんですか?」
彼女の質問に心臓を握られるような鈍い痛みを感じる。
それは俺が何度自分に問いても答えを出せない悩みだ。
正解は分かっているのに、何もできない。
「例え、私がその妹だったとしても、
 もう一度海斗さんは真由を失えますか?」
押し黙る俺に絡みつくように彼女が言葉を続ける。
「ねえ、例え、記憶の中の真由と今の真由が違ってきたとしても……、
 海斗さんの妹の草夏に近づいているとしても……?」
「え……?」
今まで何で気付いていなかったのだろう。
目の前にいる彼女は少しずつ真由から離れて草夏に戻っていないか?
いつも真由は俺のことを”海斗先輩”と呼んでなかったか?
”海斗さん”と呼んでいたのは草夏だけじゃなかったか?
「違う……お前はやっぱり真由なんかじゃない。
 真由はこんな事は言わない。
 こんな事で笑ったりするはずがない」
「あら、じゃあ海斗さんの知ってる真由は私と何が違うんですか?
「いくらでも言える、それは……。
 あれ? それは……」
俺は頭に3年前の、あの本物の思い浮かべようとする。
ほんの少しだけ髪を染めていて、小柄な少女。
……それじゃあ目の前にいる彼女そのものじゃないか。
おかしい、肝心の中身が思い出せない。
まるでぼんやりと靄がかかったように
真由はどういうように笑っていた?
いつも明るく笑っていた。
いや、でもこんな風に少し影を引いた笑いの方が自然じゃないか?
呼び方は海斗先輩だったはず。
けど、その呼び方に違和感がある。
海斗さんと言われる方が彼女らしい気がしないか?
思い出そうとすればするほどに目の前の偽物のはずの真由の姿に上塗りされていく。
そして、その偽物の方がずっと本物らしい実感がある。
俺はもう真由の事を忘れているのか?
違う、こんなに、
苦しい位に彼女の事をまだ思っているじゃないか?

26 名前:忘れられない人の話[sage] 投稿日:2011/04/07(木) 01:28:07.62 ID:74Jc7CUd
「くす、どうしましたか、海斗さん?
 あなたの”真由”は”私”ですよ?」
そう言って彼女は優しく両手を俺のあごに添えて顔を近づける。
「ふふ、辛いのでしょう?
 さ、いらっしゃって下さい、”私”の所へ」
口の中に彼女の柔らかな舌が入り込む。
その心地良い感触を俺は甘んじて受け入れることにした。


もう手遅れだと認めよう。
俺は彼女を忘れる事なんてできないんだから。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年04月09日 22:33
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。