__(仮)第7話

38 __(仮) (1/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:01:17 ID:TRCccs/z
 
 
「なあ。水無都。フロアのレイアウトってこんなもんでいいのか?」
「おー。そんなもんかな。あとは、ドリンクの準備場所との仕切りに、カーテンでも引くか」
「ねーねー。柊さん。フロアの飾り付けに必要なもの、ひととおり洗い出してみたんだけど?」
「あ。うん。ありがとう。それじゃ、こっちで確認して予算を報告するから」
 梅雨入り間近の六月。秋巳たちのクラスは、中間考査を終えて次の大きなイベントである文化祭――葵(あおい)祭――を
控えて、喧騒に包まれていた。梅雨時というイベントごとにはあまり向かない季節ではあるが、
秋巳たちの通う高校が進学校という都合もあり、年度の後半は受験生である三年生に配慮されるため、
例年この時期に行われていた。
 ホームルームの時間。高校生らしい活気に彩られた教室。その中心にいたのは、
葵祭実行委員である水無都冬真と柊神奈であった。
 彼らふたりを中心にクラスでの催し物、それに向けての準備が進められている。
 彼らが企画立案したのは、喫茶店。それも店員がある種の嗜好性をもった衣装を身に纏う。いわゆるコスプレ喫茶であった。
 発案者は、水無都冬真。
 彼が、企画決めの場にて、どこからか用意してきた衣装の案とともに提案し。
女子の普段とは異なる雰囲気を味わえると盛り上がった男子は当然反対する者などなく、
水無都冬真の持参してきた装束のデザインが女子にもなべて好評だったため、あっさりとその案に決まった。
 その場で水無都冬真が熱く思いの丈を込めて弁奮う間、彼に誘われ同じ実行委員となった柊神奈は、
多少困ったように笑みを浮かべて、黒板前に飾られたオブジェとなっていた。
「おーい。秋巳。ちょっといいか」
 周囲に命じられるまま、はいはいと頷き、あまり他の人がやりたがらない細かい作業をしていた秋巳を呼ぶ水無都冬真。
「ん? なに?」
 呼びつけられた秋巳は、人だかりの中心で椅子に腰掛けている水無都冬真の元へ向かう。
「看板とかに使う板材を、運営本部まで取りに行ってくれるか?」
「ああ。うん。いいよ。生徒会準備室だよね?」
「おお。柊ちゃんと一緒にな」
「え? 別にひとりでいけるけど? そんなに大量にあるの?」
「ばっか。おまえ、柊ちゃんに箸より重いものを持たせるわけないだろ。
 受取に学祭委員のサインが必要なんだよ」
「じゃあ、冬真が行ったら?」
「ああ。ダメダメ。いま俺は、衣装のスカート丈を膝上何センチにするかで、
 非常に緻密で繊細な議論と交渉してるから」
「どこが繊細な議論よ! こんなことで交渉してる自分がバカらしくなるわ」
 水無都冬真の向かいに座っており、彼の言う『議論』の相手であろう春日弥生が呆れ声とともに不満を漏らす。
「姐さんが、こっちの要望を呑んでくれれば、即終わるんだけど?」
「呑めるわけないでしょう! なんで制服よりも丈が短いのよ!
 っていうか、これじゃ、下着が丸見えじゃない!」
 水無都冬真が再び掲示してきた、寸法等も含めた衣装案をバンと机に叩きつける春日弥生。
「いや。だから、そういうコスプレなんだってば。
 あの全国的家庭アニメの褐藻類コンブ目ちゃんだって、
 おんなしような格好してるんだから。いたって健全。一点の曇りもなし。
 ましてや、いやらしい気持ちからじゃないぞ。
 純粋にコスプレを楽しもうという意図でだな……」
「あんたとその周りのにやけた顔から、
 いやらしい以外のなんの気持ちを読みとれと?」
「おい! 秋巳。俺は恥ずかしいぞ。おまえがそんないやらしい気持ちで、
 このコスプレ喫茶を考えてたなんて。
 なんだ指名料とか、時間延長とか、オプションとかって」
「どの口がそんなことをほざくのかしら? 
 いまの言葉も、全部あんたのこの口から洩れてきたんだけど?」
 そう言いながら、春日弥生は、水無都冬真の頬を抓り上げる。
「あいひゃひゃ!」
 



39 __(仮) (2/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:04:49 ID:TRCccs/z
 
「如月くん、悪いけど、このバカに代わって行ってきてくれる? 神奈!」
 水無都冬真の頬を放さないまま春日弥生は、別の群がりを築いていた柊神奈に向かって声を飛ばす。
 柊神奈は、周りを取り囲む面々に片手で拝むようにして「ごめんね」と言うと、
急ぎ足でこちらに向かってくる。それは今日、ひっきりなしに見られた光景。
「どうしたの? 弥生。なにか疑問点でもあった? 
 っていうか、水無都くん涙目になってるよ?」
 水無都冬真を指さしながら、おずおずと言う。
「ねえひゃん、ふいまひぇん」
「あら。忘れてた」
 心底どうでもよさそうに呟くと、春日弥生はその頬を抓む指をぐりぐりと上下に動かす。
「いひゃいいひゃい!」
「で。そんな些細なことはどうでもいいんだけど。
 準備室まで、必要なもの取りに行ってきてくれない?」
「ああ! ごめん。バタバタしてて忘れてたよ! 
 いまから行ってくるね」
「あ。ちょっと待って。彼が手伝ってくれるから」
 慌てて教室を飛び出そうとした柊神奈を呼び止めると、空いたもう一方の手で秋巳の背中を軽く叩く。
「え?」
「冬真が重大案件で手を放せないらしいから」
 秋巳がそう理由を付け足す。
「てをはなひぇないほは、ねえひゃんらけど」
「水無都くん、痛そうだよ?」
「いいから! はいはい。さっさとふたりで行ってくる!」
「あ。うん。ごめんね。如月くん。手伝わせちゃって」
「うん。いいよ」
 それだけ応えると秋巳は、柊神奈とともに教室を出た。



