137 名前:
あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/16(火) 13:26:37.00 ID:myC89GS/ [2/8]
「くそっ!」
帰りのリムジンの中で、操は毒づいていた。
「姉貴は狂っている!」
「今さらだな」
対して清次は、厳然とした態度でいる。
「それよりもこれからのことだ。
翼さんは愛知県警に手を回したと見える」
「ああ、そう言ってたもんな」
「ひとまず俺は翼さんに競り負けたことになる。
警視庁とそれを所掌する内務省に圧力をかけて再捜査させよう」
「警視庁? 管轄外じゃないのか」
キョトンとした顔の操に、清次が諭すように語る。
「あのな、篠崎は誘拐されて殺されたんだ。
そうだとするなら、拐かされたのはどこだ?」
途端に、彼はハッとした表情になる。
「そうか、東京だ!」
「そ。だから愛知県警だけじゃなくて警視庁のヤマでもあるわけだ」
と、人差し指を立てながら彼は続ける。
「それに警察庁長官や警視総監は退官後に政界に転身する男が結構多い。
そのままじゃ重光章止まりだ、大綬章は貰えない。
長い間国に奉公してきた見返りがそれじゃあんまりにも寂しいよな。
今の奴も確か知事だか国会議員だかに出馬したがってるそうな。
それなら俺のフィールドだ、八雲の支持なしで国民党の公認も推薦も得られるわけがない」
「しかし、他の党から出馬することは……?」
「どこの党がある?
進歩党なんて労組依存の左翼政党に落ちぶれてしまったし、平成奇兵隊なんか地元の大阪以外ではパッとしない風任せの寄せ集め集団だ。
何より、警察官は保守的な考えの持ち主が多いから、もしそんな政党から、もしくは市民党とか無党派とか謳って出馬すれば、母体の支持さえ失っちまうだろ。
嫌でも俺の言うことは聞かなきゃならん」
「どうなるかな。
まあ、俺にはキヨに頼る以外ないわけだけど」
「だな」
頷き、話を変える。
「とりあえず腹拵えをしよう。
車中だからそんなに大したものは出せないが」
とのたまいつつ、ランチボックスを取り出す。
その中には、スモークサーモンやカルパッチョなどのサンドイッチが並んでいた。
「ありがとう。もらうよ」
「どうぞどうぞ、そのためにうちの下女に作らせたんだから」
二人でサンドイッチにパクつく。
138 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/16(火) 13:27:28.79 ID:myC89GS/ [3/8]
「しかし、翼さんがあっさり歌ったのは意外だったな。
気づいていてわざと聞かせたとはね」
今しがたローストビーフのサンドイッチを持っていた手をチャイナドレスのスリットに伸ばし、そこを捲って太腿に装着しているホルスターから拳銃を取り出す。
「いざとなったらこれでゲロさせにゃいかんかと思ったが、持ってくるまでもなかったな」
操は驚いた顔で拳銃を見る。
「本物か」
「勿論。ワルサーPPK、ドイツ製の半自動拳銃だな。軍や警察にも人気がある歴史ある代物だし、フィクション作品にも数多く登場している」
「007とか名探偵コナンにも出てるな。チャイナドレスでワルサーPPKって、どっかのロマノフ王朝専門の強盗殺人犯みたいだな」
「あの犯人は劇中でコレを使用していた時にはチャイナは着ていなかったがな」
「『財界のラスプーチン』にはぴったりだな」
巷間言われている仇名を、本人の前で口にする。
気にした風でもなく、蘊蓄を語り始めた。
「実際のラスプーチン暗殺に使われたのはピストルじゃなくてリボルバーだがな。
この銃で実際に死んだのは、そう、ヒトラーが自殺に使うほど愛用していた。
あとは韓国の朴正煕大統領を暗殺するのにも使われた。
まあその時は途中でジャムって、銃を別のものに取り換えたと聞くが」
「そうか。俺にも一丁貸してくれればよかったのに」
あの場に銃があったと知って、彼は不満げだ。
「駄目だ。貸してたら間違いなくソウは撃っただろ」
「当たり前だ、血祭りにしてやる」
「だからだよ。
人を殺すときはもっと慎重にやれ、翼さんを見習ってな」
「悔しいけど、姉貴は計画的だよな」
「問題は目的だが、ある程度の推測はできる。
親父さんも一枚噛んでたりするんじゃないのか?」
「知っているのか?」
「篠崎のことをよく思っていなかったことだろ、そりゃ知ってるさ。
俺にまで愚痴ってきてたんだから」
「嫌っていたなあ、親父は」
顧みて、嘆息する。
「あれでも一応妥協案は出したんだが、と言ってたが」
「亜由美を愛人にして別に本妻を迎えろ、だろ。
誰がっ!」
「殺されずに済んだとしてもか?」
「非常識な提案を受け入れる道理はない。
それこそ、親父じゃあるまいし」
