540 (1/7) sage 2008/02/03(日) 16:27:22 ID:uShrGvCb
(九時半か……)
俺は腕時計に目をやり、時間を確認する。
場所は、実家近くの公園。小学生のころ、友達や妹と散々遊びまわった懐かしい場所だ。
露出している顔や首の肌を刺す冬の朝の冷たい空気のなか。
俺は妹と待ち合わせをしていた。
発端は昨日の夜にさかのぼる。三日前から実家に帰省していた俺は、その夜、あろうことか妹に人生最大級の失態を演じてしまった。
エッチなゲーム――いわゆる、エロゲ――をプレイしながらにやつくという、自分でも客観的に見たら死にたくなるような醜態を。
社会に出てひとり暮らしを初めてから、二年。誰の目も気にせずひとりで好き放題やれる生活に慣れ、
また、久しぶりの実家ということで、大分気が緩んでいたのだろう。
そうでも思わないと、あんな失敗をやらかすなんて、ありえない。自分があそこまで間が抜けてるなんて。迂闊だなんて。
いや、そう思ったところでなにが解決するわけじゃないが。
股間を露出していなかったことが不幸中の幸いだなんて、なんの慰めにもならない。
ノートパソコンのディスプレイいっぱいに映る裸の女の娘のアニメ絵と、それを見ながら気持ち悪い笑みを浮かべている己の姿を
ばっちり目撃されてしまったのだから。言い訳なんてしようもない。
その光景を目の当たりにした妹は、一瞬固まり、それから憎い親の敵にでも向けるような視線で睨みつけ。
無言で踵を返し、自分の部屋へと閉じこもったみたいであった。
その後、母に「夕食よ」と呼びかけられ、おそるおそる食卓に顔を出したときには、妹はいなかった。
あの娘は気分が悪いみたいで、きょうは夕飯いらないって。その母の言葉に、おれは、「そう」としか返事できなかった。
そりゃ、気分が悪くなるだろう。あんなモノを目撃したのだから。妹にとっては、耐えがたい現実を突きつけられたのだから。
俺と顔をあわせるのも嫌なはずだ。
だが、その母の台詞を聞いたとき、わずかにほっとした自分を呪いたくなった。
――まだ、両親に知られていない。
妹に不快なんて言葉じゃ足りないくらいの嫌な気持ちを与えておきながら、
己の身がまだ首の皮一枚で繋がっていることに安堵している自分を。
それから、いままで妹とは、ひと言も交わしていないどころか、会ってもいない。夜中にメールが一通きただけだ。
『明日、十時にあの公園で』
「はぁ……」
鬱屈した気分がすこしでも一緒に逃げていけばいいという思いを込めて溜息を吐く。気が重い。
公園に設置されたベンチに腰をかけていると、休日だからだろうか、呑気にタバコを吹かしながら犬の散歩をしているおっさんが
前を通る。
その平和そうな顔を見ると、筋違いとは判っていても恨めしくなる。
幸せそうな顔をしやがって。
俺は、妹から、親から、社会から、変態の謗りを受けるかもしれないというのに。
今朝の親の態度から、妹はまだ誰にも、少なくとも家族には昨日のことを話していないみたいだった。
しかしそれも時間の問題であろう。
俺の親は、そういうことには厳格なほうだ。だからこそ、その娘である妹がいまどきの女の娘にしてはありえないほど純情に
育ってしまったのだろう。
言うなれば、俺の昨日の行為は、コウノトリを信じている女の娘に下卑た肉の接合であるポルノ写真を突きつけたようなものだ。
と、まあ、そこまでいうのはオーバかもしれないが、俺がいままで見てきた限り、そして話に聞く限り、
妹はえらく古風な人間のようだった。
いままで、付き合った男は何人かいるようであったが、どうもそういう性的な面に関しては。
以前――まだ俺が実家にいた頃――妹の彼氏に相談されたことがある。
曰く、付き合っているのにキスすら許してくれない。手を繋ぐぐらいがやっとだ、と。
その彼氏は、軽く冗談めかして言っていたが、内心気にしていただろう。
そいつは非常にイイヤツで、俺としても是非妹とうまくいって欲しかったから、
我が家の家風を必死で理解してもらおうと説得した。
でも、長続きしなかったようだ。いつもそうみたいだった。誰と付き合おうとも。
それもそうであろう。時代の風潮からして妹みたいな女の娘の方が珍しいのだ。
キスすら許さないとなれば、付き合っている方としては本当に自分のことを好きなのか疑わしくなるだろう。
541 (2/7) sage 2008/02/03(日) 16:29:53 ID:uShrGvCb
だが、あの家では異質なのは俺のほうだった。
いや、この歳まで誰とも付き合ったことすらなく、キスの経験すらない俺は、一般社会的にも異端だろう。
妹のそれとは違う。妹は自ら機会を捨てているが、俺にはそのチャンスすらなかった。
そんな俺がひとり暮らしを始めてから二次元の非現実へと走るのは、ある種予定調和だったのかもしれない。
昨日の妹の、相手を射抜くような眼差しが浮かぶ。
「はは……」