 各教室からは、生徒たちの高揚する気分を表現するかのような陽気なはしゃぎ声、笑い声が届き、
お祭り騒ぎの雰囲気が染み出してくる廊下を、秋巳は柊神奈とふたりで歩く。
「ほんとに、ごめんね。実行委員の仕事なのに手伝わせちゃって」
「いや。別に、一から十まで実行委員がひとりでやらなくちゃ
 いけないことじゃないし。生徒みんなで協力することが大前提でしょ? 
 それに、冬真に頼まれたんだから、
 柊さんがそんなにかしこまることないと思うよ」
 恐縮する柊神奈に模範的な回答を返す秋巳。
「あはは。それって、私から頼んでたら断られてたのかな?」
 悪戯っぽい輝きに彩られている表情で、訊ねる柊神奈。
 彼女が告白してから、秋巳たちと一緒にいることが多くなって。
柊神奈は、いい意味で秋巳に対する遠慮や気遣いといったものが、なくなってきていた。
それは本来の彼女の性質に近づいたもの。飾った自分ではなく、素の自分をなるべく出して秋巳に接する。
 自分を秋巳に受け入れてもらえるかどうかは、判らなかったが、
それこそ媚びるようにして無理矢理捻じ曲げたキャラクタで秋巳に振り向いてもらっても意味がない、
柊神奈はそう思っていた。
 秋巳のことを配慮しないという意味ではない。
彼が嫌がることや、避けるようなことをするつもりなど毛頭ないのだから。
 ただ、柊神奈は気づいていなかった。彼女自身にとって、
恋する人のためなら『無理矢理捻じ曲げる』ことなど存在しないことを。
 秋巳が目立つことを嫌うなら、それこそ自分も日陰に入り込むことを厭わない。
それは、無理でも我慢でも、自分を抑えつけているわけでもない。
 彼がそう願うのなら、そうすることが『素のままの柊神奈』なのである。
 彼は自分ひとり特別扱いされることを嫌っていた。彼女自身と同様に。
だから、柊神奈も他の人たち――他の仲の良い友達――と同じように秋巳に接するようにした。
 



40 __(仮) (3/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:07:48 ID:TRCccs/z
 
 秋巳は、そんな最近の柊神奈に戸惑うことが多々あった。
「う。結構、きついこと訊くね」
「ふうん。否定してくれないんだ」
「いや。別にそういうわけじゃないけど。
 もちろん、柊さんから頼まれても、同じだよ。
 実行委員に協力するのは生徒の義務だし。
 ……あ、冬真に頼まれたからやってるのもそういう意味だよ」
「あー! 慌ててる。いいですよー。
 どうせ、私が頼んでも個人的に承諾してくれるんじゃなくて、
 義務で応えてくれるんだよね」
「柊さん、最近、段々冬真に似てきてない?」
「それって、水無都くんを愛してる如月くんにとって、
 私もそういう対象に入れるってこと?」
「え……? いや」
 困ったように口篭もる秋巳。
「あはは。冗談だよ、冗談。これ以上やって、如月くんに嫌われたくないしね。
 では、あらためて、柊神奈よりお願いです。荷物運び手伝ってくれるかな?」
「かしこまりました。実行委員殿」
 そうおどけて返す秋巳に、咲き誇るひまわりのように明るく破顔一笑する柊神奈。
「あははっ! ありがとう!」
 弾むような軽やかな声。彼女は、満足だった。徐々に秋巳との距離が近づいている実感を得られて。
 柊神奈は秋巳に言わなかったし、彼も気づいていなかったが、秋巳自身彼女に対する態度が、
当初とは変わってきていた。秋巳は相変わらず目立つことを忌避していたが、
それさえなければ柊神奈と相対することを嫌がっていたわけではない。
むしろ心地良ささえ感じるようになってきたといっても大げさではない。
 それは、秋巳のなかで無意識にある種の可能性を見出させた。
 秋巳自身が怖れていたこと。
 かつて水無都冬真に言われたこと。
『あの葡萄は――』
 ――酸っぱいに違いない。そう思い込んで恋愛ごとを敬遠することではない。
 秋巳にとって、それが『酸っぱい』モノでしかないことを突きつけられる。
それこそが秋巳が畏怖していたものなのだから。
 人として大切なモノが欠けている不良品の自分は、本気で誰にも恋愛感情を抱けない。
『恋愛ごっこ』をしてその真実に向き合わされる恐怖があるから避けていた。
 だが、柊神奈と友達付き合いをすることで、秋巳のなかに芽生えつつある感情があった。
 椿と水無都冬真以外に対する好意――それは恋愛感情と呼べるものではなかったが――。
 人として、そんなあたりまえの情意を持てるのではないか。
秋巳は無自覚ながらも、そういう希望を抱きつつあった。
「あ、そうそう」
 思い出したように、柊神奈が言う。
「さっき言った冗談っていうのは、
 如月くんが水無都くんを愛してるって部分だけだからね」
「え?」
 彼女の台詞の意味が掴めず、訊き返す秋巳。
「だから、そういうこと!」
 柊神奈は、それ以上話すことはないとばかりに打ち切る。
 自分が秋巳に好意をもたれる対象になれるか。
 秋巳に振り向いてもらえるか。
 秋巳に恋心を抱いてもらえるか。
 それは、彼女の中で冗談でもなんでもなく、それこそ人生の一大事のごとく真剣なものだったのだから。
 



41 __(仮) (4/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:11:27 ID:TRCccs/z
 
