614 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:05:49 ID:hmY/7yYs
落陽の時。
黄昏の中に浮かぶ町並みは斜陽に照らされて赤く溶け、
血のように光りながら夜へと向かって冷えて行く。
夜空には気の早い星が輝き、漆黒の領域を増していく彼方で弱弱しく瞬いていた。
夕闇に覆われていく世界。
刻一刻と宵に近付いていく空間。
そんな中で木霊する叫びが大気を引き裂き、激突する刃の煌きが虚空に散る。
「そこをどけぇぇえええええ!」
「邪魔っ、するなあああああ!」
遥か上空、目を細めて漸く視認が可能となる高高度で殺気が衝突する。
「兄上は渡さん。誰が相手であろうともな!」
「同意。だから兄はワタシが連れて行く」
剣と光、炎と不可視の力。
四人の少女がそれぞれの能力を叩き付け、弾き返し、相殺する。
四種の異能、四つの超常。
炸裂する閃光に目を覆いながら、僕は何故こうなったのかを思い出そうとした。
世界は一つではない。
それが全宇宙という意味でも個人や人類が認識する範囲という意味でも、それは決して唯一ではない。
僕がその事実を学ぶまでには四つの出会いがあった。
四人の妹達に導かれた、四つの世界との出会いが。
始まりは双子の妹である長女、誘宵(いざよい)。
兄妹とは言っても生まれたのはほとんど同時。
いつも艶のある長い黒髪を揺らしながら気さくに話しかけてくる妹が、
壮絶な戦いの中に身を置いていたことを知ったのはいつだっただろうか。
『兄さん。少し聞いて欲しい────────いや、頼みたいことがあるんだ』
ある日。
血の気の失せた、押し潰されそうな不安を浮かべた顔で部屋に入って来た誘宵は、
本当に珍しく長い長い沈黙の後でそう言った。
双子。
同じ時間に同じ母親の子宮の内側で隣り合って育った半身の言葉に、
ただならない気配を感じて頷いた僕を待っていたのが、最初の世界との邂逅。
手を握った長女の全身が輝いたと思った次の瞬間には、僕は涼しい夏の日ような香り漂う草原に立っていた。
そこは『異世界 ニーサン』。
家族の誰にも気付かれないうちに誘宵が召喚された、
剣と魔法、神と悪魔、勇者と魔王、奇蹟と絶望が隣り合う世界。
妹はそんな場所に生贄の英雄、人類を代表して血を流す存在、勇者として召喚されたのだと、後で聞いた。
モンスターを皮切りに、
普段から聡明な妹が異世界の証明を終えた後に切り出したのは、
きっと誰よりも強い勇者の、誰にも言えないささやかな願い事。
『一緒にいて欲しいんだ。兄さんに、私と。
そうすれば、私はもう一度・・・・・・いいや、何度だって戦えるはずだから』
615 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:09:17 ID:hmY/7yYs
莫大な魔力と何らかの犠牲の上にあっちの都合で召喚された誘宵は、ある呪で縛られた。
魔王を倒すこと。そしてその強制的な契約を果たした時には、対価として何らかの報酬がある。
だが。妹は魔王に敗れた、らしい。
現実とは時間の流れが異なる別世界で一年近くも耐え抜いた戦いの果てに、
仲間と挑んだ最終決戦で敗北したのだと言っていた。
それからは戦うことが出来なくなったのだとも。
幸い、機転を利かせた仲間のおかげで死者は出なかったが、妹は剣を握れなくなったという。
ひたすら殺しと死の恐怖の中で抑え続けてきた色々なものが、一気に溢れ出したんだろう。
きっと僕を呼んだのは苦肉の策で、何より苦渋の決断だったはずだ。
『すまない。兄さん。本当に、すまない。
私の都合に巻き込んでしまって。でも・・・嫌なんだ。怖いんだ。
魔王と戦うことよりも、契約を果たせずにこの世界に縛られることが。
