897 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/13(月) 02:40:50 ID:VSs1Mqap
「そんなの、タイマーメールでできるじゃん」
リカが失意のままに家に帰って妹に事情を説明したら、開口一番にそう言われた。
リカが朝倉直美と教室での会話をしているうちに、明菜は哲明と一緒に帰宅していた。
それは朝倉直美と哲明が同時に帰るのを妨害するための行為だった。
哲明と明菜が帰っている間に、リカが朝倉直美へ哲明に近づくなと警告をする。そういう段取りだった。
明菜はすぐにでも朝倉直美をどうにかしたかったのだが、教師であるリカの提案でとりあえず警告だけしよう、
ということが昨日の姉妹会議で決定していたのだ。
「タイマーメール? なんだそれは?」
「はあ……リカ姉、それでも教師? 本ばっかり読んでるからそんなことにも気づけなくなっちゃうのよ。
今時のケイタイなら、時間指定でメールを送れるのよ」
「そうなのか? それは一体どうやって……」
「細かいところはわかんないだろうから説明しないけど、ウチの姉兄妹が加入している電話会社だったら、
ケイタイで使える――パソコンで言うところのインターネット、それのサービスで設定できるの」
「な、なるほど……今時はそんな便利なサービスがあるのか」
「ねえ、正直に答えてよ? 本気で、気づいてなかったわけ?」
「……すまん」
リカは深く頭を下げた。
対して明菜は呆れた様子で嘆息した。うつむき、眉間を指でつまみながら言葉を続ける。
「リカ姉、パソコンの起動の仕方は?」
「馬鹿にするな。電源スイッチを押せばいいだけだろう。それぐらいわかる」
「じゃあ、電源を落とすときは?」
「また電源スイッチを押すのだろう?」
リカはよどみなく答えを返した。自分の答えに完璧な自信を持っている。
明菜はまた嘆息して、肩を大きく落とした。
「……DVDの録画の仕方は?」
「あの……なんとかボタンを押して、新聞の番組欄の下に書いてある番号を入れて、送信する」
「ハードディスクってわかる?」
「ビデオデッキの中に入っているビデオテープみたいなもの、とテツから聞いた」
「じゃあ、ハードディスク以外に保存するとき、どうしたらいい?」
「そのときは諦めろ、俺か明菜に聞け、とテツに言われた」
「あああああ……」
明菜は、馬鹿アホガリ姉、と言いたい気持ちを抑えて頭を両手で抱えた。
今の会話でわかるとおり、リカはデジタル関係に弱いのだった。
アナログなもの、たとえばビデオテープや自動車のエンジン構造などは理解できる。
だが、CDのような薄いものになぜ音楽が保存できるのか、と問われると見当もつかなくなる。
そういうものなのだ、と説明してもどうしても理解できない。
そして、デジタルの塊である携帯電話についてもそれは同じだった。
電話の仕方、メールの送り方は知っているが、壁紙の設定方法や着信音の変更の仕方はわからない。
デジタル関係に人並みの理解力を示している哲明と明菜がいるからこそ、リカはどうにか携帯電話を使えている。
そのリカにとって、朝倉直美のやってのけたことは魔術にしか思えなかった。
あのメールを哲明が送ったということを、欠片も疑わなかったのだ。
898 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/13(月) 02:43:06 ID:VSs1Mqap
明菜はかぶりを振ってから、ようやく顔を上げた。
「やっぱり私が朝倉に言うことにしとけばよかったわ。まさかそんな簡単な策に引っかかるなんて……」
「重ね重ね、すまん」
「まあいいわ。朝倉が嫌がらせや遊びじゃなくて、本気でテツ兄を奪おうとしてる、ってこともわかったし」
「うむ」
「それで他には? 朝倉が携帯電話を返した後、テツ兄のアドレスでメールを送った以外に、何かやってた?」
「ああ。私が朝倉と会話しているとき、テツのアドレスでメールが送られてきた」
「なにそれ? どんな状況で?」
「私が朝倉の携帯電話を手に持っているとき、メールが着信したんだ。メールの本文はテツからのラブレターだった」
「え……? いや、テツ兄が朝倉にそんなメールは送らないだろうけど。どういうことよ、それ。おかしいじゃない」
明菜は顎に手を当て、考え込むそぶりを見せた。
なにがおかしいのかわからない姉は妹の様子に首を傾けた。