 
 
   *  *  *  *  *  *  *  *
 
 
 
 そして迎えた葵祭当日。本格的に梅雨入りし、連日続いた雨模様の隙間を縫うかのように、
薄く広がる雲の切れ間から陽光の差し込む週末。
 秋巳の通う高校の門前には、年に一度その役割を求められる大きなアーチが建てつけられ。
 やはり天候のことを考慮したのであろう、門をくぐって広がる校庭には、
出店の数はちらほらとといった様子ではあるが、それでもこの日ばかりはこの敷地一帯がお祭りの空気を醸しだす。
 生徒会役員でもある運営委員を慌しく呼びだすように響く校内放送が、葵祭の開始が近いことを告げ。
 秋巳のクラスも様々紆余曲折はあったが、なんとか準備は整っていた。
「さて。諸君! いよいよ決戦の日だ。ここまでよく頑張ってくれた。
 ただ、これからが本番だぞ。売上は二の次で文化祭を楽しもう、
 なんて建前を言うつもりはない! 結果がでるから楽しいんだ! 
 売れ! 売って売って売りまくれ! 
 原価十円のコーヒーを百二十円で売りつけることを躊躇うな! 
 原価二十円のクッキーを二百円で売りつけることに躊躇するな! 
 会場の設営費、人件費、女の娘のお色気サービス! 
 その他もろもろ乗ってのお値打ち価格なんだ! 
 健全な経済活動なんだ。社会の仕組みなんだ! 
 女の娘が隣に座って一緒に飲むだけで、
 市価の十倍に跳ね上がるなんてあたりまえの市場だ。
 資本主義では、カネこそ正義だ! カネが言葉なんだ! 
 カネは裏切らない! だから、学校一の売上を記録して、
 我々の最終防衛線を破った運営委員会のヤツラの頬を
 札束で引っ叩いてやろう!」
「おー!」
 黒山の人だかりのなか、熱弁する水無都冬真。集まっているのは主にノリのよい体育会系の男子たち。
 女子と秋巳を含む一部男子たちは、それを遠巻きに冷めた視線を送っている。
「あいつの言っている最終防衛線って、女子衣装のスカート丈のことでしょ?」
「うん。そうみたいだね。結局最終的に生徒会の人に反対されて、
 矯正させられたみたいだから」
 呆れた表情で水無都冬真を見やる春日弥生と、それに答える秋巳。
「よくもまぁ、あそこまで固執できるものね。ある意味感心するわ」
「まぁまぁ。水無都くんもお祭りってことを配慮して
 雰囲気を盛り上げるためにやってるんだろうし、いいんじゃない?」
 フォローをいれる柊神奈。
「そうかしら。私には、欲望に忠実に動いているようにしか見えないけどね」
「あはは……。否定できないけどね……」
 柊神奈は、苦笑する。

「いいか! 売れない豚はただのクソ製造機だ! 
 貴様らのそのクソのもとを詰め込む口から、
 薄汚い言葉を吐き出す前と後に『サー』をつけろ!」
「サー、イエッサー!」
「これまでの価値観は捨てろ! おまえたちは掃き溜めにたかるハエ以下だ!
 ゴミだ! 無価値! ゼロ円だ! いや、無駄に消費する分、害毒だ! 
 売上をあげて初めてヒトとして認められるんだ。
 おまえらがヒトになれるか、ハエ以下で終わるかは、
 この二日間にかかってるんだ!」
「サー、イエッサー!」
 ますますヒートアップする水無都冬真。
 



42 __(仮) (5/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:14:45 ID:TRCccs/z
 
「あんなこと言いつつ、あいつは、お店の運営に参加しないでしょ。
 自分が関わらないからって、好き放題言ってるわね」
 自分の言葉が水を差すと自覚しているのだろうか、水無都冬真の方には届かないよう配慮しながら、
春日弥生が呟く。
 葵祭実行委員の暗黙の特権。
 葵祭当日は、実行委員は基本的にフリーである、ということ。
 前日までの準備に関する雑用、運営本部との交渉、委員会への出席、諸々等、
負担が極端に重い実行委員に対する、校内での暗黙の了解事項であった。
 それはつまり、柊神奈もフリーであり、衣装を纏う喫茶店のウェイトレスをしないということを意味し、
催しモノが決まったとき多くの男子を失望をさせたのであるが。
「ま。バカはほっとくとして。神奈! 
 あんたもなんか今日を迎えるにあたって、みんなに言うことはないの?」
「え? ええっ!? 私もあんなこと言うの!? むっ、無理だよ!」
 クソだの、ゴミだの、口汚い言葉を罵る水無都冬真を見ながら、思いっきり身を引く柊神奈。
「誰もあんなこと言えなんて言ってないじゃない。
 ……まぁ、一部の男子どもは喜びそうだけど。
 そうじゃなくて、別にあんたの言葉で開始を宣言すればいいのよ」
「え、あ、そ、そうなの?」
「はい、みんな! もうひとりの実行委員である神奈からも、
 みんなにひと言あるって」
 パンパンと手を叩き、それまで雑談していた女子を中心に注目を集める春日弥生。
それにあわせて、秋巳も彼女たちからすこし距離を取るように後ろに退く。
「ほら、神奈!」
 柊神奈は、いきなり振られて、さらに周りの視線が一斉に集中することで戸惑う。
「あ、あの。みんな、今日まで本当に協力してくれてありがとう。
 その……、至らないところばかりで迷惑かけたかもしれないけど、
 あの、今日、みんなが楽しんでくれたら幸いです。
 えーっと、その、あと、なんて言ったらいいのかな……。
 と、とにかく、この二日間楽しみましょう!」
「ええ。今日までお疲れさま。神奈」
 そう春日弥生が締めくくると、パチパチと拍手が沸く。優等生的な内容だからだろうか、
それとも単に柊神奈だからだろうか、一部女子には面白くないような顔をしているのも見受けられたが。
「さ、それじゃ、みんな最終準備にかかりましょうか」
 その春日弥生の号令に従うように、各自ばらばらに散会し、教室は再び喧騒を取り戻す。
「弥生も、本当にありがとうね。弥生がいなかったら、私全然ダメだったよ」
「いいえ。お礼を言われることじゃないわ。
 確かに、あのバカの相手は疲れたけどね」
「あと、如月くんも。色々と面倒なことに巻き込んじゃってごめんね。
 それと、助けてくれてありがとう」
「あ。いや」
 急に秋巳の方を向き、お礼を言う柊神奈が意外だったのか、困惑した表情を見せる。
「僕は、まあ、冬真のサポートをしてただけだし」
 それは、事実だった。春日弥生が、ほぼつきっきりで柊神奈の手助けをしていたのと同様に、
秋巳は水無都冬真の指示になにくれとなく従って助けていた。主導権を握っているのは、それぞれ逆だったが。
 だから、周囲の目からは、春日弥生は柊神奈を助けていると映っていたが、
秋巳は水無都冬真にいいようにこき使われていると、憐れみの視線を受けていた。
 



