139 名前:フルメタル・妹[sage] 投稿日:2007/06/19(火) 14:56:56 ID:sa50GeOm
ワタシは掃除をしていた。
「はぁ・・・はっ・・・はあ・・・っ!」
荒い呼吸をしながら、ワタシに背を向けて必死に逃げようとする溝鼠を追いかける。
常人とは重心の異なる体でバランスを取りながら追いかけるその姿が、段々と迫ってきた。
「はあっ・・・はあっ────────ひぃいっ!?」
溝鼠がワタシに振り向き、疲労からかだらしなく弛緩していた顔の筋肉を引き締める。
見ていて面白いほどに、その表情が恐怖に染まった。
「ねえ、待ってよ」
「っひぃぃいいいっ!?」
その背中に声をかけてやると、溝鼠は迫り来るワタシに対する怯えで硬直しそうになる四肢を懸命に動かして駆ける。
思った通り、実に愉快だ。
弱者を嬲る愉悦と獲物を追い詰める喜悦に、冷たい体が内から熱くなっていくような錯覚を抱いた。
一段上がったギアで普通よりずっと重い体を、普通より遥かに強い力で動かして溝鼠を追い立てて行く。
「ねえ、待ってってば」
「いやぁっ!? 来ないで、お願い来ないでぇぇぇえええっ!」
溝鼠と同じ距離を同等以上の速度で走りながらもワタシの肌には汗一つ無く、呼吸には微かな乱れも無い。
全てはお兄ちゃんの愛のおかげ。お兄ちゃんが造ってくれたこの体のおかげだ。
ワタシは、もう二桁近くも前になる年に事故に遭った。
辛うじて繋がっていた意識を病院への搬送途中に失い、沢山の人の努力と祈りの甲斐なく死亡。
ただ、奇跡的にその時の私の頭には傷一つ付いていなくて。
その分野の専門家だった私のお兄ちゃんが保存した私の脳から記憶を引き出し、
それを作り上げた機械の体にインストールして私をアンドロイドとして復活させてくれたのが少し前のこと。
私が目覚めてワタシとして誕生した時に見たお兄ちゃんの姿は苦心の日々でやつれ果てていたけれど、
それも私を甦らせようと少しも休まずに頑張ってくれたからで、
お兄ちゃんの変わらない優しさと愛情に感動しすぎたワタシはその場でフリーズしてしまった。
フ ル メ タ ル
全身金属のボディ。
人でなくなってはしまったけれど、ワタシは今の自分を心の底から愛しく思う。
大好きなお兄ちゃん。世界で一番愛しているお兄ちゃん。
頭が良くて何でも出来て、なのにそれを鼻にかけたりせずにいつも優しくて、誰よりも素敵だったお兄ちゃん。
ううん。今でも素敵なワタシのお兄ちゃん。
そのお兄ちゃんとの兄妹の絆、
物理的な血の繋がりは失ってしまったけれど、ワタシとお兄ちゃんの心の結び付きは今も変わらない。
どころか、苦労に苦労を重ねて甦らせたワタシを妹であると同時に自分の傑作だと感じているお兄ちゃんと、
二度目の人生を与えてくれたお兄ちゃんを兄であり親であり造物主であると考えているワタシ。
お互いに抱く愛情も心の距離も以前よりずっと強く深く近い。
ワタシからお兄ちゃんに対しては特にだ。
何故ならこの体はお兄ちゃんに設計され、部品を選ばれ、組み上げられ、人工の毛の一本一本を植えられ、
人造の肌を一枚一枚張られ、動力を注がれ、命を吹き込まれ、お兄ちゃんによって生み出された物なのだから。
何年もの間をお兄ちゃんが私のことだけを想って私のために造り上げた、全てをお兄ちゃんの愛情で満たされたボディ。
法的には、アンドロイドのワタシはお兄ちゃんの所有物だ。
加えて定期的なメンテナンスと補給をしないとワタシは機能や人格を保てない。
お兄ちゃんによって生み出され、
お兄ちゃんによって所有され、お兄ちゃんに管理されなければいけない、お兄ちゃんに依存しきった体。
同時に被造物として、
お兄ちゃんのために存在しお兄ちゃんのために使われお兄ちゃんの意志に全てを委ねる道具としてのワタシ。
ワタシの全てはお兄ちゃんの手により、ワタシの全てはお兄ちゃんのためにある。
140 名前:フルメタル・妹[sage] 投稿日:2007/06/19(火) 14:58:10 ID:sa50GeOm
それは、何と言う幸せな存在理由なのだろうか。
ワタシの中では日々、数値化できない想いがバグのように募っていく。
このボディになっても消えなかったもの。
死んで新しい体で甦ったワタシの中で、たった一つだけ昔と変わらないもの。
どうしようもない程に強い、お兄ちゃんへの愛情。
鋼鉄の中身を紛い物の皮膚で覆っても抑え切れない感情が信号となって電子の意識の上を走り、
人間的な体の構造を失くしても湧き上がる欲情がお兄ちゃんを求める。
愛してる。兄として家族として異性として他人としてどうしようもなく、ワタシはお兄ちゃんを愛している。
戸籍では死んでいて生前の友人知人や家族にも会えないワタシにはお兄ちゃんしかいない。
被造物であるワタシには持ち主であり想い人であり兄であるお兄ちゃんだけがいればいい。
だから。
「待ってって言ってるんだけどなぁぁああ!」
ワタシからお兄ちゃんを奪おうとする者は許さない。
お兄ちゃんとワタシの間に入ろうとする者は許せない。
今、ワタシが追っている溝鼠はお兄ちゃんに手を出した。
その薄汚い体でお兄ちゃんに擦り寄り、汚らわしい唇でお兄ちゃんに噛み付いた。
許さない許さない許さない。殺してやる殺してやる殺してやる!
