刻み藁

446 刻み藁 sage 2007/09/03(月) 21:57:01 ID:1SMXCWgw
始めに誰かが叫んだ。そして、公園に散らばり、各々に遊んでいた子供たちが砂場の周りに集まってきた。
子供たちはひそひそとささやきあいつつ、砂場の中心に立っている二人をじろじろと見つめた。
二人の子供は、五、六歳くらいの年恰好だった。一人はやや青白い顔色の、こざっぱりとした身なりの男の子で、真二という名前だった。
もう一人は長い髪を後ろで纏めた、気が弱そうな、おどおどとした、真弓という名前の女の子だった。
二人は双子の兄妹だった。兄の真二は妹を庇うように立ち、群れをなした子供たちを睨み付けていた。
群れの先頭にいた、ずるい意地悪げな目つきをした子供が言った。
「お前んちって、お父さんが居ないんだろ」
真二は何も答えなかった。真弓は腕で目元を隠し、鼻にかかった、子供が泣き始める前にするようなあの声を出し始めた。
二人に残酷な質問を浴びせかけた少年はぐずり始めた真弓を見て、早くも自分の意地悪が功を奏したのに得意になり、何度も何度もこの質問を繰り返した。
この二人の母親のことは、みんな自分たちの家で噂を聞いていた。
子供の母親たちは、人前でこそ愛想よく振舞ってはいたものの、陰にまわるといくぶん軽蔑のいりまじった同情をこめて、彼女を話題にしていた。
母親たちのこういう気持ちは、訳がわからないながらも、子供たちのこころに影響を及ぼしていた。



447 刻み藁 sage 2007/09/03(月) 21:58:46 ID:1SMXCWgw
始めに叫んだ少年が、二人の子供について、自分の母親がつぶやいていた言葉を思い出した。
からかうような様子で真二に向かって舌を出してみせ、
「父なし子、父なし子」と叫んだ。
この聞きなれない悪口の語感が気に入ったのか、周りの子供たちは彼に同調し、くりかえしくりかえし、父なし子とはやしたてた。
今度こそ真弓はわんわんと泣き叫び、真二はうつむいて、あふれ出ようとする涙をこらえていた。
敵の片割れを討ち取ったことで、悪童たちの間に惨忍で嬉しげな声が上がった。
子供たちはもう片方も泣かせてやろうと思い、手と手を取り合い、学芸会でやったおゆうぎをするように、二人のまわりで輪を作って踊り始めた。
即興で作った悪口の替え歌は、真二のこころに言いようの無い敗北感を味わわせた。
とうとううちのめされてしまった真二は、声を忍ばせて、体を震わせ、すすり泣きし始めた。
ソプラノできんきんと耳に響く真弓の泣き声と、しゃくりあげながら、不均等にリズムをとる真二のうめき声が重なり、奇妙な合唱が公園に響いた。
かごめ、かごめが、泣いた、泣いたとなり、子供たちは誇らしげに残酷な歌を歌って、この双子をやっつけたのだという惨忍な喜びに酔いしれた。
もう夕食の時間になったのだろう、誰かの母親が迎えに来た。
一人が帰ってしまうと、興が冷めたのか、他の子供も一人、また一人と、それぞれの帰路に着き始めた。
公園には泣き続ける双子以外に誰もいなくなった。
目を赤く腫らした真二は、何も言わずに泣きじゃくる真弓の手をとって歩きだした。




448 刻み藁 sage 2007/09/03(月) 22:00:29 ID:1SMXCWgw
玄関を開けた真二の耳に、台所の方向から祖父の怒鳴り声が飛び込んできた。
祖父がいつものように酒に酔って、家族に怒りをぶつけていたのだ。
真二は再び目元に涙を溜め始めた妹の手を引いて、自室へと逃げ込んだ。
兄妹は頭から布団をかぶり、目を瞑り、手で耳を塞いだ。
それでも祖父の、祖母と母を罵倒する声、食事にけちを付ける言葉、伯父を罵る単語が耳に聞こえていた。
真弓がすすり泣き始めた。真二は耳から手を離して、妹を抱きしめた。
突然、扉の開く音がした。真二は祖父が入ってきたのだと思った。
布団が剥ぎ取られた。双子は殴られることを予想して、体を強張らせた。
しかし、痛みはいつになっても襲ってこなかった。真二が瞼を開いて顔を上げると、伯父が微笑んで立っていた。
伯父は真二と真弓の頭を撫でて、部屋から出て行った。
しばらくすると、ひときわ大きな怒鳴り声が聞こえてきた。硬いものがぶつかる音や、何か壊れるような音がしばらく続いて、急に台所が静かになった。
祖父のうめき声と、どしどしと乱暴に廊下を踏みしめる音が響いた後、今度こそ家に静寂が訪れた。
ふたたび部屋の扉が開いた。顔に青い痣を作った伯父が、もう大丈夫だと言って微笑んでいた。