兄さんと離れたまま、この世界で一生を終えることの方が、ずっと怖いんだ』
涙ながらの告白だった。勇者の力の源は勇気。それは守る者がいてこそ最大に発揮される。
誘宵が選んだ、一番守りたくて最も失いたくないもの。それが僕。
自分を召喚した賢者に迫られて、特例の下に帰還しての再召喚。
魔法か何かの力で縛られ、逃げ出すことは不可能だったらしい。
まだ大人にもなっていない僕と誘宵。本来ならまだ守られていてしかるべき子供。
姉妹の長女として責任感と愛情の強い妹が、
血を流すのが当たり前の日々で、どれ程の苦痛を経てそれを選択したのか。
気付くことさえ出来なかった半身の戦いの記憶に泣いて、そうして僕は協力を決めた。
魔王との再戦。僕をパーティーの最後尾に置いた妹は自分の身を守ろうともせずに、
一秒でも早く魔王打倒をなそうと吶喊して仲間さえ驚くほどの活躍を見せた。
それから、更にニーサン側でしばらくの月日が過ぎて。
勇者として世界最高の名声を得た妹は、泣き付いた多くの人に頼まれて、
しぶしぶながらたまにはニーサンに来ることを承諾して帰還。
荒れ果てた世界の復興には勇者の名前による素早い統治と結束が必要だから、らしい。
兎に角、魔王を倒した誘宵は僕と共に現実に帰って来た。
そうして、また双子の妹に平穏が戻った────────その、はずだったのに。
「兄さんは私と旅立つんだ。あちらの復興は順調、
無能な王侯貴族も国の荒廃による民衆の不満と勇者の名前のゴリ押しで権益を削った。
今なら教育レベルの低い民衆は魔王消滅の熱狂に包まれた状態で私に味方する。
かつての仲間も、戦闘力の低い僧侶と賢者以外の半数は味方につけた。
武器も力もあり、内政のプランもある。革命は容易い。
あともう一度帰還すれば、私は私の────いや、兄さんのための国を作れる。
文明レベルは如何ともし難いが、この世界より遥かに充実した人生を約束出来るんだ。
私が作り、私が兄さんに捧げる兄さんの、兄さんのための、兄さんを王とする国だ」
銀色に輝く、確かな重量の中にも女性の体の流線を模った鎧。
金の羽根飾りが揺れる兜を奥から誘宵の声が聞こえる。
兜から背中に零れた長い黒髪が、空に線を引いていた。
「そうだな。国で足りなければいずれは世界でも征服しよう。ははは、そうだ。それがいい。
私の愛を示すのに国では不足だ。
あの世界の全ての大地を、大海を、天空を、人民を、私は兄さんに捧げよう。
国土を侵略し、海洋を征服し、天上の神を駆逐し、愚民を洗脳し、私は兄さんを神とする。
世界の全てが兄さんの思いのままだ。戦争でも圧制でもハーレムでも、私は兄さんの全てを許容しよう。
逆らう者は私が殺す。兄さんのために、兄さんと共に戦ったこの剣で私が殺す。
兄さんに逆らった愚物を、兄さんの世界に存在するに値しない汚物を切り払い、
汚れた身を帰ってから王座につく兄さんに慰めてもらうんだ。
どうだ? 理想的な世界じゃないか。私にはそれが出来る。
兄さんに全てを捧げ、兄さんを最も幸せにすることが出来るんだ。
それが理解出来たら────────さっさとそこを退かないかああっ!」
純白の刀身が大気を滑る。ニーサンにいた頃からほとんど視認も出来ない、
勇者にのみ可能な人間を超越した一撃。それがもう一人の妹を、一緒に育った愛すべき家族を襲った。
616 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:11:02 ID:hmY/7yYs
「勝手なことを、言うなあああ!」
虚空に光の軌跡が生まれる。
空間に描かれた淡い輝きの交錯はそれぞれが複雑に絡み合い、重なり合い、
奇怪な紋様を三次元に構成して発光した。
魔法陣。異世界法則の顕現が既存の空間のルールを侵食し、発生した抵抗が神剣の刃を押し留める。
「お兄ちゃんはアタシのものだ!
