547 :(1/4) :2008/01/01(火) 23:22:52 ID:1VLATAyT
如月 秋巳(きさらぎ あきみ)は、劣等感の強い人間だった。
自分は他の人と違って特別である。高校二年生という時期を考えれば、思春期特有の自然な感情である。
しかし彼の場合、『特別』それすなわち『他の人より特別劣っている』と、ひたすら負のベクトルしかなかった。
自分は本気になればなんでもできるんだという無根拠の万能感とは、まったく逆の無根拠の無能感。
無能。愚鈍。唐変木。出来損ない。彼の自己評価は殊更低い。
客観的に見て、彼は、特段人より劣っている人間ではなかった。
学生の評価基準となりやすい勉学・運動・容姿等それぞれをとってみても、人より抜きん出ている分野もあれば、
他の人が当たり前にできるところでも躓く分野があった。
例えば、彼は、数学や物理といった教科については、テスト等で平均点を下回ったことがない。
それどころか過去遡って理系科目だけの平均点を見れば、彼はクラスで五本の指には入る程度であった。
しかし、暗記物が中心の歴史・地理等の科目になると、途端に赤点すれすれの低空飛行。
下手をすれば三回に一回くらいは補修をうける羽目になる。
運動についても、陸上競技のような基礎運動については平均を上回るが、緻密性を問われるような球技はてんでダメ。
ソフトボールでピッチャーをやろうものなら、敵の攻撃が終わらない。
というか、運動しているのがピッチャーとキャッチャーだけになる。
容姿だって、概して平均してみれば恵まれているほうと言えるが、生来色素が薄いのか、極端に色白で頭髪についても赤みがかっている。
それを小学生のときに、周囲に「気持ち悪い」と言われてからというもの、彼の中で「自らの容姿」イコール「他人にとって不快感を与える」となり、
夏だろうと冬だろうと極力肌を露出するような格好はしない。海やプールにも小学校以来行ったことがない。
つまり、そう、彼にとっての劣等感の根本たる原因は、彼が人より劣っていることではない。
彼が、人より劣る部分しか評価しないことである。マイナスポイントしか見ないので、当然、総合結果は大きくマイナスに振れる。
そして、ダメダメ人間の評価が算出される。
ただ、如月秋巳にとって、ある意味幸運だったのは、そのような無能感を抱くような人間であるにもかかわらず、自分の人生を嘆いていないところであった。
自分自身という人間に対しては悲観的であったが、生き方に対しては、楽観的といっても差し支えなかった。
自分がまったくのダメ人間であると自覚し、人並みの幸せはそもそも望まなかった。
思春期の高校生ともなれば、異性に多大な興味を持ち、あわよくば彼氏彼女を作ろうとするものだが、彼はそういう希望は持たなかった。
かといって、自棄にならず、腐らず、自分にふさわしい生き方をしたいと望んでいた。
自分の実力はこんなものじゃない。こんな生活よりもっとすばらしい充実した生活が送れるはずだ。普通の若者なら、そう思い込むところであろう。
彼は、自分はこんなに他人より不出来な人間だけれども、これだけ平穏な毎日が過ごせるなんて、上出来である。
そのように考えていた。
要するに、彼は、地味に目立たず、ひっそりと日陰で生きられれば満足だったのである。
548 :(2/4) :2008/01/01(火) 23:25:05 ID:1VLATAyT
だから、そんな彼が、通う高校でクラスや学年の男子たちから人気のある柊 神奈(ひいらぎ かんな)から告白を受けたときは、
目の前の女生徒が自分の幸せを侵害する敵のようにしか思えなかった。
彼は積極的に人付き合いはしなかったので、交友関係は狭かった。
それでも係わり合いをもたれれば、できるだけ相手が不快にならないよう、かつ自分が目立つこと無いよう対応する人間だった。
特に異性関係は不必要に話しかけたり等はしなかったが、話しかけられれば普通に受け答えはしていた。
そして必要以上に周囲の評価を気に病むのは、自分の考える「幸せ」ではないので、周囲の評判というものに余り関心を持たず、とくに異性からのそれについては無頓着であった。
無頓着ではあったが、彼の理想は、異性も含めて、「空気のような人間」「いてもいなくてもいいヤツ」「取るに足らないどうでもいい人間」と思われることであった。
そして、自分を嫌う人間はいるだろうけど、まあ概してそのような評価を得られているのではないかと思っていた。
そんなところに、告白、である。
目の前で、スカートごしに太ももの上で手をすり合わせ、俯き加減で告白というものをしてくる柊神奈という存在は、彼にとって、彼の「幸せ」を脅かすものとしか、感じられなかった。