「なにがおかしいんだ? そのタイマーメールとやらでできるんじゃないのか?」
「タイマーメールはね、リカ姉がケイタイを持っているジャストのタイミングで送信するような設定はできないの。
あらかじめ時間指定しないとメールは送信されない。
朝倉が、リカ姉に呼び出されることを31日のうちに読んでたとは思えない」
「いや、あの朝倉だぞ? もしかしたらということも……」
「私はそうは思わない。あの手の女は無駄なことはしない。そんないちかばちかの賭はしないはず。
朝倉は超人じゃない。ただの泥棒猫よ」
「では、タイマー以外の方法であのメールを送ったということか?」
「そうに違いないわ。もしかしたら朝倉が今日リカ姉に呼び出されるのを読んでいた、とも考えられるけど。
それでもリカ姉がケイタイを持っているときに着信させるなんて芸当は不可能よ。
テツ兄が朝倉にラブメールを送るなんて、それ以上にありえないけど」
「あ……それについてなんだが、明菜……」
リカが言いにくそうな様子で口を挟んだ。
「なに?」
「もしかして、テツが朝倉を選んだということは……」
「ありえない」
「しかし、朝倉はあの年にしてはしっかりしているし、外見や素行に問題はない。テツがそれに騙されて告白したりとか」
「……殴られたいわけ、あんた?」
落胆の色に染まった姉の顔を両手で掴み、明菜は正面から向き合った。
「テツ兄はそんなに馬鹿じゃない。朝倉の本性に気づいてる」
「しかし、それは」
「もちろん私の希望みたいなもんだけど。それでも、あんたみたいに諦めるよりはマシよ」
「私は! ……私は、諦めたりなど……」
「誓ったでしょ? テツ兄は私たちで守るって。そしてテツ兄を絶対にものにするって。
もし、テツ兄が朝倉を選んだとしても」
「選んだと、しても?」
「奪っちゃえばいいのよ、朝倉から、テツ兄を。そのためなら――不本意だけど、朝倉を傷つけることもいとわない。
テツ兄が悲しむことはしたくないけど、テツ兄を奪われたままでいるよりはずっといい。
昔、同じ台詞をリカ姉から言われたんだけど、もう覚えてない?」
「いや。もちろん、覚えている。そうだったな――しばらく忘れていたよ。
今の甘い生活に溺れて、私はそんな物騒なことを思い出したりもしなくなっていた」
「でも、思い出したでしょ。今、はっきりと」
「ああ。――テツは私たちが守る。テツは私たちとずっと一緒に暮らす。他の誰にも渡さない」
「――たとえ、どんなことをしてでもね」
899 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/13(月) 02:47:09 ID:VSs1Mqap
リカの言葉は2人の目的。明菜の言葉は決意の深さ。
2人の目的も、決意も、ずっと昔から変わらない。
姉妹が誤って哲明を傷つけてしまったときに、はっきりと心に刻みつけていたはずだった。
「どうして忘れてたかな、こんな大事なこと」
「おそらくは、テツのせいだろう。テツを見ていると、どうしてもぬるま湯に浸かっていたくなる。
今のまま、何もしないままでもテツが待っていてくれると思いこんでしまう」
「そんなこと、ありはしないんだけどね。テツ兄だって檻の中にいるわけじゃないんだから、誰かと出会う。
そして、私たち2人以外の誰かと親密になるかもしれない」
「本当は檻の中に入れたいんだけどな、私は」
「それは同感。ま、テツ兄はそれを望まないだろうからやらないけどね」
「難儀なことだな。愛する人を持つというのは」
「難しいから、楽しいんじゃん。その方がやりがいがあるってもんよ」
「そうだな……明菜にはその調子で難しいテストにも挑んで欲しいところだ」
「お断り。テツ兄以外のことでエネルギーと頭を使うなんてごめんよ」
「だからスポンジ頭なんだ、お前は……ん?」
耳障りな振動音。リカは一度体を震わせてから、携帯電話を取り出した。
「なに、どうかした?」
「メールが届いている……しかも、テツから」
明菜はリカが持っている携帯電話の画面を覗き込んだ。
送信者名は哲明。リカの携帯電話のアドレス帳には哲明のメールアドレスももちろん登録されている。
メールアドレスが間違っていることはない。携帯電話を誰かにいじらせたこともない。
メールの本文には、哲明が書いたらしい文章が綴られていた。
その文章もなかなかに忌々しいものではあった。