449 刻み藁 sage 2007/09/03(月) 22:02:35 ID:1SMXCWgw
真二は伯父のことが大好きだった。痛々しい痣をさすりながら夕食を食べている伯父は、彼にとってヒーローだった。
普段は優しいのに、酒を飲むと暴力を振るう祖父や、真二をぶたないかわりに、一言目には世間さま、世間さまとうるさい祖母とは違って、いつも真二に優しかったからだ。
真二と真弓が悲しんでいる時に颯爽と現れ、二人をまもってくれる伯父は、母を除いてただ一人の、兄妹の味方だった。
真二は伯父に自分たちの父親になってほしかった。伯父はとてもやさしいし、恰好いい。
この誰だって自慢したくなるような父親がいれば、自分たちは父親がいないというだけで、他の子供たちにいじめられなくて済むんだと真二は思った。
一度だけ、真二は伯父にお父さんになってほしいと頼んだことがあった。
そのとき伯父は何も言わずに真二の頭を撫でてから、そんなこと頼まなくても、おじさんは真二と真弓を守ってあげるから大丈夫だよ、と言った。
それじゃあ駄目なんだ、と真二は言おうとしたが、泣きそうな顔で微笑んでいる伯父の顔をみたら、何も言えなくなってしまった。
母にそのことを話したら、彼女は泣きながら、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返した。
真二にとって、こんなに悲しそうな母を見たのはこれが初めてだった。




450 刻み藁 sage 2007/09/03(月) 22:07:34 ID:1SMXCWgw
その夜、真二は妹の手を引いて廊下を歩いていた。妹をトイレに連れていくことは、真二の仕事なのだ。
薄暗い、音のしない廊下は真二の想像力を掻き立て、あの陰からお化けや、怪物が出るかもしれないと思うと、怖くてその場でへたり込みそうになった。
だけど、握り締めた手を震わせ、真二にしがみついて歩く妹のことを考えると、恐ろしさはどこかへ行って、真弓をまもらなきゃという考えが真二を奮い立たせた。
真二は誇らしい気持ちになり、勇気を出して、そろそろと暗闇の中を進んだ。
用を済ませた真弓を連れ、廊下の帰り道を歩いているときに、二人の耳に聞きなれない、くぐもったような声が聞こえた。
声は母の部屋の方角から響いていた。
早く戻ろうと言う真弓をなだめて、好奇心に支配された真二は、誘われるように母の部屋へと歩きだした。
部屋へ近づくにつれ、声は大きくなり、苦しそうで、切なそうに唸る音が母の声であると真二は理解した。
母が苦しんでいると思うと、わずかに残っていた恐怖は吹き飛んで、二人の中はお母さんを助けなきゃという気持ちでいっぱいになった。
伯父さんがここにいない今、母を助けられるのは自分たちだけだと思った二人は、勇気を奮い立たせて母の部屋の前にたどり着いた。
ふすまの中からは、母の苦しそうな声が聞こえていた。規則正しいリズムを取りながら、だんだんと鼻にかかって高くなっていくこの音を聞いたら、母の苦しみがどんどん酷くなっていくように思えた。
二人は急に得体の知れない恐怖を覚えて、ふすまにかけた手を離してしまった。
そうしているうちに、母の声は更に大きくなり、断末魔ともいえるほど、恐ろしいものになっていった。
真二は、母が死んでしまうのかと思った。早く助けなきゃ、お母さんがどこか手の届かない遠いところへ行ってしまうと思った。
真二はふすまに手をかけて、真弓の顔を窺った。
妹も同じ気持ちだったのだろう、真弓は真二のそれに手を重ねた。
ゆっくりと手を引いて、少しだけふすまを開けた。母の声が一段と大きくなった。
二人は頷き合って、そっと、母の部屋を覗き見た。

暗闇の中で、母親と、真二の大好きな伯父が裸で絡み合っていた。

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最終更新:2007年10月21日 01:06
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