監禁トイレ⑨

135 監禁トイレ⑨-1 sage New! 2008/02/13(水) 02:01:52 ID:0Q/DBxL+
「実は結婚を考えている女性がいる」
父から新しい恋人の話を聞かされた時、摩季に反対するいわれは無かった。妻を失って八年間、彼がたゆまぬ努力を続けてきたのをずっと側で見てきたのだ、文句などあろうはずもない。父親の人を見る目にも信用があった。
実際、相手の花苗は人格者だ。実母と似通った雰囲気も持っていた。その頃には親に甘える事を忘れた摩季だったが、この人になら母親になってほしいと思った。
それは同時に、達哉の母親という役目を譲り渡す事でもあった。

未練が無かった、とは言い難い。だが同時にこうも思った。
母親という殻を脱ぎ捨てれば。達哉が自分を一人の女性として見てくれるのではないか。
けれど何も変わらなかった。ただ、弟との繋りが一つ断ち切られただけだった。さらに、ようやく母から姉という本来の存在へと戻った時、達哉の周囲には既に姉が(達哉は何故かそれぞれを姉と妹で区別していたが)二人もいた。
自分の帰るべき場所は知らぬ間に奪い取られ、愛する弟もまた、新しい「姉」達の手中にあった。そして二人の横暴とも言える求愛の中で、摩季の仄かな恋心は埋没していく。
摩季に残されていたのは、弟にとって唯一禁忌の交わりを意識しないでいれる、避難所としての立場だけだった。

おそらくこの殻から抜け出せる事はない。自分は永遠に幼虫のまま、羽化を夢見て死んでいくのだろう。
愛する者の子を宿せる成虫になるには、生まれ持った己が殻はあまりに強固過ぎた。






136 監禁トイレ⑨-2 sage New! 2008/02/13(水) 02:03:50 ID:0Q/DBxL+
高速を抜け、しばらく走ると建築物は急激に減少していく。その代わりぽつりぽつりと畑が現れる。
この辺りは駅からも離れているために大した遊び場もない。ゲームセンターや映画館といった若者が集う場所が。だから若者は栄えた街まで出て行くし、子供達は無限の想像力で遊び場を作りだす。
都内と違って、若者の手による近代型の犯罪が少ないのは、田舎の長所ではある。

せっかくの休暇だというのにこんな事を考えてしまう。職業病とは厄介なものだ。つらつらとそんな事を考えながら、摩季は車を走らせた。



今、摩季は実家に帰る途中である。起床してまず弟に連絡を取ってみたものの、電源を切っているらしく機械音声しか返ってこなかった。不安ではあるが事件性を匂わすものがあるわけでもないので、とりあえず達哉からの返事を待つのみである。
予感というものは悪いものほど当たるものらしい。職場のベテラン刑事にそう言われた。「悪い方向に考えちまうと駄目なんだよ。事実が引っ張られてきちまうからなぁ」と。
だから「達哉に限って何かに巻き込まれる訳がない」と自分に言い聞かせる事しか、現段階で出来ることは無い。

視界に褪せた看板が目に入る。看板には海外の野球チームのそれにそっくりなロゴが描かれている。バッティングセンターだ。
弟と何度か来た事がある。贔屓目ではなく、あの頃の達哉には野球の才能があったと思う。あんなに軽々と速球を打ち返してしまうんだから。
ああ、向こうに見えるデパートにも見覚えがある。
達哉が玩具売り場を探して、勝手にふらふらと歩き回るものだから目を離せなかった。最近は実家のすぐそばに大型量販店が出来たらしい。今ではわざわざ、こちらに来ることもないそうだ。
全ての記憶が弟に起因し、弟に帰結する。



137 監禁トイレ⑨-3 sage New! 2008/02/13(水) 02:07:22 ID:0Q/DBxL+
結局、私の頭の中には達哉の事しかないのね…。こうやって両親に会いに行っているのに達哉の事しか考えてないんだから…。

自分の情けなさに不意に泣きそうになった。にもかかわらず、下腹部に熱を持ち始める自分にも。

だが涙やその気配を顔に出すわけにはいかない。
自分の育ってきた家がもう目の前に近付いてきていたからだ。家族に、特に父親にこんな姿を見せる訳にはいかない。
父だけは、達哉への恋心を察していたフシがある。自分はやましい事など一つもない、と見せかけなければならない。只でさえ父は、達哉を求める女達に悩まされているのだから。達哉を都内の学校にやったのは当然、双子から引き離す為だ。


だが摩季は思う。
アレは自分への牽制の意味もあったのではないか、と。


そうでなかったとしても、それは摩季を縛り付ける鎖として十二分に効果を発揮した。父を疎ましいと思った事など無い。しかし、父という存在は血縁の象徴であり、鎖の具体像だった。

サイドミラーで顔を確認すると、久々の我が家へ向かう。

ベルを鳴らす。

もう一度鳴らす。

反応が無い。時間を鑑みる限り、寝ている訳ではないと思う。
何かあったのだろうか。突然帰ってきて扉を開けるのもどうかと思い、呼び鈴を押したのだが。
キーケースから鍵を取り出し、穴に差し込み捻った。
「お父さん、お義母さん、ただいま」
返事は無い。玄関には男物と女物の靴が何足かある。どれも若者が履くには地味だ。双子達を連れて何処かへ出かけたのだろうか。

まさか……達哉のところじゃないでしょうね…

有り得ないとは思いつつも、そんな考えが浮かぶ。



138 監禁トイレ⑨-4 sage New! 2008/02/13(水) 02:10:31 ID:0Q/DBxL+
ヒールを脱いで廊下へ。真っ直ぐ進んでリビングに向かう。このドアを開ければリビングだ。曇りガラスの向こうからは何の物音もしない。やはり出かけているらしい。

ドアを、

開 け


た。

静かだった。
床には赤い液体がぶちまけられている。ところどころで透明な結晶が光った。
両親の愛用のコーヒーカップ。
和食中心の朝餉。
テーブルに置いてあったワイングラスが無ければ、いつもの朝の光景だっただろう。



さらに父が、
義母が、
死んでいなければ。

日常の光景そのものだっただろうに。



「お、とう、さ…おか、あ…」

どう見ても死んでいた。一目瞭然だろう。
左右の目はちぐはぐの方向へ飛び散っているし、口からは涎を過剰分泌し膨れ上がったナマコが顔を出している。苦悶が顔に塗りたくられている。首には、ロープが巻き付けられていて、本来あるはずのないところにくびれを作っていた。
指は首を締める凶器に引っ掛かったままだ。
二人は昔と変わらず互いに向き合って座っていた。いつものように色違いのカップでコーヒーを飲みながら休日の予定でも立てていたのだろう。

糞尿の臭いを鼻が感知した。

摩季はずるずると床にへたりこみ、再度ぼんやりと両親の死体を眺め、吐いた。

「あ、あ、あ、あ、はは…」

オトウサンガシンデイル。オカアサンモシンデイル。

驚愕。
呆然。
悲嘆。
ようやく涙が流れてきた。嘔吐を繰り返し、嗚咽を吐き出す。

何処かで、鎖の千切れる音がした。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

悲しいのに。
彼女の口から零れたのは歓喜の笑いだった。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

摩季は自分がどれだけ父親を憎悪していたか、この時初めて知った。

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最終更新:2008年02月14日 01:33
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