「あ、あの……ね。その、多分、こんなこといきなり言われても、困ると思うんだけど……」
ああ。困る。非常に困る。
柊神奈に告白されたという事実だけで、自分は少なくともあのクラスから「浮く」。浮き上がる。
最悪のパターンは、この告白が「本当」であったときの周囲の反応は想像もしたくない。
妬み。嫉み。僻み。好奇。
この女生徒の周囲からの評判を鑑みれば、容易に想像がつく。
だが、まぁ、あくまでの最悪の可能性であり、その可能性は低いものだと、秋巳は考えた。
いま、この状況から考えうる最良のパターンは、眼前の彼女が嫌々、あるいは、脅されるような形で罰ゲームをやらされていることだ。
それなら、彼女が乗り気でないなら、彼女と協力してその「背後」に納得する形で、終わらせることができるのではないか。
自分は、クラスの人気者に告白されて、有頂天になって、舞い上がって、最後には突き落とされる間抜け。
彼女は、愚かなクラスメイトを天国から地獄へ叩き落す、執行者。
それを見て、普段自分が与えていると思われる不快感の溜飲を下げる「背後」の人たち。
そういう人たちは嘲笑相手さえ得られれば、そんなに拘りがないと考えたい。
たまたま、今回自分がターゲットになっただけで、自分を嘲け笑った後、一月もすればそんなこと忘れるだろう。
恐れるは、その役柄が嵌りすぎて常習化すること。あるいは、彼らの期待する結果が得られなくて、さらなるフラストレーションを呼ぶこと。
この二つに気をつけながらスムーズにこなせればベストだ。
秋巳は、躊躇いながら言葉を紡ぐ彼女を前に、そんなことを計算していた。
次善は、彼女が進んで行っている場合。
そのときは、当然彼女に対しても、自分が惨めな道化師であることを強調しなくてはならない。
接触が多くなると思われる、彼女にも納得してもらわなければならない。上手くいけるだろうか。
人気者はプライドが高そうだからやだなぁ。
秋巳は憂鬱な気持ちを抱かずにはいられなかった。
549 :(3/4) :2008/01/01(火) 23:28:02 ID:1VLATAyT
「え、えっとね……。如月くんは、私のこと、まだ、あ……、あんまり良く知らないと思うんだけど……」
先ほどから手だけでなく、膝をすり合わせるようにそわそわとする柊神奈。
秋巳の頭の中は、今後の対策を必死で考えていたので、目の前に立つ少女の声は、話半分。
彼女の所為で、こんな厄介ごとが発生しているのだから、少し黙って欲しかった。
ああああ! もうっ!
なんで自分が!
秋巳は心の中で盛大な溜め息を吐いた。
どう考えても暫くは自分の望まない生活が続くと思われた。下手すれば、今後クラス替えが発生する三年に学年があがるまで。
最悪、この学校を卒業するまで。
なにか、なにかないんだろうか。
いますぐ、この彼女が前言を撤回し、そして、「このことは自分も誰にも言わないからあなたも絶対誰にも言わないで! そして忘れて!」と言わせるようなウルトラCが!
そもそも、このことが彼女ひとりで完結していない可能性が非常に高いのだ。
その時点で、明日から秋巳の望む生活が送れる可能性は低い。
そんな秋巳の内心の沈鬱な感情など、まるで想定していないように柊神奈は続ける。
「だから……その、いきなり、付き合ってください……とか、難しかったら、その、まずは、そ、そう、友達として私のことを知ってもらえれば……」
そんなことしたら罰ゲームの期間が長くなるだろう!
当然口には出さない秋巳。
大体、女の娘から告白されている最中上の空で、気の利いた言葉ひとつ発さず、かつ喜んで舞い上がるわけでもない男の相手をして、なにが楽しいのだろう。
他の人たちはどこから見てるのか。告白されるなんて初めての経験で、緊張で固まってるくらいに思ってくれてるんだろうか。
場所は校舎裏の中庭。時間は放課後。
わざわざ帰ろうとしている自分を、呼び止めてここに連れてきたんだから、それなりの準備は整っているのだろう。
ここで上手いこと反応見せたら、この場で終わったりしないかな……。
なかば希望をもって、秋巳は対応を考えてみるが。
結構こういうのって、持ち上げて持ち上げてから落とすから、引っ張るんだよね……。
すぐに否定する考えが浮かぶ。
「そ、その、答えは、きょ、今日じゃなくても良いから……」
柊神奈の話が一通り終わったのか、いままで俯いていた顔を上げて、まっすぐ秋巳の目を見つめる。その顔は緊張のためだろうか、若干紅潮していた。
そこまで、聞いて秋巳の考えるは。
柊さん、話長いよ……。ひょっとしてアドリブなの? 国語の先生が、相手に話すときは話の要点を整理しましょうって言ってなかったけ?