43 __(仮) (6/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:17:40 ID:TRCccs/z
 
「よ。柊ちゃん。お疲れさん。この二日間は、目一杯楽しもうか」
 演説を終えたのであろう水無都冬真が、軽快な足取りで秋巳たちに合流する。
「さて。秋巳も。今日はどっから回る?」
「え?」
 一瞬言われた意味が判らず訊き返す。
「え? じゃないって。おまえも今日明日はフリーなんだから、
 一緒に色々回ろうぜ」
「な、なんで?」
「なんでって、おまえ、シフト表に入ってないだろう。
 それは要するに、自由の身ってことだ」
「それは……」
 自分は接客ではなく、あれこれと細かい雑用を言いつけられる係なのでは、と秋巳は考えていた。
「如月くんには、ここでの仕事より重要な使命があるから。
 この男の監視を、ね。神奈に変なちょっかいをかけないよう」
 水無都冬真を白眼視する春日弥生。
 それは、クラス内での合意事項であった。女子に対しては春日弥生が、
男子に対しては水無都冬真がそれぞれ持ちかけ、纏めたのである。
 準備段階において、水無都冬真にあれやこれやと顎でこき使われていた秋巳に対し、
同情と憐憫を覚えていたクラスメイトは、とくに反対をしなかった。
 これが、水無都冬真や柊神奈であれば、それぞれ反対意見がでたであろう。主に前者は女子から、後者は男子から。
だが、ふたりとも暗黙ルールで優先的に抜ける。
 別にいてもいなくてもいい、いれば便利なやつぐらいの認識をもたれている秋巳が抜けようと、女子も男子も構わなかった。
各自の負担がわずかに増えるという不満に関しては、散々いいように使われてきた実績に向けられる憐れみが打ち消した。
「ま、俺が色々と実行委員の手伝いをさせてやった報酬だと思えばいい。
 感謝しろよ」
「でも、それを言ったら、春日さんも、じゃない?」
「あら? それって、私を誘ってくれてるの?」
「え? いや、そうじゃないけど」
「素で返さないで欲しいわね……。ま、いいのよ。
 私も恩恵を受けてるしね。私の負担の半分は、神奈が受け持ってくれるし」
 どうしても自分だけ楽できないという柊神奈の強い要望により、春日弥生が応じた結果である。
それが、いろいろな交渉において男子に対する決定的な取引材料になったのは、思いも寄らない副産物であったが。
「で。まあ、私と神奈が入れ替わりになるから、
 この男が神奈にちょっかいかけないよう、
 如月くんに見張っててもらいたいわけ」
「姐さん。それは心外ですよ。こういう行事ともなれば、引く手あまたのこの身。
 数々の誘惑を振り切って、柊ちゃんと一緒に回りたいって想いを、
 そんな言い方されるなんて」
「どうせ、数々の女の娘に声かけて、断られたんでしょ。
 それで、強く押されると嫌とはいえない神奈を、
 無理矢理連れまわそうってわけね」
「あはは……。別に私は嫌じゃないよ」
 そうフォローをいれる柊神奈。
 だって、如月秋巳も一緒にいるから。彼と一緒に回れるから。
「さっすが、柊ちゃん! 俺と一緒にいたくて、片時も離れたくないって、
 そこまで言わせて断っちゃ男が廃るってもんよ」
「そういうわけで、この変態の見張り、よろしくね」
 春日弥生は軽やかに水無都冬真をスルーすると、そうにこやかな表情で、秋巳にウィンクした。
 



44 __(仮) (7/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:20:24 ID:TRCccs/z
 
 
 
