クリスマス奸計記 前編

468 :クリスマス奸計記 [sage] :2012/01/01(日) 10:26:48.03 ID:zAODHI7r (2/9)
「ねぇ、クリスマスって予定ある?」
 夕食後のくつろぎタイム。おれがリビングのソファに深くもたれかかり、大学の帰りに買ってきた漫画雑誌をだらだらと読んでいると、突如うしろからそんな声が飛んできた。
 おれは振り返り、発声源へと目をやる。そこには、タオルを首に引っ掛けた風呂上り姿のさび子が立っていた。ショートカットの茶髪が、水に濡れて暗く光っている。
 おれはそんな彼女を無視し、再び漫画雑誌へと意識を戻した。
「ちょっと、シカトしないでよ」
 さび子が声に怒気を含ませながら、おれの前へとやってくる。だが無視。おれはちらりともさび子を見ない。
 すると、ははーんとニヤニヤとしながら(ニヤニヤ顔というのはあくまでおれの想像なので必ずしもそうとは限らないのだが、まあ九分九厘それで合っているだろう)おれの近くへと顔を寄せる。だが、おれは顔を上げなかった。
「兄貴、怒ってるんでしょう? あははー、ゴメンゴメン。そうだよねー。ありもしないクリスマスの予定なんぞを実の妹に訊かれたら、兄貴だって不機嫌になるもんねー」
 ページをめくっていたおれの右手が、空中で停止した。そこではじめて顔を上げる。
 さび子は、やはりおれの想像と一寸も違わない顔つきで目の前に立っていた。その口元は、おれを嘲笑するようにいやらしく歪んでいる。
「不躾な質問しちゃってゴメンね。彼女いない歴イコール年齢のチェリー丸出しの兄貴に、クリスマスの予定なんかが埋まるはずないもんね」
「ど、どどっどどど童貞ちゃうわ」
 おれは思わず漫画雑誌を放り投げて、声を出して立ち上がった。
「お、お、お、おれは童貞じゃない! なぜにおまえさんはそのようなくだらぬ妄言をなんの根拠もなしに軽々と吐けるのだ我が妹よ!」
 おれは唾を飛ばさんばかりの勢いで、一気にまくし立てた。
 それから、すぐに後悔する。やっちまった、絶対スルーするって心に決めていたのに。煽り耐性の低い自分に苛立ちを覚える。
 案の定、してやったりという顔でさび子は笑っている。なんだろう、この敗北感。地雷ゲーだと理解しているのに絵師につられてついつい購入してしまったエロゲーをプレイしている時の気持ちに似ている。
 けど、反応しちまったのだからしょうがない。おれは半ばやけくそに言葉を続ける。


469 :クリスマス奸計記 [sage] :2012/01/01(日) 10:27:51.60 ID:zAODHI7r (3/9)
「ていうか、なんなんだよ一体! さっきから黙って聞いてりゃあ、おれのことを童貞だの童貞だの童貞だのバカにしやがってよ! そんなに童貞が憎たらしいのかいおまえさんはっ」
「そ、そこまで深く童貞について言及はしてなかったと思うけど……」
 おれの怒涛の如き剣幕に、若干引き気味のさび子。が、おれは引かない。引くどころかどんどん押していく。
「いーや、言ったね。童貞には生きる価値がないだの、そもそも繁殖行為を行うパートナーが見つけられないとか生物として間違っているだのと、声高らかにね。おれはたしかに聞いたよ。そして傷ついたよ。かなりHPが減ったよ」
「あたし、絶対そこまで言ってないよ……」
 数歩うしろへ身を下げるさび子。心の底からドン引きしている。
 しかし、そのくせなにがなんでも会話のイニシアチブをとりたいらしく、
「そっ、そんなことよりもさ」
 と、彼女は無理やりに話題を転換した。
「兄貴って、本当に童貞なの?」
「…………」
 さりげに痛いとこを突いてくる。というか、普通につうこんのいちげきだ。痛い、おれの心が痛いよ。
「……わ、悪りいかよ」
「いんやー。べつに悪くないんじゃない? 少なくとも、あたしは気にしないよ。たとい兄貴がチェリーなボーイでも。プッ」
「そのような態度で言われてもぜんぜん説得力がないのですがねっ!」
 おれは握りこぶしをプルプルと震わせて叫んだ。
 悔しい、こんな小娘に見下されるなんて……。もし手元にハンカチがあったら、噛みつきながらキッーとか甲高い声を上げて悔し涙を流すところだ。
 だが、落ち着けおれ。争いというのは同じレベルの者の中でしか起きない。さび子に大してムキになるということは、おれ自身がさび子と同レベルまで堕ちてしまったとも換言できる。だから、ここはあえて大人な態度で対応するのだ。
 おれは前髪をかき上げて、クールに自分を演出する。
「はっ、なんとでも言いやがれ。おれはおまえさんみたいなビッチと違って、己の純潔は堅く守る男なのだよ。そうやってホイホイとインスタントに身体を許す人間ではないのさ」
「ビ、ビッチじゃないもん」
 思いの外、さび子は強く否定した。顔を赤くしておれを睨みつける。
「じゃあなんだ、さび子は処女なのか?」
「そ、それは……」