混乱のせいか、頓珍漢なことを思っていた。
「あのさ、えっと……」
それでも、柊神奈の言い分が一通り終わったってことは、秋巳からなにか反応を返さなければいけないわけで。
秋巳が一番聞きたかったのは、「このこと他に誰が知っているのか?」であった。回答を留保してもらえるなら、対応をもっと考えたいので、とりあえず留保することは即断した。あとは、それまで騒がれないかどうかだが。
彼女が他には誰も知らない、と答えれば、すくなくとも自分が回答を返すまでは、『誰も知らない』ことになるはずだ。途中で他人が暴くという行為の結果、彼らのお遊びがグダグダになる可能性があるからだ。
ただ、彼女がその答えに躊躇したりしたら、ちょっとまずい。周囲が煽る作戦かもしれない。話を大きくしたら、彼女にもダメージがあるはずなんだけど。彼女自身が積極的だけども、それを理解していないか。あるいは、嫌々やらされてるか。
550 :(4/4) :2008/01/01(火) 23:32:10 ID:1VLATAyT
そこまで考えて、いや、待てよ、と秋巳は思う。
回答を出すまでに、騒いでもらって、
「本当は自分からお願いしたいくらいだけど、こんな風に騒がれるのは本意じゃないから、なかったことにしない?」
――という限りなく本音に近い形かつ、彼女や周囲のプライドも傷つけない形に持っていけないかな。
いや、やっぱ不自然か。憧れの人に好きって言ってもらって舞い上がれば、周囲が騒ごうが普通は付き合うことを選択するか。
とにかく、他に誰が知っているかってことをいきなり聞いたら不自然かな。それでもなにかは言わなくちゃ。
秋巳は思う。
とりあえずは、お礼とか、喜んでいるってことを言ったほうがいいのかな。
「その、ありがとう。柊さんの気持ちは、嬉しかったよ。でも、ほら、いきなりだからちょっとびっくりしちゃってさ……」
「い、いえ、そんな。わ、私のほうこそ、ごめんなさい、いきなりこんなこと」
ほんとだよ。
でもまぁ、彼女も嫌々やらされてるなら、同情するけど。
でも、どうやって不自然でないようにもっていけばいいのか。
「いや、ほんと。嬉しいんだけど、こういう経験初めてだからさ……、ちょっと、応えって言うか、なんていうのか、そのすぐ応えられなくてさ」
「えっ? あ、うんっ! さっきも言ったけど、いきなりだったのは自覚してるから、うん。ほら、だからね。急に返事求められても、困ると思うしさ……」
(失敗した……っ!)
柊神奈の顔に、わずかに失望が走ったのをみて、秋巳は思った。
とりあえず、回答を先延ばしにする旨だけ、先に伝えようと思ったのだが、その反応は彼女が考えていたものとは違ったらしい。
当然自分が告白するからには、即答で受け入れるものだろう、くらいに考えていたに違いない。
しくじった。
多分、勿体つけやがって、何様のつもりだ、くらい『彼ら』も考えているのかもしれない。
ああ! もう、だから嫌なんだ!
言動、動作のひとつひとつが試されるような場にいることは、秋巳にとってものすごいストレスだった。
そもそもその場の状況すら、自分で推測して判断しなければならない。非常に苦痛だった。
「ほら、その、なんか、夢見たいで信じられないっていうか、現実味がないっていうか」
その秋巳の取り繕うような言葉に、わずかに頬を赤らめると、また俯く柊神奈。
「え……、あ、うん。あの、ってことは、ちょ、ちょっとは、き、期待しててもいいのかな……」
――作戦の成功を?
喉まででかかった言葉を、あわてて飲み込む秋巳。この態度を見る限り、彼女も進んで乗っかっているのかもしれない。
秋巳はさらに気分が重くなるのを感じた。
「あ、そ、それじゃあ。また」
「あ、ちょ、ちょっと!」
照れ隠しのように、あわててその場を去ろうとする柊神奈を、秋巳は慌てて呼び止める。
まだ、肝心の聞きたいことを訊ねていない。もう、取り繕う言葉を考えている余裕はない。
どうせ混乱してるってことで納得してもらえるだろう。
「え……?」
「あのさ、このことって、他に、誰か知ってたりするのかな?」
秋巳の質問に、なんでそんなことを訊くのか不思議そうに首をかしげる柊神奈。
「あ、なんていうのかな。あんまり騒がれると恥ずかしいって言うか……」
「ううん。友達にもね。相談してたけど、それが誰か、までは言ってないし……。
他にも、水無都(みなと)くんに相談もしようかなって思ったけど、
やっぱりちょっと恥ずかしくって……。
って、本人に直接言うほうが恥ずかしいよね!」
えへへ、と自分の頭を小突いて笑う柊神奈。
秋巳は、柊神奈のつっこみポイントはどうでもよかったが、気になる名前が出た。
水無都くん――水無都冬真(とうま)――秋巳の唯一の親友とも呼べる人物。
なんてこった。相談しとけよ! そうすれば、事前に対策がとれたのに!
本日何度目かのつっこみを心の中で行う秋巳であった。
最終更新:2008年01月08日 03:37