421 :エピローグ 10 years after ◆3AtYOpAcmY :2014/11/24(月) 18:11:12.69 ID:555tl0TQ
そこには、白御影石の墓碑が故人を偲ばせるかのように毅然と存在していた。
清次は姉――いや、今や彼の番(つがい)でもある――を説き伏せ、彼女とその間に生まれた子供を残して一人で墓参に訪れていた。
彼の亡き友人、半川操の命日だからである。
静かな墓地を黙々と歩きながら、物思いに耽る。
(わがままな奴だ、墓参りひとつ勝手にさせてくれないんだから)
淳良のことに考えが及んでいた。
(今日はあいつとは寝てやるもんか。晶菜の所に行ってスッキリしよう)
ついでに、いかに今夜過ごすかの計画を決める。
(俺が篭絡されて、美月には「年貢の納め時」「ツケを払わされた」と揶揄されたっけ)
石畳の参道を進んでいく。
(家族以外もみんな似たり寄ったりで……。
心から同情してくれる奴がいたとしたら、そう、)
目的とする墓の前にたどり着いた。
(ソウくらいだろう)
その墓碑銘に目を移す。
「半川家之墓」
操と翼を含め、半川家の人間が入った墓である。
そこに、彼はやるせなさを感じる。
操は、遺書の中で、亜由美と一緒の墓に入りたいこと、翼とは一緒の墓には入りたくないことを記していた。
しかし、結果として彼のその要望は聞き入れられなかった。
悲嘆が思わず口をついて出る。
「気の毒に……」
独語し、合掌する。
買ってきた花を供えた。
紫苑や霞草、ジャーマンアイリスを中心とした花束だ。
「まあ、自殺でも墓を建てさせてくれるだけ、耶蘇教よりはマシか」
と、自分もカトリックであることを忘れているかのように再び独語し、水を柄杓でかける。
墓石が水を浴び、潤っていく。
それを済ませると、線香に火をつけ、線香立てに供える。
再び合掌し、それに続いて拝礼する。
顔を上げた清次は、おもむろに語りだした。
「そっちではどうしてるかい?
天国か地獄かはともかく、あっちでは篠崎と二人でいられたらいいな。
情けないことだが、俺は姉貴に組み敷かれてしまってるよ。
驚いているか? 俺も驚いている。何でも高校までスイスにいたんだそうな。
俺に姉貴がいたと知らなんだ。翼さんや由貴乃ちゃん、あと美月なんかは知っていたようだがね。
で、お前が死ぬちょっと前に話していた政界入りだけど、姉貴に止められちまった。
やっぱり人の目が集まる立場にいるとあの女としても都合が悪いんだろうな。
今は副社長として会社を切り盛りしているよ。
一応、政府なんちゃら会議の議員やらなんちゃらスポーツ協会の会長やら、わけのわからん名誉職やら何やらももらってるし、これが分相応ってことなのかね。
ソウは、生きていたら、どんな風になっていただろうねえ。
やっぱり親父さんの後を継いでいたのかね。
それともまた何か別の道があったんだろうか。
まあ、言っても詮無いことかもしれんが……。
じゃあ、また来るな。元気にしててくれよ」
泉下の客に、元気で、とはおかしい、と自分で思いつつ、帰ろうとしていた時、誰かが、懐かしい声、懐かしい呼び名で、清次を呼んだ。
「キヨ! 来てたんだね」
そこには、彼の旧友、酒井希一郎がいた。
「キィも……、!」
だが、彼は独りで来ていたわけではなかった。
422 :エピローグ 10 years after ◆3AtYOpAcmY :2014/11/24(月) 18:12:08.73 ID:555tl0TQ
その傍らには、酒井和奈と酒井由貴乃。
そして2人はそれぞれ赤子を抱えていた。
桶を足下に置き、清次はつかつかと希一郎に歩み寄る。
「どうして連れてきたんだ」
「どうして、って?」