 そしてはじまる文化祭。
「さて。いろいろ見て回る前に、ひとり合流する娘がいるんだ」
 秋巳と柊神奈、水無都冬真と廊下の一角に陣取って、どこへ回ろうかと相談するにあたって、
水無都冬真が切り出した。
「え? もうひとり?」
 訊き返す柊神奈。
「ああ。男ふたりに、女の娘ひとりだとバランス悪いしね。
 ひとり声かけてるんだ」
 正確には、水無都冬真から誘ったわけではない。向こうから誘われた。萩原睦月に。
 そのとき、すでにこの三人で見てまわろうと考えていた水無都冬真は、その申し出に快く応じた。
「ちょい待ってね」
 携帯電話を取り出すと、メモリーを呼び出し電話をかける水無都冬真。
「あ。萩原ちゃん。うん。俺おれ。いま、二階の東側階段の前。
 そう。いまから来れる?」
 水無都冬真の呼びかけで、電話の相手が萩原睦月であることを知る秋巳。
(へぇ……)
 椿が萩原睦月を彼に紹介してから、ちょくちょくやり取りをしているのは知っていたが、
ふたりは結構仲良くなっていたんだ。
 秋巳はそう感想を抱く。
「如月くんは、知っている娘?」
 電話の邪魔にならないよう、柊神奈が秋巳に顔を近づけて囁く。
「うん。後輩の女の娘なんだ」
 妹の友達、とは言わない秋巳。
「ふうん」
 それだけを返す。
「あ。悪い悪い。いまから来るってさ。ちょっと、待とうか」
 電話を終えた水無都冬真は、ふたりにそう声をかける。
「へー。水無都くんも、隅に置けないんだ。
 ひょっとして、私たちってお邪魔虫?」
「あれあれ? もしかして、妬いてる?」
「ううん。そんなことないよ」
 強がりでもなんでもなく、平然とそう答える柊神奈。
 そんな彼女に、水無都冬真も言葉とは裏腹に、残念そうな顔を全然見せることなく言う。
「それは残念。でも、お邪魔虫なのは、どっちなのかなー?」
 悪戯な笑みを浮かべて。
「えっ! なっ? そ、そんなことないよ!」
 虚をつかれて、慌てふためく柊神奈。
 返答に窮する彼女に、図らずも助け舟を出す形で、萩原睦月が人の間を縫うように小走りでやってきた。
「すみません。お待たせしてしまいまして」
 そう言って気分を落ち着かせるためか、胸に手を当てる萩原睦月。
「いんや。全然待ってないよ。今日は、よろしくね」
「いいえ! こちらこそ!」
 そう恐縮して畏まると、ふと気づいたように、柊神奈の方へ瞳を向ける。
「あの……」
「ああ。お互い初めてだっけ? えっとね、こっちは、柊ちゃんで、俺の嫁」
「ええっ?」
「水無都くん、そういう嘘は冗談でも言わないほうがいいよ。ごめんなさい。
 私は、柊神奈、如月くんと水無都くんのクラスメイトなんだ」
「あ。いえ、その、お名前は……」
 萩原睦月は聞き知っていた。二年の学年である程度話題に上る、柊神奈の名前は。
 それが、なんで、いまここに水無都冬真と一緒にいるのであろう。
 ひょっとして――。
 嫌な予感が萩原睦月の頭を掠める。
 



45 __(仮) (8/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:23:46 ID:TRCccs/z
 
 そんな彼女の内心など露知らず、
「あ。……そうなんだ。変な噂とかじゃなきゃいいんだけど」
 彼女の反応から、自分の名前くらいは、聞いたことがあるのだろうと察する柊神奈。
「いえ! とんでもないです」
 変な噂どころか、二年男子の間で人気を誇る女の娘として。そう耳に入れていたのである。
「すみません。挨拶が遅れました。えっと、あたしは、一年の萩原睦月です。
 あと、お兄さんもご無沙汰です」
 萩原睦月は、慌てて柊神奈にぺこっと頭をさげると、それから秋巳のほうを見やり挨拶をする。
「うん。久しぶり」
 中間テストの時期からだから、約一ヶ月ぶりくらいかな。そう思いながら秋巳が返す。
「お兄さん?」
 秋巳をそう呼ぶ萩原睦月に、疑問を呈する柊神奈。
「ああ。こいつの趣味なんだ。年下の女の娘にお兄さんって呼ばせるの」
 そう言いながら秋巳のほうを顎でしゃくる。
「そうなんだ。じゃあ、私もお兄さんって呼んだ方がいいのかな?」
「ち、違いますよ! あたしの友達のお兄さんだから、
 そう呼んでるんであって……」
 いっさい反論しない秋巳に代わり、否定する萩原睦月。
(あー。言わなくてもいいのに……)
 秋巳は心の中で呟いた。
 まあ、萩原睦月が来る時点で知られないわけにはいかないとは予想していたけど。
「へー。如月くんって、妹さんがいたんだ」
「ええ。柊先輩もびっくりしますよ。きっと。彼女に会ったら」
 椿は、決してこの目の前の女の娘に負けてない――。萩原睦月は、そう思いながら。
 そんな萩原睦月を見つめながら、水無都冬真が話題を切り替えるように水を向ける。
「そういえば、萩原ちゃんたちのクラスは、なにをするの?」
「え? あたしたちのクラスですか? 演劇なんです。
 あ! 聞いてくださいよ! 椿が主役をやるんですよ、主役! 
 ウチのクラス演劇部が多くて、脚本から自分たちのオリジナルを書き上げて、
 舞台装置も演劇部から借り受けている本格的なものなんですよ!」
 まるで小学生が百点とったときに親に必死でアピールするように、椿が主役を張ることを嬉しそうに報告する萩原睦月。
「ほう。そいつは、見に行かないとね。ところで、どんな劇? 
 濡れ場とかあるの?」
「なっ!」
 その言葉に反応したのは、萩原睦月ではなく、秋巳であった。
「あはは。あるわけないですよ。でもひとりの女性の悲恋の物語なんです。
 って、あ、お話の中身喋っちゃったら詰まらないですよね。
 今日は、十時半と三時から上映されるので、一緒に見に行きません? 
 お兄さんも、椿の雄姿を是非!」
「おお! いかいでか。な、秋巳」
「あ、ああ、うん」
 返事の鈍い秋巳。できれば学校で妹と接触を図りたくないという気持ちの表れなのだろう。
ただ、知ってしまった以上、妹の晴れの舞台を見てみたいという思いはあった。
 椿に迷惑がかかる恐れがあるかもしれないことを踏まえても。
 なにせ、一緒に暮らしていて今日まで椿が主役を演じるということどころか、
彼女のクラスが演劇をやるということすら知らなかったのである。
 当然椿は、自分が知る必要もないし、来ても欲しくもないと考えているのであろう。
 だから、その葛藤で躊躇った。
「その、椿さんって人が、如月くんの妹さんなの?」
 秋巳の心の迷いを知ってか知らずか、訊ねる柊神奈。
「え? あぁ、うん」
「おお。さっき萩原ちゃんも言ってたけど、会ったらきっと吃驚するぞ。
 秋巳とはいろんな意味で違うタイプだからな」
「へぇ。なんかそこまで言われると、会うのがちょっと怖くなっちゃうよ」
 そう柊神奈は、「ふふふ」と声を潜めて笑った。
 