470 :クリスマス奸計記 [sage] :2012/01/01(日) 10:28:47.25 ID:zAODHI7r (4/9)
「えっ? なになに? なんですか? あれだけ童貞をけなしておいて、肝心の自分は処女なんですか? 答えてくださいよ。どうなんですかい、さび子さんよぉ」
「あ、あたしが処女かどうかなんて、どうでもいいでしょー!」
 うがー、とさび子は髪を逆立てて獣のように威嚇する。
 はっはっはっ、とおれはあくまで紳士な物腰でそれを受け流す。
「とにかく、童貞をバカにするのはこのおれが許さん。わかったな我が妹よ? 以後、そこのところ特に気をつけるように」
「童貞を……バカにする?」
 ピクリ、とおれの言葉に彼女が耳聡く反応した。なんか嫌な予感。
「へー。そんな素晴らしい信条を持ち合わせているってことは、すなわち兄貴は自分が童貞であることに誇りをもっているってことで間違いはないよね?」
「当たり前だ」
「けれども、兄貴は初め自分が童貞なのを思いっきり否定してたよね。童貞ちゃうわーって、たしかに言ったよね」
「……何が言いたい?」
「つまり、兄貴は無意識下に自分が童貞であるのに引け目を感じているのよ。童貞なのは決して恥ずかしいことじゃないって自信を持って言える人なら、殊更自分の童貞性を否定したりはしないもの」
「!!」
「結論から言わせてもらうとさ、童貞をバカにしているのはあたしじゃなく、まず兄貴自身なんだよ。童貞なのは恥ずかしい。そう思っているからこそ、最初に否定の言葉が出たんじゃないの?
 ふん、笑わせるわね。そんな人間が、童貞を至高のものだと捉えているなんて」
「なん……だと……」
 衝撃の事実を知らされて、おれはがっくりと膝から崩れ落ちる。まさか、おれの信条の裏にそんな驚愕の事実が潜んでいたなんて……考えもしなかったぜ。
 自嘲的な笑みと共に、おれは力なく呟く。
「ははは……真の敵は外でなく、まずは己自身だったってわけか……笑えよ、さび子。この愚かにも道化を演じていた兄のことを、笑ってくれよ」
「ちょ、ちょっと……なにマジにショック受けてるのよ」
 おろおろとさび子はうろたえていた。おれは柔らかい笑みを浮かべて、妹に語りかける。
「いや、おれのことは気にしないでくれ。むしろ、さび子には礼が言いたいくらいなんだ。ありがとう、さび子。おまえさんのおかげで目が覚めたよ」
「え、いや、別にあたしはそんなつもりじゃ……」
「いや、おまえさんのおかげだよ。さび子のおかげで、おれには進むべき道が見えた」


