荒野、一人で1

69 :荒野、一人で ◆KYxY/en20s :2007/12/05(水) 03:29:39 ID:P3rFcuNq
 屋上のドアを開けると、オレンジ色の光が視界を覆った。サッカー部か野球部
か、歓声のような声も遠くで聞こえる。
 私は光を手でさえぎると、周囲を見回した。夕焼けで、屋上が焼けるように染
まっている。私の影も、なにか違う生き物のように長く伸びていた。
 秋という季節が好きだった。寒くなり、制服のスカートには堪えるが、暑さに
比べればよっぽどましだと思っていた。寒さは重ね着でなんとでもなるが、暑さ
はどうにもならない。そしてこの夕焼けだ。夕焼けは、この季節が一番輝いてい
る。それに、真仁(しんじん)の好きな季節でもあった。
 ちょっとだけ風が吹いた。スカートを軽く押さえると、私は後ろ手にドアを閉
めた。
 焼けた屋上の奥に、川崎がいた。手すりにもたれ掛かり、両手をポケットに入
れている。
 眼が合った。こちらには気付いているが、寄ってこようとはしなかった。来い、
ということなのだろう。かすかな苛立ちを感じながら、私は近寄っていった。
「遅かったな」
 まるで自分が呼び出されたかのように、川崎が言った。
「話って、なにかな」
「こんなとこに放課後呼び出されるんだ。検討はついてんだろ、真央」
 芝居がかった言い方をすると、川崎は反動をつけ、手すりから上体を起した。
 どこか勘違いした男なのだろう。クラスや部活での人気と、男としての善し悪
しを取り違えている。バスケ部のエースかどうかは知らないが、夢見がちなお調
子者に、私はなんの興味も抱けないでいた。ほぼ初対面なのに、いきなり名前で
呼ぶのも癇に障った。
「付き合って欲しいんだよ」
「ごめんなさい」
 頭を下げると、私はすぐに踵を返した。けっこうカッコいい、という評判の顔
を、一秒でも見ていたくない、と思った。どうせ作られた顔だ。ピンセットで整
えられた眉に、スポーツマンらしくこけた頬、ワックスでてかっている髪、思春
期特有のニキビ顔。平凡なものだ。
「おいっ、ちょっと待てって」
 横を追い越すと、川崎が眼の前に立ち塞がった。
「訳ぐらい聞かせろよ」
「好きな人が、いますから」
「それって、真仁のことだろ」
 私は川崎を見あげた。
 百八十センチはあるのだろう。私も、女として低い方ではない。百七十センチ



70 :荒野、一人で ◆KYxY/en20s :2007/12/05(水) 03:30:40 ID:P3rFcuNq
はあるのだ。背の高さだけは、流石バスケ部といったところか。
「あなたには、関係ないことですよ」
「真仁は弟だろ。正気かよ、お前」
 それ以上聞かず、川崎の横をすり抜けた。心の中で、何かが頭をもたげていた。
あと一言と言われれば、それが姿を現す。いや、本当はもう、姿を現しているの
かもしれない。
 私はそれを振り切るように、歩調を速めた。
 声が聞こえた。それも振り切る。
 ドアノブに手をかけると、反対側の手首を掴まれた。汗ばんだ手の平の感触が、
気持ち悪い。
「まだ、なにか」
「もったいねぇじゃないか、きれいな顔して。いままで何人振ってきたよ」
「それも、あなたには関係ないことでしょ」
「ここら辺で俺と付き合ってみろよ、真央。悪いようにはしねぇ。男ってものを
教えてやるよ」
「ひと呼びますよ」
 川崎がせせら笑った。私はドアノブから手を離した。手首を掴んでいる右腕に、
その手を添える。川崎の腕は、手の平のように汗ばんではいなかった。
「なぁ、いいだろ。俺だったら真仁になんて出来ないようなことしてやれるぜ?
それなりに場数も踏んでるしよ」
「例えば?」
「ん?」
「例えば、どういうこと」
「こういうことさ」
 二歩、歩いてきた。川崎がドアに手をつく。上体を曲げ、覆いかぶさるように
した。
 顔が、近付いてくる。私は腕を掴むと、一瞬体の力を抜いた。呼吸一つ。体を
抜く。回りこむと、背後で川崎の右腕をひねりあげた。呻きが聞こえた。ドアか
ら手を離し、川崎が体を反らす。腕をひねりあげたまま、私は川崎の体を押した。
派手な音をたて胸板からドアに突っこませると、そこで完全に右腕を決めた。川
崎の左腕が動いた。突っ張ろうとした左腕を払う。左手首を掴み、ドアに押し付
けた。川崎はもがいているが、ドアから体は離れない。
「てっ、てめぇ」
 川崎が顔だけをこちらに向けた。怒気を孕んだ表情で、顔を赤くさせている。
違った。これは夕焼けの赤さか。
「はなせ、この野郎っ」