「気持ちはわからんじゃないがね」
139 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/16(火) 13:28:14.76 ID:myC89GS/ [4/8]
その時、BBが鳴り出した。
「半川……栄。親父さんからだ」
発信元を確認して、ディスプレイを見せる。
「俺に代わってくれ」
「駄目だ。こういう時は感情的になっちゃ駄目なんだ」
そのまま着信に応じる。
「はい、八雲清次です」
「清次くん、元気かね」
「お蔭様で」
「それで、操も一緒なんだろ?」
「ええ」
「早く帰ってくるように伝えてくれ。
そうだ、君が連れてきてくれないか」
人から見れば清次が操に振り回されている形なのに、構う様子もない。
(俺も人のことは言えんが、随分半川社長も無体な御仁だよ)
以前読んだ海音寺潮五郎の「悪人列伝」にあった、
「生まれながらに最上位にある人は、人に奉仕されても奉仕する習慣がない。
従ってその人々のモラルは一般の人のモラルとはおそろしく違っていて、人を犠牲にすることに全然平気なのである」
という一節が、思い浮かんだ。
(まあ、俺は好きでやってるから構わんがね)
メニューキーから保留を選択し、静かに苦笑してから、操に伝える。
「帰れとさ」
「嫌だ。あの女もいるだろ」
「そらなあ」
「顔も見たくない」
決して悪くなかった、いやむしろ良すぎるくらいに良かった姉弟仲を知っているから、会いたくないという意思より「あの女」という三人称に、彼の姉に対する好感度が極度に悪化したことを再認識した。
その返事を聞き、通話口に戻った。
「その気はないようです」
「どうしてだね?」
「もう知ってるでしょう?」
険しい言葉に、栄は詰まりそうになったが、少しの時を挟んで、何とか応じることができた。
「知ってるんだね、清次くん」
「ええ、知ってますよ。僕も操くんもね」
「それでは、君だけでも来ないか? 君とも話をしたい」
何のつもりなのか。
暫しの思案の末、彼は承諾した。
「わかりました」
「では、待ってるよ」
そこで通話は切れた。
それを確認した彼は、操に告げる。
「俺だけでも来いというから、行くことにした」
「大丈夫なのか」
「取って食ったりしないだろうよ。
翼さんや親父さんとは、このことできっちり渡りを付けなきゃならんだろうから、会わんわけにもいかんだろう」
「だが……」
「心配するなって。
ほら、残り全部やるから、腹一杯にして元気出せ」
ロブスターのサンドイッチを一つ手に取り、操の口の中に押し込む。
「自分で食えるってば」
「つれないな」
そう冗談めかして呟き、人差し指で操の頬を軽くつついた清次は、運転席に向かって下知する。
「止めろ、俺はここで降りる」
即座に、キャデラックは路肩に寄せて停車した。
「俺はタクシーに乗るから、お前は彼を俺の家まで連れてくれ」
「承知しました」
そして操に向き直り、連絡事項を伝える。
「帰ってくるまで俺の部屋で寛いでいてくれ。下女は自由に使え。ホームバーにあるものは、好きに飲んでいいぞ」
「了解」
ドアを自分で開け(それだけ押っ取り刀だったということである)、降りる。
彼はすぐさまタクシーを拾いにかかっていた。
140 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/16(火) 13:30:13.49 ID:myC89GS/ [5/8]
たっぷりとチップを弾んだ料金を支払い、タクシーを降りる。
「八雲だ、私が来ることは聞いてあるね?」
柵越しに門番に話しかけた。
「はい、お嬢様より伺っております。どうぞ、お入りください」
荘厳な鉄製の門扉が開かれ、彼はスペイン風コロニアル様式の邸宅に入っていった。
「清次くん、よく来てくれたね」
車寄せのところで、栄が待っていた。
「誕生会以来ですね、栄さん」
このような自らの言い回しに、清次は短い間に長い歳月を経たかのような感覚を覚えた。
「昼食はもう済ませたかい?」
「ええ」
無駄のない簡便な返答には、優雅への憧憬、そして僅かな嫌悪が仄めいていた。
「では、腹ごなしにビリヤードでもしないか」
「久しぶりですね」
今よりもずっと小さかった時分には、清次は栄ら半川家の面々と遊戯などを楽しむことも多かった。
「では、こちらへ」
そうして邸内を連れ立って進む。
「懐かしいですね。まだあったんですね」
指差した先には、オリーブがあった。
相変わらずその木は専従の庭師によってよく剪定され、よく維持されていた。
「昔は大きく感じたんですけど」
だが、もう戻れない。あの頃には。
「君も大きくなったということだよ」
小さくて、楽しくて、清らかだったあの頃には。
撞球室に二人は着いた。