お兄ちゃんはアタシと一緒に魔法の国に行って、ずっと永遠に結ばれるんだからっ!」
妹、次女の古宵(こよい)の指先が空中を走る。
利き手に握られた、ライフルの砲身と槍を融合させたような武器の先端が誘宵に向けられた。
「エクセリオンッ!」
『諾』
三角に近い刃、その中央に埋め込まれた真紅の宝玉に光が灯る。
精霊融合型他律式魔法兵装、『エクセリオン』。彼の承諾と共に金属の表面に回路のような紋様が走り、
伝達された指令と魔力が切っ先へ収束する。
飛行を可能とする三対六枚の光翼を背に、
真っ白なマントをたなびかせながら古宵が距離を取った。
刻まれた魔法陣も伴って移動し、明滅、解き放たれる威力の内圧に崩壊して弾け飛ぶ。
「ギャラクティック────────バスタァァアアアー!!」
闇の濃さを増していく空を閃光が蹂躙する。
圧縮された魔力が与えられた指向性に従って前方に広がる空間へ進撃、
異界の化物さえ薙ぎ払う破壊の光線が誘宵に迫った。
次女の古宵が教えてくれたのは、ファンタジーとはまた少し違った魔法の存在。
物質と精神、それぞれの領域を発達させた世界が持つ力。
ただ、文明の発達が弊害を生むのはどこの世界でも同じらしく、
むしろより具体的に精神の力を操れるようになった人間は、
時にその意識だけで世界に大きな影響を及ぼすようになったらしい。
その世界の名前は『魔法世界 ニィチャン』。
翳り始めた精神と科学の進歩にもがくように魔法犯罪が多発し、
また進化した人の意志力から生まれた悪意が実体化する世界。
犯罪者は次元の壁を乗り越えて世界を渡り逃れ、悪意の獣もまた同じく。
世界を単位とする広大な範囲を抑えるには圧倒的な人員の不足を前に、
ニィチャンの世界政府が出した結論は人員の現地調達だった。
何らかの対価を示して、犯罪者の逃げた先々で知性体に武器を与えてを登用する。
そして今、僕のいる世界。
ここでその対象に選ばれたのが妹、古宵だった。
『お兄ちゃん・・・ごめんなさい。ちょっとの間でいいから、ぎゅってして・・・』
ある晩。帰りの遅い妹を心配していた僕をケータイで呼び出した古宵の言葉。
茶色がかった髪を血と、泥と、何か分からない体液染みたもので塗らした頭を僕に預けて、
見たこともない衣装をボロボロにした妹が告げた真実。
他の世界から渡ってくる犯罪者や、悪意が肉を纏った化物の存在。
彼らとの戦いの日々。相棒は一人、武器であるエクセリオンだけ。
彼、ニィチャンの世界で用いられている武器は精神力を魔力と呼ばれるエネルギーに変換する。
特に異世界での使用を前提に作られたシリーズの場合、
未熟な精神で膨大な力を生み出すために使用する精神力、その源となる感情を限定し、
一つに特化することによって強大な出力を得るらしい。妹の場合は、愛情。
誰かから与えられる愛情を実感し、自分も相手にそれを抱くほどにエクセリオンは強力になる。
日々続く魔法犯罪者や異形との連戦に消耗した古宵は、
とうとう自分だけでは魔力の回復が追いつかなくなったのだとエクセリオンに聞かされた。
残された道は愛情を与えてくれ、また古宵側からもそうである相手との触れ合い。
617 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:12:23 ID:hmY/7yYs
『アタシ、頑張るから。お兄ちゃんのいるこの世界を、ちゃんと守って見せるから。
だから・・・・・・たまに、本当にたまにでいいからこうして。お願い・・・』
その日、ふらふらと立ち上がった古宵を場所も知らない戦場に送り出してからも、
僕は幾度となく妹を抱き締めて夜を過ごした。
日増しに強力になって行く相手との戦いに身を投じる妹が、愛する家族がせめて少しでも楽になるように。
そうして、戦って戦って戦い抜いた妹が、
それなりの平穏をこの世界に齎したのも少し前のことだ。
激戦の対価に古宵が何を願ったのかは僕も知らない。
