69 名前:
あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/04/30(火) 14:10:54.18 ID:5Sq8cLbp [2/7]
街から目を離した操が、清次に向いて問いを発する。
「ところで、どこに着陸するんだ。
新木場の東京ヘリポートか、それとも八雲製薬のヘリポートか?」
「いや、二雀銀行に借りた」
「どうしてわざわざそんなことを?」
「まあ、すぐに判るさ」
ベル230が、二雀帝都ABE銀行本店のヘリパッドに、翼を休めようとするかの様に吸い込まれていったのはそれからすぐのことである。
操と清次、赤城が正門から出ると、そこには既に一人の女性が待っていた。
半川翼。紛れもない半川操の実の姉である。
ロングヘアをハーフアップにして、ライトグリーンのシルクサテンワンピースに身を包んでいる。
腰背部に結び目のある黒いリボンをあしらっており、いかにも上品な感じが滲み出ている。
傍らには、操に名古屋行きの切符を手配した先の老執事も伴っていた。
「操!」
弟の姿を認めるが早いか、彼女は駆け寄って抱きしめた。
「良かった、良かった……」
「姉貴、……落ち着いて」
彼女の腕の力がようやく緩んだ。
「勝手に抜け出して、そのまま戻ってこないんだもの。心配したのよ」
「亜由美が、死んだんです。何をおいても行きますよ」
「ふうん」
と、少しの間を置いて、彼女は言葉を継いだ。
「まあ、そんなことはいいわ。そこにリモを停めてあるの。一緒に帰りましょう」
「待ってください」
そのやり取りに、清次は思わず呼び止めた。
「何かしら、清次さん」
呼び止めてから、何と続けようかと思案を差し挟まなければならなかったが、何とか続く言葉を捻り出すことができた。
「俺と赤城――ここにいる俺の秘書です――も便乗させてもらえませんか」
即興の提案にしてはまあマシなものか、と思い、彼は相手の表情を眺めた。
(どの道、翼さんとも話をしておかなきゃいけないだろうしな)
声をかけられた彼女はというと、顎に手を当て、考える素振りをしていた。
「東京まで操をヘリに乗せたんだから、俺らもその位いいじゃないですか」
自分から帰路を共にすることを誘ったことは伏せ、それを交渉材料として相手に使う。
ややあって、彼女は首を縦に振った。
「ええ、わかったわ。それでは、こちらにどうぞ」
一行は停車していたストレッチリムジンに乗り込んだ。
70 名前:広小路淳 ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/04/30(火) 14:18:51.06 ID:5Sq8cLbp [3/7]
シートに着いた清次がロメオ・イ・フリエタを取り出そうとした時、翼がそれを制して言った。
「吸わないでくださいな」
不満げにではあるが、彼は手にしたシガーを懐に戻した。
「じゃあ、ロックを」
「わかりましたわ」
そう聞き、彼女はアイストングを手にしてバカラのタンブラーに氷を入れる。
「私が致します」
執事の青柳が止めようとしたが、彼女は構わずに続けた。
「いいの」
青いスコッチの瓶を手にして、そのラベルを清次に見せる。
「ジョニ青でよかったかしら」
「ええ、結構ですよ」
「操もどう?」
操は一瞬考え、そして頷いた。
「ああ、じゃあ俺も貰います」
「翼さんに手ずから作っていただけるなんて光栄だなあ」
「こちらこそ、清次さんのような大物にお酌するなんて光栄ですわ」
そう社交辞令を交わしながら、彼女は杯を清次らに渡していく。
「おい運ちゃん、お前さんも貰えや……、ってあれ、ああ、リモだからパーティション(間仕切り)があるわけか、残念」
「何普通に飲酒運転を教唆してるんだ」
「運転席が仕切られていることがこんなことで役に立つなんて思わなかったわ」
さすがに見かねた半川姉弟が諌める。
「悪い悪い。ついつい人に酒を勧めたがる性質で」
「アルハラで訴えられないように気を付けることね」
「へいへい、注意しますよ」
軽く手を振って彼は応じた。
「それでは、乾杯」
ぐっ、と呷り、清次はどう切り出そうか考えあぐねていた。
すると、話し始めたのは翼のほうであった。
「どうかしら、最近は」
「まあ上手くやってますよ」
「ご家族は?」
彼の口元が僅かに左に歪む。
「ご家族、ですか?」
一応は隠そうとしているものの、清次の苛立ちは、その声に表れている。
「ええ、ご両親。それに、三陽くんと美月ちゃん」
「相変わらずですよ。
知らないわけじゃないでしょう?」
「お気にはなさらないのですか?」
「この前の日産連(日本産業連盟の略。財界三団体の一つ)の晩餐会でも言いましたか。
