山間部の村の外れ、小高い丘に木造家が一件、ぽつんと経っていました。杉の木を組んで作られたその家は、経年劣化で壁がささくれ立っていて、見る者の心までそうさせてしまいそうに黒ずんでいます。
ヘンゼルとグレーテルはそこで貧しいながらも楽しく暮らしていました。
「おしまいだ!!何もかもおしまいだ!!」
もうすぐ辛い辛い冬がやってこようという季節の朝、グレーテルは野太い父の喚き声で目を覚ましました。はっきりいって不愉快です。いつもならヘンゼルお兄ちゃんの優しい声で起きるハズなのに。
二段ベットの梯子を下り、寝ているヘンゼルに目をやると、女の人の裸体が描かれた本を握り締めたまま、ヘンゼルは寝ていました。
どうやらグレーテルが寝た後に一発ぶちまかそうとして、うっかり寝てしまったようです。どうせいじくるのは下半身の極々一部だけなのに、何故かヘンゼルは全裸でした。
でもグレーテルは気にしません。ヘンゼルお兄ちゃんは用を足す時や、自慰をする時必ず全裸になる事を知っていたからです。
ただし、
グレーテル以外の女で性欲を発散させようとするのは、少々、いやかなり許しがたかったのでヘンゼルの乳首をねじりあげておきます。
ヘンゼルは「ひぎぃ…ッ」と声を上げましたが、目を覚ましません。心なしか、その寝顔は満足げでした。握り締めてぐしゃぐしゃになったエロ本をゴミ箱に投げ入れると、グレーテルはさらにヘンゼルお兄ちゃんの体をいじくろうとして手を伸ばしました。
「そこを何とか!!そこを何とかお願いします!!」
本当にうっとおしい声です。一階のリビングからお父さんの声が聞こえてきます。このままではヘンゼルが目覚めてしまいそうなので、グレーテルは仕方なく兄への性的いたずらを中止しました。
「これまでも何とかやってきたじゃないですか!!お願いします!!そこを何とか…」
リビングに行くと、お父さんが電話をしていました。台詞から察するに、受話器の向こうにいる誰かへ何事かを哀願していたのでしょう。お母さんはテーブルに突っ伏して、肩を震わせています。
「おはよう」
グレーテルが声をかけると、二人とも慌ててこちらを向きました。お父さんは口に手を当て、ボソボソと受話器に話しかけます。お母さんは着ているトレーナーの袖で目を擦ると、早足で台所へ向かいます。
279 ヘンゼルとグレーテルKIMO-remix Ver. sage 2008/02/17(日) 19:51:59 ID:fwBrVUiI
その際、テーブルに置いてあった一枚の紙きれを素早く取り上げました。
両目とも視力Aを十五年間、維持し続けているグレーテルの目は、その紙きれの「倒産」という文字を見逃しませんでした。
お母さんが焼いてくれたトーストを囓りながら、グレーテルは考えます。
――――どうやらウチは倒産してしまったらしい。
グレーテルの家は材木の工場を営んでいます。確かに最近は、あまり景気が良くないようでした。自営業というものは、商売の好調、不調がそのまま家庭に反映されるものです。
昔の朝ご飯は毎日ピザトーストにクラムチャウダーだったのに、今ではトースト一枚です。
――――これは困った事になった。
グレーテルが顔をしかめたのは、トーストの焦げの苦さだけではなかったハズです。
「うーす…」
そうこうしているうちに、ヘンゼルが起きてきました。さすがに寒かったのでしょう、洋服を着ていました。でもTシャツは裏返しでした。
「腹減ったー、おふくろー、飯、飯ー」
ヘンゼルは欠伸混じりにそう言いながら、うーん、と伸びをします。時折、左胸を撫でながら首を傾げているのを見て、牛乳を吹き出しそうになりましたが、何とか堪えました。
食器を下げると、グレーテルは毎朝の日課に出かけました。こっそり拝借したパン屑を袋に詰めて、近くの森へと赴きます。
「ボブ!マッケンジー!ドイル!ハマーD!」
袋をかざして、木々に呼び掛けると、騒々しい羽音と共に小鳥達がやってきました。
「ほぉら、ご飯だよー」
鳥達にパン屑を放り投げます。みんな嬉しそうにそれを啄んでいます。
「いつもすまないねえ、グレーテルちゃん」
ボブがお礼を言います。
「本当に有り難いよ、これからの季節は特に餌が取りづらいからなぁ…」
マッケンジーは、大きめのパン屑を探し当てて嬉しそうです。
「おい、落ち着けハマーD!あんまり急ぐと喉に詰まるぞ!!」
ドイルは呆れながらそう言います。
「…」
ハマーDは一心不乱にパン屑を貪り食っています。
そんないつもの光景を見ながら、グレーテルは溜め息をつきました。
280 ヘンゼルとグレーテルKIMO-remix Ver. sage 2008/02/17(日) 19:55:47 ID:fwBrVUiI
「おや、どうしたね、グレーテルちゃん?またヘンゼルお兄ちゃんが何かしたのかい?」
ボブは心配そうに問い掛けます。
「まさか、また例のキャバ嬢に貢いでるのかい?」
マッケンジーも食べる手(実際は嘴ですが)を止めて聞いてきます。
「それともパチンコで有り金吸ったとか?」と、ドイル。
「…」
ハマーDだけは食べ続けています。
「何かね、ウチの工場、倒産しちゃうんだって…。だからこの先、みんなに食べ物分けてあげられるか心配で…」
悲しげな顔でグレーテルは、近況を語ります。
みんなそれを聞いて、「元気をお出し」とか「きっと大丈夫さ」とか「俺達に気を使わなくて良いんだよ」などと、元気づけてくれます。ただ、ハマーDだけはせっせとパン屑を胃袋に溜め込んでいました。
「何か力になれる事があったらいつでも協力するよ」
そう言い残して、小鳥達は飛び立っていきました。
その日の夜のことです。突然、尿意を催したグレーテルは、トイレへと向かいました。すっきりして、ベットに戻ろうとした時、リビングから声が聞こえます。お父さんとお母さんが話をしているようです。きっと、朝の話でしょう。
グレーテルはドアの隙間に耳を差し入れて、会話を聞き取ろうとします。
―――もう駄目だ、ウチはおしまいだ…
―――先方は何て言ってるのよ!?
