__(仮)第5話

152 __(仮) (1/17) sage 2008/01/20(日) 13:49:36 ID:/Y72H/+n
 
 
 秋巳が柊神奈に告白を受けてから二週間。
 木々のざわめきを伴った風が新緑の薫りを伝えてくる、穏やかな空気の五月晴れの日。そんな和やかな陽気とは裏腹に、
秋巳のクラス内の雰囲気はおおよそ憂鬱なものに包まれていた。一週間後の中間考査を控えて。
 クラス内の生徒たちの会話は、試験の対策やお互いの勉強時間の確認などの話題が大半を占めていた。
中にはいつもどおり変わらない者、開き直ってる者も見受けられたが。
 その普段どおり変わらない集団の中に含まれるのが、水無都冬真であった。
「ねーねー。柊ちゃん。来週の試験に向けてさ、勉強会しない? 勉強会」
 その日のすべての授業を終え、あとは担任を迎えてのホームルームを残した空き時間。
水無都冬真は柊神奈の席に近づき、お誘いをかけていた。
 水無都冬真は、秋巳の相談を受けてから宣言したとおり、ことあるごとに柊神奈にアプローチをかけていた。
 それは、昼食の誘いだったり、放課後の遊びだったり、休日の行楽の約束だったりする。
そして、そこには大抵、秋巳と春日弥生も含まれていた。
 秋巳としては、水無都冬真に助けてもらっている以上、彼の柊神奈に対するアプローチに協力するのは当然だと思っていた。
 事実、秋巳が当初心配していたような、クラスの話題に上るといった事態は避けられている。
水無都冬真と柊神奈の話題が防波堤となって。
 試験間近であっても、異性に多大な興味をもつ高校生という時期を考えれば、男女間の色恋沙汰の話題は事欠かない。
 そんななか一番の興味の対象としてあがっていたのが、そのふたりの付き合い、であった。
 曰く、彼氏彼女の仲なのか。
 柊神奈が告白した噂があるが、その相手が水無都冬真だったのか。
 あれだけの人気者の美男美女同士がくっつくと羨む気も失せる。いや妬ましい。
 中身はそれぞれさまざまだったが、ふたりの仲を推測、あるいは邪推するものであった。
 この二週間、秋巳は春日弥生も含めてそのふたりとよく一緒にいたが、周りからの目は精々『金魚のフン』くらいの認識であり、
従来どおり秋巳自身は、かれの望む平穏な日々をおおよそ過ごせていた。
 一部にはたとえ『金魚のフン』であっても、あの柊神奈と遊びに行ったり出来るのは羨ましいと僻むものもいたが、
それでもやはり憐れみを含んだ同情の気持ちも混じり、直接秋巳を目の敵にする人間はいなかった。

「え? 勉強会?」
 水無都冬真から提案を持ちかけられた柊神奈は、少し困ったような表情を浮かべて返す。
 彼が誘いをかけるときは、大体同じような反応だった。そして、例のごとく水無都冬真が、春日も含めて四人でさ、と言うと承諾をするのである。
「うん。ほら、テスト期間中って、放課後、図書室が学習室として開放されるじゃん。
 だからさ、秋巳と春日も含めて、お互いに苦手な分野をフォローしあわない? 
 俺なら、保健体育はばっちしだしさ!」

 中間考査一週間前から各部活動は基本的に活動停止になり、図書室も普段は文芸部と本を読む人たちが優先であるが、
この期間ばかりは勉強する人たちが優先的に使えることになっている。

「う、うん。弥生がいいって言うなら、私も賛成だけど。
 でも、私は、あんまり役に立たないかもよ?」
 こちらもお決まりどおりの回答をする柊神奈。役に立たないという彼女の言葉は、あくまで謙遜であり、
実際彼女はクラスで一桁の順位をキープしているほど優秀であった。
「だいじょぶ。だいじょぶ。柊ちゃんは、そこにいて華を添えててくれるだけで良いし。
 ってか、謙遜も行き過ぎると嫌味でない?」
 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる水無都冬真。
「ええっ!? そ、そんな……。私、べつに、そんなつもりじゃ。
 それに、教えるの下手だし。水無都くんこそ、
 周りの助けなんか要らないんじゃないの?」
 柊神奈の台詞はあながち間違いではなかった。といっても、彼は成績優秀者の常連というわけではなく、非常に大きな波があり、
学年で一桁の順位をとることもあれば、軒並み赤点というときもあった。
ある意味、それは本気になればとんでもないヤツという評価を受け、学年トップよりも派手な目立ち方ともいえた。
教師も含めて一部では不正をしてるんじゃないかという噂も立っていたが、どちらにせよ注目は受けていた。

 


153 __(仮) (2/17) sage 2008/01/20(日) 13:53:05 ID:/Y72H/+n
 
「いやいや。この前も六教科赤点だったしね」
「ふーん。カンニングペーパーの作成にでも失敗したのかしら?」
 ふたりの会話に割って入ってくる春日弥生。
「姐さん。それは誤解っすよ。俺はやればできる子なんですよ? 
 ヤればデキる! なんて真理をついた素晴らしい言葉か」
「セクハラで訴えるわよ? それとあんまり神奈に近づかないでもらえない? 
 神奈があんたに汚染されたら損害賠償と慰謝料請求するからね」
「おやおやぁ? 嫉妬ですか、姐さん? 男の嫉妬は醜いっすよ?」
「……喧嘩売ってるわけ? 大体、最近あんたにことあるごとに付きまとわれて、
 神奈が迷惑してるの判らないの?」
「えっ? うそっ? ひょっとして、俺、迷惑かけてた?」
「う、ううん。そ、そんなことないよ!」
 柊神奈が、慌てて首を振る
「ほら。見ろ! 姐さん。柊ちゃんは、俺の子を産んでもいいって言ってるじゃんか!」
「社交辞令をそこまで極大解釈する人間はじめて見たわ。
 いっぺんあんたの頭の中の構造覗いてみたいわ。それとセクハラ禁止!」
 水無都冬真を押しのけるようにして、柊神奈の前に春日弥生が立ちはだかる。
「姐さん。すんません。姐さんの情婦(イロ)に手を出した詫びは、
 この小指で許してもらえますか?」
「なんで、私の小指を掴むのかしら?」
「自分のだと痛いし」
「そう。じゃあ、一瞬で痛くもなく楽になれる『らしい』といわれる方法でケジメ付けてもらえる? 
 本当に痛くなかったのか感想が聞けないのが残念だけど」
「うわ。やっぱ、本場のスゴミは半端ないっすね」

