戦国奇妹伝 (第一話)

198 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:35:10.97 ID:v9tMIho3 (2/10)

 ぞろり――。
 冷たい掌に尻を撫でさすられた瞬間、眠っていた彼の意識の一部が覚醒を果たした。

(お濃か)
 そう思い、振り向くと、案の定そこにいるのは彼の妻。
 しかし、これは珍しい事と言わねばならない。
 つい半年ほど前に祝言を挙げたばかりの彼の妻は、いまだ少女と呼ぶべきほどに幼く、とてもではないが彼との営みで自ら愛撫を行うような積極性は無い。
(いや……そうだったかな?)
 どうも頭がハッキリしない。
 彼は、中途半端にぼやける記憶をたどる。
 確かに彼女は新婚当初こそ、閨(ねや)の片隅で震えて夫の仕様を待っているような従順な娘であったが、それから半年が経ち、彼との交合に身も心も慣れてくるに従い、互いに楽しみながら快感を与え合うような仲になっていた気もする。
 そう思い当たった瞬間、にわかに彼女からの愛撫が激しさを増した。
 その手さばきに、まるで男性的な荒々しさが加わったのだ。

(ああ……そうか、そういうことか)
 彼はうなずいた。
――これは夢だ。
 その理解に到達するや否や、天地晦冥の闇の中で妻だと認識していた女が、筋骨たくましい若衆に突如姿を変えたのだ。
(犬千代……?)
 確かに、そこには彼の寵童の一人である前田犬千代がいた。
 彼とて時代の子である。乱世のたしなみとして衆道を楽しむ趣味は当然あった。
 犬千代は、いつものように激しい責めを彼の菊座に施し、さらに同時に彼の性感帯の一つでもある耳朶に甘嚙みを加えてくる。
 そのねちっこい攻撃に、思わず彼は声を漏らすが、おのれの菊門に硬いものが侵入してくるという、彼にとってはある意味馴染みの快感を知覚しながらも――しかしながら、彼の五感は違和感を覚えていた。

(これは……女か?)
 後門への挿入感がある以上、この相手が男性であることは間違いない。
 だが、それでもこの指使い、舌使い、皮膚感覚、何より彼の鼻腔に直撃する花の香りのごとき体臭が、この人物が女性であると彼の意識に訴えているのだ。
(誰だ?)
 思い当たる女はいくらでもいる――とは言えない。
 むろん妻以外にも側女はいるし、他にも、たわむれに手をつけた女もいくらでもいる。
 だが、今夜の彼は独り寝だった。彼が夜伽(よとぎ)を申し付けたならともかく、自ら彼の寝室に忍んで来るような女など、やはり妻以外にいない。
 含羞の微笑を見せながら、まるで赤子のように彼の股間に吸い付いてくるような、無邪気さと淫靡さを併せ持った少女――。
(そうだ、それが俺の妻のお濃だったはずだ)
 そう思い出した瞬間、彼の菊門奥深くに侵入していた硬いものが、彼の弱点である“その一点”を突く。

「~~~~~っっっ!!!」

 その“弱点”を突かれると同時に肉棒を激しくしごかれ、たまらず頂点に達した彼は、魚のように痙攣しながら精を吐き続け、そのまま意識を失った……。




199 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:36:21.99 ID:v9tMIho3 (3/10)

 織田三郎――後の正一位右大臣・織田信長――は困惑していた。

 朝、目を覚ました瞬間、いつものように布団を蹴り上げて身を起こそうとしなかったのは、昨日の夜の淫夢を思い出し、さらに下帯の中におのれが夢精している事実に気付いたから――というだけではない。
 その時、彼は自らの体にまとわり付く他人の手足の存在に初めて気がついたのだ。
 おそらく……いや、間違いなくこの者こそが、淫夢の直接原因であろう。

――誰ぞ。
 とは問わない。問うまでもない。
 まるで赤子のように彼の背にしがみつくその者が、
「あにうえさま……」
 と寝言を言うのが聞こえたからだ。
「市……もうここにはくるなと申しつけたではないか……」
 うんざりしたように呟くが、もちろん気持ち良さげに眠っている彼女に聞こえるはずもない。