何度でも言いますよ、近親相姦というのは畜生の所業です。
俺はあんな連中とは違います」
「あんな、ってご両親やご弟妹のことですか」
「そうですよ。
いいですか、この社会には、人工の法律、即ち私たちが一般に呼ぶ法律――憲法とか刑法とか民法とか金融商品取引法とか、そういうウザったい法律のことです――とは違う、天然の法律とも言うべき、人間が生き抜く知恵として無意識に制定してきた自然のルールがあるのです。
そうしたものに逆らえば、単純に法律を犯すことより重い咎を負わなければならないのです。
その二つの法は、全てが全て違う内容ではありませんが、人工の法律で禁じられていなくても、天然の法律で禁じられていることは間々あります。その逆もまた然り。
英語で言えば、その人工の法律がクライム(crime)で、天然の法律がシン(sin)です。
俺はクライムはともかくシンにコミットすることはありません」
「今はそう思っていても、先々のことはわからないじゃないですか」
「あの妹は弟にべた惚れですからそれはないですよ。
縦しんばそんなことがあるとしても、俺は自分の身の守り方くらい心得ています」
それを聞いて、彼女は由ありげに微笑した。
「ふふっ、ならいいわ。
面白おかしく見守らせてもらいます」
「ええ、いい見世物になってみせますよ。
ある種の政治家や億万長者というものは、コロッセオで戦うグラディアトルのようなものです。
俺はそういう類の人間ですから、死を厭うことはないのですがね……、彼女は気の毒でした」
さすがに気を落としたと見えて、この時彼の声の調子も少しだけ落ち込んだ。
71 名前:広小路淳 ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/04/30(火) 14:22:02.59 ID:5Sq8cLbp [4/7]
「篠崎さんのことですね?」
「そうです」
我が意を得たりと肯く。
「あの人が、どうかしたのですか」
「篠崎は死ぬつもりはなかった、これは俺と操の共通の見解です。
なあ、そうだよな、操」
操の方を向くと、彼は既に眠っていた。
「操?」
「寝かせておいてください。お酒も入っていますし、それに疲れもあるのでしょう」
彼女は操の頬をそっと撫でる。
「そうですね」
「それで、篠崎さんは自殺されたのではないのですね」
「ええ、そうとしか考えようがありません。
昔のCMじゃないですが、『良かった、自殺した娘(こ)はいないんだ』ってところですかね」
ジョニーウォーカーの残るグラスをかざし、話の道草の種にする。
「まあ、誰がそんな恐ろしいことをなさったのかしら」
彼女は、眉を顰めた。
「それはまだわかりませんよ。一つ言えるのは、彼女と生前親しかった我々は、潜在的な容疑がかかり得るということです」
「『我々』というのは、清次さんと、どなたですか」
「操」
そういって清次が操を指差す。
途端に、翼は烈火の如く怒りはじめた。
「操がそんなことするわけないじゃない! あなた、ふざけてるの!?」
いきなり憤りはじめた彼女のあまりの剣幕に驚きながらも、彼はなだめにかかる。
「まあまあ、俺もそう思いますよ。でもね、少なくともソーメン(逮捕)まではポリ(警察)の疑いの目は彼女の周りにいた皆にかかり続けるということです」
「警察が結果を出すまでは、ということね」
「そうです。取り敢えずは木っ端役人のお手並み拝見、といったところですかね。
俺や翼さんならもっと早くホシ(犯人)を挙げられると思いますがね」
「私が?」
「鮮やかだったじゃないですか? 誰に聞いたんです、俺らが八雲製薬の名古屋支社にいたなんて」
「大体予測はつくじゃない。
あなたもパーティーから抜け出したと伺っていましたからね」
「それだけじゃないでしょ。何で二雀ABEに場所を借りたって知ってるんですか」
痛いところを突かれたと見えて、それから些少の沈黙があった。
それから、彼女は、ウインクし、それからばつが悪そうに話した。
「国交省の管制官に聞いたわ」
本当は守秘義務違反なんでしょうけどね、と悪戯っぽく笑む。
「ほら、あなたも中々の悪じゃないですか」
悪と形容しつつ、その笑顔の優雅さに感心していた。
(気品の良さは親父譲りかな)
とはいえ、清次は翼には食指が動かなかった。
女とみればすぐに興味を示し、まして美女とみれば見境なしの彼だが、なぜか彼女に対しては「その気」にならなかった。
友人の姉だからというわけではない。そうではなく、得体のしれない、彼の中に存在する感覚によるものだった。
