59 :【愛憎一重(1)】:2007/12/04(火) 00:22:47 ID:wzPyzBZb
兄様に届いたかしら。
届かない筈がないわ。私の送った懸想文。
兄様はお出で下さるかしら。
お出でにならない筈がないわ。
ここは、兄様と私が生まれ育った家。
家でもあった御社、それがかつて建っていた場所。
私が焼き払ってしまったけど。
鎮守の杜もろとも。御神体もろとも。父と母もろとも。
だから、この場所を選んだのよ。兄様が必ず来てくださるように。
「――幾夜(いくや)さんね」
呼びかけられて、私は振り向く。
誰?
白い千早に緋袴――凛とした巫女装束姿。
私も同じものを纏っていたけど――私のそれは、瘴気に穢れている。
「和陽(かずひ)さんは来ないわ」
「なぜ?」
私は見知らぬ巫女に問い返す。
なぜ兄様は来ないの?
なぜ、あなたが兄様を和陽さんなどと馴れ馴れしく呼ぶの?
なぜ兄様と私の暮らした思い出の家に、それがあった場所に、あなたが土足で踏み入るの?
「これ以上、和陽さんを苦しめるわけにいかない。あなたは――私が滅する!」
愚か者。
術を繰り出そうとした巫女の眼前に、私は「瘴壁」を生み出す。
生垣のように聳える瘴気の荊(いばら)だ。
そこに幼い兄弟が、四肢を絡めとられ磔にされて泣き叫んでいる。
そう――巫女の眼には映った筈だ。
彼女は表情を引き攣らせ、攻撃を逡巡する。それが隙になった。
瘴気の荊がうねるように伸びて巫女自身を襲い、装束もろとも腕や脚や胴を引き裂いた。甲高い悲鳴。
幼い兄妹も四肢を引きちぎられたかに見えたが、彼らは血や肉片を残さず消滅した。
魂の残滓に過ぎなかったから。
哀れな兄弟は、とうに私が喰らっていたのだ。
血まみれのボロ布のようになった巫女は、しかし私の足元で、まだ生きていた。
蹴り転がして、仰向けにする。
奇跡的に顔は無傷に近かった。綺麗な人だと思う。
60 :【愛憎一重(2)】:2007/12/04(火) 00:25:08 ID:wzPyzBZb
「もう一度訊くわ。兄様はなぜ来ないの?」
私は訊ねた。
「……ぉぁ……」
喉を切り裂かれた巫女は、話すことができないようだ。
眼に涙を滲ませ、ひゅーひゅー喉笛から空気を漏らしながら、口をぱくぱくさせている。
「もしかして、兄様は私の手紙を読んでないの? あなたが手紙を横取りしたの?」
「……ぃ……ぁ……」
「答えて。頷くとか首を振るとかできるでしょう?」
私は腰をかがめ、巫女の身体に手を伸ばす。
正直な答えを引き出す方法はいくらでもある。例えば、傷口を指で抉るとか。
「――幾夜!」
声に、私は動きを止める。
ヒトであることをやめたときから凍りついていた私の心に、じわりと熱いものが甦る。
「……兄様」
私は振り返り、にっこりと微笑んだ。
最愛の人、私の兄様。凛々しい狩衣姿。
いくらか背が伸びたかしら。十八でまだ成長期なんて羨ましい。
少し痩せたかしら。美味しいものを食べていないのかも。
幾夜が一緒にいられたら、兄様のために毎日お料理してあげられたのに。
でも兄様は、ちゃんと手紙を読んでくださったのね。
愚かな女が兄様を出し抜こうとしたけど、無駄骨だったということね。さすが私の兄様。
その兄様の視線が、私の足元に向いた。
「……紗奈……」
沈痛な表情でつぶやく。
それが、この女の名前? 許せない。
私の憎悪が瘴気となって女を呑み込む。
――ぼむっ!
私の足元で、風船が弾けた。ゴムの代わりに人の肉と皮が飛び散った。
兄様が眼を剥く。
「紗奈……!」
そして、再び私を見て絶叫する。
「幾夜ッ……おまえはァァァァァッ!」
「ああ、兄様!」
私は歌うように歓びの声を上げる。
いま兄様は、私しか見ていない。
誰とも知らない巫女とか、ほかの女たちに眼もくれていない。
61 :【愛憎一重(3)】:2007/12/04(火) 00:26:34 ID:wzPyzBZb
「何故なんだァァァァァッッ!」
兄様の悲痛な叫び。
簡単なことです、兄様。
私が魔性のモノに堕ちたのは。
兄様が私を見てくださらなかったから。私だけを見てくださらなかったから。
だから魂を売り渡したんです。
効果は覿面。
もはや兄様の眼には私しか映っていない。
たとえ、その心の中にあるのが私への憎しみだけだとしても。
兄様が私以外の誰かのことを考えるなんて嫌。
さあ、あとは兄様。
私が兄様の手にかかって散るか、兄様が私の腕の中で果てるか。
これから私たちの時間。二人きりの時間。
月だけが兄様と私を見守っているわ。
最終更新:2007年12月12日 12:32