 彼女は三郎の妹であって、もちろん妻でもなければ退屈しのぎに体を重ねてよいような側女どもとは違う。
 世間的には「尾張のうつけ」「織田のたわけ殿」などと呼ばれ、数々の非常識な言動で守役の平手政秀や実母の土田御前などを常に悩ませているような彼であったが、それでも妹と夜をともに過ごそうなどと思うほどに非常識ではない。
 ましてやこの妹は、父が側室に生ませた妾腹ではなく、彼と両親を同じくする正真正銘の「実妹」なのだ。さすがの三郎といえども、そんな彼女に性的関心を催すはずもなかった。
 しかし、ならば彼女が妹でなければ手を出していたかと問われれば、さすがの三郎も口を噤まざるを得ない。


 なぜなら、彼女――お市の美しさは完璧であったからだ。


 元来、少年の実家――古渡織田家は美男美女で知られた家系であり、父の弾正忠や弟の勘十郎も世間的には十分美男で通る容貌の所有者であったし、この三郎とて目鼻立ちだけを見れば、絵草子に登場する平家の公達もかくやといわんばかりの美形ではあった。
 だが、こと美貌という点では、この市に勝る者は一門一族には誰もいない。
 三郎の妻も、美濃随一の美人という触れ込みを持って嫁いできたのだが――そして実際、お濃は水もしたたるがごとき美少女には違いなかったが――それでもこの妹に比べれば、いささか見劣りすると断言せざるを得ない。

 三郎は当年とって十六歳。現代の満年齢に換算すれば十四歳の少年でしかない。
 ならばこそ当然のように、十代の少年相応の汲めども尽きぬ情欲が彼にはある。妻以外にも気に入った者がいれば、男女の区別無く平然と一夜の相手を命じるし、それを疑問には思わない。この時代のこの国には同性愛を禁忌とする価値観など存在しないからだ。
 だから、もしもこの妹が、彼に何のゆかりもない娘であったなら、むしろ三郎は進んで彼女に手を付けていたかもしれなかった。
 だが、今はそんな想像をめぐらすことに何も意味もない。
 それでも彼女が三郎の妹である現実は変えようも無いものだったからだ。




200 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:38:32.98 ID:v9tMIho3 (4/10)

(やれやれ……)
 心中に呟きながら、自らの裸身に絡みつく妹の手足を外し、寝間着越しに背中に押し付けられた薄い乳房から身を離して、立ち上がる。
 妻でなかったのは意外であったが、それでも夢見心地に菊座や男根に愛撫を受けたような感覚は、確かにまだ彼の記憶に残っている。だが――それでも、その触肉の名残は錯覚であったと判断せざるを得ない。
 さもなければ、天女のようなあどけない寝顔を晒すこの妹が、お濃や犬千代を思い出させるほどに濃厚な愛撫を睡眠中の兄に施した、ということになるからだ。
(そんな馬鹿なことがあってたまるか)
 さすがの三郎といえどもそう思う。
 兄に肉欲を抱く妹など、いかに戦国乱世といえど聞いたこともないからだ。
 すると、ようやく目を覚ましたのか、少女の細い声が聞こえた。

「あにうえさま……おはようございます……」

 まだ完全に意識が覚醒していないのか、のろのろと身を起こしながら市は焦点の合わない瞳を三郎に向けていたが、その瞬間、彼女は頬を赤らめ、うつむきながら口を開く。
「も、申し訳ございません兄上……」
「い、いや、こっちこそ、済まぬ」
 三郎も反射的に妹に背を向ける。
 彼女が、起き抜けにいきり立った三郎の股間を目撃したのは間違いない。そして、普段ならばむしろ勝ち誇るように余人に勃起を見せ付けるような三郎も、彼らしくない羞恥に身を包みながら、うつむかずにはいられない。
 しかし、それも無理はないだろう。
 頬を朱に染めながら、それでも上目遣いにこちらを見つめる市は、まさにこの世ならざる美しさに輝いていたからだ。



「入りますよ殿」
 と言いながら、少女は返事を待つことも無く、からりとふすまを開けて彼の居室に入る。
 そこでは、三郎が朝餉の膳を食べながらも、書見台の本をめくっていた。
(あらあら、相変わらず無作法な)
 そう思いながらも、少女は口元に浮かぶ笑みを抑え切れない。
 勿論それは嘲笑ではない。
 たとえ世間的にはどれほど無礼・無作法に見えようが、彼の行動には、つねに彼なりに追求された美意識や合理性が含まれていることを少女は理解しているからだ。
 たとえばこの場合は、口では食を摂りながら、同じ時間内に読書という頭脳労働をすることで、二つの行為を別々に行う場合にかかる時間を節約しているつもりなのだろう。