 そんないつものふたりのやり取りを脇目に、柊神奈は立ち上がると秋巳の席のもとに向かい話しかける。
「ね、ねえ。いま水無都くんに放課後の勉強会のこと聞いたんだけど、如月くんは大丈夫なの?」
「ああ。うん。ダメと言えばダメかな?」
 座席が近いので話だけ聞いていた秋巳が、席についたまま顔だけ向けて応える。
「え……? そ、そうなの?」
 かくんと肩を落とし、気落ちしたような態度をみせる柊神奈。
「うん。世界史とか政治経済とか社会系は、いつも赤点すれすれかドボンだしね」
「え? ……あ、ああ。そ、そうなんだ。でも、理数系は得意なんだよね。
 私、どっちかっていうと、理数系のが苦手なんだよね」
 そう言って照れたように、あはは、と声を出して笑う。
「そう。でも、春日さんって、理数系得意じゃなかった? 
 ふたりでフォローしあえば、理想的だよね」
 秋巳は淡々と柊神奈の言葉に応えるだけ。少し意味をこめて。
「……うん。そうだよ、ね」
 そう瞳を半分伏せながら呟く柊神奈を見ながら、秋巳は思う。
(できればあまり教室とかで、話しかけないでもらいたいんだけどな……)
 水無都冬真が、柊神奈に接近するようになってから、春日弥生も含めて四人一緒になることが多かったが、
そういうとき大抵、水無都冬真が柊神奈にいろいろ話し掛けはするものの、結局水無都冬真と春日弥生の言い合いになってしまい、
あぶれた柊神奈と秋巳で会話するという形になっていた。
 秋巳は勿論、柊神奈に話しかけられれば、普通に受け答えをしていたが、
それでも若干――本人すら気づかないくらい――突き放した物言いを時折した。
 普段、秋巳は、水無都冬真と妹の椿を除いて、その他の人間に対する態度は一貫していた。とくに敵意も持たず、好意も抱かず。
そして、相手にも敵意や嫌悪感を抱かせるような言動はしなかった。好意を抱かせるような振る舞いも。
『他人』に対する親切はしても、必要以上に踏み込まないし、踏み込ますこともしなかった。
 だが、柊神奈が自分に好意を持っているらしいということを意識するあまり、必要以上に距離をとろうとする感情が無意識に働いていた。
 そして、特に、教室のような場所で、柊神奈とふたりで話すという行為は、目立つことを嫌う秋巳にとって、忌避すべきことであった。
(早く冬真の方を振り向いてくれるようになればいいのに――)

 


154 __(仮) (3/17) sage 2008/01/20(日) 13:54:51 ID:/Y72H/+n
 
 秋巳は本気で不思議だった。
 この目の前の少女が、なぜ水無都冬真でなく、自分に惚れているのか。
 おそらくなにかを『勘違い』しているのだろうが、その心当たりは自分にはない。
 恋に恋するような年頃であれば、とんでもない勘違いをしててもおかしくはないので、そこは詮索しても仕様がないのであろう。
 秋巳はそう結論づける。そして願う。
 早く『誤解』がとけて、如月秋巳という人間を知り、そして、水無都冬真の方へ、振り向くことを。
 秋巳は、一種異常であった。
 なんの罪悪感も感じることなく自分に好意を向けてくれる人を突き放すことではなく、
親友に対して厄介ごとを押し付けるような考えを抱いている自身に嫌悪感を覚えていたのだから。

「あ、そ、それでさ。如月くんは、放課後の勉強会には行くの?」
「あー。勿論行くってさ。な、秋巳」
 気を取り直したように顔をあげて訊ねる柊神奈に、いつのまにか傍に来ていた水無都冬真が返す。
「うん。そうだね。冬真じゃちょっと心細いけど、
 ひとりで勉強するよりははかどるだろうしね」
「あ、じゃ、じゃあ! 私が、社会系だったら一応得意な分野だし、教えてあげるよ!」
 先の見えない真っ暗闇の中に一筋の光明をみたかのように、提案してくる柊神奈。
「柊ちゃん、なにげにひどいね。俺が頼りないってとこは、
 否定してくんないどころか肯定しちゃうのね」
「えっ!? あ、ああっ! ち、ちがうよ! そんな意味じゃないって!」
 不満げな声をあげた水無都冬真に、柊神奈が慌てたように両手を振って否定する。
「ってかさ、それじゃ誰が俺に教えてくれるの? あと、春日しかないじゃん? 
 俺、暴対法とか、法律をぎりぎりですりぬける知識とか間に合ってるんだけどな」
「そう。じゃあ、あなたが教えてくれる? 人ひとりを社会的に完全に抹殺する方法とか」
 水無都冬真の後を追うように来た春日弥生が言う。
「姐さんだったら、いつものようにやったらいいじゃないっすか。
 キーワードは、『コンクリ』、『ドラム缶』、『東京湾』のやつっすよ」
「ええ。本当にできないところが残念ね」
「また始まったよ……」
 言い合いをはじめるふたりに苦笑する柊神奈。
 秋巳はそんなふたりをみながら、どう言ったら自然に春日弥生に教えてもらえることになるのかな、と考えていた。

156 __(仮) (4/17) sage 2008/01/20(日) 14:01:10 ID:/Y72H/+n
 
 
 そして放課後。図書室には、秋巳と柊神奈のふたりしかいなかった。
 水無都冬真は先生に呼び出しを受けたために、後から行くと秋巳に伝え。
柊神奈から伝え聞くに、春日弥生も所属する部室の整理をしてから行くので遅れるとのことであった。
(なんでこんな……)
 秋巳は正直帰りたかった。
 秋巳にとって救いだったのは、図書室を利用している生徒の少なさであった。
近くに大きな図書館もある関係で普段放課後利用しているのは文芸部ぐらいのもので、それ以外には、たまに気まぐれで利用者が訪れる程度であった。
試験期間中に勉強する生徒に開放するといってもあくまで名目上であり、普段と同じように利用する生徒は少なかった。
 それを見越して、多少喋っても構わないだろうということで、水無都冬真は勉強会を提案したのである。
実際いま利用している生徒も、秋巳と柊神奈の他に、ニ、三人生真面目そうな生徒が座って静かに勉強したり、本を読んでいるのみであった。
 要するに、図書室の広さを考えると、大声で騒がない限りふたりの会話を聞こえるような位置には誰もいないという状態。