険しい表情の清次に対して、希一郎はきょとんとしている。
「ソウがどうして死んだか知ってるだろ。
そのソウの所に兄妹の間にできた子供を連れてくるなんて……!」
それを聞いて彼はようやく言わんとするところを理解した。
「ソウがどんな人間で、何を望んでいたか、親友だからわかってるよ」
そう言って、希一郎の表情は柔らかいものになる。
「愛する人と一緒に平穏な時を過ごす。
僕たちが今その生活を叶えていることを、ソウは喜んでくれるはずだ」
「しかし、ソウは翼さんを憎んで死んでいった、それは事実だ」
「その通りだね」
と首肯した。
「なら……!」
食い下がる清次に、語りかける。
「キヨは、ソウの遺書を覚えている?」
「ああ、『政に生きる者は政に死す、財に生きる者は財に死す。そして、愛に生きる者は愛に死すものだ』だろ」
「その続きだよ。『愛に生きることに万策尽きた不明は慙愧に耐えない。だが、これを以て下した選択を諒解せられたい』」
「それが?」
「策があれば、それを行っていただろうな、って」
と、一拍置く。
「だから、翼さんがソウと篠崎と、三人で暮らしていくことを決めていたら、誰も死ななくて済んだのに、と未だに悔やまれてならないんだ。
由貴乃のように」
名が出てきて、清次はその妹のほうをちらりと見る。
目が合い、彼女は、手練れのビジネスウーマンらしからぬ、柔和な表情で会釈する。
その貌は、家庭の幸福に満ちていた。
そして、希一郎と対照を描いた操を想い、清次の目頭が熱くなる。
「そうかもしれないな」
間が空いてから、彼はそれに同意した。
「あの時は、同じ呪縛に囚われた者として同情していただけだった。
しかし、今にして思えば、彼が生きていたとしても、悲嘆というブイヨンで煮込まれたポタージュ・サンジェルマンになっていただけだろう。
弁解で言うわけじゃないが、彼は死んで楽になれた、そう思う」
さらに長い間を置いて、希一郎が訊ねた。
「やっぱり、あの青酸カリはキヨが渡したんだね」
「そうだよ」
躊躇うことなく、彼は即答した。
「なぜ今になって聞いたんだ?」
「今日で、ちょうど10年になるからだよ」
10年。
その年数は、清次にとって特別な意味を持つ。
刑事訴訟法の規定では、自殺幇助の時効は10年である。
彼が操を手助けしたことが、今日この日の午前0時を以て、罪に問われなくなったのである。
「ソウがあの時俺から毒物を受け取って、それを仰いだのは間違っていると思うか?」
「ううん」
と首を振る。
「僕がソウでも、やっぱりキヨにお願いしていたと思う」
「じゃあ、俺は? 俺が渡したこと、そしてそれによって捕まらなかったことは、間違っていると思うか?」
「さあ」
と首を振り、
「でも、人が人を責めるということの中に、解は含まれていないと思う。
故人に、親友に、いつか本当に再会した時に、その答え合わせが出来るといいな」
と継ぐ。
「そうだな」
同意し、彼らから離れる。
帰ろうとしていた清次に、言い忘れていたことを付け加えるかのように声をかけられた。
「淳良さんが出産したら、僕らもまたお祝いに行くよ」
ありがとう、とも、その必要はない、ともとれる感じで手を振り、それに答える。
423 :エピローグ 10 years after ◆3AtYOpAcmY :2014/11/24(月) 18:13:15.13 ID:555tl0TQ
清次は今、信仰心のない彼らしくもなく、心から祈った。
どうか、俺やキィの子供たちが、親に似ないで健やかに育ちますように。
そう念じ、そして、彼は歩を進める。
一陣の風が吹き抜ける。
何とはなしに天を仰ぎ見ると、蒼々たる空が、どこまでも広がっていた。
最終更新:2015年12月03日 12:52