71 :荒野、一人で ◆KYxY/en20s :2007/12/05(水) 03:31:09 ID:P3rFcuNq
 私は、川崎の腕を内側に折っていった。息を詰まらせると、威勢のいい顔が歪
んだ。呻きが、次第に悲鳴へと変わっていく。
「野郎じゃないわ、私」
 膝を、川崎の股間に叩きこんだ。川崎は屈もうとしたが、許しはしなかった。
さらに腕を決めていく。震えながら、川崎が上体を起した。五度繰り返す。
「頼む、離してくれ」
「いい思いさせてくれるんでしょ。シンに出来ないような」
 さらに折っていった。呻きが、はっきりと悲鳴に変わった。
「さっきのは悪かった。だから。このままじゃ、肩が外れちまう」
「大丈夫よ。人の体って、意外ともつものよ」
 川崎の肩が、音を鳴らした。肩も悲鳴をあげている。掴んだ腕を通して、その
感触が伝わってきた。しかし、まだいけるだろう。急に間接を決めているわけで
はないのだ。徐々に関節を伸ばしていく。そうすれば、そう簡単には外れはしな
い。首も、その気になれば三十センチは伸ばせる。
「球つきがうまいからって、調子に乗ったの、あなた?」
「お願いだ。腕を離してくれ」
 川崎の声に、怯えが交じっている。
「そうは言うけど、さっきから全然外れないわよ? 男なら、黙って堪えなさい」
 川崎は爪先立ちになっていた。肩が、おかしな具合に盛りあがっている。そろ
そろかもしれない、と私は思った。もうちょっと内に入れてやれば、軽い抵抗の
あと外れるだろう。
 やめるつもりなどなかった。この男は、踏みこんではいけないところに足を踏
み入れている。言ってはいけないことを、言った。何故こんな勘違い男に、真仁
の悪口を言われなければならないのか。私の思いを貶められなければならないの
か。
 言いようのない怒りがこみあげてきた。眉間が狭まる。
 瞬間、鈍い感触が伝わってきた。肉の崩れる感触。束の間、川崎の息が詰まっ
た。無意識に力を入れていたのか、川崎の肩が外れていた。
「いっ、が、ああぁ」
 悲鳴が、か細いものになっていく。だがすぐに甲高いものに戻った。私はまだ、
川崎の腕を離していない。
「お願いだ、もうやめてくれ」
 川崎の二の腕は、ほとんど水平になっていた。肩が外れたせいか、さらに余裕
ができていた。どこまでいけるだろう。興味が沸いた。
「頼む、なんでもするから。離して」
 水平を越したところで、私は川崎の顔を見た。頬が濡れている。濡れたところ



72 :荒野、一人で ◆KYxY/en20s :2007/12/05(水) 03:31:47 ID:P3rFcuNq
がオレンジに輝き、揺らめいていた。
「べつに何もする必要ないわよ。ただ」
 川崎の眼が、頼りなくこちらを向いた。額に、玉の汗が浮かんでいる。
「私が少し、おかしいだけよ」
 言うと、川崎の両腕を解放した。同時に爪先立った足を払う。左肩を掴んで、
右肩から突き落とした。足下で、川崎は叫びながらのた打ち回った。暴れるたび
に、右腕だけ遅れるようにぷらぷらしている。
 私は川崎の髪を掴むと引き起こした。暴れる左腕の関節を決め、黙らせた。
「お願いだ、何でも言う通りする。だから左は」
「だったら言う通りにしなさい。右腕治してあげるから」
 川崎の体から、無駄な力が抜けていった。それでも右腕が揺れると痛むのか、
歯の隙間から呻きを断続的にさせている。鼻息も荒かった。
 私は川崎の髪を引っ張って位置を定めると、左腕を固定したまま、ドアに右肩
から突っこませた。肉の感触。私の腕を振り払い、川崎がその場で海老のように
うずくまった。右腕は揺れていない。
「起きなさい」
 左手を床につけ、震えながら川崎が起きあがろうとする。踏みこみ、顎を蹴っ
飛ばした。川崎の体が後ろに転がった。ドアの前にうずくまられたら、屋上から
は出られない。
 屋上から出ると、二階まで階段で降りた。
 トイレに入り、手を洗った。掴まれた手首から、石鹸で入念に洗う。ハンカチ
で手を拭くと、私は鏡を見た。髪が乱れていた。ロングヘアーだと、乱れが余計
に目立ったように見える。手櫛で簡単に直した。
 201教室。入ると鞄を持ち、校舎を出た。
 夏休み前と冬休み前には、ああいう男が何人か出る。休みを利用して女を弄ぶ
ためだろう。真仁を好きだと、日頃から公言しているが、どうせ本気には誰も取
っていない。真仁本人もきっとそうだ。私の思いを、本気にはしてくれていない。
 左手が寂しかった。毎日、行きも帰りも真仁と一緒に帰るのだ。十一月。手袋
をするかしないか微妙なこの時期。私が手袋をせず寒そうにしていると、必ず真
仁は手を繋いでくれる。それがうれしくて、この時期はいつも手袋を忘れた。貴
重な時間だ。それなのに、それを邪魔する人間が何人もいる。
 風が吹いた。運動部の掛け声や、運動場を駈け回る音もした。
 校門を抜けると、気持ちを入れ替えた。真仁の顔を思い浮かべる。今日の告白
を話したら、真仁はどう思うのかな、と私は考えてみた。誰が告白したか聞いて
くるだろうか。取り澄ましたように生返事返してくるだけなのか。軽い嫉妬ぐら
い、見せてくれるのか。



73 :荒野、一人で ◆KYxY/en20s :2007/12/05(水) 03:32:42 ID:P3rFcuNq
 私は足取りを速めた。真仁に早く会いたいと思った。抱きついたり、お話もし
たい。それに今日は、一緒に帰れもしなかったのだ。頬にキスするぐらい、許し
てくれるかもしれない。許してくれなくても、不意打ちでしてしまおう。
 駅前の道へ来た。クリスマス商戦がもうはじまっているのか、ショッピングモ
ールにはきらびやかな飾り付けが成されていた。駅の壁にも、点けてこそいない
が電飾が取り付けられている。
 しばらく行くと、信号で止められた。眼の前を、車が流れていった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2007年12月27日 13:36
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。