「あ、あのさ。とりあえず、ふたりではじめてようか?」
 席につくと早速教科書やノートを広げる柊神奈。そんな彼女を見ながら、乗り気しないように秋巳が頷く。

 ふたりが勉強をはじめてから三十分。いまだに水無都冬真も春日弥生も来ていなかった。
 それまで黙々とノートと教科書をめくり、ペンを走らせているふたりであったが、
フロアにいた唯一の男子生徒が席を立って退室したタイミングを見計らったように、
柊神奈が面を上げて頬にかかった髪をいじりながら秋巳に問いかける。
「ね、ねえ……。如月くん」
「ん?」
 その呼びかけに、彼女と同じように顔を上げ、見やる秋巳。
「や、やっぱりさ。その、め、迷惑だったかな?」
 柊神奈は目的語を言わない。おそらく言わなくても通じるだろうという期待を込めて。
「迷惑って?」
「あ、そ、その、このまえの、さ」
 ああ。告白のことか。
 秋巳は得心する。
(とってもね……)
 正直なところそう応えたかった。しかし、彼女のプライドを傷つけるような言い方をすれば、憎さ百倍となり、目の敵にでもされかねない。
 そう考えた秋巳は、はっきりとは返事せずに、逆に質問で返した。
「なんで、そう思うのかな?」
 その秋巳の質問に、指先で髪をくるくると巻きながら柊神奈はとても言いにくそうに躊躇う。
「えっとね。うん。なんていうのかな、最近、よく、如月くんと一緒にいたり、話したりするよね」
「うん。冬真とか、春日さんも一緒にね」
「そのときにさ、如月くん、いつもなんか、その、ちょっと……嫌そうかなって」
「え?」
 秋巳にとって、そう言われるは心外であった。告白の返事をしたわけでもなく。
 秋巳の意識のなかでは、柊神奈に対する態度について、好悪の感情を出しているつもりはなかった。
 あえて、意図的に浮かれているような言動もしていなかったが、本心を見せているつもりもなく、
いままでと、それこそ他の人たちと同じような対応をしていると思っていた。
 それは、秋巳のなかで、他の人と柊神奈の位置付けが変わっていることを示していたのだが、本人に自覚はなかった。
 だから、秋巳は、柊神奈が彼女自身の満足するような態度を自分がとっていないから、そう思っているのだろうと結論付けた。
彼女が己の内心に気づいているのかも、とは考えずに。


157 __(仮) (5/17) sage 2008/01/20(日) 14:04:23 ID:/Y72H/+n
 
「ごめん。なんで、そう思われてるのかわからないけど、嫌とかそういうのはないから。
 誤解を与えるような態度とってたら、ごめんね」
「う、ううんっ! 如月くんが謝ることじゃないし!」
 まだ図書室に人が残っていることへの配慮か、声を小さくして続ける。
「私が、勝手に好きになって、勝手に告白して。
 でも、それで好きな人に迷惑をかけてたらやだなって思ったから。
 私、如月くんと付き合えたらって望みは持ってるけど、
 でも如月くんの気持ちを無視してまで付き合って欲しいなんて思ってないから」
 秋巳は押し黙ったまま、柊神奈の言葉を聞く。まるで想定もしていなかったことでも聞くかのように。
「私もね。あの、け、決して自慢とかじゃないんだけど、男の子から告白されたことがあってね、
 それで断ったことがあるから。だから――。だから、自分の好きな人が、
 なにをしても自分を受け入れてくれないのは仕方がないとも思ってるんだ。
 私自身は、自分のことを好きになってくれた人のことを拒絶したくせに、
 自分だけ好きな人と幸せになれるとか不公平だもんね。
 でもね、私のことを好きになってもらえるよう努力するのは、いいのかな……?」
 おずおずとそう訊ねて。
 いままで私に告白してくれた男の子は、私が「ごめんなさい」っていったら、それっきりだったけどね、と付け加える柊神奈。
「…………」
(彼女はこれを本心から言っているのか?)
 秋巳には理解できなかった。
 秋巳の彼女に対する認識は、いま自分の前に座り、自分に語る彼女と全然異なるものだった。
 男の子たちにちやほやされ、プライドが高く内心は優越感を感じているが、それを表に出さない賢しい女の娘。
 自分が男の子を振るのは当たり前だが、自分が拒絶されることはありえないと思っていて。
 万一、自分が拒絶されるようなことがあれば、それは相手に非があるのだと思い込んで。
 自分のプライドを傷つけるような人間は、攻撃し、排除するような人間ではないのか。
 それともこれも演技なのだろうか。
 そういう『いじらしい』自分を演じれば、たやすく相手など手玉に取れるであろう、そう考えているのだろうか。
 だが、秋巳は腑に落ちなかった。
 彼女は、勘違いか知らないが自分の本心を大きく間違って捉えてているわけではない。秋巳自身が意図していないにしても。
 それなら、こんな人間に受け入れられないという『事実』に、彼女の矜持はいたく損なわれたはずだ。
 それにも関わらず、自分からさらに寄るというのだろうか。しかも、受け入れられないこともある程度見越して。
「あ、あのさ。前から聞きたかったんだけどさ。自分なんかのどこがいいのかな? 
 自分で言うのもなんだけどさ。そこにいてもいなくてもいい空気みたいな人間だよ? 
 柊さんに好きになってもらえるような要素が見当たらないんだけど」
「うーん。なんていうのかな。はっきりこれって言えないかもしれないけど」
 そう言って彼女は語る。自分が秋巳を気にするようになった転機から、好きになるまでを。
 


158 __(仮) (6/17) sage 2008/01/20(日) 14:07:13 ID:/Y72H/+n
 
    *  *  *  *  *  *  *
 
 
 柊神奈が秋巳のことを気にするようになったのは、秋巳の柊神奈に対する態度が契機であった。
 それまでの柊神奈に対する周囲の男子の態度は、だいたい二通りに分かれていた。
普段敬遠して遠巻きに見ているだけで、たまに話す機会があるとやたらおどおどと挙動不審になる者。
そして、自分になびくのが当然とばかりに、馴れ馴れしく不躾な態度をとってくる者。
 前者に柊神奈は気づかなかったので、彼女の男の子に対する認識は、後者に対する印象が専らであった。
 そして、自分のことをステータスのための付属品ぐらいにしか見ていないそういう人間たちに対して、あまり良い印象は持たなかった。

