ハルとちぃの夢 第3話

476 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:32:06 ID:zJOAPhEM
 佐々木家の家事全般を担う智佳の朝は早い。
 6時前後には起床して、三人分の朝食とお弁当を作り、洗濯も済ませる。
 無理しなくていいよ、何度となく康彦がそう言っているのだが、自分が好きでやっているのだから、とやんわりと拒否をして、家事を続けている。
 智佳からしてみれば、兄から教わった家事を兄の為に行う事によって、絆を深めているつもりなのだから、家事を止める訳がなかった。

 三人分の食事の支度が終わると、棚の中から二つの小さな瓶を取り出す。
 「愛情たっぷり魔法の調味料~♪」
 メロディが分からない歌を口ずさみながら、そのうちの一本の蓋を開け、
 「いっかいめぇは兄ぃのためにー、にかいめぇは私のためにー、さんかいめぇは二人のために♪」
 そう歌いながら、瓶の中身を満遍なく康彦の食事に降り掛けていく。
 それが終わると、智佳はもう一本の方の瓶を見る。
 「やっといてあげないと、ハル姉、拗ねちゃうからな~」
 そう呟くと、先程と同じように瓶の中身を康彦の食事に降りかけた。
 ただ、お弁当ならパセリ、朝食ならキャベツ、と兄があまり好んで食べない物を中心にしていたが。


 智佳の作業、もはや日課が終わって少ししてから、”おはよ”と、寝ぼけた声がした。
 「おはよう、…アレ、ハル姉?」
 声の主が遥である事に気付くと、智佳は戸惑いの色を見せた。
 普段なら、次に起きてくるのは決まって兄、康彦であり、それから遥が起きてくるまで、二人だけの時間のハズなのだ。
 「あれ、兄貴は?」
 康彦がいない事に気付いた遥が、寝ぼけ眼を擦りながら尋ねる。
 「まだ、おきてない…」
 「珍しい事もあるもんだねー」
 そこまで言ってから、遥の目に三人分の食事が目に留まった。

 「入れておいてくれた?」
 「大丈夫!ちゃんとハル姉のも入れたよ」
 「何時も悪いねぇ、自分でやらなきゃイケないのは分かってるんだけど…」
 「気にしないで、二人で力を合わせないとイケないんだから…」

 「おはよう…」
 二人がある程度話し終わった時に、康彦が寝不足の顔をして起きてきた。


477 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:33:39 ID:zJOAPhEM
 「どうしたの?私より遅いなんて珍しい」
 「うん、それに凄く眠そうだよ?」
 ぼーっとしている康彦の姿に、二人が質問を浴びせる。
 「いや、まぁたいしたことないないから…」

 そうは言ったものの、事実、康彦は寝不足で相当に辛かった。
 理由は簡単だ。
 あの女子高生からの電話が30分おきにかかってきた為、眠る事が出来なかったのだ。
 用件は一つ、二人の邪魔をしていないか、それだけだ。
 その一つ一つに、康彦は丁寧にきちんと対応してしまっていた。
 二人の邪魔をしていない事は勿論、時には自分の意見を言い、時には相手の愚痴を聞き、時には説教じみた事を言い…、気付けば眠る事が出来ない時間になっていた。
 無視すれば良かった、そう思えないのは、康彦本人の性格によるものだろう。

 「とにかく食事にしようよ、ちぃが作ってくれたんだ」
 乾いた笑いと空元気を出して二人に言うと、食卓に付いた。

 中途半端に寝てしまったのがイケなかったのか、目が覚めきらないし、二人の会話も頭の中に入らず、当然、箸の進みも遅くなり、気付けば二人とも食事を終えていた。
 「兄ぃ、調子悪いなら無理して全部食べなくても大丈夫だよ?」
 智佳が心配そうに声をかける。
 「大丈夫大丈夫、ちぃの食事は美味しいから、全部食べれるって!」
 食事を作ってくれている事への感謝も含め、康彦は明るい声でそう答えると、最後に残っていたキャベツを口に頬張り、完食した。