だが、血を流す戦場に臨むことを代償としたそれは、大切で譲れないものだったのだろう。
「ぉ、おぉおぉおぉおぉおぉおぉおおぉおおおおお!!」
収束された光の渦が過ぎ去った後、そこには鎧を発光させている誘宵がいた。
白煙を上げながらも剣を構えている。
伝説の武具の一つである勇者専用の鎧に施された加護と本来の防御力。
そこに防御魔法を上乗せしただろう。
顔の輪郭だけを覆い、表情の部分は露出している兜から覗く口が強く結ばれた。
「今のを耐え切るなんて・・・・・・でもそれなら!」
古宵の、抱き締めている時に僕の背中に弱弱しく当てられていた細い指が空中に踊る。
描かれた魔法陣はエクセリオンの機能を以て増幅され、
古宵を中心に回転しながら拡大した。
「やってくれたな!」
誘宵が剣を上段で固定した。
爆発のような光が全身────いや、身に着けた武具から放たれる。
一度だけ見たことがあった。魔王を消滅させた技。
神の力と人の技術を合わせた伝説の武具を共鳴させ、
全開にした力を刀身の形にして射出する必殺の一撃。
「これで終わりだよ」
「私と兄さんの恋路を邪魔する者は殺す。それがたとえ魔王だろうと、妹だろうとな!」
展開された魔法陣が爆縮、エクセリオンの切っ先で極小の球体となった。
内部に留め切れない魔力の奔流が紫電となって空間に荒れ狂い、閃光の花が咲く。
対するのは、巨人が振るうかのような光の帯。
刃の形状に凝集された光の力が切っ先から伸び、逃れる者、立ち向かう者、
全てを断ち切らんとして開放を待つ。
「うるさい!
私はお兄ちゃんと魔法の国に行って、そこで永遠の命をもらってずっと幸せに暮らすんだから!
邪魔をするなら、たとえお姉ちゃんでも殺してやる!
塵になれ────────アルティメットバスタァァアアアアアアアアアア!!」
「お前がなあっ! 聖剣一刀、討魔伏滅!!」
光同士が激突する。
目を焼く発光と耳を震わせる衝撃。
その、ほんの少し横にも似た光景があった。
618 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:14:08 ID:hmY/7yYs
三女、火宵(かよい)。
彼女が教えてくれたのはこの世界にある、だけど多くの人間が忘れてしまった世界のこと。
妖怪という存在。
火宵は僕の妹であると同時に、遥か昔に生まれ、そして死んだ人外の者でもある。
『兄上よ、ゆめゆめ忘れるでないぞ。人は唯一ではない。
人の堕落が続き、文明が滅びへ近付いた後に再生を迎えるならば、その過程で我らは再び生まれよう』
火宵の正体は七本の尻尾を持った化け狐。つまりは妖狐だ。
狐火と幻術を得意とし、機嫌の悪い時はよく僕を化かそうとする。
もっとも、今の火宵は体の面では完全に人間。昔、ちょっとした悪さをして滅ぼされた火宵は、
その直前に転生の術というものを使ったらしい。
だがその代償は大きく、力も削がれ、転生先は選べない。
虫や微生物にでも転生すれば終わりだ。
だから使う者は滅多になく、更には転生先で生き残れる確立は天文学的低さだという。
『耐えられぬ。この身の何と弱きことよ。
初めから弱き者に生まれたならば良かったものを、今の我の何と不完全なことか』
火宵は一般的には奇妙極まりない子供で、まだ僕に正体を明かす前はよくそんなことを口にしていた。
転生した火宵の力は以前の半分を下回っていたというから、分からなくはない。
当時、まだ大人というには遠かった僕は妹の言葉に首を傾げつつも、
じゃあ今の状態で出来ることを楽しもうよと、
それはもうあっちこっちで色々なことを火宵としたものだった。
幸運にも、と言うべきか、僕の行動で妹の苦悩は減ったらしかったけれど。
『兄上は我にとっての色よな。
自らの苦悩と嘆きで色褪せていたこの世界で取り戻せたもの、生まれたもの。
からーてれびを見慣れた者は、もうものくろの画面には耐えられまい。
兄よ・・・・・・頼む。兄はどこにも行くな。
この色づき始めた世界の中で、いつまでも我の傍にいておくれ』
