420 名前:三者面談 ◆oEsZ2QR/bg [sage] 投稿日:2007/07/03(火) 23:12:07 ID:+trzF5VT
「どういうことですか! 志望大学を変えろって!!」
私は思わず立ち上がって、大きく手を振り上げて机を叩いて抗議する。バンっという乾いた音が進路指導室に響き渡る。
私の机の向かい側に座っていた進路指導の高倉良子先生は肩をびくりと震わせた。
しかし、すぐに冷静さを取り戻したようで、手元にある紙束と私を見比べていた。
「え、えっとね。沢木さん。あなた、たしかN大学を受験するつもりよね……」
「ええ、そうです」
私は鼻息を荒くして答える。それに高倉先生が困ったように眉をハの字にして言葉を続ける。
「でもね。あなたの成績だともっと上の大学を狙えると思うの。テストはいつも学年1~3位をキープしてるし、生徒会役員だし……。この学力だとW中央大学も夢じゃないわ」
「そんな大学、興味ありません」
「興味ないって……。でも、もったいないとおもうの。あなたぐらいの人がN大学って……」
特徴的なおおきなメガネのずれを直すと、なおも高倉先生は私を説得しようと上目遣いでこちらをのぞく。歳に似合わない童顔のせいか、一年生の後輩に見つめられるような気分になる。
「ねぇ、沢木さん。もうすこし考え直してくれないかしら?」
「それよりもひとつ気になっていたんですが……」
私は、くるりと視線を高倉先生の隣に移す。そこには俯いたまま私たちのやり取りを黙って聞いていた弟の誠二がいた。
「なぜ、誠二が居るのですか?」
それも、私の横ではなく何故か机を挟んで高倉先生の隣に居る。
本来、進路指導を受けるべきなのは誠二のはずでしょう。ただでさえ、私と違って成績が悪いのだから。
「ね、姉さん。それは……」
「最近は帰ってくるのも遅いし、作ってあげているご飯も残すし。今日はこんなところにいるし、どういうことかしら?」
「あ、あの、えっと」
私と視線を合わせようともしない誠二。
「なぜ、あなたがここに居るのかしら? 説明しなさい。誠二」
「それについては、私から話すわ」
誠二を睨みつける私を遮るように高倉先生はズレたメガネをあげて言う。
そんな先生に、私は嫌悪感を丸出しにした顔で誠二を指差した。
「高倉先生。私より誠二の進路のことが問題なのではないですか? ここで相談するのは誠二のことにしません? 最近の誠二の成績と普段の態度は目に余るものがありますし……」
「いえ、今日はあなたのことを話し合います」
私を正面から真剣な表情で見据える高倉先生。ぐっと一文字に結ばれた口元からは、決意に満ちた感情が感じられる。
「沢木君にも来てもらったのは、あなたの進路のことにも関係があるからなの。そうだよね? 沢木誠二君」
自分に振られ、誠二は怯えながらもこくこくと頷いた。
「う、うん。一度、正面から姉さんとこのことに話し合いたかったんだ」
「それなら家でも出来るでしょう! 誠二!!」
なんで、わざわざ先生を挟んで、こんな補導された万引き女子高生みたいな状態で話し合わなくちゃいけないのよ!?
私が誠二につかみかかろう体を乗り出そうとして、
「やめなさいっ。沢木さん」
高倉先生に腕を掴まれとめられてしまったのだった。早い。
私が手を振り上げた瞬間に予想したように立ち上がり、二の腕を掴んで止めたのだ。その細身の体にどうしてこんな力があるのかと思うほどの強い力。
「あなたがそんな風だから、今日は先生が居るんです。いいから座って話をしましょう!」
くっ、これでは私が悪者みたいだ。私が力を抜いたと感じたらしい高倉先生はふぅと安心したように息を吐くと、掴んでいた腕を離した。そして、席に座るように促される。
私は軽く舌打ちをして私はパイプ椅子に座って、先生と誠二に向き合った。舌打ちした瞬間、誠二が少し怯えたように肩を震わせたのが気になった。……なに。イライラする。
「まぁ誠二のことはいいわ。たった一人の家族だし、三者面談に居てもいいでしょう。でも、保護者は私ですからね?」
「ええ、とりあえず落ち着いて話しましょ」
高倉先生はにっこりと笑って書類を指で叩く。その笑顔がわたしの感情を逆なでする。
「まず、沢木さん。どうしてあなたは学年トップの成績なのに、N大学を受験するつもりなのか聞かせてくれないかしら?」
「……別に」
421 名前:三者面談 ◆oEsZ2QR/bg [sage] 投稿日:2007/07/03(火) 23:13:00 ID:+trzF5VT
「怒ってるわけじゃないの。ただ、理由を教えてくれないかしら」
「理由なんて無いですよ。先生は私がN大学へ行くのは無理だと言いたいんですか?」
「いまはこちらの質問だけに答えて頂戴。あなたの学力なら十分上の大学を狙えるのよ。それなのにどうして、」
「……だから、理由はないと何度も……!!」
「誠二君」
……!