46 __(仮) (9/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:27:07 ID:TRCccs/z
 
 結局、萩原睦月と水無都冬真に引きずられる形で、椿のクラスが演じる劇を見に来た秋巳一行。
 場所も教室ではなく、体育館の舞台で演劇部との演目と交互にやるという形で、
たしかに萩原睦月の言のとおり、それなりに体裁の整ったものであった。
 人の入りは、フロアにきっちりと並べられた座席が半分強埋まっているといった感じで、
閑散とも盛況ともいえない状況であった。
「あ。あそこ、四人分空いてますよ」
 舞台近くの一角を指さす萩原睦月。
 準備時間のためだろうか、舞台を覆う幕はまだ下りており、
体育館の照明もいつもどおりそのフロアをこうこうと照らしていた。
 萩原睦月が見つけた席に、萩原睦月、水無都冬真、秋巳、柊神奈の順に腰をおろす。
「萩原ちゃんは、劇の中身とか全部知ってるの?」
「ええ。あたしが実行委員だったんで、基本的に、劇の練習も含めて出てました。
 通しで見るのは、リハーサル時を含めてこれが二回目ですかね。
 でも驚きますよ、あの椿があんなに演技が上手いなんて。
 ほんとになんでも出来ちゃうんだから」
 後半部分は、自分に言い含めるように。
 実際、いくら椿でも最初からなんでもなくこなせたわけではない。
演劇部員は原則自分たちの部活動の劇に出るので、配役は振られない。
そのルールの基、主役に抜擢されたのが如月椿であった。
 演劇の経験など小学生の学芸会くらいしかない椿は、始めは他の人たちと同様に、やはりかなりぎこちない演技であった。
それを中学時代から経験のある演劇部員や果ては先輩部員までが参加して、
自分たちの練習時間を削って付き合ってくれたため、椿の演技は日に日に上達していった。
それこそ、最後には演劇部員から勧誘されるくらいに。
 やるからには、中途半端なものにしたくない。それがクラスメイトたちの大部分の共通した思いであった。
 四人が雑談していると、照明がその役目を終えたかのようにゆっくりと落ち、ブザーが鳴る。
「お待たせいたしました。ただいまより――」
 開幕のアナウンスだ。
 秋巳は兄として、期待と不安の入り混じった視線で、舞台を見つめる。




 舞台はあるパーティでふたりの男女が知り合うところから始まる。
「ふぁ、きれい……」
 パーティドレスに身を包む椿を見た、柊神奈の口から、自然と零れる。
 確かにそのとおりであった。
 普段着飾ることをあまりしない椿が、化粧をし、紅を差し、煌びやかな衣装を身に纏うその姿に、
秋巳も同じ感想を抱いた。
 そこで知り合った二人は、やがて恋仲になる。
 恋人同士のように語らい、触れ合うふたり。
 相手役の男の子も、充分ハンサムといって差し支えない顔立ちをしており、まさにお似合いのふたりであった。
 「ぐぉー」とか「ぐがー」とか「あかんて」等、隣で水無都冬真が小声で唸り声を洩らし萩原睦月に注意されていたが、
秋巳はいつか本当にそのように触れ合える人が椿に現れたらいいと願った。
 



47 __(仮) (10/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:30:21 ID:TRCccs/z
 
 劇の方は、淡々と進んでいき、お客に対して明かされるふたりの過去。
 その女と男は、生き別れの双子の姉弟。姉は親戚に引き取られ、そこの家族から差別され、虐げられ、
家族の愛というものを知らずに育つ。
 一方弟の方は、子供の出来ない裕福な家庭に養子として引き取られ、跡取として期待されて、なに不自由ない生活を送る。
 事実、女のほうは、引き取り手がいなかったため、親戚に押し付けられたのだ。
そんな環境で家族愛など得られるはずもない。
 女は孤独だった。常にひとりだった。家にいるのは自分を迫害する同居人。学校へ通っても、捨て子と忌み嫌われ。
たったひとりで努力し、のし上がった。誰にも期待せず、誰にも頼らず。そして、誰にも期待されることなく。
 孤独に上り詰めた結果として、世間一般的に上流階級と呼ばれる人たちと繋がる機会も増えた。
 女は当然そういう人たちであっても、信用したり気を許したりせずに、
単に利用できるかできないかで人付き合いをするのみであった。
 ただ、女の心は常に疲弊しきっていた。安らげるときなどないのだから。
 そんななか出会った男も、女にとって最初はその他幾百の人間と変わるものではなかった。
 だが、男は極端なまでにお人好であった。生き馬の目を抜くこの世界にあって、
この男が生きていけるのは単に生まれたときから『与えられていた』からであると女は考える。
 生まれたときからなにも持たなかった自分は、己の居場所を自分で奪い取るしかなかった。
それなのに、この男は、生まれたときから全てを与えられていたため、なにひとつ苦労することなく、
孤独など感じることなく幸せを得ている。
 女にとっては、むしろ憎むべき対象であった。
 しかし、女はそのとき認めたくなかっただろうが、たしかに惹かれていたのである。その男の持つ純粋さに。
自分にはない純白の心を持つその男に。人の愛を信じられるその真っ直ぐな心持ちに。
 それから女は企む。この男の心をめちゃくちゃに壊してやろう。二度と人を信じることなどないよう、
手酷く裏切ってやろう。自分と同じ泥に塗れればいい。
 だから、女は男に気のあるふりをして近づいた。
 男が段々と自分に惹かれつつあることを実感し、満足した。自分の気持ちに気づかないまま。
 男が自分にいよいよ本気であることを感じとり、男から財産も地位もほぼ奪い取ったそのとき。
 女は告げる。
「もういいわ」
「え?」
「もういいって言ったの。恋愛ごっこはおしまい。
 あなたの利用価値はもうなくなった。
 あなたの会社も私がほぼ実権を握ったわ。
 あぁ、あなたの老いぼれた両親にすがり付いても多分無駄よ。
 明日には取締役会で解任される。だから、もうあなたももう要らない。
 目の前から消えてくれるかしら」
 女はその台詞を吐きながら戸惑っていた。
「…………」
 男の悲しそうに歪む顔。
 なんで想像と違う。
 あれほど待ち望んでいた瞬間だというのに。なんで気分が高揚しない。
 この男が自分と同じところまで堕していくというのに。
「そうか……」
 男が呟く。
「ああ。僕は、ダメだったんだね。
 とうとう君にちょっとも振り向いてもらえることなく、終わりなんだね」
「なっ!」
 女は驚愕する。
「知って……いたの? 私の、目的を。最初から!」
 「ああ」と頷く男。
 