 そんななか、たまたま委員の仕事で一緒になったのが、如月秋巳であった。
 委員決めの日に、柊神奈はなんとなく男子が先に決まっている役に立候補した。誰もやりたがらないような役。
だからこそ、男子のほうは、その日休んでいた秋巳に欠席裁判で押し付けられた委員に。
 そして、仕事をしていくなかで、秋巳の自分に対する態度が他の人間のそれとは異なっていることが、秋巳を気にするようになった契機であった。
そのときはまだ恋愛感情ではなかったが。
 普段からなにげなく秋巳のことを目で追うようになって、気づいた。彼は誰にでも態度が変わらない。自分も含めて。
 目立つわけでもなく、相手を不快にさせるわけでもなく、誰にでも一緒であった。
 一緒に仕事をしているなかで、秋巳は時折自分を卑下するような言葉を吐くことがあった。
しかし、それで卑屈になったり憂いたり、相手を妬んだりといった雰囲気がない。
ただ、淡々と客観的事実を述べるようにさらっと言い、大して気にも留めない態度なのである。
その秋巳自身の認識は、柊神奈が抱いた認識とは異なる部分が多かったが。
 そして、柊神奈の周囲が抱く彼への認識は、目立たなく、そして、空気のような存在というものであった。
 たしかに容姿は、多少目立つところがあるかもしれない。髪は茶色で色は白く、顔も良く見れば整っているし、背も平均より高い。
 でも、自己主張はしないし、言動は目立たないし、とくに面白い人でもない。
「付き合う人としてはねぇ」
 その他男子の中に埋もれる存在。それが彼女の周りの女子たちの評価であった。
 でも彼はそれを自覚して、そしてそのような生き方を望んでいる。柊神奈はそう思った。
 わざわざ秋巳が意図的に目立たないようにしているということまでは判らなかったが、
その彼の生き方は柊神奈にとって、とても自然体に見受けられた。
 無理をせず。肩肘をはらず。見栄をはらず。ある種達観したような生き方。
 そして、自分に対しても他の人と同じようになんら変わることなく接してくれる。
 柊神奈は、男子からは勿論のこと、女子からも色々な意味で特別扱いされることがあった。それは、嫉妬や嫉みを多分に含んだ。
 だから、自分にそのように接してくれる秋巳が気になった。
 そして、彼のことを気にかけ、見つめるようになり、気がついたら好きになっていた。

 

159 __(仮) (7/17) sage 2008/01/20(日) 14:09:58 ID:/Y72H/+n
 
 しかし、柊神奈は秋巳への恋慕に気づいて困った。
 どうしたらいいのであろう。
 彼女は誰かを好きになって、その人にアプローチするといったことの経験がなかった。
 その上、相手は如月秋巳である。
 彼女の秋巳に対する認識からすれば、秋巳はあまりそういうことを望んでいないようにみえた。
 ただ、自身の想いはつのる。彼女も世間一般の女子となんら変わらない女の娘であったから。
 むしろいままでそういうことがなかった分、一度自分の感情に目覚めたら、人一倍情が強かった。
 だから、袋小路しかない迷路にまよいこんだように困り果てた。
 そして相談した。親友である春日弥生に。

「はー。あんたもついに恋愛ごとに目覚めるようになったわけねぇ」
 それが、相談をうけた春日弥生の第一声であった。
「でも、そんなヤツこの学校にいたっけ? あ。ひょっとして、この学校じゃないヤツ?」
 柊神奈は、どんな人を好きになったかは話したが、誰を好きになったかまでは触れなかった。
それは、春日弥生を信用していないからではなく、『柊神奈が如月秋巳のことを好きである』ということを
一番最初に如月秋巳に伝えたいと思ったから。
 春日弥生のアドバイスはひと言で終わった。
「告白ね」
「え?」
「こーくーはーく! それで相手が受け入れて終わりでしょ?」
「あの? 弥生? 私の話聞いてた? だから、その、すっ、好きな人は、
 そういうの多分好ましく思わないんじゃいかって……」
「なーに、そいつは、あんたの前で気取ってるのよ。オレは自然体でいますって。
 なんていうのかな、矛盾するかもしれないけど、気取らないことが、
 んで、カッコつけないことが格好良いみたいな」
 確かに一から十まで話したわけではないから、彼女がそういう印象を持ったとしても、柊神奈は否定できなかった。
 ただ、そうではないことを彼女自身は判っていた。それは惚れた弱みではない。そこに惚れたのだから。
「ま、あんたのまえでそんな態度とるくらいだから、あんたのことは意識してるって。
 なんなら、相手に気を持たせるような態度をとって、あっちから告白させちゃえば?」
 それはない。
 柊神奈は確信していた。
 私のまえだから、そんな態度をとるのではない。私のまえであっても変わらずそんな態度、なのである。
「ま、どっちにしろ。そのもやもやした気持ちを抱えたまま、このまま毎日過ごすわけ? 
 結果がどうなろうと、なにかしら動かないとなにも変わらないよ? 
 あたしに相談してきたってことは、神奈もこのままで良いとは思ってないんでしょ?」
「うん……」
 春日弥生のその指摘は正しかった。さすがに親友である柊神奈のことならば良く理解しているのだろう。その好きな人までは判らなかったが。

 


160 __(仮) (8/17) sage 2008/01/20(日) 14:13:04 ID:/Y72H/+n
 
    *  *  *  *  *  *  *
 
 
「――それでね。あの。如月くんに、その、こ、告白したんだ」
 恥ずかしい過去を自分で暴露するかのように頬を赤らめた柊神奈の話が終わる。
 しかし、その顔には、どこか言いたいことが言えたようなすっきりした感情が見て取れた。
「…………」
 一方の秋巳はその柊神奈の告白に衝撃を受けていた。彼女が自分に本気で好意を抱いていることではない。
 柊神奈の話す『如月秋巳』と、自分とにそれほど差異がないことに。
 なぜ、彼女に気づかれているのか。
 自分の態度はそんなにあからさまだったのだろうか。
 ひょっとして、己が考えている周囲の自分に対する評価と実際のそれは大きく違うのか。
(……いや。違う)
 柊神奈の話の中で、秋巳自身に対する周囲の評価を言っていたではないか。それは自分の認識とあっている。
 ならば、彼女が特別洞察力にでも優れているのか。
 『背景』に溶け込んでると自分も周囲も思っていたのに、彼女だけが『背景』ではなく、『登場人物』として捉えていたのか。
 秋巳はおおきく動揺した。
 自分の望む生き方を知っているのは、水無都冬真と椿ぐらいだと思っていた。
 前者は特に反対することなく好意的に、そして、後者は蔑みながらも黙殺し。
 そう考えていた。
 だから、柊神奈は自分のなかに秋巳とは違う虚像の『如月秋巳』を作り上げ、それに恋愛感情を抱いているものだと。
自分を『依り代』に。
 だが、秋巳の推測は外れた。
 柊神奈は、ほぼ等身大の如月秋巳を捉え、それに恋慕の情を抱いているのだという。
「あ、あのさ――」
 秋巳が口を開こうとした瞬間。図書室のドアが開く音。
「おーす。ふたりっきりで仲良くいちゃいちゃやってるかー」
「ったく、なんでこんなとこまであんたと一緒のタイミングになるのよ」
「それは、俺と柊ちゃんが赤い糸で結ばれてるからだな」
「なんでそうなるのよ」
 一時間弱遅れて、水無都冬真と春日弥生が同時にやってきた。
 それに秋巳は言葉を紡ぐタイミングを失う。
「あ。弥生ちゃん。遅いよー」
 それまでの真剣な表情とはうってかわって、朗らかな微笑を浮かべるとふたりを迎え入れる柊神奈。
「お? 柊ちゃん。俺は? 俺は待ってなかったの?」
「ううん。そんなことないよ」
「やっぱり! 俺のプロポーズの言葉を待ってたんだね!」
「だから、あんたのその地球を七週半するような曲解はどこからくるのよ」
 呆れたように溜息を吐く春日弥生。にわかに喧騒に包まれる図書室。
 秋巳は、自分でもなにを言おうとしたかよく判らずに、言葉を口にすることは出来なかったが、秋巳の意識なかで柊神奈の位置は確実に変わった。
告白されてから、『他の人たち』とは違う場所にあったが、それとは、また別のところに。