無意識に自嘲の声が洩れる。
「勘当、かな」
客観的に見たら、それぐらいで大げさな、と思うかもしれない。でも、家の事情だったらあり得ることなのである。
あの親に知れたら。
特に親父だ。
男女交際はしても構わないが、結婚するまで性的な交渉は一切罷りならん、というようなことを平気で口に出すような人間だ。
その息子が、二次元のアニメ絵で興奮して、自分を慰めてると知ったら、それこそ卒倒もんだろう。
九時四十五分。
ふと予感がして、面を上げる。
来た。妹だ。
その表情はまだ窺い知れる距離ではなかったが、笑っていないことだけは阿呆な俺でも判る。
妹はとっくにこちらに気づいていたのであろう。被告に裁きを言い渡す裁判官のような足取りでゆっくりとその歩みを進めながら、
こちらへ向かってくる。
なんて言うだろうか。
もう二度と帰ってこないで。あなたみたいな変態と同じ空気を吸っているだけで我慢できない。
そう罵るだろうか。
それとも。
あなたみたいな人間の妹でいることが堪えられない。いますぐ死んで。
妹の性格上そんなことは言わないと判っていても、最悪の状況ばかりを想像する。
妹とのいままでの思い出が浮かぶ。
俺が家を出るまでは、近所でも比較的仲の良い兄妹として通っていた。俺はそう思っている。
就職し家を出てからも、俺がたまに帰郷すると、決して嫌な顔はされなかった。
はっきりとそれを口にするのを聞いたわけではないが。
料理するようになったんですよって、手料理を振舞ってくれることもあった。
それは、多分彼氏のために勉強し身に付けたんだろうとは思ったが、それでも嬉しかった。
そんな過去も、妹にとって、いまはもう忌まわしい消したい記憶でしかないのだろう。
たとえ、変態の烙印を押されても、いままでの思い出すら否定されるのは辛い。
でも、自業自得なんだ。
妹が、静かに俺の前に立ちどまる。
どちらもなにも言葉を発さず、刹那の沈黙が流れる。
「あ、あの、だな……」
なにを喋るべきかすら思いつかないまま、口を開きかけた俺を制するかのように、妹が無言のまま、
公園脇に広がる林のほうを指さす。
そちらに行けということか。
そうだな。いくら変態とはいっても、まだ自分の兄だからな。遊び目的の子供たちや、
散歩などで通りがかる人のいるこの場所では、身内の恥をその人たちに晒すようなもんだろう。
最悪の想定が実現しつつあることを感じながら、ベンチから腰を上げ、黙って指をさした方向に歩き出す妹の後を追う。
しばらく林の中を歩み進めて、僅かに開けた場所で妹の足が止まる。
空は快晴だったが、ここは木々の間から木漏れ日が差し込む程度で、若干薄暗い。
断罪の場としては相応しいと思った。
こちらに振り返る妹。それに合わせて彼女の綺麗に切り揃えられた髪が流れる。
542 (3/7) sage 2008/02/03(日) 16:33:15 ID:uShrGvCb
裁きの始まり、か。
「…………」
妹は口を開くことなく、こちらをじっと見つめていた。なにか申し開きがあれば一応聞いてやるということだろうか。
「あの……だな」
俺は、未だ言うべきことが見つけられず、先ほどと同じ台詞を吐いた。
「その、だ。おまえの言いたいことは、おおよそ……判ってる、つもりだ」
頭の中で纏まらないまま、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「俺としては、言い訳することも見つからないし……、
いや、言い訳なんてすべきじゃないし。おまえがあのとき思ったままの人間なんだ。
……あ、いや、別に開き直ってるわけじゃなくて、おまえにはほんとに申し訳ないと
思っているし、その、なんだ、なんていうか、ただ、ここで謝ったり言い訳したりしても、
その事実が消えるわけじゃないし……」
自分でもなにを言っているんだろうって思う。
開き直ってないと言いつつ、これは、開き直りそのものじゃないのか。
「えーっと、だな。その、俺が言いたいのは、おまえの判断がどんなものであれ、
それに従うつもりだということだから」
そうだ。いまの俺にできる唯一の償いはそれしかないだろう。それは償いとはいえないかもしれないが、
それしか思い浮かばなかった。
「はぁーっ」
そんな俺の言葉を聞いていた妹が、大きく溜息を吐いた。
呆れたのだろう。それとも、こんなのが自分の兄であることを恥じているのだろうか。
「ねぇ、兄さん。私の言いたいことが判ってるっておっしゃってましたが、
それがなんだと思っているのですか?」
妹の口調は、極めて平静を保っていた。そして、それが妹が怒ったときのものであることを俺は知っていた。
しかし、妹よ、それを俺の口から言わせるか。
いや、答えねばなるまい。自らが招いた罰なのだから。
「その、だから……、あの時おまえがどう思ったか、ってことだ。
夕食のときも来なかっただろう。つまり、俺の顔も見たくないってことじゃないのか?