彼はそれを「完璧な美に対して人類が普遍的にもつ恐怖心」、平たく言えば「恐ろしいくらいに美しい」ということだろうとしたが、その結論は自分でも胸に落ちるものではなかった。
「そうかもね。でも、あなたほどじゃないわ」
「その通りです。俺は三国人並の、もとい、三国一の悪といっていいでしょうな。
そして、悪を締めるには悪が一番なんですよ」
「毒を以て毒を制すということね」
「正にその通りです。では、この話はいずれまた」
「ええ、機会があればまたお会いしましょう」
そうまで言った時、車は八雲邸の前で停まった。
「おお、いい塩梅に家に着いた。
じゃあまた、操、学校で会おう」
と、眠りこけたままの操に挨拶する。
「翼さん、それでは失礼」
「それでは清次さん、御機嫌よう」
赤城を従え、リンカーンを降り立った清次は、柄にもなく彼らが消えるまでずっと見送っていた。
72 名前:広小路淳 ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/04/30(火) 14:23:20.44 ID:5Sq8cLbp [5/7]
半川邸に着いても、操はまだ眠っていた。
「お坊ちゃ……」
起こそうとした青柳を翼が止めた。
「起こさないで、私がそのままベッドに運ぶわ」
「承知しました」
彼女は眠ったままの操をお姫様抱っこで抱え上げ、彼の自室まで連れて行く。
そのまま、静かな寝息を立てる彼をベッドに寝かせる。
「着替えさせなきゃね」
脇にパジャマと替えの下着を用意し、服を脱がせる。
間もなく、彼はボクサーブリーフ一枚になった。
そこで、彼女は一旦手を止め、操の上に覆い被さる。
「ふふっ、操……」
彼女は胸板に頭を擦り付けていた。
気が済むと、今度は全身を嘗めるように彼の肌を観察し始めた。
「ふぅ」
ややあって、彼女は安堵したように溜息を吐く。
「あの淫売は、操にキスマークをつけたりは、してないようね」
いつの間にか、寝息も聞こえなくなっていた。
「あ、早く着替えさせなくちゃね」
パンツに手をかけ、秘所もまた晒された状態になった。
「ああ、これが……」
彼女にとって操の体はありとあらゆる箇所が尊いものであるが、その中でもここは見るたびに、悦びを覚える部位である。
縮こまった陽根に、これまた頬擦りする。
「操、これを、お姉ちゃんに頂戴。
あの泥棒猫のことは、許してあげるから……」
勃起していないそれは、今この場で肉体的充足を与えられるものではなかったが、それでも彼女には生半可ではない精神的な満足を与えていた。
「着替えさせなくちゃ」
返事のない操を寝巻に着替えさせ、掛け布団をかける。
「お姉ちゃんを抱いてくれるのを、待ってるからね」
頬を撫で、彼女は部屋を後にした。
73 名前:広小路淳 ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/04/30(火) 14:24:36.41 ID:5Sq8cLbp [6/7]
操は、夢を見ていた。
亜由美と並んで歩いていた。
「期末どうしよう~。世界史とか全然自信ないよ」
「どうせ亜由美はヤマを張るつもりでいるんだろ。小野里は満遍なく出すからヤマ勘は通用しないぞ」
「えー、どうしよう。赤点なんか嫌だよ」
「じゃあ、俺と一緒に勉強するか?」
「そんなこと言って、また保健の実技を勉強するの?」
他愛もない話で盛り上がる、普段通りの(だった)光景。
「ね、ね、ゲーセンでQMAやろうよ! 試験勉強に入る前に一度思いっ切り遊ぼう!」
「お前、言ったそばから……」
そこに、いきなり、虎が現れた。
「!」
「ミ、ミィくん……」
「あ、亜由美、逃げろ。いいから、俺はいいから!」
しかし、虎は真っ直ぐ亜由美に飛び掛かり、彼女を食い殺していく。
「ミィくん、逃……、げ……」
程なく、彼女は事切れてしまった。
自分も牙にかかるのを覚悟の上で、彼はその虎に飛び掛かろうとする。
「畜生、この人食い虎!」
が、その刹那、一匹の龍が現れ、彼を乗せて空を走り出した。
(おい、小僧。あいつに殺されるつもりだったのか?)
脳内に直接響く声。操もまた、声を発することなく言葉を返していた。
(そうだ。あの獣に恋人を殺されたんだ)
(そうか、ならそいつの所に連れて行ってやろうか?)
(知っているのか?)
(ああ、知っているとも。しっかり掴まってろよ!)
そうして、空高く翔け上がり、やがて、雲の上に到着した。
果たしてそこには、亜由美がいた。
「ミィ、くん?」
「亜由美!」
夢であると理解していたのか、それとも理解していなかったのか、操は、起き抜けると自分の彼女が待っていると思い、おもむろに目を覚ました。
最終更新:2025年04月08日 03:20