 「アレは食べれなくても良かったのに…」
 完食した兄を見た智佳は、自分でも気付かない内にそう呟いていた。



478 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:35:56 ID:zJOAPhEM
2  
 『純白の天使』
 遥の通う女子高では、代々そんな異名を付けられる生徒が出てくる。
 彼氏彼女がいる気配がないのに、恋をしているかのような美しさと強さを持った人、そんな意味合いをもつこの異名を、当代では遥が襲名しつつあった。
 事実、遥は他校の男子生徒ととの集まりを全て拒否しているし、ソッチの気があるのかと勘違いした同校の生徒は全て玉砕している。
 誰かに恋をしているのは分かる、その相手が分からない。
 そう言った理由から、遥の相手は生徒達の噂の的である。
 遠藤久美も、その話に興味を持った内の一人に過ぎないハズだった。


 「遥さん、お早うございます。今日は調子はいかがですか?」
 登校してきた遥に、久美が挨拶をする。
 同学年の友人に対してこんな喋り方をする久美に遥は、もっと気楽に話して欲しい、と何度か頼んだのだが、この喋り方は変わらず、誰に対しても同じ喋り方で通していた為、今では遥も諦めている。

 「オハヨー、私は何時通り元気だよ」
 「そうですか、それはよろしゅうございます」
 「まぁね、で、久美は…何か嬉しそうだね?」
 会話の中で遥は、久美の様子が普段と違う事に気付いた。
 やや寝不足気味ではあるものの、普段よりずっと明るい顔をしているのだ。
 「そう見えますか?」
 「そう見える。何かいい事でもあったの?」
 「えぇ、多少…ではありますが」
 久美のその応えに遥は、フーン、とだけ返し、自分の席に向かった。
 久美との直接の関係を考えた訳ではないが、何故か、同じ様に寝不足だった今朝の兄の事が頭を過ぎったからだ。

 学校にいる間、遥には心配な事がある。
 兄、康彦の事だ。
 自分が中学に入学した時には兄は高校に、自分が高校に入学したら兄は大学へ、となる為、兄の交遊関係をしっかりと把握出来ず、敵対者を特定するのが困難になっている。
 そこに隙が出来た為、2年前には兄を奪われてしまい、その始末に苦労したのだ。
 現在も一人ではとても監視しきれずにいる。
 「しばらくはちぃちゃんと協力しなきゃダメか…」
 そんな溜め息が遥の口から漏れた。


479 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:37:36 ID:zJOAPhEM
 「来週のお祭り、どうするの?」
 昼休み、友人達が遥にそんな質問をしてきた。
 「えっ、来週のお祭り?」
 「土曜にある縁結びのお祭り!」 
 「あっ、そうか!もう来週だっけ?」
 市を上げた大きなイベントがあるお祭りを、遥は友人の言葉でようやく思い出す事が出来た。
 完全に頭の中になかったのは、兄がこのお祭りに誘ってくれた事が一度もないからだ。
 もっとも、恋愛成就を願う女性や恋人同士、夫婦が主な参加者であり、普通は兄妹で行くモノではないが。

 「縁結びか~」
 「そうそう!遥は誰かと参加しないの?」
 野次馬的に聞いてくる友人達に、遥は少しだけムッとした。
 自分も出来る事なら、兄と二人で参加したいが、兄が了承する訳がない。
 「はぁー」
 口から小さな溜め息が漏れた。
 「なに、どうしたの?」
 「何でもない…」
 せっかくのお祭りに参加出来ない辛さが遥を襲う。
 兄貴もバイト休みなハズなのに、そう思った時、一つの考えが頭に思い浮かんだ。
 ちぃちゃんも誘えばいいんだ、二人っきりなら断るだろうが、妹二人を連れて行く、という理由になれば、嫌とは言わないハズだ。
 兄がそんな義務感の強さを持っている事を、遥には良く分かっていた。
 「誘ってみるかな」
 遥がそう呟くと、一気に周囲が騒がしくなった。
 遥は周囲の喧騒をよそに、縁結びの神様は私とちぃちゃんのどちらを選ぶかな、と考え、兄貴と私が結ばれるのは決まってるけど、と信じていた。

 ”縁結びのお祭りですか。お兄さんは私に任せて、遥さんは智佳ちゃんと幸せになって下さい”
 遥達の様子を見ていた久美はそんな事を考えていた。


480 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:39:48 ID:zJOAPhEM
3 
 康彦は今、喫茶店にいる。
 バイト先ではない。
 遠藤早紀、そう名乗った女子高生に引っ張られるようにして連れて来られた店だ。