 また、それは食膳の品ひとつとっても変わらない。 
 彼の食膳に並ぶ煮物や煮魚は、色が変わるほどに味噌や醤油で煮込まれており、素材の味を可能な限り殺さず活かす京料理を上品とするならば、まさに悪趣味と呼ぶほどに濃厚な味付けのものばかりである。 
 少なくとも朝っぱらからこんなものを喜んで食べる人間は、彼の家族にはまずいないはずだが、彼は違う。おかずの味が濃ければそれだけめしが進む。結果、少ない副食物で満腹になり、その分の食材を節約できるというのが三郎の理屈なのだ。
 もっとも、当時の上流階級が好む京料理の馬鹿馬鹿しいまでの薄味にどうしても馴染めぬ三郎――信長が、この種の味付けに、おのれの嗜好と相容れぬ世俗の象徴として憎しみさえ抱くようになるのは、また後代の話であるが。
 しかし、好物のはずの煮魚をおかずに丼めしを口にかきこみながらも、少年の顔は冴えない。それは珍しい眺めであったと言わねばならないだろう。



201 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:40:30.12 ID:v9tMIho3 (5/10)

「あらあら、今朝の殿は何やら御不興のようですこと」

 そう言いながら彼女は、ころころと玉を転がすような笑顔を見せる。
 三郎の気性の激しさを知る家臣や侍女たちならば、こんな揶揄するような口を彼に利くことはまず在り得ないが、それでも少女は口元に浮かべる笑みを消そうともしないし、そして彼も、そんな彼女を咎めもしない。
 なぜなら、この少女こそが――彼の妻たる女であったからだ。


「お濃か、早いな」
「おはようございます殿。しかし、相変わらず帰蝶(きちょう)とは呼んで下さらないのですね」
「美濃の女ならばこそ、お濃と呼ぶ――当たり前のことであろうが。そんなことより犬千代たちはもう揃っておるか?」
「はい。前田様、池田様たちがいつものところで、すでにお待ちでございます」
「待たせておけ」
「また朝から水練でございますか?」
「水練などというものではない。ただの水遊びじゃ」
「そろそろ風も冷たい季節でございましょうに」
「体が冷えれば相撲でもして暖を取るまでじゃ」
「あらあら、まったく殿方のお遊びというのは乱暴ですこと」

 そう含み笑いをしながら彼女――帰蝶――いや、濃姫はぺたりと三郎の隣に腰を下ろす。
 夫と呼ぶにはあまりにも腕白丸出しの子供っぽい三郎であったが、それでも少女にとっては愛しい伴侶であることには間違いない。
 いや、むしろ「美濃の蝮」とよばれた梟雄を父に持つ彼女としては、この少年は、いかにも小賢しげな利発さが顔に出すぎた彼の弟の勘十郎などより、よほど好感の持てる存在であった。
 が――その清々しいまでに直情的な腕白坊やが、今朝に限っては屈託ありげな顔を隠さない。

「で、どうなされたのです殿、朝から何か御不快なことがあったのですか?」
 そう訊かれて、三郎はじろりと濃姫を見る。
「そんなに俺は険しい面をしておるか」
「はい。まるで素足で油虫でも踏みつけたかのような」
 そう言って彼女は微笑み、三郎もようやく苦笑いを浮かべた。


「市が、また俺の寝床に潜り込んで来た」


 あらあらまあまあ、と濃姫は口元を押さえて目を瞬かせた。
 むろん彼女は、絶世の美少女たるその義妹を知っている。
 しかしそれでも、彼女が常に浮かべている柔和な微笑が消えることは無い。なぜなら妹が兄の布団に潜り込んだというだけの話ならば、それはむしろ兄妹の微笑ましい仲を示す罪なき逸話のはずだからだ。
 だが、三郎は瞳にはふたたび沈鬱な光が宿る。

「あやつが俺の臥所に忍んで来たのは、これが三度目じゃが、どうもその度に奇妙なことが起こってのう」
「奇妙?」
「うむ。おかしな夢を見る」
「夢、ですか?」
「うむ、夢じゃ」



202 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:42:21.63 ID:v9tMIho3 (6/10)

 そう言いながらも三郎は照れたようなしかめっ面のまま、その夢については説明しようとしない。
 まあ、さすがに彼といえど、他人に背中から犯される夢を見たなどと言えるものではないのだろうが、それでも濃姫は聡明である。彼が敢えて口にせぬという事実と、その含羞の表情から、その夢とやらのおおよその内容が想像できてしまった。
(なるほど、つまりそういう夢だということですのね……)
 濃姫の微笑が苦笑に変わる。
 この、人並みはずれて気位の高い少年をからかうのも楽しいが、それでも限度というものがある。これ以上、彼から言葉を引き出そうとするのは無粋というものであろう。

