124 名前:
あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/02(火) 13:32:33.66 ID:zV0Cbv1N [2/5]
「こいつはすげえな」
時代ばった机を、清次はペタペタと触っている。
「このルイ15世様式のデスク、それとブックケースやキャビネットもイタリアのフラテッリ・ラディーチェだ」
そう見定め、無遠慮にチェアに腰を下ろし、天井を見上げる。
「マリア・テレジア様式のシャンデリアはオーストリアのロブマイヤーか。
さすがは天下の厚木重工、金がかかってるな」
二人は半川翼の部屋に侵入していた。
「ふうん、18世紀のスタイルか」
「そうだ。今、翼さんは社主――だっけ? 新聞社のオーナーみたいな呼称だな――だから、やはり一番贅沢に仕立ててるんだろう」
彼は足を組んで机の上に乗せている。その様はあたかも八雲製薬での自分の部屋にいるかのようである。
「詳しいんだな。
俺の社賓室もやたら立派だけど、どこのどういう代物だとかは全然……」
と言う操に、清次は苦笑いして応じた。
「社賓って、お前今そんな役職にいるのか」
「ああ、まあ。内実はないんだけどな」
「破綻した昔の総合商社にそういう肩書で好き放題してたワンマン創業家がいたな」
まあ、そんな是非はどうでもいいんだが、と語り捨て、話を転じる。
「さて、翼さんが来るまで、机の中の書類でも漁ってみるか」
そう言って手袋をはめ、さらにもう一双の手袋を取り出して操の方に投げる。
「ソウも」
「ありがとう」
「じゃあ、見てみるとするか……、?」
操が手袋をはめた時、外から声が聞こえてきた。
「まずい、隠れるぞ」
突然のことに声も出ない操を引っ張って、清次はクローゼットに隠れた。
間一髪で彼らが隠れおおせると、ドアが開いて外から人が入ってきた。
若い女が二人と、中年の男が一人。
「入りなさい」
若い女のうち、一人は言うまでもない。
半川翼。この部屋を占める、厚木重工業の主である。
「承知しました。ほら、お前も入りなさい」
中年の男が、もう一人の若い女に声を掛ける。
「わかったわ」
クローゼットの隙間からその女の顔を見た時、操と清次は共に息を呑んだ。
「間違いないな」
言った言わないかわからないほどの小声で、清次が呟く。
「あの女だ……!」
操が怒りを押し殺しているのが、声の調子からも伝わってくる。
その溢れんとする激情を察して、清次は釘を刺した。
「掴み掛るなよ」
「わかっている、わかっているさ」
それは応(いら)えというより、自分に言い聞かせているようであった。
125 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/02(火) 13:33:57.88 ID:zV0Cbv1N [3/5]
「ご苦労だったわね」
中年男を労う翼に、その男が言葉を返した。
「全くですよ。人一人を高層ビルから窓の外に放り投げろだなんて、無茶な業務命令もあったもんです」
「あら、あなたはそれを成し遂げられたんだから、無茶じゃなかったじゃない」
機嫌の良い翼に対して、男は若干の不安を感じているように見える。
もっとも、普通は殺人を犯せばあれこれとした心配や、あるいは罪悪感を覚えるもので、それを寸毫も感じていない翼のほうがおかしいのだろうが。
「無茶ってのはこれからのことですよ。
捕まったらどうするんですか。わたしだけではなくて、娘まで殺人犯ですよ」
「だーいじょうぶよ。警察は自殺と断定したわ」
「あれでですか? 手を回したんですか」
「勿論。そうじゃなかったらこんなことしてないわよ」
「さ、頂くものを頂きましょう」
「わかったわ」
手にしていたかなり大きいスーツケースを開ける。
「じゃあ、これが成功報酬ね」
その中には、札束がぎっしり詰まっていた。
「ありがとうございます、お嬢様。
それと、今後造船部門へのご支援をお忘れなきように……」
「わかっているわ」
首肯し、彼女は続ける。
「こんなことがあって命拾いしたわね。
