875 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/12(日) 11:01:56 ID:xKbFvRLR
夏休みが明けた9月1日土曜日。
今日からは全国の小中高校で一斉に二学期が始まる。
そうなると、当然中には憂鬱な気分で学校へ向かう人間もいる。
夏休みが永遠に続くわけではないとわかっていても、学生の本分が勉強であるとわかっていても、
夏休みという超大型連休が終わった次の日に学校へは行きたくないものだ。
哲明もそのクチだった。
哲明は成績や学校での生活に不満があるわけではない。それでもやはり二学期初日は気乗りしないものだ。
今日は半日で学校が終わること、土曜日であるため明日の日曜日が休みになっているのが少しの救いだった。
そんな兄とは対照的に、明菜の気はかなり充実していた。
今日の食事当番が哲明だったため、朝から哲明のエプロン姿を見られて嬉しかったり、
哲明の作ったスクランブルエッグの塩加減が彼女の好みに合っていたというのも上機嫌の理由に入る。
しかし最大の理由は、明菜の体の中で闘争心が燃えさかっているからだった。
普段から明菜は姉とよく口論になるように、割と好戦的な性格をしている。
もちろん誰かれかまわず喧嘩を売るような馬鹿な真似はしない。
事が愛しの哲明に絡んでくるときになってようやく火がつくのだ。
現在明菜の心に火がついているということは、彼女の周囲で哲明に絡む非常事態が発生している、ということだ。
非常事態。それは哲明の姉妹にとっては哲明を奪われる可能性を孕む事態のことを指す。
時に大胆なことをしてでも哲明の身は守らなければならない。
そう考える姉妹にとって、今の状況では羞恥心など邪魔なものでしかない。
二学期初日から腕を組んで登校することを恥じている場合ではないのだ。
「おはよー、明菜ちゃん」
「今日も二人とも仲いいな」
「夏休みの間に一線を越えたりしちゃった?」
などと、知り合いから声をかけられても恥ずかしがってはいけないのだ。
だがそれは現状が非常事態であると知っている明菜にとってのみ適用されるものであるため、
現状に何の問題点も見いだせない哲明には関係がない。
だから今の哲明は、左腕をがっしりと掴んでくる妹に困惑していた。
「なあ、明菜。朝からどうしたんだ?」
「どうもしてないけど。ただ腕を組みたいだけ」
「そういうのはやめてくれって前頼んだら、いいって言ってくれたじゃないか」
「条件付きでね。非常事態のみ、その約束は無効になる」
「じゃあ……今が非常事態?」
「そうよ」
哲明は周囲を見回した。
同じ高校に通う生徒達が一人、あるいは数人で固まりながら歩いていく。
一学期と何ら変わりない光景だ。
876 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/12(日) 11:03:54 ID:xKbFvRLR
「今のどこが非常事態? むしろ明菜と、後ろから尾行してくるリカ姉の方が異常なんだけど」
兄の呑気な声を聞き、明菜は嘆息した。
「テツ兄、昨日変なメールが届かなかった?」
「ああ、俺が朝倉さんと付き合いだした、とかいうメールが」
「それ、嘘でしょ?」
「当たり前だろ。俺が朝倉さんみたいな人気者と付き合えるわけがない」
「それなのに、嘘のメールが出回っている。これについてどう思う? 異常だと思わない?」
「どうせ誰かの送ったいたずらだろ。俺からメールが送られてきた、とか言ってるけど俺は送ってないし」
「……本気でそう思ってるわけ? 悪意のある人がやった、とか考えないの?」
「そこまで深く考えるほどのもんじゃないだろ」
「……ま、いいか。そう思ってるならそれで。その方が下手に動かないでもらえるから」
明菜は振り返った。後ろからはスーツを着た女性ががついてきている。
哲明の姉であり哲明と明菜のクラスの担任でもある、リカだった。
リカと肩を並べて一緒に歩いている人の姿はない。
学生の通学路を利用する先生があまりいない以上、それは普通の光景だ。
むしろ普通でないのはリカの方かもしれない。
血のつながった弟と妹を尾行しているのだから。
「さっきから何でリカ姉もついてきてるんだよ」
「用心のため。後ろからやってくる猫を事前に防ぐにはああするのが一番なの」
「お前が腕を組んでてリカ姉が尾行しているのは、猫除けのためなのか?」
「ええ、そうよ。しかも狡猾な、ね」
「どんな猫だよ、それ」
猫パンチをヒットアンドアウェイで放ってくるような猫なのだろうか。
「いくよ、テツ兄。あんまりゆっくりしてると遅刻する」
「はいはい」
哲明と明菜、それとリカは他の登校中の生徒に混じって、高校の正門へと入っていった。
877 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/12(日) 11:06:31 ID:xKbFvRLR
哲明と明菜が校内に入ったとき、異変が始まった。
周囲の人々が、その視線を二人に注いでいるのだ。