471 :クリスマス奸計記 [sage] :2012/01/01(日) 10:29:40.13 ID:zAODHI7r (5/9)
 むくりと立ち上がり、達観した瞳で彼女を見つめる。
「おれはこれから部屋に戻って、自分との対話を試みてみようと思う。まあ、つまりは禅問答なわけだな。
 そして、己の内に溜まったカルマを浄化し、おれはさらなる世界への階段をのぼる。おそらく、それはきっと険しい道のりなるはずだ。想像するだに恐ろしいよ。
 しかし、おれは諦めない。目の前に大きな壁があらわれたら、その壁をぶち壊せばいい。ただ、それだけのことだからな。じゃあそういうことで、おれは今から頑張ってくる。アディオス、さび子!」
 超カッコいい台詞を残して、おれは颯爽とリビングを去った。
 が、
「待て」
 がっちりとおれの首根っこをホールドするさび子。カッコいい場面が台無しである。
「なに誤魔化そうとしてるのよ。そもそもあたしは兄貴にクリスマスの予定を訊いてたんだけど」
「さいですよね……」
 首だけを動かし、背後の妹を確認する。彼女は相も変わらず嫌な笑顔を持続させていた。くそっ、まだイジり足りないというのか。
 機先を制するために、おれはとりあえず質問をひとつ投げかける。
「そういうおまえさんはどうなんだよ。あるのか? クリスマスの予定」
「もちろん」
 さび子は当たり前だと言わんばかりに胸を張った。どうでもいいことなのだが、さび子はなかなかにいい乳を有しているので、つい目線が胸元へと焦点をあわせてしまう。
 うーむ。やっぱりデカい。さび子が妹じゃなかったら、ソッコーで揉みしだいているところだ。
「あたしはなんの予定もない兄貴と違って、クリスマスにクラスの友達とオールで女子会するっていう立派な予定があるの」
「オール(笑)女子会(笑)」
「なっ、む、ムカつく! なによ、その人をバカにしたような言い方!」
「べつにー。バカにしてませんけどー。全然バカにしてませんけどー。超スイーツ(笑)臭そうな連中だなーなんてー微塵も思っていませんけどー」
「や、やっぱりバカにしてるじゃない! ああ、もう、腹立つなっ!」
 そうがなりながら、さび子は乱暴におれの背中を蹴った。不幸なことに、首ねっこをつかまれているので、蹴りを回避することが出来ない。おれはサンドバックよろしく蹴られ続ける。
「ちょ、痛い。痛いって。降参降参! 少し調子に乗りすぎた。謝るから許してくれっ」
 彼女の攻撃が十三コンボまでいったところで、おれはたまらず声を上げた。


472 :クリスマス奸計記 [sage] :2012/01/01(日) 10:30:35.00 ID:zAODHI7r (6/9)
「ふ、ふん。わかればいいのよ」
 さび子も気を取り直したのか、ようやく連続キックを中止した。それでもしっかり首根っこは離さないのだからたいしたものである。
「そ、れ、で。兄貴にクリスマスの予定は無いんだよね?」
 さび子は改まって、念を押すように確認してくる。意外としつこい。
「…………」
 だが、それに対しおれは黙秘権を行使する。疑わしきは被告人の利益に、である。不利益な供述は容易にしたくない。
「クリスマスの予定は無いんだよね?」
「…………」
「無いんだよね?」
「…………」
「兄貴にクリスマスの予定は無い」
「遂に断言しやがった!?」
 確定事項なのですか!? おれにクリスマスの予定がないのは!? 確定事項なのですか!?
「もー、へんな意地はってないで素直に言えばいいじゃない。なんも無いって」
 さすがに呆れたような口調で、さび子がぽつりと呟く。
「…………」
 まあ、たしかにその通りなんだけどさ。けど、やはりおれにもプライドというものがあったりするのでして。そう実直に己の醜態をさらす訳にはいかないのですよ。
 だから自然とおれの返答は、
「無かったら、どうすんだよ」
 と、いまだにどこか含みのある言い方になる。
 さび子はおれの心情などとうに理解しているのだろう。やれやれ、と外国人みたく大仰に肩をすぼめている。
「兄貴はひねくれてるなぁ……」
「ほっとけ」
 おれは拗ねたように唇を突き出してみせた。
「おれのことはいいから、さっさと質問に答えろよ」
 そう言って、さび子を急かした。先からずっと首根っこをつかまれているものだから、そろそろ首まわりが痛いのだ。いい加減、彼女の拘束から解放されたい。
「はいはい、わかったわよ」
 さび子はため息をひとつ吐いてから、再度問いかける。
「兄貴は、もしクリスマスになにも予定がはいらなかったら、その日は家で過ごすつもりなのよね?」
「ああ、もし入らなかったらな」
「それならさ……」
 さび子の声のトーンが幾分か下がった。おれはそんな妹の変貌を訝しんで、彼女の顔を確認しようと顔を向けたのだが、首が痛くてうまく見えない。もどかしい。
「もし、さ。もし兄貴がクリスマスをひとりで過ごすのが寂しいって言うのなら、あたしが――」
 さび子の言葉は最後まで聞こえなかった。テーブルの上に無造作に置かれていたおれの携帯電話が、いきなり鳴り出したからだ。