48 __(仮) (11/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:32:10 ID:TRCccs/z
 
「だったら、なぜっ!」
 なぜ財産を奪われるままだった! なぜ地位を奪われるままだった!
「簡単なことだよ。僕が君のことを好きだから。愛しているから。
 別に財産や地位なんてどうでもよかったんだ。
 だから、君が欲しいなら持っていってくれて構わない。
 両親には申し訳ないけど。おそらく僕が君に渡せる最後のものだから」
「なんでなんでなんでっ!」
 女は男のことを理解できない。
 好きだから? 愛しているから?
 だから、構わない?
 そんなもの私は知らないっ! 誰も教えてくれなかった! 誰も与えてくれなかった!
 だから自分で奪い取ってきた! 己の手で掴みとってきた!
 それを全て否定するというのか。この男は!
「どうして? どうして、君が泣いているの?」
 男が純朴に問い掛ける。
「――ああ」
 それで理解した。判ってしまった。私は愛していたのだ。この男のことを。
 羨ましかったのだ。望んでいたのだ。この男の心を。
 だから。
 だから、女は生まれて初めて心の底からの気持ちを。
「――ごめんなさい」
 
 
 
 物語は、そこでハッピーエンドとはいかなかった。
 そのふたりが姉弟であるという事実が、ふたりも含めて周囲に発覚したのである。
 当然ふたりの縁者たちに猛反発をうける。とくに男の方のそれに。姉のほうは元々利用するだけの人で、
縁者といえるほど縁の深い人間はほとんどいなかった。
 姉は全てを投げ打ってでもいいと思っていた。かつての男のように。
 たったひとつのものに縋りたかった。事実、姉には男以外ほぼなにも残っていなかった。
地位も利害関係だけで結びついていただけで、姉のほうに利用価値がないとみるや、
周りは手のひらを返したように姉から財産も含めて剥ぎ取っていった。
 唯一、男さえ――弟さえ――いればよい。姉は本心からそう思っていた。
 むしろ、たったひとり愛した男が、自分と血を分け合っていたことは、姉に喜びをもたらした。
 これは運命なのだ、と。
 



49 __(仮) (12/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:34:26 ID:TRCccs/z
 
 しかし、男の方の関係者に、厄介なのがいた。
 男の婚約者――となるはずだった人。
 男が姉を見初めてから、一方的に話を破棄され、想い人を奪われ、姉を憎んでいた。
 男にしてみれば、周囲が勝手に決めただけであり、お互いの気持ちを無視して結び付けられようとしていた。
そういう認識だった。
 だから、気づかなかった。その女もまた男のことを愛していたことに。
その女には、財産も地位も男以上にあった。比べ物にならないくらいに。
 そんな女が男に固執する理由は、純粋に情念――愛情――だけであった。
 不釣合いな婚約も、すべては女の希望。企み。
 そのふたりの対面。
「お願い。お金も地位も他にはなにもいらない! 
 だから、だからあの人と一緒にいさせて。あの人はどこなの?」
「なにを言っているのかしら。この泥棒猫は。
 むしろ、あなた本当に泥棒じゃない! 
 あの方の財産や地位を奪おうとしたくせに!」
「ぐ……。それは……」
 確かにそれは事実である。それを目的として男に近づいたのだから。
「それでなに? こんどは真実の愛に目覚めたから? 実の弟に? 
 はっ! 穢らわしい」
「お願い……。あの人に会わせてくれるだけで良いから」
「どの口で、そんな恥知らずなお願いができるのかしら。まぁ、いいわ。
 一度だけは会わせてあげても。でも、ショックを受けないことね。
 あの方も、姉と恋愛していたなんて気持ち悪いって言ってたから。
 っていうか、そもそもあの方があなたに会いに来ない時点で
 気づきそうなものだけど」
「え……?」
 姉の心に亀裂が走る。
 おそらくは、この女のハッタリだろう――。姉はそう思い込もうとした。
 しかし、奥底に恐怖が潜み始めた。
 そして、男と対面したとき、その恐れは真実となる。
「すまない。君とは、一緒にいられない……。
 だって、君は姉だろう? それは……できない」
 姉は絶望した。
 失った――。
 すべて失った――。
 なにもかも。
 姉は知らない。女が裏で男を脅していたことなど。己の地位と権力を利用すれば、
姉の命ひとつなどどうとでもできる、と。
 せめて生きていてもらいたいなら、あの姉を引き離せ。
 女はもうなりふりなど構っていなかった。