それは双子の兄妹で腕を組んでいることに対する奇異の視線なのかもしれない。
が、今日ばかりはそれは外れだろう。
「あの男の方?」
「そう、2-Aの哲明君。朝倉さんと付き合ってるんだって」
「しかも妹とも一緒かよ……」
ひそひそと聞こえてくる声が語っているように、例の嘘メールの噂のせいで哲明の名が知れ渡っているのだ。
弁解しようにも、どう弁解すればいいのかわからない。
嘘だ、事実無根だ、と言うのは簡単だ。しかしそれを信じてくれるか、というと話は別だ。
大抵の人間は噂などどうでもいいと思っているため、それが事実かどうかなど気にしないのだ。
結局のところ、噂が沈静化して人の興味が失せていくのを待つのが良策なのだ。
「なんかやけに視線が痛いな……」
「そりゃそうよ、朝倉直美なんて人気者を射止めた人間がいたら誰だって見てみたいもん。
私だってその相手がテツ兄じゃなきゃ面白がってたよ」
それは哲明も同じだった。
同級生の恋愛沙汰、しかも人気者の朝倉直美の恋人。
相手の男にしばらく興味を抱くのは当然だろう。
878 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/12(日) 11:09:28 ID:xKbFvRLR
哲明と明菜が教室の前にたどり着いたとき。
廊下にいたクラスメイトたちが一斉に教室へと避難していった。
哲明、もしくは明菜が恐れられているわけではない。
おそらくは2人が教室にやってくるのを待っていたのだ。
「ふん、やっぱりそうくるわけね……上等だわ」
「ああ、絶対なんか言われる……入りたくねえ」
「入らないわけにはいかないでしょ。ほら、いくよ」
明菜は哲明と腕を組んだまま、教室のドアを開けた。
途端に歓声が起こった。クラスメイト達のあげる喝采の声だった。
「おめでとう、哲明君!」
「いつから付き合いだしたの? もしかして夏休みの前から?」
「初体験、おめでとう」
「鉄は熱いうちに打て……」
「出るテツは打たなきゃな……」
しかし、歓声は急に静かになった。
歓声を聞いて明菜の顔が怒りの形相になったのだ。
尖った眼差しがクラスメイトを射貫く。
小さな悲鳴が起こり、視線が次々と哲明から離れていく。
「あ……あははは……」
「あー……なあ、宿題やってきたか?」
「見てみてこれ、部活焼け。もー最悪だよねー」
入り口に立ったままだった哲明と明菜はようやく自分達の席へ向かった。
哲明の席は廊下側の一番後ろ。明菜の席は哲明の前。
そして、哲明の左には黒髪を垂らしている女の子が座っていた。
彼女の顔には、もはや武器にすらなりうる威力を持った小悪魔的な笑顔が貼り付いている。
校内に広がる噂話の渦中の人、朝倉直美だ。
「おはよう! テツ君!」
「おはよ、朝倉さん」
「明菜ちゃんも、おはよう」
「……ええ、バッドモーニング」
明菜はそれだけ言うと机の上に両腕を置いた。そして腕を枕にして眠りについた。
「明菜ちゃん、なんか不機嫌みたいだね。なにかあったの、テツ君」
「朝倉さんも知ってるよね、あのメールの話。あれを聞いて明菜が不機嫌になっちゃってさ」
「へー。テツ君、愛されてるねえ。――私も愛しちゃおっかな」
「ん……今なんか変なこと言わなかった?」
「んーん、なんでもないよ。空耳空耳、あはははっ」
ぱたぱたと手を振っておどけてみせる朝倉直美。顔色は変わらない。
2-AのHR前の朝の時間で哲明と朝倉直美が会話をするのは珍しくない。
クラスメイトも、哲明の前の席に座る明菜も、2人の会話に耳を傾けていた。
それはクラス担任であるリカが教室のドアを開けて教壇に立つまで続いた。
879 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/12(日) 11:12:15 ID:xKbFvRLR
帰りのHR終了後、リカは誰もいない教室にいた。
教師が放課後に一人で教室の中に残っているということは、生徒絡みの用件があるということに他ならない。
そしてその通り、リカは一人の生徒を待っていた。
リカの場合、放課後に教室に呼び出す相手は自身の弟の哲明であることが多い――というより全部だ。
しかし、今日呼び出した相手は哲明ではない。
リカは今日、弟に近づこうとする一人の女子生徒に呼び出しをかけた。
誰にも知られない、当事者間でしか知り得ない連絡方法で。
教室のドアが開いた。
リカがドアの方を振り向くと、呼び出した相手が不思議そうな顔をして立っていた。
「あ、あれれ? 先生?」
「来たか、朝倉直美」
「え、この手紙って、先生? やけに綺麗な字だったからどんな男の子かなー、と思って来てみたら、先生?」
朝倉直美が右手でつまんでいるのは白い便箋。ハートのシールで封をしてある。
「そうだ。呼び出したのは私だ」
「なんで先生が? 私、夏休みの間に変なことはしてませんよ」
「白々しい……では聞こう。私の弟、哲明が朝倉の家に行っただろう、30日に」
「はい。その日までずっと遊びまくってたから、宿題が終わりそうになかったんですよ」