お兄ちゃんの作ってくれたこのボディで。
この脚で追い詰め、この腕で殴り潰し、たとえ逃げたってこの目で見つけ、この耳で捉えてやる。
逃がしはしない。
「ひぃぃいいいいやぁぁああ────────あ」
だけど。
そう意気込む必要もなかったみたい。
追い続けた溝鼠の前には、いつの間にか壁がそびえ立っていた。左右に道らしきものはない。
完全な袋の鼠。
お兄ちゃんと同じ研究室で働いているとか言っていたから頭は良いのかとも思っていたけど、
所詮、溝鼠は溝鼠でしかなかったみたい。
自分から逃げ場の無い場所へ逃げ込むなんて。どうしようもなく滑稽だと、顔の人工筋肉が収縮する。
ワタシと目を合わせた、壁を背にして上下の歯を打ち鳴らす溝鼠の顔が恐怖に歪んだ。
「ひいっ!? お、お願いだから落ち着いてちょうだい、ああアナタはきっとバグに侵されているのよ!
だから早く私と一緒に戻って、アナタのお兄さんのメンテナンスを受けましょう!?」
愉快だけど、愚かだ。
ワタシが、他でもないお兄ちゃんに造られたワタシがバグに侵されてるだんて、ワタシ達兄妹への侮辱も甚だしい。
それがワタシの回路を逆撫でするだけだと気付かないのだろうか。溝鼠らしい低脳っぷりだ。
やっぱり、こんな奴をお兄ちゃんの傍には置いておけない。コイツはお兄ちゃんに相応しくない。
掃除を、駆除をする必要がある。
お兄ちゃんの傍に居ていいのはワタシだけ。お兄ちゃんに相応しいのはワタシだけ。
老いず朽ちず、科学共にバージョンアップのみを続けていけるワタシだけが、お兄ちゃんと結ばれるべきだ。
衰えることも醜く変わり果てることもなく、お兄ちゃんのためだけに稼動し続けられる存在。
完全で完璧で、それでいてお兄ちゃんの手で完成へと向けた改良を重ねて行けるボディ。
部品を変えオプションを付け電子脳の記憶を記録を書き換え、幾らでもお兄ちゃん好みになれる道具。
ああ。
本当に、私は死んで良かった。
今のワタシになれて良かった。
141 名前:フルメタル・妹[sage] 投稿日:2007/06/19(火) 15:00:05 ID:sa50GeOm
「ねえ、お願いよぉ・・・・・・」
一歩、追い込んだ溝鼠へ歩く。
駆動系の唸りが聞こえ、関節部が軋みのような音を上げる。
「うぅっ、来ないで・・・・・・来ないでえっ!」
ほんの僅かしかない距離で、更に一歩。
生前と変わらない色の人工皮膚に覆われた、金属の塊を振り上げる。
「ごめんなさいっ! 私が悪かったなら謝るから、幾らでも謝るからぁっ!
だからお願いよぉ・・・・・・命だけは助けて! 殺さないでぇえっ!」
機械にさえ不快と感じられる溝鼠の悲鳴。
ワタシは聞く耳を持たないのに、ひたすらに喚き続けている。
流石に五月蝿いので、聴覚にあたる機能をシャットダウンした。
音という情報だけが、ワタシの意識から締め出される。
「────! ────────っ!?」
これでもう、何も聞こえない。おかげで一つのことに集中できる。
お兄ちゃんがワタシにくれた体は、前よりもずっと強くて、便利だ。
目の前のことにだけ意識を傾けられる。
「っ! ────っ!」
どれだけ愛情に焦がれ、激情に焼かれても、数値化できないそれから一歩引いた位置で物事を見れる。
同時に余分なものを全て排除して、ただひたすらにお兄ちゃんのことだけを想い、考えることが出来る。
最愛のお兄ちゃんが造ったワタシの体には、本当に最高以外の言葉が思い付かない。
「────────」
だって。
「────────げばっ」
溝鼠を叩き潰して壁に貼り付けてやっても、
触覚も嗅覚も切って気持ち悪い肉の感触や汚らわしい血の臭いを、温度を感じなくて済むんだから。
ほんの少しだけ聴覚を戻すのが早くて、即死した後に口から溢れ出した血が流れる音を聞いてしまったけど。
そんなこと、少しも気にならない。
これでようやくワタシはお兄ちゃんだけを想い、
お兄ちゃんの傍で、お兄ちゃんだけと共に存在して行けるのだから。
いつかお兄ちゃんが死んでしまい、ワタシと同じ冷たさになったお兄ちゃんの体に抱き付いて機能を停止するその時まで。
最終更新:2007年11月05日 02:01