そう言った日のうちに、火宵は正体を明かした。ただし、僕だけに。
今の時代にも力を持つ者はいるから、出来るだけ正体は隠しておきたいんだとか。
僕と妹がたまに、一緒にテレビを見ながら狐うどんをすするようになったのはそれからだ。
「うすうす感じてはおった。
お前が他の姉妹と違って、そも我のように人でない存在であったことはな。
それでも黙っておれば見逃してやったものを・・・・・・兄の魂をこの星より連れ去るなど、
断じて罷りならん! 諦めぬと言うならば、その身を未練さえ残らぬよう焼き尽くしてくれる!」
「不許可。兄の周囲にアナタ達のような存在がいるのは危険。
兄のためにも、兄の精神はワタシの母星に連れて行く。邪魔しないで」
「化生の類でさえない人外が、どの口でほざくかあっ!」
火宵が、まるで尻尾のように広がった七つのポニーテールを背後の炎で赤々と照らしながら吼えた。
「狐火っ!」
火球が七つ、後部から爆炎を振りまいて高速で放たれる。
対する四女、真宵(まよい)は軽く手を掲げた。
「#△@Ω■δ?Λ」
耳鳴りのような声が響く。
意味を認識出来ない音声の羅列が紡がれ、世界そのものへの呼びかけが行われた。
見た目には何の変化もない。
にも拘らず、飛来した火炎は全てがまるで不可視の壁がそびえ立ったように虚空で弾け、溶け消えた。
多分、僕が姉妹中でも最も理解出来ていない真宵の力によるものだろう。
619 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:15:35 ID:hmY/7yYs
四女の真宵は、厳密にはこの星で生まれた生命体じゃない。
光年単位でさえ気が遠くなるような彼方、異星『アーニィ』で生まれた精神生物だ。
アーニィで生まれた生物は、何か波動とかそういうもので構成された存在で肉体は持たない。
そんな彼らはどうやってか物質文明が発達し、肉を纏った生物がいる星である地球のことを知覚した。
自分達にない特性を持つ他者。
その調査のために送り込まれてきたのが真宵、らしい。
『ワタシは地球上の生物、特にその中において支配的生命体である人類の観測のために、
まだワタシの侵入に抵抗する精神を持たない胎児の状態であるこの体に入り込んで産まれた。
人類が保持及び発生させる情報を人類の視点から認識し、
それを母星へと伝達することがワタシに課せられた使命』
火宵もそうだが、真宵は真宵で変わった妹だった。
情動というものを感じさせず、なのに冷めているという表現とはまた違った印象を受ける。
子供の頃から小さな手で本のカバーを握っては、情報収集と言って読み耽っていた。
視力が低下して眼鏡をかけるように言われた時に、『不覚』と言っていたのはいつの頃だっただろうか。
『だが、困ったことがある。
高度に理性を発達させた知的生命体にとって、
未だ原始からの過渡期にある人類の精神的な揺らぎは余りにも刺激が強い。
それは禁酒を守り続けた人間が、ある日いきなりウォッカをそのままあおるようなもの。
忘れ去られたはずの生々しい感情を、
ワタシはこの肉体の脳の働きによって強制的に体験させられている状態。制御が出来ない。
このままでは抑えきれなくなったエラーの蓄積が臨界を越え、
本来の存在としてのワタシにとって深刻な事態が発生する』
先ずは僕を納得させるためにスプーンをマッガーレしたり、
ソファを浮かせたりして見せた真宵はそう言って、
感情を映さない、だけど僕や姉妹にはほんの少しだけ表情の分かる顔で迫った。
『エラーの原因となる感情の対象の抹消、
または感情の充足か他の代替行為による緩和が必要。ワタシにとっては緊急事態。
兄には協力して欲しい。断られた場合、ワタシには消滅する以外の選択肢がなくなる』
この妹は感情こそ読み難いけど、その代わりと言うかのように言葉を飾ったりはしない。
思っていることをそのままに伝え、決して嘘はつかない。
