501 :無くて七草 ◆3AtYOpAcmY :2016/01/07(木) 14:40:46.32 ID:XwPDU806
「出来ましたよ、兄さん」
軽快な声とともに、用意ができたことを告げる我が妹。
俺は、パブロフの犬のようにリビングへと向かう。
こういう特別な日の朝食は、いつにも増して楽しみである。
こうして料理と向かい合って座っていてもその急く気持ちは収まらない。
だが、挨拶もなしに手を付けるほど俺たち兄妹は不躾に育てられたわけでもなかった。
「戴きます」
「戴きます」
そう言って、食事を始める。
ただ、俺は、麺や雑炊、茶漬け、そして粥の類を掻き込むようにして食べる悪癖――癖、というと少し大袈裟すぎるかもしれないが――がある。
あっという間に平らげてしまうと、妹はやっと半分強を食したところらしかった。
「ご馳走様」
「もう食べ終わってしまったんですか」
少し呆気にとられたかのように俺を見つめてきた。
「おう」
と満足して応じると、妹は対照的に不服気な顔で返す。
「もう少しゆっくり食べないといけませんよ」
「気を付けるよ」
息を吐きながら、それに一応の首肯をした。
食後、妹が淹れた玉露を飲みながら、他愛ない話に興じていた。
「父さんと母さんも一緒に過ごせればよかったんだけどなあ」
御用始めに間に合うように任地に戻った父、そして今回の赴任では俺らがある程度の家事をこなせるようになったことを理由に、父についていった母を思い浮かべる。
「しょうがないですよ、お仕事なんですから」
「ああ、そうだ、……なっ…………!?………………?」
湯呑を持ち上げ、もう一口飲もうかとした時だった。
502 :無くて七草 ◆3AtYOpAcmY :2016/01/07(木) 14:41:36.23 ID:XwPDU806
突然、動悸が激しくなり、湯呑を落とし、そのまま椅子から崩れ落ちてしまう。
「きゅ、きゅう、……」
救急車を呼んでくれ。
そう頼もうとして妹の顔を見ると、これまで見たこともないような悪党そのものの笑みを浮かべ、こちらを見つめていた。
「効いてきたみたいですね」
「なっ……」
「春の七種、西洋風に言えば七種類のハーブを入れて食べるわけですが、今日私が入れたのはそれだけじゃないんです」
そう言って、透明な小袋を見せてきた。
「これは、まさか……」
「そうです、巷で流行の品です。
それを摂取すると、理性を失って、エッチな気分になって、とっても気持ち良くなれるんですよ」
お前、何てことを。
文句を言おうとした口は、接吻で塞がれた。
「だから、言ったじゃないですか」
「『もう少しゆっくり食べないといけませんよ』って」
「そうすれば、気付けたかもしれないのに……」
その妖艶な悪人面が歓喜を浮かべるのを目にして、後悔した。
ああ、迂闊だった。
しかし、もう遅い。
俺が覚えているのは、そこまでだった。
最終更新:2016年03月14日 21:22