688 :
あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/01/23(水) 19:29:22.25 ID:AFC/jKIN
名古屋、ウイロウプラザ。
ういろうの製菓会社がその広大な所有地を再開発し、所有していることからその名を付けられた、ホテル、オフィス、店舗などが入居する超高層ビルディングである。
この屋上にあるヘリポートに、ベル230が舞い降りた。
「屋上から落ちたわけじゃないのですね」
「もしそうなら、今頃ここは封鎖されていましたよ」
清次に対応しているのは、愛知県警刑事部長の黒木季夫(くろき すえお)警視長である。
「このビルに名古屋マリオネットアフィリアホテルが入っているのはご存知でしょう。
その最上階、つまり47階から飛び降りたんです」
「待ってください。彼女が自分で飛び降りたとはまだ断定していないでしょう」
「確かに失言でしたね、訂正します」
と彼は大仰に応じた。
「篠崎亜由美はマリオネットホテルの47階から転落し、即死しました」
「47階の、どこからですか?」
「彼女が投宿していた4703号屋の強化ガラスを破ってです」
「そんなことができるんですか……。
篠崎はこのホテルに投宿していたんですか?」
渡された捜査書類に目を落としつつ、鉄柵にもたれかかりながら質問する。
「ええ。本名でチェックインしています」
「最上階だったらスイートだと思いますけど」
「ええ」
「一泊いくらぐらいするんですか?」
「13万ですね」
「確かここはデポだったかと思いますが」
「支払われているようです」
「わかりました。わざわざありがとうございます」
「お役に立てればいいのですが」
「ええ、とても。
ところで、遺体は中村署に?」
「ええ、安置してあります」
「検分も兼ねて別れを告げに行きたいのですが」
「わかりました。話を通しておきます。それでは」
と、黒木はその場を離れた。赤城を伴っている清次もややあって署に向かって動き出した。
「嘘だらけだったな」
「ええ」
頷く赤城猶武(あかぎ なおたけ)。公私にわたって清次を支える秘書である。
「そもそも名古屋に宿泊する理由がない。ましてや明日も授業があるというのに」
「清次様もそれはそうですが」
「こうなった以上、学校どころじゃないだろう。俺もソウも。
そして一泊13万なんて、俺やソウならともかく、一般家庭の彼女が支払うことができたというのも不可解だ」
「しかし、半川さんが篠崎さんに金を渡したということはないでしょうか?」
「それはない。俺はあの二人をよく知ってるが、どっちもそういうことをやる人間じゃない。
ソウは俺とは違う」
「そうですか。
やはり先方は何か隠していると?」
「訊いたことには一応答えたけど、あっちから情報を出す気はないらしい。
こっちがどんだけ手前らの先輩の選挙に貢献していると思ってやがんだ、って話だ。
クソ、こんなあしらい今までだったら絶対なかった」
手を軽く震わせ、たたきつけるように吐き捨てる。
「ですが、本当ならこうやって捜査の中身を明かしてもらえることもないわけですから」
「そりゃそうだがな。だが、向こうは明らかにヨンマル(自殺)で片付けたがっている。
俺以外に動いている奴がいる」
「誰か黒幕がいる、ということですか」
「でも、それが誰なのかさっぱり見当がつかないんだよな~。
雀(強姦)でも225(誘拐)でもないのに何の変哲もない女子高生を一人殺すことに何の利害が発生するのかがさっぱりだわ」
「清次様、着きました。ここが中村署です」
そう言われて彼は足を止め、その建造物を見上げる。
「……ここか」
市街地の喧騒の中、その警察署もまた煌々と輝いていた。
689 :
あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/01/23(水) 19:30:36.88 ID:AFC/jKIN
「ふーん」
霊安室に通された清次の眼つきは、別れを惜しむ友人というよりは、事件解決の糸口を逃すまいとする刑事のそれであった。
「顔だけは無傷だったのですね」
「それだけが救いだな、残された側にとっては。
仰向けに死んだ、ということを物語ってくれているから、こっちにとっても有難い」
清次は首を取り上げる。彼女の首は胴体から離れていたのである。
「だがそれだけに生首みたいになっちゃって、気の毒だな」
「後で遺体が返却されてから接ぐでしょう」
首を顔面が自分の眼前に来るように持ち上げて、彼は亜由美に話しかけるかのように独りごちた。
「なあ、亜由美。
教えてくれるなら教えてくれないか。
お前は一体誰に殺されたんだ?」
返答は、返ってこない。
ややあって、彼は首を置いた。
「さあ、いつまでもちんたらはしてられんな。やるか」
「そうですね。それでは、まず手を見てみますか」
「ああ、そうだな。おっ、これは……
痣だ」
肉片と化した亜由美の屍を、二人は細かく確認していった。
「両手にありますね」
清次が足(と思しき部分)を取り上げる。
「両足にもな。露骨だ。