そんな真宵を見て来たから、言っていることは理解出来なくても、
僕の妹が苦しんでいて助けを求めているのは分かった。
『原因の一つには孤独がある。構って欲しい相手に構ってもらえないこと。
想っている相手が想いに応えてくれないこと。
この星にワタシの仲間はいない。ワタシという種はこの地上で孤独。慰めが必要。
兄の愛情を感じさせて欲しい』
まあ、緊急事態なんて言った割には、求められたのは添い寝することだけで拍子抜けしたのだけれど。
それでも、寂しさに僕の寝巻をそっと掴んでくる真宵を拒絶する気にはなれなかった。
それなりに大変な思いもしたけれど、
可愛い妹達と過ごす平穏な日々は本当に幸せで充実していたと思う。
勇者でも魔法使いでも妖怪でも異星人でも、全員が僕の妹には違いないのだから。
620 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:16:28 ID:hmY/7yYs
なのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
勇者でもなければ魔法使いも妖怪でも異星人でもない、
伝説の武具や魔法や妖術や不可思議な力で空を飛ぶことも出来ない僕。
上空で戦う、殺し合う妹達は遠くて、止めるどころか声を届かせることさえ出来ない。
原因は一体なんだったのだろうか。
今日、帰宅すると家の中が静まり返っていて、
テーブルを囲んで妹達がお互いを睨み合っていて。
唐突に妹の中で誰を一番愛しているかを聞かれた僕が答えに窮していると、
全員が自分に決まっていると主張して。
多分、そこから本当におかしくなった。
切欠は分からないけど、妹達はお互いがそれぞれ特殊な環境にあることに気付いたのだろう。
おそらくは最近に。
呆けた僕をよそに言い争いを続ける妹達の目は、それまで見たこともない殺意に満ちていたから。
まるで自分と相手が、剣を持って相対しているみたいに。
それからすぐに自分の長所を挙げるのが相手の短所を貶すことに変わって、手が付けられなくなった。
言い争いが罵倒になり、やがて掴みあいになって。
僕が止めに入ると、恐ろしい殺気とその奥にある何かどろどろしたものに見詰められて。
腰を抜かした僕に、外でやろうと誰かが言い出して。
それからは、本当に掛け値なしの殺し合いだった。
「っ────────幻!?」
視認を越えた速度で駆けた真宵が、輝きを纏った腕で何もない虚空を貫いた。
「うつけが!」
その残像を撫でながら迫る、火宵の投げつけた爆炎の塊。
炎熱の鉄槌は真宵を飲み込むと膨れ上がって炸裂した。
瞳を真紅に染めた火宵がその先を見据え、かと思うと背後を振り返る。
「外れ」
「がっ!? く・・・この、おのれええ!」
振り返った火宵のすぐ後ろに滲むように真宵の姿が現れたかと思うと、
咄嗟に上げられた腕ごと姉を蹴り飛ばした。
ボールみたいな速度で吹き飛ばされる火宵を追おうとして、
火宵の怒号と共に体から放たれた熱波に足を止める。
また高速で何かを呟くと、不可視の壁が赤色の侵食を遮った。
「我の兄上に手を出そうとしたばかりか、肌に傷を・・・・・・万死に値するぞ!
妹の分際で調子に乗りおって!」
「見解に相違がある。第一に姉に口出しされるいわれはない。
第二にその傷は姉自身が弱い証拠。調子に乗って力量を測り損ねたのはそっち」
拳を握った火宵が肩を震わせながら顔を伏せる。
真宵はしてやったりと言わんばかりに薄く笑んだ。
それに気配で反応したのか、火宵が顔を上げる。
621 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:40:49 ID:hmY/7yYs
「カアッ!」
見間違いでなければ、見開かれた目、瞳には縦に線が入っていた。
真宵に向けた視線と共に気合が迸った瞬間、真宵の姿が炎に包まれる。
「────────!?」
「はははははっ! 小娘の分際で図に乗るからそうなる!