「それについてはいい。学生ならばよくやることだ。私だって高校時代には同じことをした。
私が問題視しているのは、その日に哲明の携帯電話を奪い、いたずらメールを送ったということだ。
学園内の一部を混乱に陥れる危険があるので、即刻撤回してもらいたい」
「……ああ、私と哲明君が付き合っている、ってやつですね。あれ、本当ですよ」
「…………何?」
朝倉直美は教室内に入り、校庭側の窓を開け放った。
さっきまで閉めきられていて滞っていた教室の空気が凪ぐ。
窓の手すりを掴みながら、独り言のように校庭へ向けて言葉を続ける。
「30日、テツ君が私の家に来たとき、告白したんです」
「……ほう」
「私、もちろんオッケーしました。だって、私の想いはテツ君に伝わっていたんです。
毎晩寝る前にテツ君を想って、結局眠れなくなった日もありましたけど、全部報われたんです」
「くだらない冗談だ」
「その後で、2人一緒にベッドの中で……あ、先生にこんなこと言っちゃまずいんだっけ」
「弟はそんなことは言っていなかった。私を騙したいなら、弟と裏を合わせておくべきだったな」
「だからあ、本当ですってば。本当だからこそ、テツ君があのメールを友達に送ったんです、よ」
「だが、お前の家には弟の携帯電話があった。しかも31日の朝まで。いたずらメールを送ることはできた」
「証拠はあるんですか?」
「無い。メールの送信履歴を消したりごまかしたりすることはいくらでもできるからな。
だから、こうやって直接注意をしている、というわけだ」
「なーるほど。……でも、先生」
朝倉直美は、窓にもたれるようにして、リカの方を振り向いた。
「テツ君が送った、っていう証拠はあるんですよ?」
880 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/12(日) 11:14:12 ID:xKbFvRLR
朝倉直美はリカの近くへ寄ると、スカートのポケットから携帯電話を取り出した。
ポチポチ、と何度か操作して、携帯電話を教師に渡す。
「見てください、そのメール。メールアドレスの欄、テツ君の名前になってるでしょ?」
「『さっき友達に俺たちが付き合っているというメールを送ったから。ごめん、黙ってられなかった。』、ね。
くだらない。朝倉が弟の携帯電話を持っていたのなら、こんなメールを送るぐらい簡単だ」
「それ、私がテツ君に携帯電話を返したあとで送られてますよ?」
「……な?」
メールの送信時間は、8月31日の午前9時。
この時間には、哲明、明菜、リカの3人は朝食を終えていた。
顔をしかめて携帯電話を見つめるリカの頭部を見下ろしながら、朝倉直美が言葉を続ける。
「私が携帯電話を返しに行ったのが――何時だっけ。まあ、8時までには返してましたから」
「……いや。この携帯電話のアドレス帳に細工をすれば、これぐらいはできる」
「まだ信じないんですか? じゃあ、『テツ君』って名前で登録してあるアドレス帳、見ていいですよ」
リカは手探りで朝倉直美の携帯電話を操作した。
その手は、軽く震えていた。
もしかして、いや、まさか。という哲明への信頼と疑念が交錯する。
『テツ君』という名前で登録してあるデータのメールアドレスが弟のものと同じだった場合、
このメールは哲明が送った、ということになる。
リカはアドレス帳の『テツ君』のところにカーソルを合わせ、決定ボタンを押した。
ディスプレイに表示された内容を見て、リカの顔は青ざめた。
表示されていたメールアドレスが、脳の深い部分に刻み込んでいるものと同じだったから。
「馬鹿な、これは……テツの……」
「ね? このメールは、テツ君が送ったものなんですって」
「そん、な…………テ、ツ……」
リカはその場に膝をつきそうになったが、朝倉直美への対抗心でどうにか耐えて机に手をついた。
だが、足が震えているのは隠せない。
嘘だろう、テツ。私と明菜じゃ駄目なのか?朝倉直美の方がいいのか?
リカの自問に答えるものは、彼女の心の中にはいない。
ただ、確認した現実を受け入れるしかない。――テツが、朝倉直美を選んだ。
リカの手の中で携帯電話が振動した。画面には、メールの着信を報せる文字。
「見ていいですよ、先生。そのメール」
うわついた心地で、リカはメールを開いた。――そして、さらに希望が薄まった。
「先生、なんて書いてありました?」
「……あ……て、つ……嘘、だ……」
「ふん。――あーあ、あっけないの。悪いですけど、携帯返してもらいますね。……それじゃ先生、ご機嫌よう。
ご無事でしたら、また月曜日会いましょうね」
朝倉直美が教室を後にして、一人になっても、リカは体の震えを抑えられなかった。
たった今突きつけられた決定的な証拠。
先ほどのメールの本文には、朝倉直美への想いが何行にも渡って綴られていた。
文章の全てが、哲明に言われたかった言葉ばかりだった。
その言葉は、リカではなく朝倉直美に向けて送られていたのだ。
メールの送信者の欄には――『テツ君』と表示されていた。
最終更新:2007年10月21日 00:28