―――手の平を返したかのように、ご苦労様、だとさ…
―――そんな…せっかくここまで頑張ってきたのに…
―――おい、泣くな。まだ手はあるんだ
―――本当かい!?あんた!!
―――ああ…ただし、俺達は選ばなきゃならない。コレはとても辛い事だし、非人道的で犬畜生にも劣る行為だ…。だが、俺達に残された手はコレしかないんだ!
―――いったい…何をするつもりなんだい…?
―――いいか、先方はウチへの融資を断ったものの、一つだけ教えてくれた。“人買い”の連絡先だ…
―――ひ、人買い!?あんた…まさか…
―――ヘンゼルとグレーテルを売り飛ばそう。あの年頃の子供は高く売れるんだ。それも、この工場が持ち直すくらいに
―――いや、いやよ!!どっちもあたしの大事な子供だよ!!
―――堪えてくれ、母さん!俺達が生き延びるには、それしか無いんだ!!…さぁ、さぁ…泣くのをおやめ。このアーリータイムスでも飲んで少し落ち着くんだ…
―――ほ、ほ、本当にやるつもりなのかい…?
281 ヘンゼルとグレーテルKIMO-remix Ver. sage 2008/02/17(日) 20:00:19 ID:fwBrVUiI
―――もちろんだとも。それしか生き残る方法が無いんだ
―――で、でもどうやってその“人買い”の連中と会うんだい?
―――その点は心配無い。昼間に連絡を取って、手順を決めておいた。いいか…俺達は二人を森に連れて行く。そこで二人を置き去りにしていくんだ。後は森で待機していた連中が、二人を引き取ってくれる
―――お金は!?お金はどうするんだい!?
―――心配いらない、二人の子供を引き取ったら、ウチの口座に金が振り込まれるんだとさ。顔を合わせたりしないから足がつく事もないさ
―――でも…でも…。あたしゃあ…
―――ほら、泣くのをやめるんだ。ほら、もう一杯飲みなさい
―――うぅ…
グレーテルは音を立てずに、ベットに潜り込みました。大変な事になりました。まさか、両親がそこまで考えているとは思ってもみなかったからです。何とかしなくてはなりません。
「お兄ちゃんは、私が守るからね…」
枕に顔を押しつけて、呟きます。枕をヘンゼルお兄ちゃんの胸板に見立てて、頬を擦りつけながら、グレーテルは眠りにつきました。
「おい、グレーテル、起きろ。朝だぞ」
頬を軽く叩かれて、目を覚ましました。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おう。飯、出来てるぞ」
ヘンゼルはぶっきらぼうにそう答えると、リビングへと下りていきました。今日はヘンゼルお兄ちゃんに起こしてもらえたので、グレーテルはご機嫌です。部屋を出て行こうとして、ふとゴミ箱に目をやると、昨日のエロ本がありません。
もしや、とヘンゼルの枕を捲ると、しわしわになったエロ本がありました。枕を重しにして皺を伸ばそうとしていたに違いありません。腹が立ったので女の人の顔の部分に落書きをしておきました。
リビングに行くと、家族みんながテーブルに座っています。これはちょっと珍しい光景です。両親は二人とも、いつもは工場の準備があるので、先に朝ご飯を食べてしまいます。
だから今日みたいに、家族みんなで朝ご飯を食べるというのはなかなかある事ではありません。しかも、朝ご飯はピザトーストにクラムチャウダー。これは今日、『何か』があると見ていいでしょう、グレーテルの予想する、『何か』が。
「今日は、お昼からみんなで森へピクニックに出かけよう」
お父さんが提案します。
「それは良いわねえ!あんた達も行くでしょう?」
と、お母さん。
282 ヘンゼルとグレーテルKIMO-remix Ver. sage 2008/02/17(日) 20:02:30 ID:fwBrVUiI
なんという下手な演技なのでしょうか。三文芝居もいいところです。グレーテルは、カップの底についたアサリを、口に入れようとしながら内心苛ついていました。
老い先短い自分達の為に若い命を犠牲にするなんて許しがたい行為です。
「ええー…マジだりーんだけど…」
ヘンゼルは携帯電話をいじりながら答えます。
「大体、あそこ電波はいんねーし…」
ヘンゼルお兄ちゃんは、どうやら誰かにメールを打っているようです。
(あとで確認しとかなきゃ…)
グレーテルは、そう思いながら朝食を平らげると、いつもの友達に会うために、森へと走っていきました。パン屑をあげる他に、今日は相談したい事もあったからです。
「ボブ!マッケンジー!ドイル!ハマーD!」
グレーテルはすぐにやってくるであろう、友達の羽音を待ちました。
最終更新:2008年02月24日 19:04