本当ならあんな不採算部門、中国か韓国に叩き売ってるところよ」
「なに、これから立て直して見せます。エネルギー事業並に利益をたたき出してやりますよ」
「期待しないで待ってるわ。
うちは同族企業だから、どこかの神戸の企業みたくクーデターが起きて社長が解任されたりはしないから、気長にやることね」
「それでは、失礼します。
さ、帰ろう」
「ええ、父さん」
父の勧めに、娘は頷く。
「そんなものを持っているんだから、真っ直ぐ帰ったほうがいいかもしれないわね」
と、翼は男の手に渡ったスーツケースを指差す。
「勿論、そのつもりですよ。
お嬢様は、どうされますか?」
「家で弟が帰ってくるのを待っているわ。私の一番の楽しみだもの」
「そうですか。良いお時間を」
「あなた方こそ」
そう言い交して、三人とも部屋を後にした。
126 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/02(火) 13:34:38.44 ID:zV0Cbv1N [4/5]
「行った、か?」
「もう大丈夫だろう」
二人は徐にクローゼットの中から出る。
「さて、再開だ」
そう言って、清次は机の方に足を向けた。
「さて、何かないかな」
一番上の引き出しを開ける。
中にあったのは、アウロラの万年筆と、モンブランのシャープペンシル、それとステッドラーの消しゴムであった。
「筆記具だけか」
その次の引き出しも、同じように開け、中のものを手に取る。
「こっちも書類だけだな」
そういって溜息をつき、パラパラと内容に目を通す。
「それも何の変哲もない、社業のものだけか」
「何があるのを期待してたんだ?」
「いや、トカレフかマカロフでも転がってりゃ、翼さんを脅しやすく」
その時、入口の方から声が聞こえてきた。
「そんなものがあるわけないでしょ、貴方じゃなし」
驚いて目を向けると、翼がそこにいた。
「姉貴、何でここに……!」
「何でって、ここは私の部屋よ。貴方たちこそここで何やってたの?」
「翼さん、あんたの動きが怪しいと思って探らせてもらったが、やはり、ビンゴだったな。
さっきの家に帰るというのはフェイントだったんだな」
「そう言えば出てきてくれるでしょ。
操とお話ししたかったもの」
「ああ、俺も姉貴と話したいことがあるしな……!」
平然とした姉とは対照的に、弟は声を震わせている。
「あ、あ、姉貴が、姉貴が、亜由美を殺したのか!」
「そうよ」
あっさりと彼女は自らの殺人を認めた。「悪い?」とでも言わんばかりである。
「しかし凄い恰好ね」
と彼女は清次に目を向ける。
「中々似合ってますね、その女装。
私としては、操に着てもらったほうが嬉しかったですけど」
可愛いからきっと似合いますわ、と頬を赤らめながら語る。
その表情は、つい先程殺人を自白した女のそれとは到底思えないほど穏やかで艶やかなものだった。
「お褒めに預かり誠に光栄であります、翼さん」
それで、と清次は話を引き戻した。
「あの男は、厚重の社員なんですね」
「ええ、うちの船舶・海洋事業本部長よ。連れてたのは娘さん」
「そいつらが実行犯というわけですか。
翼さん、あんた一体何のつもりなんです?」
「つもりも何も、最初から貴方たちに隠していることなんてなかったわ。
勝手に私があの売女を殺したことを隠したがってると思った貴方たちの独り相撲よ」
お姉ちゃんは操とそこで相撲を取りたいですけど、と傍らのベッド――これまたフラテッリ・ラディーチェのバロック家具である――を指差して、またも頬を染める。
「いよいよわからない。あんたパクられたいのか?」
彼女は静かに首を横に振る。
「そんなこと心配してないわ。
私を突き出すわけはないもの」
「ふざけるな!」
激高した操が喚く。
「絶対に警察に捕まえさせてやる、それが無理ならこの手で姉貴、お前を殺してやる!
覚悟してろ!」
対して、翼はなおも平気の平左である。
「そんなこと、絶対にないわ。だって私たち、姉弟だもの」
最終更新:2025年04月08日 03:23