高倉先生はくるりと頭を動かして、隣に居る誠二に聞く。
「誠二君の志望大学はどこだったかしら?」
睨み付ける私にあたふたしながらも誠二は答えた。
「え、N大学……」
「そうね。頑張らなきゃね」
答えた誠二を褒めるように高倉先生は目を細めて誠二の頭を撫でた。
そして、今度はしたり、とした顔で高倉先生はこちらに視線を戻す。
「あなたが理由無く志望する大学と、弟である誠二君がギリギリ入れそうな大学が一緒なのは偶然なのかしら?」
「か、関係ありませんっ!」
「声が震えていますよ」
くっ、私のこめかみに一筋の汗が流れる。
「ねえ、沢木さん。先生に本当のことを教えてくれないかしら?」
高倉先生は回答が分かっておきながらも、あえてそれを私に言わそうとしている。
「姉さん……」
心配そうな顔で、私の顔色を伺う誠二。
……中一の頃、両親が交通事故で死んだ。あたしとまだ反抗期も来ていない小学六年生の誠二を残して。二人はこの世を去った。
それ以来、私たち姉弟はずっと二人っきりで暮らしていた。幼い頃からすでに親から自立していた私と違い、まだまだ親にべったりだった誠二には親の居ない家なんて考えられなかったようだ。
だから、私は誠二の母親代わりとなったのだ。
誠二のために私はなんでもやった。料理も家事も、大好きだった陸上の夢もあきらめて、誠二のために夜もバイトして働いて、誠二を養っていった。
そのせいで、私のせいで誠二が虐められることのないように。誠二のせいで落ちぶれたと言われないように、成績も上位をキープし、誰もやらないような仕事も全て進んでやり、他人や教師からの信頼も勝ち得た。
そして、誠二が私に甘えないように徹底的に厳しく誠二を教育した。私の青春はすべて誠二のために捧げた。そして、そのことに私は後悔はない。
成績がいいとか、内申がいいとか、そういうことはただの副産物に過ぎない。
私にとってはいかに誠二のためであるか。それだけが重要なのだ。
なのに、なのに。
「あなたは、誠二くんと同じ大学に通いたいから、ここを志望しているのよね? あなたの志望している学部も誠二君とまったく一緒だし。ねぇ、沢木さん」
どうして、この教師は。まるでそれが悪いとも言いたげな表情で、私を見つめるのだ?
そして、どうして誠二はそれを止めようとしない?
あまつさえ、
「僕は、僕は姉さんの重荷になりたくない」
……なんでそんなことを言ってくるの?
「姉さんには十分感謝してる。だから、これからは姉さんには姉さんの道を進んで欲しいんだ」
やめてよ。
「姉さんは僕のためにいっぱいしてくれた。だけど、もういいんだ。僕は姉さんを自由にさせてあげたいんだ」
やめてよ。だめよ。
あなたはまだ私が居なきゃダメじゃない。料理だってヘタだし、洗濯だって上手くできない。勉強だってそのN大学に受かるかどうかも微妙なところよ。
「自惚れないで、誠二。あなたみたいなダメな男。まだまだ私の傍に居なきゃダメなのよ」
「自惚れているのはあなたよ。沢木さん」
高倉先生が、初めて立ち上がった。
「……!」
私は、ヘビに睨まれた蛙のように、動けなくなる。
高倉先生の顔は憤怒に満ちていた。可愛らしい幼げな童顔の顔は真っ赤に染まり、眉間には何十もの皺が縦に連なっている。メガネのフレームが熱気で割れそうなほど熱を発し、折れそうなほどの強さで奥歯を噛みしめて、私を睨んでいた。
まるで般若だった。
こんな小さな若い体のどこに、これほどの怒りを込めることができるのだろう。鎖で絡めてガードした心を一瞬で丸裸にしてしまう程の威圧。
私は初めて、この先生に恐怖を抱いた。
422 名前:三者面談 ◆oEsZ2QR/bg [sage] 投稿日:2007/07/03(火) 23:14:06 ID:+trzF5VT
助けを求めようにも、机の向こうに居る誠二は私を同情の瞳で見つめている。机一つしか離れてないのに、誠二がとても遠くに感じる。手を伸ばしても、心が届きそうに無い。
「誠二君の傍に居なきゃダメなのはあなたです。あなたは、それを認めたくなくて、誠二君のせいにして納得しているのです」
「そ、そんなことない……!」
「いいえ、そうです」
高倉先生の言葉が、私の丸裸になった心を鋭利なナイフで突き刺していく。
「悲劇のヒロインを演じて、自己満足しているだけ」
違う……違う違う違う違う!