 何か女子高生に祟られているんだろうか、康彦はそう思わずにはいられなかった。
 妹二人の事で絡んできたのも女子高生、今、目の前にいる相手も女子高生であり、さっきから疑わしげに自分を見ている。
 「で、あの、何の用?」
 相手の視線に耐え切れなくなった康彦がそう切り出した。
 「あっ、気にしないで。大事な友人の為に品定めしにきただけだから!」
 そうは言いながらも、初対面の時からこちらを見ては、うぅんとか、こんなんがねぇとか、微妙だなぁとか、色々と失礼な呟きを漏らし続けている。

 「まぁ、あの子が選んだんだから私がとやかく言う筋合いはないんたけどさ」
 康彦はその台詞に大きな溜め息を付きながらも当然の疑問を投げかける。
 「その、あの子ってのは誰なの?」
 「それはまだ言えないんだよねぇ」
 「あの子に頼まれたワケじゃなくて、私が勝手にやってんだけだからねえ」
 「てか、あんたにだって心辺りあんでしょ」

 「一切ない」
 康彦はそういいきった。
 恋人であった楓の死後、新しい人間関係を作るのに臆病になっていた事もあり、異性の友人は二人しかいない。
 そのうちの一人は弟を溺愛している先輩であり、もう一人は高校時代からの後輩で今も同じバイト先に勤める岡野鈴だ。
 前者が自分に好意を抱く可能性はありえないし、後者にしても、何度も約束をすっぽかされた事を考えれば、考えられない話だ。

 考えた様子もなく、簡単に否定してきた相手に、早紀は面食らった。
 鈴もそれなりには自分をアピールしてきただろうと、当たり前に想像していたからだ。

 「ま…、思いつかないなら、それはそれでイイんだけど…ネ」
 鈴の今までの話を考えればありえなくはない、そう考え直した。

 「私はその大事な親友のタメに、あんたに一つだけ言いたい事があるんだよ」
 今回の1番の目的を果たす為、早紀はそこで一呼吸おいた。
5 「あんたさ、いつまで死んだ人間の事、想ってんの?」
 大事な親友である鈴の為に、気持ち悪い考えを訂正する為に、真っ正面から切り込んだ。


481 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:41:32 ID:zJOAPhEM
 空気が変わった、そう感じたのは、あながち早紀の気のせいではない。
 「何が言いたいの?」
 そう応える康彦の口調はさっきまでの穏やかさは消え失せていた。

 素直に怖いと感じる。
 だが、早紀は言葉を続ける。
 親友の為に、自分が正しいと思う事を口にするのだから、躊躇いはない。
 「その娘から聞いてるんだよね、あんたの事」
 「気持ち悪いんだよ、うじうじと死んだ恋人の事ばかり考えてさ」
 「少しは今、あんたの事を想ってるのが居るのを考えてみたら?」
 息継ぎせずに最後まで言い切ると、相手の反応を待った。
 怒鳴り出すか、そう思えたが、相手の反応は真逆のモノだった。
 「言いたい事はそれだけか?」
 冷静な、一切の感情が感じられない言葉。
 それが早紀には、相手の怒りの深さを現している気がして、恐ろしくなった。
 「う、そうだよ…」
 辛うじて早紀が返事をした後、相手が言葉を続ける。
 「なら、そのお友達とやらに伝えておいてくれないか?」
 「何を言われようと、俺はあいつの事を忘れないし、それ以外の女の事を考えるつもりはない」

 早紀は既に涙目になって言葉がだせない。
 そんな早紀を気にする事なく、康彦はゆっくりと立ち上がり、
 「君もその事は二度と言わない方がいい」
 とだけ告げ、後は二度と早紀の顔を見ずに、店を後にした。


 「ハー!」
 康彦の姿が見えなくなったのが確認できると、早紀はようやく呼吸できたかのように、大きく息を吐いた。
 「あれは相当に前の彼女に惚れ込んでたね」
 目の前に残されていたコーヒーを啜ってから呟く。
 「あそこまで重い男は私はゴメンなんだけどなー」
 「でも、鈴には似合いそうだ」
 鈴自体が、多少抜けてるところはあるが、基本的に一途で純心だ。
 それを考えれば、あんな男が1番なのだろうと思える。
 「バカな純心女と過去に囚われてる男か…」
 そこで溜め息が一つ出る。
 「これは、私が一肌も二肌も脱がないと、HAPPYEndにはなりそうもないねえ」
 自分で自分の言葉に酔って、それを信じた。
 「待ってな、二人とも!この私が二人の恋を全力で手助けしてやるから!」
 高らかに宣言する。
 周りの客の目を気にせずに。