……あ、勘違いしないで欲しいが、それは……、おまえが俺のことを変態だと思うのは、
当然のことだと思ってる。だから、おまえが家に二度と帰ってくるなって言うなら、
二度と実家に顔をだすつもりはないし、兄妹の縁を切れっていうなら、
その、法律的にはなかなか難しいと思うが、できるだけその希望に添うつもりだ」
「お父さんには、なんておっしゃるつもりですか?
いきなり息子が帰ってこなくなったら不審に思われるでしょう」
「それも……覚悟してる、つもりだ。おまえが、……いや、それは卑怯だな。
そうなった場合には、俺から、ちゃんと両親に話す……ことにするよ」
親父は言うまでもなく、お袋も親父よりは理解があるが、こんなことを知れば相当衝撃を受けるだろう。
お袋は泣くだろうか。息子がこんな変態に育ったなんて知ったら。親父は怒り狂うだろうな。それはもう烈火のごとく。
そして二度とあの家の敷居は跨がせないであろう。
俺がそんな考えを巡らせていると、妹が俯いて肩を震わせる。
泣いているのか、と思って一歩踏み出したとき。面を上げた妹の表情は――。
――笑っていた。
「ふふふ、あはははは!」
遂には声をあげて笑い出す。あまりのショックに気でも触れてしまったんだろうか。
そうでも思わずにはいられないほど、眼前の妹は異常だった。
「ふふ、……あ、失礼しました、兄さん。
ただ、両親があまりに不憫に思えてしまって」
言っていることはこの上なく正常だ。それは俺を責めるには充分に効果的な言葉。
ただあまりの出来事に少し情緒が不安定になっているのだろうか。それがいっそう俺を苛ませる。
543 (4/7) sage 2008/02/03(日) 16:37:05 ID:uShrGvCb
「……判ってる。それはすべて俺の所為だ。
そして、おまえを不憫な目にあわせているのも」
俺としては頭を下げるしかない。それが誰にもなんの救いにならないことが判っていても。
そんな俺を無視するように妹は続ける。
「そう、あまりに不憫じゃないですか。だって――」
そこで一度を言葉を切る妹。俺の目を見つめながら。
「――手塩にかけて大事に育てた自分の子供が二人とも変態だったなんて。ねぇ」
「わかっ……えっ?」
なに? いま妹はなんて言った? 『二人』、とも?
「なにを……」
言っているんだ、という台詞は続かなかった。混乱している。いまの妹の言葉の意味が理解できない。
聞き間違いか? そうだ、そうに違いない。
妹は精神的に動揺してるんだ。あ、いや、動揺してるのは俺か?
「え、あれ……」
なにも言葉を発せられない。喉の奥がひりひりする。
聞き間違いだ、必死で自分にそう言い聞かせる。
そんな俺の内心などまったくどうでもいいかのように、妹がさらに口を開く。
「そういえば、兄さんはさっき、私の言いたいことが判るとおっしゃってましたね。
でも、おそらく、いえ、絶対。兄さんはいまの私の気分を判っていませんよ」
先ほどの吹っ切れたような笑いを端緒とするかのごとく、妹の顔にはいまも薄く笑みが浮かんでいる。
まるで愉快なことでも話すかのように。
「そうですね。私のいまの気持ちを例えるなら。
いままでどうしても欲しくて欲しくて仕様がなかった、
でも絶対に自分の手には届かないものを、自分の一番嫌いな人間に奪われたけれど、
その人が、私の手の届くところに届けてくれたような複雑な気分です」
なにを……?