「夢を見るというだけならば別に問題は無いように思えますが……でもまあ、それが殿の御心のうちを悩ませるというのならば、わたくしから市姫様に、もう殿の寝所には勝手に行かぬように申し聞かせておきましょう――それで宜しゅうございますか?」

「うむ、助かる」
 三郎は素直にうなずくと、そのまま味噌汁を飲み干し、箸を置いた。



 お市は窓の外に熱っぽい視線を向けている。
 といっても、眼下に広がる那古野の城下に彼女が見るべきものなど何も無い。
 彼女の視界の焦点は、下帯一丁になって川べりで戯れる数人の少年たち――その中の、ただ一人のみに向けられていた。

 そこにいたのは彼女の兄――織田三郎。

 彼はこの家にとっては三男坊であるにせよ、正室の子――つまり嫡出であるために、父の正式な後継者であると認められていた。だが、その母や弟、さらに家臣たちから兄がどのような眼で見られているのか、お市は十分に理解している。
 だが、そんなことは少女にとってはまったく関係の無いことだった。
 そういうこととは全く別次元のところで、彼女は兄を愛していたからだ。
 この感情がいつ以来のものなのか、実はお市自身にも分からない。
 分からない、というよりも思い出せない、と言った方が正確であるかも知れない。
 それほどまでに以前――おそらくは物心ついた当時から、彼女は兄に惹きつけられていたのだろう。

 何故、もしくはいつから、などという己の慕情の起源をたどる事など彼女にとってはどうでもいい。
 むしろ考えるべきは、あの兄に、いかにして自分の恋を受け入れさせるかという事であろう。この妹の思考法は、三郎に似て、あくまで前向きかつ具体的だった。
 むろん兄と妹が契りを交わすなど、いくら乱世といえどもあってはならない醜聞だ。普通に考えれば、三郎がお市の想いを受け入れるなど在り得る話ではない。
 だが、その点では彼女はむしろ楽観的だった。非常識という点では、およそ彼女の知る限り兄の三郎以上の存在はいない。ならば、たとえ世間一般でいかに禁忌を謳われようとも、一度欲しいと思ったものに手を伸ばすことを躊躇するような兄ではないはずだ。
 つまりそれは、女の魅力を磨いてさえおけば、兄はいつの日か必ずや自分に手を出すであろうという事を意味している。お市は自分の外見が世間的にどれほどの価値を持っているか、ちゃんと認識していたからだ。

 そういう意味では、お市もまた、三郎と同じく常識を逸脱した少女であったかも知れない。
 いまだ彼女は十二歳。満年齢に換算すれば僅か十歳の少女に過ぎない。
 だが、彼女の胸のうちに宿る恋の炎は、単なる耳年増の一言で済ませられる程に矮小ではなかった。



203 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:45:08.52 ID:v9tMIho3 (7/10)

 お市は妾腹の子ではない。三郎と同じく、父の正室たる土田御前の娘である。妾腹の子ならば、家臣の誰かに降嫁することもあろうが、嫡出ならばそうはいかない。
 近攻遠交の鉄則に従い、他家との同盟のために、いずれ遠からず自分が嫁に出され、そこで恋しい兄とは似ても似つかぬ馬の骨に抱かれて子を生まねばならない運命についても、彼女は充分に理解していた。
 つまり、自分に時間が無いということをだ。
(まあ、それでもまだ数年くらいは猶予があるでしょうけど……)
 そう思いながら、お市の視線には徐々に険しいものが含まれてゆく。
 それはつまり、その数年の間に結果を出さねばならないということだからだ。

 兄と通じ、兄の子を宿し、兄の子を生む。
 いわば俗に言うところの「傷物」になってしまえば、たとえ父といえどもそう簡単にお市を嫁には出せなくなるだろう。
 何よりその時点ですでに兄の愛情を獲得してしまっていたなら、お市がこの家を去らねばならなくなる確率は、さらに低下するはずだ。なにしろ兄はいずれ、父・弾正忠信秀に代わってこの織田家を継ぐべき人間だからだ。