 


161 __(仮) (9/17) sage 2008/01/20(日) 14:16:58 ID:/Y72H/+n
 
 
   *  *  *  *  *  *  *  *
 
 
 中間考査を前日に控えたその日。朝は晴れていたにも関わらず昼過ぎから俄かに雲が出てきて、
秋巳が帰宅する頃には空一面厚い雲で覆われて、五月の陽光が完全に姿を隠した。
普段より早めに洗濯物を取り込み、明日に向けてのテスト勉強をはじめる前に一息つこうとお茶を淹れて、
居間からぼんやりと雨が降り出しそうな庭を窓越しに眺めていたとき。
 玄関の扉の開く音が、椿の帰宅を知らせた。
「おかえり。椿」
 玄関まで迎えに出た秋巳に、靴を脱ぎながら挨拶を返す椿。
「ええ。ただいま。兄さん」
「お茶、さっき入れたところだけど、椿も飲む?」
 いつものように肯定の返事をまったく期待せずに椿に問い掛ける秋巳。
 だからその返答が来たとき、秋巳は一瞬固まった。
「ええ。いただきます。兄さん。それと、ちょっとお話があるのですが、宜しいですか?」
「…………」
「兄さん?」
「あ、ああ。うん。いま、淹れるから。ちょっと待ってて」
 秋巳にしては珍しく慌しく台所に戻り、お茶を淹れる準備をする。
 その準備をしている間に、椿は二階の自室で着替えたのであろう、普段着で再びリビングに姿を現す。
「ありがとうございます。兄さん」
 ソファに腰を下ろし、秋巳からマグカップに淹れたお茶を受け取る。
「それで、兄さん。先ほども言いましたが、少しお話があるのですがいいですか?」
 お茶にひとすすり口をつけ、話を切り出す椿。
「え? 話?」
 さっき言われたことをさっぱり忘れてでもしまった、あるいは聞いていなかったかのように、口を半開きに間抜けな顔をして問い返す秋巳。
「ええ。話というより、お願いなのですが」
 秋巳は自分の耳を疑った。
 椿はいまなんと言ったのだろう。
 話? 自分に? しかも単なる話ではなく、お願い?
 信じられなかった。椿がこんな改まった形で自分を頼ってくるなんて。
 普段の生活の中で、椿が秋巳を頼ってくることなどまずなかった。なにげない日常生活の中でさえ。
家事はそれぞれ役割が決まっていて、それを一時的に代わってもらうよう頼むときでさえあくまで『交渉』であった。
それが受け入れられなければ、無理は言わない。
 秋巳がその交渉を飲まなかったことはなかったけれども。
「め、珍しいね。椿が僕に頼みごとなんて」
 だから秋巳は素直な気持ちを口にしてしまう。聞きようによっては嫌味と取れてしまう言葉を。
「すみません。普段はかわいげのない妹で。兄さんがお嫌でしたら無理にとは言いません」
「い、いや! そんなことないよ。僕で出来ることなら! 
 とりあえず、話してもらっても良いかな?」
「ええ。明々後日のことなのですが。中間試験の最終日の午後、
 兄さん時間空いてますでしょうか」
 そう言って話を切り出す椿。
「うん。空いてるけど……」
 話の中身が全く見えないが、秋巳は、妹のため出来る限りのことはしてやろうという思いを込めて返事をする。


162 __(仮) (10/17) sage 2008/01/20(日) 14:19:33 ID:/Y72H/+n
 
 椿の頼みごとの中身は、要約するとこうだった。
 自分の友達に、水無都冬真のことを好きな娘がいる。
 そして自分は水無都冬真にその娘を紹介してあげたいと望んでいる。
 ただ、いきなり紹介して、はいさよなら、というわけにもいかない。
 だから、自分と兄である秋巳、それとその友人と、秋巳の友人である水無都冬真で遊びに行く形をとり、
その娘と水無都冬真が仲良くなる切っ掛けを作ってあげたい。
 兄さんにはそれに付き合って欲しい。加えて水無都冬真を誘って欲しい。
 そんな椿の頼みごとに、秋巳は二もなく頷きたかった。了承したかった。
 ただ、ひとつ気がかりなことがあった。
 水無都冬真は、いま柊神奈と付き合おうと積極的にモーションをかけている。そんなところにこんな話を持っていっても良いものか。
「兄さん。水無都冬真さんには、いま付き合っている人がいますか?」
 話の内容を理解するにつれ返事の鈍い秋巳に、椿が質問する。
「いや、いないけど」
 付き合おうとしている人はいる。
「では、好きな人は?」
「いる、かもしれない」
 それは、柊神奈かもしれないし、もしかしたら、椿かもしれない。水無都冬真は、柊神奈と付き合いたいと言っているし、
冗談っぽくはあるが、椿のことも満更ではないような気がする。椿から色よい返事がもらえないから、
そちらを諦めて柊神奈とのことを真剣に考えているのかもしれないし、元々椿のことは普段の調子でなにげなく軽口を叩いているだけで、
もとより本気で柊神奈のことを想っているのかもしれない。
 秋巳は水無都冬真と付き合いが長く、色々と彼のことを知っているつもりではあったが、
秋巳本人がそういったことに疎かったこともあり、その面に関しては水無都冬真の本心は判らなかった。
「そうですか。兄さんがどう考えていらっしゃるかまでは判りませんが、
 この話をあまり深く捉えないで下さるとありがたいです。
 確かに、私はその娘のことを大事に思っていますし、
 幸せにもなって欲しいと考えていますが、
 あくまで機会を与えてあげたいと思っているだけです。
 それ以上に手取り足取り導いてあげるつもりはありませんし、
 彼女もそれは望まないはずです」
 椿は言う。
 単に自分は、その友人と水無都冬真の知り合う機会を提供してあげたいだけだと。
 別にいまの水無都冬真の恋路をどうこうするつもりはなく、その後は、その友人と水無都冬真の問題である、と。
 もし、水無都冬真がその娘を気に入ってくれるのなら、付き合えばよいし、
水無都冬真が現在の想い人を追いかけるのであれば、それはそれで構わない。
 そう言葉を付け加える椿。
 そして、秋巳には言わなかったが、そのくらいで諦める人間ではないでしょうけど、と椿は内心付け足す。
「判った。とりあえず、冬真に話を聞いてみるよ」
 秋巳は嬉しかった。四人で遊びに行きたいと椿が言ってくれることが。その目的は、親友のため、なんだろうけれど、
それでもその為になら自分を親友に会わせても良い、くらいに思っていてくれることが。
だからこそ、できれば叶えてあげたかった。
「ええ。ありがとうございます」
「でも、こういう話なら、直接椿から冬真にお願いしても良かったんじゃない?」
「先ほども言いましたが、兄さんにも付き合って欲しいという事情がありましたから。
 それに――」
 椿は、自分の瞳を見つめる秋巳に、同じようにその赤みがかった眼を見つめ視線を交わす。
「兄さんから頼んだほうが、水無都さんも快く引き受けてくれそうだと思いましたし」
 そう言ってゆっくりと瞳を閉じた。