妹の言っていることは繋がってない。会話の前後がおかしい。意味をなしてないじゃないか。
俺は無意識だったのだろう、気づかないうちに後ずさっていた。
そんな俺を逃がすまいとするかのように、妹がゆっくりと近づいてくる。
「だいぶ困惑しているようですね。兄さん。無理もないです。
私がいままでひた隠しに隠してきたんですから。私から見れば兄さんなんて、
余程迂闊か、隠す意志がないとしか思えませんよ」
いつのまにか背中に林立する冷たい雑木のひとつを背負い、それ以上後退できない俺を追い詰めるかのごとく、
妹は俺の前に立ちふさがると、首にその細い腕をしなやかに回し。
そして、接吻をした。
「!」
思わず目を見開いた。瞳を閉じた妹の顔が視界を覆う。焦点を結ばないほど間近にある。
それに遅れて妹の匂いが、俺の鼻をくすぐる。
この場だけ時が止まってしまったかのように俺は動けなかった。息をすることも忘れていたかもしれない。
どれほどの時間が流れたのか。それは一瞬だったのかもしれないし、十分も経っていたのかもしれない。
時間の感覚が失われている。
妹はゆっくりと顔を離すと、身長差から俺を見上げる。上目遣いで。
背伸びをしてたのか。そんなどうでもいいことが気についた。
「う……あ……」
俺はなにかを喋ろうとしたが、未だに言葉が出てこない。動揺はさっきよりひどい。思考が纏まらない。
夢。これは夢なのか。そう思うとともに、現実感が急速に失われていく。
俺は夢を見てるのか。
二次元の妄想ばかりに逃げ込んでいたから、こんな夢をみるのか。
そんな俺の考えを否定し、現実に引き戻すかのように、妹の手が俺の頬を撫でる。
冷たい。
544 (5/7) sage 2008/02/03(日) 16:40:08 ID:uShrGvCb
「まだ、判りませんか? 兄さん。
なぜ私が付き合ってる人と口付けすら交わさなかったのか。
兄さんは、私が古風な考えを持っていると思っていらしたようですけど、
もっと単純なんですよ。好きでもない人とは、
手が触れるくらいは我慢できても、キスなんてできないだけです」
ここは、なんだ?
いまなんで俺はここにいる?
どうしで、妹はこんなことを俺に話しているんだ?
頬に添えられた妹の手、その親指が俺の唇に触れる。
「私が、いままでどれほどの葛藤を抱えていたか想像つきますか?
兄さん。あなたの何気ない仕種に私がどんな想いを抱いていたか。
好きでもない人間と付き合うことで、必死で誤魔化してきたんですよ。
でも、それも影から応援するような兄さんの態度が、私に苦痛を与えるだけでした。
結局、誤魔化せたのは兄さんも含めて周りの人間だけです。
私の感情は自分を騙すどころか、肥大していくばかりでした。
それでも、その感情を周囲に悟られないためだけに続けていたんです」
妹はなにか箍が外れたかのように。
「兄さんが、私なんか比べものにならないような方と付き合えば、
諦められるかとも思いました。でも、実際に私がとった行動は、
それに反するようなものです。常に何事も完璧にこなせるように努力して、
兄さんに近づいてくる方にプレッシャーをかけるようなこともありました。
あ、もちろん兄さんはそんなこと気づいてなかったでしょうけど。
私の中では常に禁忌と倫理の葛藤でしたよ」
そこまで一気に喋り、俺の頬から手を離し、そのままその手で自分の髪を梳いた。
ここまできてやっと、俺の思考が追いついてきた。
いや、まだ困惑はしているが。
妹の紡ぐ告白が、言語として、日本語として、漸く意味のあるものとして俺の耳朶に入ってきた。
「おまえは……、自分でなにを言っているのかが判っているのか?」
「ええ、理解しています」
「なんで、いまになって、こんなこと……」
俺には妹の吐く言葉の意味は認識できても、その感情も行動も理解不能だった。
「昨日の出来事以外に、なにか原因があると思っていらっしゃるんですか?」
妹はさもそれが当然のこととばかりに応える。
「だったら、なんでっ!? もし、おまえがいま言ったような感情を抱いていたとしても、
幻滅しただろうっ!? あんなことしてる奴が世間一般でどんな目で見られているか、
いくらおまえでも判るだろうっ! 後ろ指をさされるような、
軽蔑されるような人間なんだよっ、俺はっ! なんでそんなことをわざわざ言うんだ?
おまえの中で勘違いで済ませればいいじゃないかっ!
