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淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/02(金) 22:23:48 ID:PyBj44dT
「隠し子ぉっ!?」
「ええ。馬鹿にした話だけどね」
綾瀬本家に帰った喜十郎たちを待っていた義母・道子の話は、土産話というには余りに衝撃的だった。
「愛人に生ませた子でさえ、女の子だと言うのだから、女系家族ここに極まれりだわ」
皮肉に満ちた舌鋒はますます冴え渡り、その瞳の毒はさらに禍々しい光を帯びる。
彼女の怒りが相当なものである事は、もはや疑いは無かった。
(まいりましたわ……これは)
春菜は、そんな母の様子を絶望のこもった眼差しで見つめた。
ハッキリ言って――他の姉妹は知らず――彼女は父親の和彦を尊敬している。
あの、見るからに謹厳実直、温厚篤実の風貌を持つ父が、永年にわたって母を騙し、外に愛人を囲っていたなどと、とても容易には信じられない。例えそれが母の言葉であったとしてもだ。
何かの間違いではないのか。いや、間違いであって欲しい。……春菜は心底そう思う。
それに、問題はそこだけじゃない。
確かに、春菜としても、父のことを信じたいし、それ以上に浮気された母を哀れにも思う。だが、今の彼女……いや、彼女たちにとって、いま現在、夫婦喧嘩が長引くようだと、別の理由で非常に困るのだ。
そのまま視線をずらし、春菜は、そっと喜十郎に目をやる。
他の姉妹たちと同じく、あまりに意外な話の成り行きに、ぽかんとしているようだ。
だが、彼のそのうなじに残る赤い痣が目に入った瞬間、彼女の頬が思わず朱に染まった。
――ワタクシがつけたキスマーク……。
そう、その内出血の痕こそ、帰路のさなか、とある駅の女子トイレで、春菜が桜や真理とともに彼につけた、隷属の誓いの接吻の痕なのだ。
そして、その誓いを空洞化させないためにはどうしても、これまで以上の苛烈な調教を喜十郎に施す必要がある。そのためには、やはり母にこれ以上、我が家に居残られては迷惑なのだ。だから、どうしても母の怒りを解く必要がある。
それが、年長組三人がその後、あらためて出した結論だった。
しかし、一瞥したところ、母の怒りは容易に収まる気配は無い。
収まるどころか、二度と夫のところへなど帰らぬ、と言い出しかねない勢いだ。
春菜は、なまじ道子の言い分が理解できるだけに、いよいよ返す言葉が浮かばなかった。
28 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/02(金) 22:25:55 ID:PyBj44dT
考えてみれば面妖な話だ。
家庭に母親がいるのは世間的には常識。常識というよりは当然。当然というよりは必然。
それを“男”とのコミュニケーションに不都合だからといって、保護者の存在を迷惑がるなど聞いたことも無い。いや、普通にあっていい話ではない。
春菜は、そんな目的で親の存在を邪魔者扱いしてしまう自分たちの、どうしようもない罪深さを思い返すと、まともに顔を上げられないほどの羞恥心が、その身を焦がすのだ。
母の話によると、父・和彦の浮気は、かなり以前からのものらしく、少なくとも隠し子の年齢から見て、およそ十五年以上も、その愛人と交際は続いていたようだ。
コトの露見の発端は、先週イキナリ和彦の娘を名乗る二人の少女が、博多支社の社宅を訪ねてきたことによる。
凛子(りんこ)と麻緒(まお)という二人が言うところによると、
先日、母――つまりは父の愛人なのだが――が事故で死んだ。ついては葬儀の段取りと、今後の自分たちの身の振り方について相談したい。是非とも“父”としての誠意をみせてほしい。
……との口上だったそうだ。
道子が激怒してこっちに帰ってきたのも、まあ無理からぬ話だろう。
それどころか、母の気位を考えれば、その場で父の身に血の雨が降っても決して不思議ではない。
いきなり十五年来の裏切りを聞かされて、しかも眼前には隠し子まで出現し、怒りをぶつけようにも、当の愛人は事故で死んだと聞かされては、その娘たちを罵倒する事さえ出来ない。
まあ、不幸中の幸いと言っては何だが、彼女たちの言う誠意――要求とは、金銭ではないらしい。
母が言うには、父の愛人はかなり名のある投資家だったらしく、在宅の株券売買でかなりの財を稼いでいたそうで、父の稼ぎが彼女たちの生活費に化していた事実はないそうだ。
「下手をすれば、こんな建売住宅なんかより、よっぽどいい家に住んでるそうよ」
その事実すら母には気に入らないらしく、歪んだ笑みを浮かべて言う。そして当然のことながら、彼女のその目は全く笑っていない。
春菜は、そんな母の言葉を、焦れるような気分で聞いていた。
もう、間違いない。
このままでは、母を追い出すのは不可能だ。
せっかく喜十郎が自分たちに服従を誓ってくれたというのに。