 


163 __(仮) (11/17) sage 2008/01/20(日) 14:22:17 ID:/Y72H/+n
 
 
 その翌日。椿の頼みごとの話を告げた秋巳に対して、水無都冬真はこう応じた。
「は? なに? 俺と結婚して欲しいって娘がいるって? 
 いやー。もう参るね。モテル男は! んで、おまえはどうして欲しいわけよ?」
「うん。できれば椿の頼みを聞いてあげたいって思ってる。それにね。
 椿が言うには、別にその娘と付き合えとかそういうことじゃなく、
 単に切っ掛けをつくってあげたいだけだって」
「俺が断るって言ったら?」
「うーん。仕方がないかなって思うよ。冬真にはただでさえ、厄介ごと頼んでるしね」
「厄介ごとってなあ……。おまえ、俺がもし、その娘と付き合ったらどうするんよ? 
 柊ちゃんとのことは?」
「え? ああ。うん。柊さんなら、内々に断ったら、
 別に腹いせになんかするってことはないんじゃないかなとも思うけど。
 でも、冬真が柊さんと付き合いたいって気持ちを邪魔するつもりはないから」
「へえ……」
 まるで秋巳に似つかわしくない意外な反応を得たかのように、眼を見開く水無都冬真。
「やっぱり、俺に渡すのが惜しくなったか?」
 水無都冬真が声のトーンをあげて訊ねる。満足そうな顔を見せながら。
「うん? いや、そうじゃないけど。それは、冬真の気持ち次第だよ。
 あくまで僕のお願いってだけだし」
「かー! ったく、こんのシスコンだきゃあ、椿ちゃんだけには甘いんだから」
「そうかな?」
「ああ。そうだよ! おまえ、あんなに椿ちゃんに冷たくされてるってのに、
 なんでそう尽くすかねえ」
「冷たくなんてされてないよ」
「もう病気だ! 病気! おまえやばいぞ。かなり毒されてる」
 なにに、とはいわない水無都冬真。それから首を振ると秋巳の肩に手を置く。
「判った。判ったよ。ここはおまえに花を持たせてやるさ。
 椿ちゃんの好感度を上げる手伝いをしてやるよ。
 せーぜー運動と容姿のパラメタあげて、振り向かせることだな。
 ただ、いいか。柊ちゃんとのことは、俺が望んでやってることだから、
 おまえにどうこう言うつもりはないけどな。これについては、貸し一だからな。
 いつか十倍付けで返してもらうからな。たとえ、おまえが嫌がっても」
「うん。判った。ただ、椿は僕の一存では、冬真に渡せないよ。椿が了承しないと」
「いいから。もう黙れシスコン」
 珍しく水無都冬真が、呆れ声を出した。

165 __(仮) (12/17) sage 2008/01/20(日) 14:25:49 ID:/Y72H/+n
 
 
 そして迎えた中間考査最終日。秋巳の学年も椿の学年もその日の試験は午前中で終了のため、
校門前で四人で待ち合わせて、遊びに出るまえに一緒に昼食を摂りに行くこととなった。
 校門のところで秋巳と水無都冬真がふたり、試験終了の開放感に包まれ浮かれながら
早々に帰宅の途につく生徒たちを見送りながら待っていると、椿と萩原睦月のふたりが小走りでやってきた。
「すみません。兄さん。水無都さん。お待たせしてしまいましたか」
「いやいや。全然待ってないよ。いまにもスキップでもしそうな浮かれ気分で帰る
 女の娘たちのスカートの揺れを気にしてたら、
 時間なんてあっという間だって。……って秋巳が」
「そうだね。冬真の鼻の下がどのくらい伸びるのか観察してたらあっという間だったよ」
「それは良かったです」
「あ、あの……あっ、あたし――」
 椿の横に立ち、緊張のためだろうか体を硬くして、いつもより声のオクターブを上げて口を開こうとする萩原睦月。
だが上がっている所為だろうか言葉がうまく続かない。
「こちらは、私の親友の睦月。萩原睦月です」
 その友人に助け舟を出すように、紹介をする椿。
「はっ、はじめまして。は、萩原、睦月、です。
 きょ、今日は、……そ、その、どうも、お忙しいところ……」
「なあに。睦月。それじゃ、営業マンの挨拶みたいよ」
 椿がからかうようにそう言い、ふふ、と笑う。
さらに水無都冬真が感動したように声を続ける。
「いやいや。やっぱ一年生は初々しくていいねえ。
 どうもさ、俺の周りって擦れた女の娘が多いから、
 めちゃくちゃ新鮮だよ!」
「すみませんね。水無都さん。一年生の癖に擦り切れちゃっているような女の娘で」
「えっ! いやいや違うって! 椿ちゃんのことじゃないって!」
 慌てたように両手を振りつつ、誤解を解こうとする水無都冬真。
「まあ、確かに、椿は新入生って感じしないよね」
「兄さん! そこは、兄として妹をフォローしてあげるところだと思うんですけど?」
 そう言って、笑い声を上げた三人に、その雰囲気に飲まれたように萩原睦月もつられて笑い、
気を持ち直したように体からふっと力が抜ける。
「あはは。すみません。あたし、変に緊張しちゃって。
 改めて、挨拶しますけど、あたし、萩原睦月で、椿の親友やらせてもらってます! 
 水無都先輩、お兄さん、よろしくお願いしますね!」
「ああ。こちらこそ宜しくね。萩原ちゃん。
 ついでに俺のこともお兄ちゃんって呼んで良いよ?」
「あはは。遠慮しておきます」

 