 だからこそ彼女は行動に出たのだ。
 睡眠中の兄に性的な刺激を与え、その快楽を無意識下に刷り込むという行動に。
 すでに昨日の夜で、彼女の「夜這い」は三度目になるが、兄の肉体がお市の与えた愛撫に快感を覚えていることは、彼の反応を見れば分かるし、その快感を、起床時に見るお市に結び付けているのも分かる。
 初体験どころか初潮すらも未だ迎えていないお市ではあるが、世評でいうところの「肉悦」なるものがどういうものであるかは、侍女や家臣たちに聞いて、彼女はすでに充分すぎる知識を入手している。
「そういう夢」を見た翌朝に、おのれの布団に共に朝を迎えた女がいれば、たとえその女を抱いていなくとも――むしろ抱いていなければこそ――意識するようになるのは自明の理である。
 そういう結論を、すでにしてお市は得ているのだ。

 兄が余人に伽を命じず、一人で眠る夜というのは、実はさほど珍しくは無い。
 夜明けから日暮れまで、お付の少年たちを引き連れて、真っ黒になるまで駆け回り、遊びつくす三郎は、食事と入浴が済めば泥のように熟睡してしまうことはよくあることなのだ。
 ならばこそ機会はこれからもいくらでもある。あるはずだった。
 しかし……。

 お市の奥歯がぎしりと音を立てる。

 兄の寝込みを襲ったのは、これで三度目だったが、それでも彼の態度が変わることはなかった。
 三郎は、あくまでお市を妹として遇し、それ以外の視線などちらりとも寄越さなかったのだ。
 なるほど、確かに今朝は珍しく頬を染め、視線をそらす兄というものを見た。だがそれは、あくまで兄妹のスキンシップの範疇を出るものではない。
 むしろ兄の性格を考えれば、その行動はお市が望むものとは正反対のものだと言うべきかも知れない。あの兄は、おのれが情欲を感じた女には、逆に喜んで勃起した男根を見せ付けるであろうし、その女の肌を見て目を逸らしたりなどするはずがないからだ。



204 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:48:12.03 ID:v9tMIho3 (8/10)

(どこかで間違えちゃったかなぁ……)
 そう思いながら、。お市はちらりと視線を下にやる。
 彼女の袂(たもと)が窓から入る風になぶられ、ゆっくりと揺れている。
 そこには昨夜、兄の尻を貫いた木彫りの張型が入っているのだ。
 勿論それは、男にしか為し得ない「挿入」という快感を発生させることで、兄の記憶を混乱させる――などという下らない目的のためではない。
 兄の菊座は、陰茎と並ぶ彼の最大の性感帯であると聞いていた以上、お市からすれば、たとえ僅かであっても、兄により多くのエクスタシーを与えるために、その箇所を責めるのは当然の行為だったからだ。

 だが、それと同時に、ある懸念がちらりと彼女の頭をよぎる。
(もしも兄上の本当の意趣が、女ではなく男なのだとしたら)
 その想像は彼女の背筋を寒くするが……すぐさま否定し、苦笑する。
 衆道の習慣は一般に広く認められたものではあり、兄もその例に漏れず夜伽童を愛でる趣味を持っているが、それでも兄がこれまで手を付けた女の数や、何よりあの濃姫の様子を見れば、兄が女より男が好きだなどという想像は、まず成立しないことは分かる。
(やっぱり、あの蝮の娘が嫁に来てからよね……おかしくなったのは)
 が、そう思うとともに口元の苦笑は消え、お市の眉間に深い縦皺が走った。
 幸せそうに三郎に寄り添う、その女の顔が頭に浮かんだから――というだけではなく、背後の足音とともに、その女独特の花のような体臭がお市の鼻に届いたからだ。


「あらあら、こんなところにいらっしゃったのですか市姫様」


 振り向くと、案の定そこには例の女――嫂(あによめ)がいた。
 あるかなしかの微笑をつねに口元に浮かべ、見る者の心をホッとさせるような雰囲気を持つ女性――とはいっても、年齢的には兄と一つしか変わらぬ少女に過ぎないのだが、彼女はお市と違い、すでにして成熟した人妻の空気を発散している。
 すでにお市は先程までの怒りを完全に表情から消し去っており、いつものように、にっこりと太陽のような笑顔を向けると、ぺこりと頭を下げた。

「おはようございます帰蝶様――あ、濃姫様とお呼びした方が宜しいですか?」
「駄目です。義姉(あね)上もしくは帰蝶とお呼びなさい」
「はい、義姉上様」
「よろしい。これからは気をつけるのですよ?」