 最後の舞台は、断崖絶壁。
 姉がひとり立つ。
「ふふ。さようなら。最初で最後に愛した人――」
 閉幕。
 
 



50 __(仮) (13/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:36:53 ID:TRCccs/z
 
 
 
「椿ー! 凄かったよ! リハーサルとかでも見てきたけどやっぱり違うね!」
 萩原睦月に案内されて来た舞台裏。
 萩原睦月が、心を打たれたように感嘆の響きを伴って椿に声をかける。
「ありがとう。睦月。それと、兄さんたちも来ていらしたのですね」
「おお! よかったよ、椿ちゃん。
 なんどあの弟役のやつを刺してやろうと思ったか」
「ふふ。そうですか。兄さんはどうでしたか。拙い演技で申し訳ないですが」
「あ……。いや、その、すご……かった」
 秋巳はなかば放心したように応える。あんな様々な表情の椿を見たのは、初めてだった。
 子供の感情じゃない、大人の心情。情動。
「かー! なんだ、おまえそのありきたりの感想は。
 椿ちゃんも一生懸命練習したのに、見せ甲斐のないやつだなあ」
「ふふ。いいんですよ。別に。兄さんに見せるために、
 練習したわけじゃないですし。ところで、そちらの方は?」
 秋巳の隣に付き従う、柊神奈に視線を配り訊ねる椿。
「あ、あのっ! 私、柊神奈で、如月くんのクラスメイトです!」
 お見合にでもきたかのように、しゃちほこばった態度で返事をする柊神奈。
「そうですか。いつも兄がお世話になっています」
「いいえ! とんでもないです。普段私の方ばかり、
 いろいろ如月くんにお世話になってて!」
 柊神奈は、両手を大仰に振って、椿の形式どおりの挨拶にまじめに返す。
「私の方が後輩なんですから、そんなに畏まらないでください」
「あ、あの! ご、ごめんなさい!」
「いやいや。椿ちゃんを前にしたら、誰でも最初はそうなるって」
「それは、どういう意味でしょうか。水無都さん。
 私がまるで怖い人間みたいじゃないですか」
「うーん。そこは、私も納得せざるを得ないかな?」
「もう。睦月まで。大体睦月なんて、私に最初に会ったときは、
 命令するみたいだったじゃない」
「あわわ……。それは、もう忘れてよ!」
 笑い声を上げる三人。水無都冬真は、なんで萩原睦月が慌てているかよく判らないまま、
ふたりにあわせて笑っているのだろう。
「すみません。柊先輩。申し遅れましたが、如月秋巳の妹で、如月椿といいます。
 これからよろしくお願いいたしますね」
「こ、こちらこそ。うん! よろしくね! えっと、椿ちゃん、でいいのかな」
「ええ。如月だと兄と一緒になってしまいますので。
 兄さんのこともなんなら秋巳と呼んでくださって結構ですよ。ね、兄さん」
 呆けたようにしている秋巳に話を振る椿。
「えええ! そ、それは、ちょっと」
 まだ早いのではないか。柊神奈は慌てる。
「あら。残念。振られてしまいましたよ、兄さん」
「え?」
 心ここにあらずといった感じで流れに全くついていけてない秋巳。
「ち、ちがうよ! 如月くん。そ、そういう意味じゃないから」
 



51 __(仮) (14/14) sage New! 2008/02/10(日) 17:38:58 ID:TRCccs/z
 
「まぁまぁ。それは追々ということで。で、話は戻るけどさ。
 椿ちゃんの演技はほんと迫真だったね。
 椿ちゃんがあんなに演技がうまいなんて知らなかったよ。
 普段から慣れてない人間があそこまでできるなんて」
 先ほどからあたふたしている柊神奈を落ち着けるかのごとく、話題を戻す水無都冬真。
「それは……、まあ、演劇部の方たちのご指導の賜物ですかね」
「いやいや、椿ちゃんの才能と努力の賜物だって」
「褒めてもなにもでませんけど」
「さっきの演技が充分の報酬だって。でも、椿ちゃんには、
 どうせなら、あの元婚約者の役をやって欲しかったなあ」
「それは、私には嫌な女の役のが似合っていると?」
「だって、あの劇で最後に笑ってるのって、あの元婚約者だけでしょ? 
 椿ちゃんには是非、その幸せになる役をやってもらいたかったってこと」
「でも、水無都先輩、あれ、幸せって言えるんですか? 
 無理矢理、好きな男の人を奪っただけで、
 その男の人の気持ちは自分に向いていないんですよ」
 水無都冬真の言葉に、萩原睦月が自分の思いも込めてだろうか、疑問を投げかける。
「いやいや。少なくとも、男を振り向かせる時間は得られたわけだ。姉を排除して。
 だったら、そこから自分に対する愛情を男に抱かせればハッピーじゃん!」
「うーん。それだと、お話としてなんとなく納得いかないような……」
「まあ。お話だからね。でも現実なら、それからも生きている限り
 時間は流れていくんだよ。だったら、あのなかで幸せになれるのは、
 あの元婚約者だけじゃない?」
「それは違いますよ。水無都さん」
 水無都冬真の主張を否定する椿。
「幸せになれるのは、あの元婚約者と弟、のふたりでしょう。その話だと」
 そう言うと、椿はいまだ現実に戻ってきていない秋巳を見つめた。
 
 

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最終更新:2008年02月14日 01:23
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