166 __(仮) (13/17) sage 2008/01/20(日) 14:27:26 ID:/Y72H/+n
 
「えっと、椿から聞いてるか判らないけど、僕は、椿の兄で秋巳。
 萩原さん、椿と仲良くしてくれてありがとう」
「いえいえ! とんでもないです! あたしの方こそ、
 椿にこれ以上ないくらいお世話になってますから! 
 でも、お兄さんがいることは聞いていたんですけど、
 椿って、あんまりお兄さんのお話してくれないんですよね。
 だから、今日どんな人なのか会えるの楽しみにしてました!」
「そうなんか? こいつは、ことあるごとに二言目には
 『椿が~、椿が~』って言ってるけどな。な! シスコン!」
「ちょ、ちょっと冬真! 椿の親友に変なこと吹き込まないでよ。
 誤解されるじゃないか」
「へぇー。なんだか意外です。でも、椿も椿で、実は、お兄さんのこと話さないのは、
 あたしにお兄さんのこと話すと、あたしが惚れて、
 『取られちゃう!』って思ってるからだったりして?」
 意地悪そうにチェシャ猫のような笑みを浮かべて、椿の頬をつつく萩原睦月。
「あら。ばれちゃいました?」
 そんな意地悪にも、微塵も動揺するような素振りを見せず平然と受け流す椿。
「もう。いじめ甲斐がないんだから! この娘は」
 そう言ってくすくすと声を上げる二人を見て、秋巳はものすごく幸せな気分であった。
 あの椿が楽しそうにしている。自分にはまず見せない表情をしている。親友の前だからという事情があるからだが、自分にも穏やかに接してくれる。
 秋巳の望んでいるものが、目の前にある。
 それは秋巳にとってなりより、それこそ試験終了の開放感などどうでもいいようなことであるかのごとく、幸甚の感情をもたらした。

 

167 __(仮) (14/17) sage 2008/01/20(日) 14:29:15 ID:/Y72H/+n
 
 
 それから四人が向かった先は、よくある普通のファーストフード店。
高校生の懐事情を鑑み、それにあまり気負ったところにいくのも今日この場の集まりの趣旨にそぐわないと考え、椿と萩原睦月が提案した。
 ちょうどお昼時ということもあり、学生らしい人たちも含めて、店内は大変賑わっていた。
そんななか運良く取れた四人席に、秋巳と水無都冬真が、椿、萩原睦月の分の注文商品も携えて、やってくる。
席取りをしてくれていたふたりのもとに。
「いや。お待たせ。めちゃくちゃ混んでてさ」
 そう言って萩原睦月に右手に持っていたトレーを渡す水無都冬真。そして同じように椿の分を渡す秋巳。
 それぞれが相手にお礼を言い、ふたりが席につくと、それが合図であるかのように銘銘食事を始める。
 食事中の話題は、試験終了直後ということもあり必然的に、テストの出来具合の話になる。
「でも、水無都先輩ってすごいんですよね? 
 前に、学年で三位を取ったことがあるって聞きましたけど」
 秋巳の通う高校はそれなりの進学校ということもあり、中間や期末考査、実力試験の結果の上位は掲示板に張り出されるため、
常連は学年を通して名前を覚えられることになる。水無都冬真は常連とはいえなかったが、話題の人ではあった。
「そのおかげで、次から教師に眼をつけられることになったんだよね? 
 その前の試験で赤点五科目だったのに」
「はん。俺は本気になれば出来る男なのよ。
 教師の節穴の目をかいくぐるなんて、朝飯前だね」
「うわ。そっちの出来るですか?」
「単にそう言って、先生たちを煽って楽しんでいるだけですよね。
 血眼になった先生たちを尻目に、再び学年トップテン入りしたのは」
「さっすが。椿ちゃん。よく俺のこと判ってるよね。
 そういう萩原ちゃんはどうなの?」
「え? あ、あたしですか? うーん。あたしも頑張ってはいるんですけどね。
 それでも椿に比べると、見劣りしちゃうなぁ」
 そう言って、肩にかかる少しはねた髪を払い、はぁーと息を吐く萩原睦月。
「いやいや。その頑張れるっていうのが、凄いよ。
 俺は、努力できるってひとつの才能だと思う。
 ひとつの目的に向かって努力しつづける、ってなかなか出来ることじゃないしね。
 椿ちゃんもそう思うよね?」
「ええ。そうですね。でも、一般的に言って、
 好きだからこそ、望むからこそ頑張れるっていうのもあるのでは。
 だから、好きでもないことは、無理して頑張らなくても、とは思いますけど」
「うーわ。なんでもできる椿に言われると、説得力ないなぁ。へこむよー」
「あら。睦月。勘違いして欲しくないのだけど。
 私が言ったのは、勉強が好きだから勉強を頑張れるとか、
 そういう直接的なものではないのよ? 
 たとえば、医者になりたいって強く願っていて、
 そのためには医学部にいかなければいけない。
 だから、医学部へ入るために勉強を頑張れる、とか、そういう意味よ? 
 睦月も十分理解していると思ったけど?」
「う……。確かに」
 若干頬を染めて、ちらと一瞬だけ水無都冬真の方に視線をやる萩原睦月。

 

168 __(仮) (15/17) sage 2008/01/20(日) 14:31:13 ID:/Y72H/+n
 
「水無都さん、睦月の親友として言わせてもらうならば、
 彼女はものすごい努力家ですよ。それこそ私が驚嘆するくらい」
「ちょ、ちょっと。やめてよ! 椿。照れるじゃない!」
 そう言って、萩原睦月は椿の背中をぱんぱんと軽く叩く。
「ほぉー。そいつは凄いね。俺にはない才能だから、正直羨ましいよ。
 な、秋巳」
「そうだね。でも、年下のふたりに圧倒されてる僕たちってちょっと情けないよね」
「おいおい! 勝手に人を加えるなよ! 俺は才覚溢れるっつーの!」
「あはは。そうだっけ。じゃあ、僕だけかな」
 そう冗談ぽっく明るく笑い飛ばす秋巳に、椿が声を被せる。
「いいえ。そんなことないですよ。兄さんは、自分であまり気づかないだけです。
 水無都さんもそのあたりは理解しているのでしょう」
「え?」
「ああ。そうだな」
 椿の言葉に軽く頷く水無都冬真。
「兄さん」
 椿のフォローがあまりに意外だったのか、ぽかんと口をあけた秋巳のその口元に、正面に座る椿が手を伸ばす。いつのまにか出していたハンカチを携えて。
「汚れがついていますよ」
 そう言って、秋巳の口元を優しく自分のハンカチで拭う。洗濯したての洗剤の香りだろうか、秋巳を安心させるような柔らかな香りが、その鼻腔をくすぐった。
「…………」
「…………」
 刹那なにが起こったのか判らず、時を刻むのを忘れてしまったかのように固まる秋巳。と水無都冬真。
 萩原睦月は、息を呑んだように、うわ、と小さく声が洩れただけであった。
「はい。きれいになりましたよ」
 椿だけがその空気の中平然と、秋巳の口を拭い去り、終えると拭いた面をなかに折りたたむようにして、再びハンカチを仕舞う。
 そして、なにごともなかったかのようにストローに口をつけウーロン茶を啜った。
 そんななかいち早く回復したのは水無都冬真であった。
 はっとしたように我に返った水無都冬真は、自分を指差し叫ぶ。
「つっ、椿ちゃん! 俺っ! 俺も! 汚れついてるよっ!」
「心は拭けませんけど?」
「うわっ! ひどっ!」
「ふふ。冗談です。睦月、水無都さんが口を拭いてくださいって」
「え? あ、あ、あたしが?」
「カモーン! 萩原ちゃん!」
 両手の甲を彼女に向け、くいくいと傾ける水無都冬真。
「あ、じゃ、じゃあ、失礼して」
 そう言って、自分のトレーの上にある紙ナフキンをニ、三枚取り上げると、おずおずと水無都冬真の口元に寄せる。
 その間も、秋巳は固まったままであった。あとで椿のこの行為は、萩原睦月に水を向けるためのものだったのだろう、
と思い立ったのだが、この瞬間にはそんな余裕がなかった。
 兄妹間のスキンシップなど、この四年間まずなかったのだから。