「違う!」
「違わなくても、そう見えます。それは誠二君にも」
高倉先生の隣にいる誠二も私を見ていた。ここで誠二が違うといってくれれば、すべて元通りなのに。どうして言ってくれないの!? 誠二!!
「あなたがそうやって、誠二君を理由にして苦労するごとに、誠二君を罪悪感で苦しめていることに気付いてないのですか?」
やめろ! 言うな! 苦しめてなどいない! 誠二のことを一番分かっているのはこの私だ!! たかが、教師風情がなにがわかる!?
だから、だから、違うと言いなさい、誠二! 頼むから、頼むから! 違うって言って!! 言ってよぉ!!
「そんなの嘘だ! 私は誠二のためにやってきた! 誠二は私がいないとダメなんだ! 誠二を一番分かっているのは私だ! だから誠二は私の言うことだけを聞いていればいいんだ!! 私の言うとおり、行動して私のために……」
「ふざけるな!!」
しかし、そんな私に業を煮やした先生は。
私との間にあった机を蹴り飛ばした。
大きく横に跳ねていく学習机。
そして、高倉先生は私の首根っこを掴みあげると。
「あなたの都合で、誠二を貶めるな」
「……」
メガネごしに見えるの瞳の奥に住む、高倉先生に姿を化かした鬼が、私を地獄の業火で焼いている。
「確かに、あなたは誠二をずっと支えてきたわ。それは認めてあげます。しかし、もうあなたの役目は終わりなのよ」
冷静に言葉を紡ぐ、高倉先生。ぎりぎりと襟を締め上げて私を睨みつける。
「誠二くんは、もうあなたの支えを必要としていない」
せ……誠二。た、す、け……。
「そして、あなたも。もう誠二くんはあなたの自己満足の道具じゃないの」
「……う」
「姉としての自覚を持ちなさい! 沢木千鶴!!」
………う、う、う、う。
「うるさぁぁぁああい!!!」
私は、掴み上げられていた腕を払うと怒号を上げて、高倉先生から距離をとる。進路指導室の窓から落ちる夕日の光が、目の前にいる高倉先生と誠二にかかってまるで後光のようだった。
「うるさいうるさいうるさい! お前に何が分かる!! 私は姉として、誠二の肉親として当然のことをしただけ! それだけだ! 間違いない!」
怒鳴り咆哮し罵声を二人に浴びせる私に、高倉先生は、もはや何も言わず。同情した目で私は見つめていた。
…なんだ、その目は。
「かわいそうね。沢木さん」
…やめろ。そんな目で私を見るな。
「弟に依存していることに気付けてないあなたは、誠二君の親代わりとしても、姉としても失格よ」
「黙れ! 黙れ黙れ! 誠二! 私は先に帰る。帰って今日のことをゆっくり話すからな、覚悟してなさい! わかった!? 誠二!」
「ね、姉さん!」
私は誠二の返事も聞かず、進路指導室の引き戸をちからいっぱい引いて、外に飛び出た。大きな音が鳴り、たまたま近くにいたカップルがその音に驚いている。
そいつらを一瞥すると、カップルは私の剣幕に恐怖を感じたのか、そそくさと逃げていった。
く、怒りが脳をたぎらせている。
あの教師。高倉良子……。
なにも、わかっていないくせに。私と誠二のことなんてこれっぽっちも知らないくせに。
423 名前:三者面談 ◆oEsZ2QR/bg [sage] 投稿日:2007/07/03(火) 23:14:48 ID:+trzF5VT
いや、それよりも誠二だ。
あの愚弟め。本来あなたは私のほうに立って、高倉先生に言うべき人なのよ。「僕は姉さんがいないとダメ」って。
それなのに……こともあろうに、「姉さんはもう必要ない」? 愚弟め。成績も悪いくせにいきあがって。これは、帰ったら本気で教育してあげないとダメだわ。
「私に逆らうとどうなるか思い知らせてやるわ……」
くくくくく、まず、自分がどれほど小さい存在なのかわからせてやる。
通販で買った、あれもこれもそれもこれも、引っ張り出して使ってあげましょう。
一日で教育しなおして、私に逆らえないようにしてやるわ。
「ふふふふふははははははははははははっっ!!」
私は大きく笑うと、走り、校舎を飛び出して、自宅へと急いだ。
いまから、誠二の再教育の準備をしなければならない。その内容を想像する度に、私は心の底から沸き起こる笑みを抑えることが出来なかった。
「はやく、はやくぅ、帰ってきなさい! 誠二っ。いっぱいいっぱい教えてあげるから……、その体で……。ふふふふふふふふ……!」
しかし、私がいくら待とうとも、誠二は一向に帰ってこなかった。