だが、たった今送られてきたメールにはさらに不愉快なものがくっついてきていた。
携帯電話で撮ったらしき朝倉直美の写真と、『俺の彼女です』というタイトル。
「……やっぱり問答無用でヤってやろうか、朝倉のやつ。
テツ兄がこんな馬鹿なメールを送るはずがない。嫌がらせのつもりかしら」
「うむ。文章だけならともかく、画像はな……タイトルもありえない。やはりこのメールは朝倉が送ったということだな」
「問題は、どうやって送っているか、ね。メルアドはテツ兄のやつだし。
タイマーメールじゃ画像は一緒に送れないように、電話会社の設定でなってるし」
「もしや、テツの携帯電話にハックとかクラッカとかいうのをしているとか」
「それを言うならハッキング。でも、PCじゃあるまいし経由して送るなんて……できるのかしら?」
「私は知らないぞ」
「最初から聞いてないし期待もしてないわよ」
2人の会話はそこで途絶えた。
こうなっては明菜にもお手上げだった。
明菜の知識は携帯電話のネットワークの深淵まではカバーしていない。
朝倉が送っていることは間違いない。だが、送信方法がわからない。
「どんなトリック使ってやがんのよ、あの女……」
明菜がつぶやいたその時、部屋のドアがノックされた。
2人が会話しているのはリカの部屋。姉妹は同じ部屋にいる。
ということは、姉妹以外の人間がノックをしているということだ。
この家にいる人間は、姉妹の他には一人しかいない。
900 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/13(月) 02:48:48 ID:VSs1Mqap
「テツ兄?」
「あ、明菜か? ちょっと俺の部屋に来てくれないか?」
「いいけど……なんで? あ、もしかして……とうとう」
明菜は期待に顔をほころばせた。だが、すぐに表情は曇ることになる。
「携帯が見あたらないんだ。ちょっと探すの手伝ってくれ」
「またあ? ……あ、でも、もしかして。――わかった、すぐに行くよ、テツ兄」
「ああ」
携帯電話が見あたらない、と哲明は言っていた。
しかし、ついさっき哲明のメールアドレスでメールが送られてきた。
哲明以外の人間がメールを送った、ということは100パーセントの確率で確定した。
そして。
「もし今、テツの携帯電話が見つからなければ、それを朝倉が持っているかもしれない、ということだな」
「そうよ。それなら、さっきのメールだって送れるわ」
姉妹は部屋を飛び出して、哲明の待つ部屋へ向かった。
部屋の中は哲明の机以外、今朝明菜が見た光景のままだった。
「テツ兄、最後にケイタイを見たのはいつだった?」
「たしか学校だったかな。メールが届いてないか見て、それから……どうしたか覚えてないんだ」
「ふうん。ちょっと電話でもかけてみましょうか。知らない人が出るかもしれないし、ね」
明菜は自分の携帯電話を使って、哲明の番号に電話をかけた。
呼び出し音が携帯電話の受話器から聞こえてくる。着信音も、振動音も聞こえてこない。
いつまで経っても電話の相手は出ようとしない。
明菜は笑みを浮かべたまま、うんうん、とうなずいた。
「ふふん。出られるわけがないわよねえ。これはもう、確定かしら?」
明菜は通話終了のボタンを押して、携帯電話を折りたたんだ。
「リカ姉、決まりよ。テツ兄のケイタイは今――」
そして、決定的な一言を言おうとした。だが。
「あ、あった!」
突然の兄の言葉に遮られた。見ると、哲明が学生かばんの中から携帯電話を取りだしていた。
「あ、電源が切れてる。どうりでなんの音もしないわけだ」
「え~~、何よそれえ。もう、どうなってるわけよ!」
明菜がうめくのも無理はない。哲明の携帯電話は朝倉直美の手にある、とほぼ確信していたのだ。
だが、携帯電話は哲明の手の中にある。
明菜は八つ当たり気味に二段ベッドの下にある、哲明用のベッドへ身を投げた。
「だー、もう! わっけわかんないわよ、あいつ魔術師か何か? テツ兄、どういうこと!?」
「どういうことも何も……なんで明菜が怒ってるんだよ」
「テツ兄にはわかんないよ、ふん!」
明菜は完全にすねてしまった。哲明のにおいが染みこんでいる枕に顔を埋める。
哲明は妹の様子に首をひねるばかり。
そして、リカはというと――薄く笑っていた。