 

169 __(仮) (16/17) sage 2008/01/20(日) 14:34:22 ID:/Y72H/+n
 
 
 その後、四人でウィンドウショッピングや、ゲームセンタ、休憩に入った喫茶店においても、
椿は秋巳に対して、手をつないだり、肩に触れたり、一緒にプリクラ写真をとったりと、なにくれとスキンシップを図っては、
おなじようにするよう萩原睦月と水無都冬真に水を向けていた。
 その日は秋巳にとって驚愕の連続であった。さすがに後半になってきて秋巳も大分落ち着きを取り戻し、
椿の行動の意図が読めたが、それでも心はざわついた。
 つかの間の夢、しかも椿は単に演技でやっているのだと判っていても。
どうしても秋巳の手に取り戻したくて、でもどうしても取り戻せないと諦めていたことなのだから。
 
 日も大分暮れて。夕焼けに染まる街並みを歩く四人。
 そろそろお開きという段階になって、椿と萩原睦月が別に寄りたいところがあると、ふたりと別れることになった。
水無都冬真はそれにも付き合おうかと提案したが、萩原睦月が丁重に辞退し、水無都冬真と萩原睦月が携帯のアドレスを交換したところで、二組に分かれた。
 そして、そのまま家路へと向かう秋巳と水無都冬真。
「おまえ、今日一日魂が抜けてたみたいだったぞ」
 水無都冬真が秋巳をからかう。
「ごめん。今日、僕、なんか変なこと言ったりやったりしてた?」
「いーや。逆だな。なんもしてなかった。椿ちゃんに引っ張りまわされるままだったな」
「そう」
「ま、いいんじゃないの。椿ちゃんの目的も色々達成できたみたいだし。
 俺がそれに応えるとは限らないけどね」
「萩原さんのこと、気に入らなかった?」
「いや。とってもいい娘じゃない? とても純粋だと思うよ。
 さすが椿ちゃんの友達だけあるね」
「それじゃ、付き合ってみる気になったの?」
「おいおい。昨日今日でいきなりそんな答えが出るわけないだろ。
 友達づきあいするのは吝かじゃないけどな」
「へえ」
 じゃあ、望みはあるんだ。秋巳は思った。
 水無都冬真が、柊神奈と付き合うことになるのか、それとも、萩原睦月なのか、はたまた椿であるのか。
 秋巳は判らなかったが、水無都冬真には純粋に幸せになって欲しいと願った。
 学校からとは逆方向から帰っているため、先に水無都冬真の家につき、そこで彼と別れると秋巳はひとり歩き思う。
 夢の終わり――。か。
 今日の秋巳は、まさに水無都冬真が指摘したとおり、夢見心地であった。
 椿が自分にまるで仲の良い家族のように穏やかに接してくれる。微笑みかけてくれる。そう兄思いの妹のように。
 なんど夢見ただろう。そんな光景が訪れることを。そして、なんど絶望しただろう。
 椿は演技であった。
 それは、秋巳は理解しているつもりだった。
 家に戻れば、また、あのいつもの椿が帰ってくるのであろう。
 それは判っていた。
 だがいつかは戻ってくるんではないか。今日のような日が。椿が本心からさきほどのように接してくれる日が。
 そんな希望を秋巳に抱かせるほどに、甘い夢であった。

 

170 __(仮) (17/17) sage 2008/01/20(日) 14:36:59 ID:/Y72H/+n
 
    *  *  *  *  *  *  *
 
 秋巳と水無都冬真、そのふたりと別れた椿と萩原睦月は、喫茶店『ユートピア』に来ていた。
 かつて、椿と水無都冬真が話をしていて、そこをたまたま萩原睦月が見かけた、そのときと同じ席で。
「椿。ほんとーに、きょうはありがとうね!」
 まるで拝むかのように両手を合わせて、椿に頭を下げる萩原睦月。今日の余韻だろうか、彼女のテンションは先ほどから高いままであった。
「大げさよ。それにそんなことされたら、私がなにか、
 睦月を脅してるみたいじゃない」
「いや! もうほんと! 感謝してます」
「もういいってば。そんなにされたらこっちが恐縮するわよ。
 それに、そんなかしこまられるほど浅い仲じゃないと思っているのだけど?」
「ううん。椿のことが好きだから! だからこそだよ!」
 顔を上げて椿を見つめる。
「それに、紹介してくれるだけじゃなくて、
 今日も色々……その、チャンス作ってくれて」
 萩原睦月が言っているのは、今日の椿の秋巳に対する態度のことであろう。彼女が色々水無都冬真に接触する機会を作ってあげるための。
「いいのよ。私が望んでることだし――」
「え?」
「睦月と水無都さんが仲良くなるのは」
「あ、ああ! ほんと、椿さまさまです。もう、椿に足を向けて寝られないね。
 こんなことわざわざ敢えて言う仲じゃないって判ってるけど、
 椿になにかあったら協力は惜しまないからね!」
「だから、いいの。睦月はいてくれるだけで。私のためになってるんだから」
「あはは。ありがとう。でも、今日、お兄さんずーっと固まってたよね。
 椿の態度に。私も最初、びっくりしちゃったもん。
 あの普段は凛とした椿が、こんなにお兄ちゃんっ子だったのかーって」
「そうね。あとでフォローしておかないと。
 それと、今日のこと感謝してくるなら結果で返してね。
 貴方と水無都さんの交際報告待ってるわよ」
「うーん。まだまだ道のりは遠そうだけどね。でも、頑張るよ! 
 いままで、三年以上想ってきたんだから、焦ることないよね」
「そうよね。頑張ってね」
 椿は強く願った。うまくいくことを。
 そしてそんな自分に気づいて、存外自身に余裕がないことを悟った。

 

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最終更新:2008年01月27日 20:05
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