衰えても我は七つ尾の大妖、並の人外に遅れなど取らぬわ!」
哄笑が暗くなった空に響く。
今度は真宵の瞬間移動も見られなかった。
代わりに、燃え盛る炎が収束していく。
「・・・・・・何?」
「再構成完了」
消え去った炎の中から現れたのは、火傷どころか服に焦げ目さえない真宵。
着ていた学生服は皺一つない状態で肌を包んでいる。
眼鏡の奥の瞳が、嘲りを示して細くなった。
「この程度・・・? なら、やはり兄にはワタシが相応しい。
他人を小娘呼ばわりする年増は引っ込んでいて」
「────────なめおって。そちらこそ侮るでないわ!」
大気が鳴動する。
火宵の背で劫火が燃え猛り、朱色の花弁を空へと散らせた。
火の粉が夜風に乗って流れ、七つのポニーテールが揺らめくように広がる。
陽炎に歪む顔で火宵が妹を睨み付けた。
「一瞬で塵と化せば戯言をぬかす口も元には戻るまい。覚悟せよ。
兄上はこの星で我と暮らすと決まっておる」
「否定。それは姉の意思。兄の意思ではない。そして兄はワタシを選ぶ」
焼けそうな熱を孕んだ視線が交わされる。
数瞬の沈黙を経て劫火の花が咲き、不可視の力が空間を打ち据えた。
炸裂する閃光の最中、視界にもう一つの光が映る。
622 妹夢妹夢 sage 2008/01/04(金) 06:41:20 ID:hmY/7yYs
「エクセリォォオオオオン!」
『諾!』
「神剣よ! 私に力を!」
大技を繰り出し、相殺し、硬直を解いた誘宵と古宵が距離を取る。
古宵が兵装に呼びかけ、夜空に砲身の輝きを掲げるとその周囲に光点が発生、
虚空から生じた光の粒が複数の座標に渦を巻いて球体を形成していく。
対する誘宵が剣を天へ突き立てると、身に纏う武具達が応えて発光した。
勇者の感情に呼応して奇蹟の力が巻き起こり、凝固したような光が誘宵の周囲に滞空する。
「リリカルラジカル! くたばれ! シューティングスター!」
「聖剣一突!」
野球ボール大の光球が一群となって進撃する。
古宵を起点に直進するもの、左右から迫るもの、上下から挟み打つもの、
軌跡に残光を生じさせる速度で襲い掛かる次女の魔法に、長女は剣で前方の空間を突いた。
円状に漂っていた光帯が与えられた指向性に従い、濁流と化して突進する。
せめぎ合う閃光の弾雨と奔流。
「お兄ちゃんはアタシをずっと助けてくれた! それもお兄ちゃん自身の意思で!
勝手に異世界に行った挙句に勝てなくてお兄ちゃんを巻き込んだ無能が、
長女面してお兄ちゃんに近付くんじゃないっ!!」
「たかが人間やケダモノ相手にひいひい泣いていた弱者に言われたくはないな!
お前程度の魔法使いなら向こうにもいたぞ? 魔王には勝てなかったがな!
私と兄さんは双子。同時に生まれて同時に死ぬ、運命に結ばれた二人なのだ!
誕生も命がけの戦場も共にした私と兄さんの間を、妹の分際で邪魔するんじゃないっ!」
拮抗を崩そうと古宵は次々と光弾を生み出し、誘宵は全身に纏う光を強めて放ち続ける。
弾丸の一つ一つは人間の頭を粉砕でき、光流は全身の骨を粉々に出来る威力だ。
それを本気でぶつけ合う。相手に向けて。勝つために。実の姉妹を殺して勝利するために。
誰も彼もが瞳の中で笑っていた。
勝つのは自分だと確信して、相手を殺すのは自分なのだと確定しているみたいに。
ほんの少しだって、躊躇していない。
戦っているのは血を分けた姉妹で、これまで一緒に過ごしてきた家族なのに。
まるで迷いがない。
それどころか楽しんでる。戦って戦って戦って、相手を殺せる威力をお互いにぶつけ合って。
そうするだけ自分の望むものに近付いていくように。
僕のことを口にしながら、他の姉妹を殺そうとしている。
「はは・・・」
今、僕は笑ったのだろうか。
端から星の輝きが失われていく視界の中で、ふとそんなことを思った。
もう見たくない。聞きたくない。
声に出そうとして、何故か唇が動かないことに気が付く。
感覚が断線していた。痺れたような感じがぴりぴりと肌の上を這い回って睡眠を促してくる。
逆らう理由はない。僕は、視界が真っ暗になる前に自分から目を閉じた。
新年早々の悪夢が、きっと正夢ではない初夢であることを願って。
次は良くなくてもいいから悪夢だけは見ないといいな。
そうして、目が覚めたら妹達に言うんだ。
明けましておめでとうって。
最終更新:2008年01月08日 04:16