春菜の中に、ふと、こんな事態を差し招いた父への怒りに似た感情が、初めて湧いた。
29 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/02(金) 22:28:05 ID:PyBj44dT
「で、いま義父さんはどうしてるんですか?」
口を開いたのは喜十郎だった。
道子は、まるで吐き捨てるように、そんなこと知らないわ、と声を荒げた。
――が、そのまま喜十郎の冷静な視線にさらされ、溜め息をつくと、
「と、言いたいけど……今頃は、その浮気相手のお弔いに東京に帰ってきてるわ」
二人の隠し子も連れてね。と、毒に満ちた口調で続けた。
「……」
喜十郎も、口をつぐんで黙り込む。
だがその瞳には、ヒステリックに怒り狂う義母とは違う、思慮深い光が灯っていた。
「――で、義母(かあ)さんたちとしては、今後、その二人をいかが扱うつもりですか?」
「は?」
道子の表情が一瞬ぽかんとなる。
が、次の瞬間、これまで以上に顔を歪ませ、怒りに言葉を震わせる。
「そんなこと、そんなこと、私の知った事ですかっ!! あの隠し子たちと私の間には、全く何の関係も無いのですよっ!!」
「それはおかしいでしょう」
そう言って顔を上げた喜十郎の声音は、むしろ高校生には聞こえないほどの冷静さが満ちていた。
「その隠し子さん二人と義母さんの間には、確かに血のつながりも何もありません。でも、彼女たちが義父(とう)さんの娘であり、あなたが義父さんの妻である限り、無関係だなどとは言えないはずでしょう――それとも」
このまま、義父さんと離婚されてしまうおつもりですか。
そう尋ねた喜十郎は、普段見せている朗らかな空気が一変してしまっている。
責める口調でもなじる口調でもない。彼としては、淡々と常識的な意見を述べているに過ぎない。
でも、たったそれだけのやりとりで、あれだけ騒いでいた道子が何も言えなくなってしまっていた。
(出た……お兄様の突然変身!)
“妹”たちは、胸躍らせるような気持ちで、喜十郎の変貌を見守る。
道子は未だ見たことは無いようだが、これこそ彼の真髄――滅多に見せない『頼れる“兄”モード』の綾瀬喜十郎の顔だった。
30 淫獣の群れ(その14) sage 2007/11/02(金) 22:36:30 ID:PyBj44dT
「私に……どうしろって言うの……?」
喜十郎のまっすぐな眼差しに、道子が拗ねたように目をそらす。
「オレの友人の兄貴が弁護士をやってます。その人自身は刑事事件の専門ですが、頼めば、民事司法専門の方を紹介してもらう事もできます。いずれにせよ――」
スジは通さねばならないでしょう。喜十郎はそう言うと、席を立ち、電話の受話器を取った。
「とりあえず、義父さんと連絡を取ります。愛人さんの葬儀はもう終わっていますか?」
「……どうするつもり?」
「知れたこと」
そう言うと、プッシュホンの短縮ダイヤルを押し、和彦の携帯に回線をつなぐ。
「一度、その隠し子さんを交えて、きちんとした話し合いの場を持つべきでしょう」
「まさか……その話し合いを……今からやれ、と……?」
道子の顔色が変わる。が、喜十郎はそんな彼女をなだめるように言う。
「まさか」
もはや会話上では、どっちが年長者か分からなくなっている。
「でも、スケジュールの調整は早目にやっておいた方がいいでしょう。二人の都合も、義父さんの都合もあるでしょうから。ましてや義父さんはサラリーマンですからね。……あれ、なかなか繋がらないな?」
受話器からは、そのまま電話のコール音が、薄く聞こえて来る。
――が、やがて、春菜が気付いた。
「あれ、兄君さま、何か玄関先から着メロが聞こえて参りません?」
「そうですわ……でも、兄上様これって……?」
「おとうたまのけーたい?」
春菜に続いて、真理と比奈が気付いたその時、
がちゃがちゃ、――かちん。
という、ロックが外れる音が聞こえ、
「――た、ただいま……」
不安げに帰宅を告げる、和彦の声が聞こえてきた。
「あっ、あなたっ、……一体どのツラ下げて……!!」
その途端、怒りのうめき声をあげつつ、玄関先に疾走する道子。
しかし、
「おじゃましまぁす」
「……」
「ほらっ麻緒っ! 人見知りもいいけど、挨拶くらいちゃんとしなさいっ。こういうのは気合なんだからっ!」
浮気亭主の声に続いて聞こえてきたのは、二人の少女たちのひそひそ声だった。
「まっ、まさか……!」
そこに居合わせた全員が玄関先に急ぎ、そこに展開された、思いっきり予想通りの絵に愕然とした。
「こっちが妹の麻緒、で、こっちが姉の凛子。――今日から一緒に暮らすんだから、まあ、その、仲良くしてやってくれ」
「いっしょにくらすぅっ!?」
期せずして“妹”たち全員が、ハモってしまう。
「うん、まあ……そういうことだ。なはははは……」
脱力気味の病んだ笑いを、和彦が浮かべる。
喜十郎が、実の妹にお尻の処女を奪われた日、綾瀬家にまた二人――妹が増えた。
最終更新:2007年11月07日 16:57