「入り給え」
ドアを開け、中に入る。
「これでいいですか?」
キューラックにあった中の一本をおもむろに手に取る。
「ああ、構わんよ」
肯きつつ、彼もまたバットを掴んだ。
141 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/16(火) 13:32:08.34 ID:myC89GS/ [6/8]
「今更ながら、凄い格好だね」
栄は、チャイナドレスを着てキュー・スティックを手にしているその姿を見やる。
「ですよね。でも、うまく化けられているでしょう?」
「ああ、君が女ならこの場で手籠めにしていたところだ」
「もしくは僕とあなたの両方がバイだったら、ですね。
SMとか乱交とか青姦とか強姦とか獣姦とかは試したことありますけど、さすがに男とはようやりませんわ」
「さらっとすごいこと言ってるね」
「あなたも同じ穴のムジナでしょう」
「はは、一本取られたね。
今度乱パでも一緒にやるかい?」
「お、いいですね。
竹会長とか鳥井議員とかも誘って、今度一緒にやりましょうよ」
「やっぱり気の置けない面々だといいね」
「勝手がわかっていますからねぇ。
同じサチリアジスでもタイガー・ウッズなんかは男にもホールインワンしてたみたいですけどね。
僕はカサノヴァよろしく女のポケットだけにショットを決めていきますよ」
ラシャを見定め、清次は3番と5番の球を狙う。
「そういえば、この頃は君のご家族はどうしているかね?」
ティップが手球を突いた。
「別に変わりありませんよ」
手球はまず3番に当たり、方向を変えて5番に当たる。
「うちの親父なら財界活動だか何だかで栄さんとお会いする機会の方が多いんじゃないですか」
「いくら何でもそんなに頻々と経営者同士の会合が開かれてるわけじゃないよ」
「知ってますよ。それよりもなお少ない、と言ってるんです」
それぞれサイドとコーナーに的球は吸い込まれていった。
「翼さんにも同じこと訊かれましたよ、親子なんですね」
「大抵の場合、親子というのは似るものさ。喜びや悲しみ、様々な感情を分かち合うことができる、それが家族というものであり、麗しき美徳というものだよ」
続いて、栄が打つ。打った球は、これまたそのままポケットの中に入っていった。
「それが、憎しみといった醜いものであろうとね」
142 名前:あなたがいないなら何もいらない ◆3AtYOpAcmY [sage] 投稿日:2013/07/16(火) 13:34:04.17 ID:myC89GS/ [7/8]
台に背を向け、清次は栄と向き合う。
「やっぱり、あなたの意向もあったんですね」
「勿論だとも、翼だけの考えじゃない」
エプロンにキューを置き、清次は挑戦するかのように台詞を吐いた。
「こんなことをして、操が折れるとでも思いましたか」
「折るさ、折ってみせる。
戦争とは外交の延長線上にあるものだからな」
対する栄は、キューを手にしたままもう片方の掌を苛々と叩いている。
その様を見た時、清次は危ういものを感じた。
「クラウゼヴィッツですか」
「小林よしのりじゃないぞ?」
「操も殺しますか? 篠崎を殺したように」
「彼女に愛を誓わせたように、新しい愛を新しい伴侶に誓わせる。どうやってでもな」
「無理でしょうな。今でも、操は篠崎のものです」
と嫌味たらしく首をすくめ、その言葉に応じる。
「おい、何と言った。もう一度言ってみろ。操が、私の息子が、あの女のものだと? あの卑しい女のものだと?」
「ええ、篠ざ……」
突如として、フェラルが清次の顔を攻撃する。
「巫山戯るのもいい加減にしろ!」
不意を突かれた彼の鼻っ柱に当たり、鼻腔には忽ちにして鼻血が溢れだした。
もんどりうってうつ伏せに倒れこんだ彼を、さらに栄は突いた。
「さっきから聞いてりゃ他人事みたいに!」
後頭部を、背中を、腰を、尻を。
「そもそもお前があの雌豚を最後まできっちり飼育してりゃこんなことにはなってなかったんだろうが!」
ようやく打撃が止み、彼はゆっくりと立ち上がる。
持っていたバーキンからラルフ・ローレンのハンカチ(さすがにこればかりはメンズのものであった)を取り出して鼻血を拭い、栄に声をかけた。
「気は済みましたか」
「はあ、はあ……。君なら、分かってくれると思ったがね」
「何をです」
「君が普通よりももっと近親相姦を忌み嫌っているのは知ってるよ」
栄の言わんとするところを、清次は掴み兼ねた。
「私の貴賎相婚を憎む気持ちも、君の近親相姦を憎む気持ちと同等以上に強いだろう。私にしてみれば」
一呼吸。
「貴賎相婚より近親相姦のほうがまだマシだ」
話の趣旨は理解できたが、それに賛同しかねることを、清次は沈黙することで示した。
最終更新:2025年04月08日 03:21