482 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:44:18 ID:zJOAPhEM
4
 その日、康彦はバイトを休んだ。
 先程の怒り、そして久し振りに思い描いてしまった楓との思い出、それらが交わり、既に仕事ができる精神状態ではなくなってしまったのだ。

 重い足取りのまま家に帰り、そのままドアを開ける。
 「ただいま…」
 力のない声が出た。
 「お帰り…って、兄ぃどうしたの?今日はバイトがあったんじゃ…」
 奥から出て来た智佳が心配そうに言うのに対して、ちょっと疲れてただけだから、とだけ答え、後は、部屋で休むから、と言って、早足で自室へと向かった。

 自室に戻った康彦は考える。
 未だに楓の事が整理出来ていない自分を。
 年下の女が少々の生意気な口を利いただけなのに、それに対して激怒して危うく手を出しそうになった自分の情けなさを。
 「あの事故から何年経ってると思ってるんだ」
 自分で自分を責めてみるが、芳しい効果は得られない。
 激しい自己嫌悪、それに比例して思い出される楓の事、その二つが康彦を厳しく責め立てていた。

 「兄ぃ、はいるよ」
 小さなノックと共に、智佳が康彦の部屋に入ってきた。
 「兄ぃ…」
 智佳が小さく呟いて康彦の隣に来る。
 康彦は慌てて智佳から顔をそらした。
 今の顔を見られる事で、妹二人に余計な心配や迷惑をかけたくないからだ。
 「ど、どうした、ちぃ?」
 なるべく明るい声を康彦は出したが、智佳はゆっくりと首を振ると、兄に背中から抱き着く。
 「ち…ちぃ?」
 「無理しないで、兄ぃには私がいるんだから…」
 「ちぃ…」
 優しい語りかけるような智佳の声に、康彦は言葉を失った。
 考えてみれば、楓の死後、妹二人がいなければ、自分はもっと壊れていたかもしれない。
 そして、今もこうして自分を支えてくれている。
 「ありがとうな」
 自然とそんな言葉が口から出た。

 「俺は大丈夫だから」
 今度は無理に出した明るい声ではなく、落ち着いた普段の声を出して、智佳の方を向く。
 「兄ぃ」
 「ん?」
 「忘れないでね、私はずっと兄ぃの傍にいるから」
 比喩を含んだ智佳の言葉が、今の康彦には有り難かった。

  智佳の言葉に康彦が笑顔で応えると、晩ご飯の支度があるから、と部屋から出ていった。
 「絶対に傍から離れないから」
 という呟きを残して。



483 ハルとちぃの夢 sage 2008/02/01(金) 06:48:20 ID:zJOAPhEM
 「あれ、兄貴、帰ってきてるんだ?」
 最後に帰ってきた遥が、玄関の靴を見て、智佳に聞いた。

 「うん、今、自分の部屋で休んでる」
 「へえ、どうしたんだって?」
 「あの時の…発作みたい」
 「…アレ、か」
 智佳の言葉に、遥が顔を曇らせる。

 康彦の発作、楓の死で発症し、楓の事や死に関するキーワードで起こるトラウマ。
 その頻度や症状の重さは、そのまま、康彦の心にいる楓の大きさになる。

 「死んだ人には勝てないのかな…?」
 智佳が暗い顔をして言う。
 「勝てるよ!」
 遥が智佳の言葉を否定するように、声を大にした。
 「確かに死んだ人は美化されていくかも知れないけど、ただそれだけ」
 「生きてる私達にしか出来ない事の方が多いんだから!」
 「そう、そうだよね」
 「そう!だから二人で頑張ろう」
 「あの女からお兄ちゃんを取り戻す為に」
 「うん、頑張ろう!」
 遥の言葉に智佳が力強く頷いた。


 二人はそれ以上語らない。
 楓、横山楓の事故の真実を。
 誰にも、特に兄にだけは知られるワケにはいかない、二人だけの秘密。

 この秘密を知っている人間は少ない方がいい。

 自分一人だけでいい。

 それが二人の共通の考えなのだから。

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最終更新:2008年02月04日 23:38
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