おまえは俺じゃない、ありもしない偶像に憧れていただけなんだってっ!」
「ありもしない偶像じゃありません。
いま、こうして現実に私の目の前に立っていらっしゃるんですから」
「だからっ……」
さらに反論しようとした俺に対し、妹がその人差し指を俺の口に当てて止めた。
まるで母親が、子供に静かにしましょうね、とでも合図するかのように。
「兄さんは本当の意味であの両親の息子ですね。その愚鈍なまでの純粋さ。
私はそれが欲しくて欲しくて、手に入れたくて堪りませんでしたよ」
俺は、妹の指を振り払う。
「あんなっ、あんな行為をする人間のどこが純粋だっ!」
口調だけからみると、妹と俺の立場は最初と逆転したように、責める立場と責められるそれが入れ替わったかのように見えたが、
実際は最初の状況となにも変わっちゃいない。
545 (6/7) sage 2008/02/03(日) 16:41:58 ID:uShrGvCb
「あら。自分を慰める行為ぐらい、
する人間はいくらでもいるじゃありませんか?」
「それでも……、それでも、あんなものを使ってしたりはしない」
「性的嗜好なんて人それぞれだと思いますが。
世の中には苦痛や不快感を快感とする人間もいるでしょう」
「そっ、それは詭弁だろう。そんなことで自分を正当化はできないはずだ」
「どうして正当化する必要があるんです?
殺人淫楽症や強姦魔の人間ならば社会の害悪であるということもありますが、
兄さん程度の趣味で社会に害悪を成すならば、
性欲そのものを否定しなければなりませんよ」
「なっ……」
妹の言っていることはどこかおかしい。しかし、反論できなかった。
いや、そもそもなんで俺は反駁しているんだ?
さっきから俺は自分が変態であることを必死で主張してるのか?
大体、この茶番はなんなんだ。
俺の前にいるのは、本当に俺と一緒に育ってきたあの妹か?
「その程度のことをそれほど真剣に気にしているから、
兄さんは純粋だと言っているのです。
まあ、兄さんが世間的にどう思われようとも私は一向に構わないのですが。
そもそも、漫画のような絵に性的興奮を覚える程度で後ろ指をさされるのでしたら、
その対象が兄であるような人間は、社会的にはこの上ない変態ですね」
妹は愉悦にでも浸るかのように声のトーンを上げる。
「おまえは……、本当に俺の妹なのか? おまえは、一体なにがしたいんだ?」
「ふふ、そのひとつ目の質問。それが私と兄さんとの違いです。
兄さんはそのままで私の望む姿でしたが、
兄さんが接していたのは『兄さんが望むであろう妹』を演じていた私です。
だから、いまの私と、兄さんが知っている私とに齟齬が出るのです。
それと、ふたつ目のことですが、先ほど言ったとおりです。私は兄さんが欲しいのです」
「なんで……? 俺はおまえが判らないっ!」
「ええ、これは私自身ですら制御できるような感情ではありませんから。
おそらく私が兄さんの趣味を許容しようとするよりも、
私の感情を理解していただくことのほうが余程困難でしょう」
546 (7/7) sage 2008/02/03(日) 16:43:36 ID:uShrGvCb
ああ、それと、と妹が付け加える。
「先ほどは兄さんの趣味を擁護するような発言をしましたが、
決して快くは思っていませんから。
兄さんの心を奪うものはなんであれ……、そうですね、
単純な言葉で述べるなら嫉妬というものでしょうか。
特にあんなモノに兄さんが心を奪われていると知ったとき、
私の中で限界まで張り詰めていたなにかが切れたような気がします。
それで、決心したんです。なにがなんでも、どんな手段を用いてでも、
兄さんを私のものにしてみせる、と」
「こんな――、こんなことを両親が知ったらどう思うのか、
おまえは考えたことがあるのか?」
思わず口をついて出た後に、こんな台詞は俺が言えた義理ではないことに気づいた。
あんな趣向を持てば、両親がどれほどショックを受けるか理解しつつもやめなかった俺。
もう、とっくに歯車は狂い始めていたのだ。俺も妹も。
「ええ、これ以上ないというくらい考えましたよ。
兄妹揃って、異常な人間であることをあの両親が知ったときの苦痛や悲嘆を。
さらに親思いの兄さんが、それをなにがなんでも避けようとするであろうことも。
いま兄さんが言った台詞は、そのまま私が兄さんに言いたい台詞です。
私の想いを達成するために」
それは、つまり。
その台詞は俺を責めるためじゃない。強迫のための台詞だということだ。
その材料は、俺のこと、だけじゃなく、妹自身も含めて『兄妹ふたり』のこと。
その妹の言葉を聞いてはじめて、俺は妹の決意がどれほどのものかを実感した。
『なにがなんでも、どんな手段を用いても、兄さんを私のものにしてみせる』
その日、歯車は完全に狂った。
最終更新:2008年02月04日 23:43