誠二はソファで横になっていた。
「………」
正面にある小さなテレビからは、お笑い芸人たちが司会者と共に笑いながら自分たちの失敗談を披露している。
しかし、まったく内容が頭に入らない。ただ、テレビを無感動に見つめているだけ。
(本当にコレでよかったのかな……)
「くすくすくすっ。おかっしい」
そんな無表情にテレビを眺める誠二の頭を自分の膝に乗せて、高倉良子は口元に手を当てて上品そうに笑っていた。
黄色のパジャマで普段は後ろでアップにしている髪の毛を、下ろしているプライベートモードだ。
二人が居るのは、高倉良子のアパートだった。テレビと二人用のソファ、それと可愛い小物が並んだ部屋で、二人は恋人のように体をくっつけている。
事実。二人は好きあっていた。このことを知っているのは、お互いのみである。校長や高倉良子の両親、そして誠二の姉でさえも、この二人の関係は知らない。
誠二は体の左半分に感じる太ももの温かさを感じながら、今日のことを思い出していた。
姉との対決。始めて見た姉の取り乱した顔。そして……、高倉先生。
「………」
「どうしたの? 誠二くん」
ふと、顔を上げると。高倉良子がにっこりと微笑んで、誠二の頭を優しくなでていた。
「えへへ。可愛いね。誠二くんは。でも、どうしたの? テレビ、面白くないの?」
あの進路指導室の時の鬼神の顔を微塵にも感じさせない。麗しい女神の表情。そういえば、この笑顔に自分は惹かれたのだ。
「いや、えーっと…」
「お姉さんのことが気になる?」
「うん……」
誠二が軽く頷いた。
その瞬間。
424 名前:三者面談 ◆oEsZ2QR/bg [sage] 投稿日:2007/07/03(火) 23:15:42 ID:+trzF5VT
ミシィッ!!
「いっ!!」
いきなり、自分の耳が高倉良子によって引っ張られる。
「いたたたたたた、いたいいたいいたい!」
高倉良子の指に力が込められ、引きちぎれそうなほどの引力を耳たぶが受けている。そのまま誠二の頭は浮いていき、耳たぶだけで吊り下げられてるようになってしまう。
そして、そこまで伸ばした耳に、高倉良子は優しくささやきかける。笑顔のまま、女神の表情のまま、その瞳の奥に潜む
「誠二くん。お姉さんのことなんてもう考えなくていいのよ? 今日あれだけ言ったにも関わらず、まだわからなかった大馬鹿なんですもの」
「今日、もし誠二くんがほんとの家に帰ったら、きっとあのお姉さんにこの世のものとは思えないほどの酷いことされるんだよ? だから、先生がここに住ませて避難させてあげてるの」
「誠二くんは今日から先生の部屋に住人になったんだよ。だからここでは先生のルールに従うの。約束したよ? 覚えてる?」
「言ったよね。このアパートでは先生以外他の女のことを口に出しちゃダメだって。先生、被害妄想の誇大妄想女だから誠二君が自分以外の女の子の名前言っただけで、
寂しくて寂しくて寂しくて寂しくて寂しくてサミシイサミシイ病でウサギみたいに死にそうになっちゃうの。それが誠二君の実の姉だとしても。いや、姉だからこそね……」
「わ……わかったっ、わか、いたいいたい!」
高倉良子は誠二の姉の気持ちが痛いほどわかっていた。自分と同じ人間だから。
徹底的に愛しい人を自分に向けさせるための束縛。自分と同じ欲望を持っていることに気付いていたのだ。
しかし、それを彼女にわからせてやる必要は無い。むしろ、それを利用して誠二とあの五月蝿い姉を引き離すこと。高倉良子にとってはそれがなによりも重要だった。
「だから、この家では。お姉さんの話は禁止。わかった?」
「わかったわかったわかったわかった!」
「そう。うふふ、よかった」
耳たぶを離す。ぼふんと頭が膝枕に落ちた。頬をはねる弾力が気持ちいい。
「えへへ、誠二くん。これからもずっと一緒だよ」
「うん、先生……」
高倉良子の唇が、誠二の頬に触れる。そのまま、高倉良子は膝枕していた膝を外すと、ソファの上をのそのそと動き、誠二に覆いかぶさる。そして、潤んだ瞳で誠二に優しく微笑みかけると、自らの体を任せるように肌を合わせていった。
高倉良子に服を脱がされながらも、誠二は(本当に、本当にこれでいいのだろうか)と、家で自分を待っているはずの姉を思いながら、ずっと自問していた。
高倉良子と歩む未来は、姉と歩む未来とそう変わらないことにも気付かず……。
(終わり)
最終更新:2007年11月05日 02:30