473 :クリスマス奸計記 [sage] :2012/01/01(日) 10:31:16.06 ID:zAODHI7r (7/9)
 携帯電話は無機質な着信音を垂れ流しながら、ブルブルと机上を踊っている。まるで着信者の応答を誘うように。
「さび子、電話鳴ってるから」
「鳴ってるから、なに?」
「だから、首はなせって。電話取りに行けないだろ」
「兄貴は今、あたしと話をしてるんでしょう? 優先順位でいったら、まずはあたしとの会話を済ませて、それから次に電話をとるのが筋ってものじゃない?」
「いいだろ別に、おまえさんとの会話なんてよ。兄妹なんだし。へんてこな屁理屈いってないで離してくれよ」
「兄妹だからこそでしょ!」
 今までのやりとりの中で、一番真剣味を帯びた声で、さび子は叫んだ。おれは思わずビクッと震える。
「なによ、兄貴は兄妹よりも他の人を優先するっての? 妹よりも、大事な人でもいるっての?」
「わーったわーった。頼むから、そんなキモウトじみた台詞を言わないでくれ。おれが悪ぅございました」
「だから、あたしはそういう言い方が――」
「ああもう、面倒臭いヤツだな」
 と、言ったところで、発信者も痺れを切らしたのか、着信音は止まってしまった。急に、空間が静かになる。リビングには、奇妙な沈黙が訪れた。
 おれは乱暴にさび子の手を振り払い、食卓の携帯電話を手に取った。着信は、おれの数少ない友人であるSからだった。仕方がない、後でかけ直そう。


474 :クリスマス奸計記 [sage] :2012/01/01(日) 10:32:03.42 ID:zAODHI7r (8/9)
「で、話はなんだ?」
 と、おれはさび子へと向き直り、話を続けようとしたのだが、
「もういい」
 さび子は両頬を風船みたいに膨らませておれに怒鳴ると、ぷりぷりと怒って部屋へと戻ってしまった。
「やれやれ」
 どっと疲労が押し寄せてくるのを感じ、おれは再びソファへと舞い戻る。床に落ちていた漫画雑誌を拾い上げ、横に置いておく。
 本当、妹ってのはわけのわからぬ生き物だな、とつくづく思う。
 さび子との仲は決して悪くはないと信じたいが、実際はどうなのであるかはわからない。
 今だって、妹よりも電話を優先したくらいで本気で腹を立てていたようだし、もしかしたらガチでおれのことを嫌ってるのかもしれない。嫌いなヤツの行動ってのは、どんな些細なものでも一々癇に障るもんだしな。
 そういえば、昔からさび子はなにかにつけておれに突っかかってくることが多かったし……はぁ、なんか考えれば考えるほど落ち込んできた。今日はもう早く休もう。
 Sへの電話は明日でいいや。そう結論を出し、携帯電話を漫画雑誌の上に置く。さっさと風呂に入って、あたたかい布団の中で寝よう。
 ――それにしても、さび子はあの時、おれになにを言おうとしたのだろうか。
 そんなことを考えながら、おれはソファから立ち上がったのだった。

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最終更新:2012年01月21日 16:38
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