こんなん絶対隠しておきたいだろうに、よく通してくれたもんだ。
これ遺族に何て説明するんだろうな」
二人とも呆れるように言葉を繋ぐ。
「それは落下した時の衝撃とか何とか誤魔化すんじゃないですか? 信じるかは別にして」
「……難儀な稼業だね、お巡りってのも。
じゃあ、これは何て?」
「ベタベタしていますね」
「粘着テープの跡かな、こりゃ」
肌にベタつくものがあるのを見つけ、それをつまんで指ですり合わせる。確かにそれは粘着テープに使用される接着剤のようだった。
「これじゃ、証拠隠滅しているみたいだな」
「そうですよ。いくら許可を得て入ったからってやりすぎですよ」
「じゃあ、もうそろそろ亜由美の親御さんやソウも来るだろうし、大人しくして待ってるか」
そう言ってから、清次は今まで合掌していなかったことにようやく気付き、やおら亡骸に手を合わせる。
噂をすれば何とやらいう言葉の通り、本当にその時に彼らが到着した。
「亜由美!」
中でも、ほとんど狂乱せんばかりになっていたのが操だ。
「嘘だろう! 亜由美! 亜由美!」
泣き崩れる彼の姿は哀れと言うにも余りある有様であり、娘を失った両親に慰められる始末だった。
「気を確かにもつんだ、操くん」
「ね、操くん、落ち着いて」
ややあってから、清次は、
「少し時間をいただけますか?」
と切り出した。
「どうかしましたか? 八雲くん」
「一応ウチの名古屋支社には簡易な宿泊設備があります。
どうせこの時間じゃラブホテルくらいしか泊まれないでしょう。
給湯室もありますし、もし宜しければウチで咽喉を潤してください」
伝えたいことがある、ということを言外に込めた申し出であった。
それが伝わったのか、三人は素直に首を縦に振った。
690 :
あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/01/23(水) 19:32:04.14 ID:AFC/jKIN
出されたコーヒーもまだ一口か二口というところで、清次は話を始めた。
「まずお伺いします。あの部屋はスイートで、一泊13万します。
亜由美さんの名前でチェックインされていますが、お金の出所に心当たりは?」
「いえ、そんなお金は……」
「でしょうね。ソウ、お前は?」
「あるわけないじゃないか」
「あるとすればお前だろうと思ったが、そこは俺とは違うな」
「あの、ホテルって支払い時に清算するものなのではないですか?」
「清算はそうですね。ですが、あのホテルはチェックインの時にデポを払いますから」
「デポ?」
「デポジット。保証金のことです。要は宿泊料金を踏み倒されないように、あとはまあ備品を壊した時なんかのために、ホテルに預けておく金のことですね」
「警察はそれを調べているのですか?」
「ハイ、と言いたいところですが、多分やんないでしょう。
遺体には痣がありましたよ。事故や自殺でできると思いますか?」
「できませんよね」
「当然です。ありゃどうやったって他人が掴んだ跡です。
百歩、いや百万歩譲ってあれが転落の際にできたとしても、粘着テープの跡は不自然です」
「じゃあ殺人じゃないですか!」
「ええ、もちろん。そしてこれは警察も既に今の段階で揉み消したがっています」
「まってくれキヨ、どこかから圧力がかかっているってことか。誰なんだ!」
操が口を挟む。
「まあ、そういうデカい名前の人間なら、俺はどうかわからんが、お前が騒ぎ出すのは承知の上でやってるだろうからな。簡単に尻尾をつかませてはくれんだろうさ」
「そうか……」
もとより重苦しかった空気が、沈黙のせいでより一層重くなる。
「さあ、明日は事情聴取になるでしょうから、もう寝ましょう」
ややあって清次が静寂を破って手を叩く。一応はそれで終わった。
691 :
あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY :2013/01/23(水) 19:34:13.67 ID:AFC/jKIN
赤城や篠崎夫妻がベッドルームに向かった後、茶碗に注いだ生のウィスキーを呷っていた清次のもとに操が来た。
「キヨ、どうしてお前はここに?」
「心配するだろう?」
「元カノだからか」
「違う。俺が心配したのはお前だ、ソウ」
「どうして……」
重ねて疑問が発せられる。
「そりゃ親友だからな。苦しい思いをすることはわかりきっている」
「キヨ……」
「月が丸々と太っているな」
自分の言葉に照れたと見えて、清次は話を転じた。
清次が指をさした先には、禍々しいまでに大きな月があった。
操はその月をやはり快く思わず、吐き捨てるように言った。
「こんなに月を憎らしく思ったのは初めてだ」
「俺もだ」
首肯した清次は、茶碗に浮かんだ月を操に見せ、それを一気に飲み干す。
「だから食らってやる。お前もどうだ?」
彼はそう言うと、もう一客の茶碗に彼が飲んでいた30年物のバランタインを注ぐ。
「ありがとう」
操は素直にそれを受け取り、ぐいとそれを飲んだ。
月は、なおも平然と操と清次を照らし続けていた。
最終更新:2025年04月08日 03:22