 そう言って二人はくすくすと笑い合う。
 無論お市は、その心中までは笑っていない。この女が自分を「お濃」と呼ばせるのは、あくまでも三郎だけなのだ。あたかもその「特別な名」を呼んでいいのは夫一人のみの権利であると言わんばかりに。
 もっともそれは、見知らぬ他国に嫁いできたからには、せめて夫以外の者たちからは親より与えられた名で呼んで欲しいというだけの話かも知れないが、それでもお市の目には、彼ら夫婦がそういう仇名をダシに、いちゃついている様にしか見えない。

 この時代の、この階級の婚姻というものは後世の恋愛結婚とは違って、家門同士の外交手段の一環である。
 当然ながらその夫婦生活も、当人同士の愛情の果ての行為などではなく、次代を担う男児の出産という、半ば義務的な目的のものであるはずなのだが――にもかかわらず彼ら二人はよほど馬が合ったのか、傍目にも微笑ましくなるほどに仲のよい夫婦であった。


 そしてお市は、その事実が何よりも我慢できない。




205 :戦国奇妹伝 (第一話) [sage] :2011/12/06(火) 08:50:26.40 ID:v9tMIho3 (9/10)

 兄はお市に優しかった。
 世間のあらゆる慣習・道徳・価値観を鼻で笑い、あくまで自己流の信条を押し通そうとする兄は、それゆえに周囲の者を怯えさせるほどに峻烈な気性の所有者であった。その「威」があればこそ、彼は廃嫡を免れていたと言えるほどに。
 が、そんな兄がたった一人、親しみと優しさを見せる存在は、このお市だけであったはずなのだ――少なくとも、隣国から濃姫が嫁いでくるまでは。
 あの優しかった兄が、その濃姫との祝言以来、ほとんどお市と遊んでくれなくなってしまった。
 それだけではない。それまでお市が独占していたはずの兄の笑顔や優しさを、濃姫は当然のように享受しているのだ。それまでお市だけのものだったはずの、誰も知らない兄の一面を、この女が奪ってしまったのだ。

 許せなかった。
 耐えがたかった。
 認めたくなかった。

 そしてまた、その許しがたき女が自分に向けて口を開く。
「ねえ市姫様、やっぱり独り寝は寂しいですか?」
「え?」
「あなたが兄上様をどれだけお慕いしているかはわかりますけど、わたくしもたまにはあなたと一緒に夜語りなどして楽しみたいですわ」
「と、言われますと?」
「ええ、ですから――」
 言いながら濃姫は、お市の肩にそっと手を置き、
「お寂しい夜は、兄上様だけでなく、わたくしの寝所にもいらっしゃって下さいな。一日遊んで高いびきをかくだけの三郎様とは違って、精一杯のおもてなしをさせていただきますわ」


 その濃姫の言い草を、
(つまり、これ以上兄上の部屋に勝手に行くなと言いたいのか)
 と、お市は解釈した。
 ではその台詞を聞いて「蝮の娘が女房気取りで何を偉そうに!!」とお市が叫び出しそうになったかといえば、実はそうではない。

 彼女の心に込み上げた感情は、むしろ歓喜であったからだ。

 濃姫が自分の判断でそんなことを言うわけが無い。
 なぜなら、お市のとった行動は客観的に見れば、夜間むずがった十歳の妹が、勝手に十四歳の兄の寝床に忍び込んだというだけの微笑ましい逸話に過ぎないからだ。
 濃姫が、そんな事実にまで嫉妬心を燃やすような女ならば、三郎がここまで無軌道に妻以外の女に手を付けまくれるはずが無い。
 ということは、必然的にその言葉は濃姫のものではなく、兄が彼女に言わせたものであるという事実を示している。
(つまり、兄上自身が私を警戒して距離を起きたがっている)
 ということになる。


 警戒しているということは言い換えれば――すなわち、兄がお市を“女”として意識している、ということに他ならないではないか。


 ならば、この女の言葉に従う必要などどこにもない。今はとりあえずハイハイ言っておけばそれでいい。
 どちらにしろ、兄はすでに自分を意識し始めている。
 そうなってしまえばこちらのものだ。もうあと一押しで兄は堕ちる、いや陥とせる!!
――そういう思いが、彼女に大輪の花びらのような笑顔を与え、その美しさにむしろ濃姫は言葉を失った。

「では、今夜か明日にでもさっそく義姉上様のお部屋に伺わせていただきますわ」

 お市はそう言い、うっとりと目を細めた。



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最終更新:2011年12月10日 14:18
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