901 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/13(月) 02:49:57 ID:VSs1Mqap
「明菜、さっきの電話で、コール音がしていたな?」
「うー、あー……うん」
「しかし、テツの携帯電話の電源は切れていた。
それなら普通、コール音は鳴らない。代わりに録音を促すメッセージが流れたりするはずだ。
これから、何がわかる?」
「えーっと……まあ、そういうこともあるんじゃないの? 電話会社の機械が故障してるとか」
「そうではない。そういうことではなく――さっき、明菜の電話はテツの番号に繋がっていた、ということだ」
「は? ……頭いかれてんの? だって、テツ兄のケイタイはここにあるじゃん!」
「お前はデジタルには強い。だが、物事を整理して考えるのは全然駄目だな。
だから私の担当する国語で赤点ギリギリの点数しか取れないんだ。頭を使え、頭を」
「あんたに言われたくないわよ! このアナログ即物女!」
再び枕に顔を埋めた妹から目を逸らし、リカは哲明と向き合った。
「テツ。昨日変なメールが届かなかったか?」
「あー、あれ。俺が朝倉さんと付き合いだしたってメールについて、友達に聞かれたよ。
変だよな、俺そんなメール送ってないのに。なんで俺に聞いてくるんだろ」
「なるほど……ありがとう、よくわかった」
リカは哲明からも視線を外すと、天井を見つめた。脳内に思考を巡らせる。
リカはデジタルに弱い。だがそれは、デジタルの過程を理解できていないからだ。
過程さえ頭の中で理解できていれば、リカの脳は常人以上に機能する。
今、リカの脳内では朝倉直美のしてきたことが全てインプットされている。
朝倉直美がどうやってメールを送ったのか、これからどう動くかが、組み合わされていく。
「テツの携帯電話はここにある……電話は繋がっていた。
いたずらメールが送られたのはテツに携帯電話を返した後の時間……タイマーで送ることは可能。
昨日明菜に送られてきたメール……送ってきたのは友人……内容はいたずらメールについての話。
いたずらメールそのものは明菜には送られていない……それはわざと。
ばれることを恐れているわけではない……こんなことをすれば必ずばれる。
その上で朝倉がもし、『アレ』をしていたならば、タイマーであのメールといたずらメールを送る。
そうすれば、テツ宛に友人からのメールが送られてくる。
だがこれは、長くもつ策ではない……期間が限られている。
私ならば、いや誰でもその前に動く……ばれる前に、必ずテツに接触してくる。
それなら、あえてこちらから動いてやれば、逆転のチャンスが生まれる。
ふふっ、はははっ。わかったぞ、明菜!」
902 名前:双璧 ◆Z.OmhTbrSo :2007/08/13(月) 02:53:02 ID:VSs1Mqap
リカの顔がベッドに横になる明菜へと向いた。
明菜は、姉の顔を珍獣を見るような目つきで眺めていた。
「ンな長い独り言ぶつぶつ言ってると、気持ち悪いんだけど。……何がわかったのよ」
「どうやってあのメールを送ったか。そして、これからどう動くかも、な」
「え……マジ? なんで? あと、これからどうすればいいの?」
「まあ焦るな、物事には順序というものがある。詳細は作戦と同時に話してやる。その前に……テツ」
ゲームでもやろうとしていたのか、哲明はテレビの前にいた。
ゲーム機のコントローラーを右手に持ったまま、電源を入れようと身を乗り出している。
「ん、何?」
「明日は何か用事が入っているか?」
「あいにく予定なし。あ、暇なら3人でプールにでも……」
「それは来週に持ち越ししよう。それより明日暇ならば、デートをしろ。――朝倉直美と」
部屋を沈黙が支配した。
このときの明菜の顔は、姉への何を言い出すんだという思いと、脳内の哲明と朝倉直美が腕を組んだり
同じグラスに入ったジュースを飲んだりキスしたりしている想像のせいで、奇妙に歪んでいた。
哲明は身を乗り出した不自然な姿勢に耐えられなくなったのか、その場に座り込んだ。
明日は9月2日、日曜日だ。
天気予報では、明日のこの地域は晴れのち曇り、ところにより雨だと言っていた。
デートするには微妙だが、悪い日和でもない。
リカは明日、無理矢理にでも哲明と朝倉直美をデートさせようと考えている。
――明日朝倉直美を罠にはめなければ後日、実力行使しなければいけなくなるからだ。
最終更新:2007年10月21日 00:29