464 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage New! 2008/02/24(日) 12:06:46 ID:PEp2bEWx
日曜日の午後。長女・こまきは、パジャマ姿でこたつに入り込み昼寝をしていた。
「今日って、何曜日だっけえ?」
寝言のようにこまきが呟く。
こまきは毎日が日曜日。日曜日というより、(本当は大有りだが)明日の不安のない土曜日の午後の気分だった。
そんなこまきを尻目に、弟の一馬は焦った顔をしながら、隣の部屋で出支度をしている。
「えっと、履歴書は持った!カバンもOK。財布も持った!」
こまきは、ウトウトとしながら一馬の足音だけ聞いていた。
一馬がこまきの側にやってくる。目の前を一馬の足が通り過ぎ、こまきは一瞬目が覚める。
「オレさ、これからバイトの面接に行ってくるからね!」
「はーい」
こまきのマヌケな声が返ってきた。
一馬は、春休みで時間的に余裕ができ、その時間をバイトにあてようと考えていた。
「姉ちゃんみたいに、時間を無駄に使いたくないからな」
姉・こまきはニートの上に出不精という絵に描いたようなダメ人間。
そんな姉を見て育った一馬は、こまきの事を反面教師にしていた。
この日、両親はのんきにバスハイクで小旅行に行ってしまい、夜まで帰ってこない。
一馬にとっては少々不安だが、家の留守番はこまきがすることになった。
「姉ちゃん!出かけるときは、ちゃんと鍵掛けてから出かけるんだよ!」
「はいはい」
こまきがちゃんと聞いているのか不安に思いながら、一馬は家を出る。
「一馬ったら、まったく心配性ねえ。そこがかわいいんだよね」
うーんと伸びをしながらこまきは一馬を心配した。
465 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage New! 2008/02/24(日) 12:07:09 ID:PEp2bEWx
「美貴ちゃん。お待たせ!!」
私鉄線駅前のニワトリ像の前で、肩まで伸びたみどりの黒髪の少女が手を振る。
一馬は、級友の美貴と待ち合わせをしていた。
「美貴ちゃんと一緒に働けるように、面接がんばろうな」
「うん」
一馬と美貴は、同じ100円ショップでバイトの面接のアポを取っていた。
春休み前、美貴はモヤモヤとした高校生活を送っていた。そんな姿を見ていた一馬。
「美貴ちゃんは将来、何になりたいの?」
「…それが、わかんないんだよね」
「ふーん」
「春休みって何したらいいんだろう…」
何もやる事もなく、暇そうにしている美貴。
のんびりした性格の美貴は、一馬の「とりあえず、なにか頑張ってみたら?」の一言で、一馬と一緒にバイトの面接を受ける事にしたのだ。
緊張している美貴を解きほぐそうと、一馬は話しかける。
「そういえば、この漫画。面白かったよ。今度、お礼に何か持ってくるよ」
以前美貴から借りていた漫画を一馬は返す。
「ありがとう。楽しみにしてるね」
黒目がちな目をらんらんとさせながら、美貴は一馬の腕を握る。
466 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage New! 2008/02/24(日) 12:07:51 ID:PEp2bEWx
二人はデートと勘違いしながら、面接先の店がある商店街へ向かう。
店は、商店街の隅に隠れるようにポツンと建っていた。
日曜の午後というのに、お客は少ない。
「おはようございます」
二人そろってあいさつをする。
店に入ると、小柄だがガッチリとした店長が待っていた。
「あの。雑誌を見て電話をした…」
「ハイハイ、聞いてますよ。ちょっと時間は早いけど、早速面接に入ろうかね」と店長。
まず、美貴が面接に呼ばれ、店内奥の小部屋に入った。一馬は店内でも見ながら待つように店長から指示される。
「姉ちゃんみたいに、ぐうたらな負け組にはなりたくないな」
人間の価値は「金」と信じる一馬。姉のいないところで、姉をバカにする。
十五分後、美貴が面接から帰ってきた。ニッコリと笑っている。
次は一馬の番。不安を背負いながら、小部屋の扉を開く。
その頃、こまきは牛乳をゴクゴク飲んでいた。
「やっぱ、こたつのあとは牛乳だねえ」
ぷるんとした唇に白い牛乳の跡が残る。舌でぺろりと唇を舐める。
「一馬はバイトの面接かあ」
こまきは、時計を見ながら人事のように呟く。
面接の帰り道、一馬と美貴は喫茶店で一息をつく。
「わたし、面接って初めてだから、すっごい緊張したあ!」
「オレだって初めてだよ。でもお店の人もいい人そうでよかったじゃん」
二人で一つのソーダ水を飲みながら、面接のプチ反省会。というよりただ、二人して駄弁っていた。
一馬は自分のビジョンを美貴に話す。
「将来は、いい大学に入って、大手企業に就職して…」
美貴はふんふんと聞いている。
「やっぱ、男は稼いでナンボなんだよ」
「一馬くんって、現実的ね。わたしは、一馬と一緒に楽しく暮らせたらそれでいいな」
(姉ちゃんみたいな事言うなあ)と一馬の頭にこまきの顔がよぎる。
と話しているうちに、一馬の携帯にメールが入った。姉・こまきからだ。嫌な予感がする。
「件名:Re めんせつにおちても おねえちゃんがなぐさめてあげるから あんしんしなさい」
がっくり来た一馬はこう返す。
「件名:うるさい 牛乳でも飲んでろ。放蕩娘」
二分後、こまきからの返信が着たが一馬は無視をする。
その頃、こまきは再びこたつの虜になっていた。
467 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage New! 2008/02/24(日) 12:08:21 ID:PEp2bEWx
一馬が家に帰ってきたときには、時計は夜七時を回っていた。
美貴と別れたのが午後五時。本屋に寄り道しているうちに遅くなったのだ。
あたりは薄暗くなり、周りの家には明かりが灯る。
「すっかり、遅くなったなあ」
しかし、一馬の家だけは違っていた。周りから浮くように明かりも点かず、ただ一軒暗くなっていた。
「あれ、姉ちゃん出かけたのかな…」
玄関のドアノブに手をかける。簡単に扉が開く。
「まさか、姉ちゃん…有り得るな」
姉のダメさ加減を知り尽くした一馬は、軽い不安な気持ちに包まれた。
やはり、家の中は真っ暗。姉は朝っぱらから寝ているので、いい加減起きているはずだ。
姉の活動時間が始まっているのは重々承知。漆黒に包まれた我が家の廊下を進む。
「ん?姉ちゃんか?」
真っ暗なリビングに姉が体育座りをしているのを発見。一馬の気配には全く気がついていない。
「おーい。姉ちゃーん」
こまきは、全く反応しない。耳を澄ますと、こまきから音楽が聴こえてくる。
「何やってんだよ!」
こまきの耳のステレオイヤホンをひったくる。こまきは、少しビクっとした様子で我に返った。
「あ、おかえり」
「おかえりじゃねえよお、何やってんだよ?」
一馬は呆れた顔で、リビングの蛍光灯を灯す。パジャマ姿のこまきは、MDを聴いていた。
「えへへ。こうやってね、部屋を真っ暗にして両耳にイヤホンしてさ、
らくーにして音楽聴くととっても贅沢な気分になれるんだよ。五感の内の聴覚だけフル活動させてね…」
(オレが必死に稼ごうってしてる時にまったく…)
一馬は姉の奇行に慣れっこの筈。しかし、疲れているからか、さすがに今日は呆れ果ててしまった。
「ね、一馬もやってみない?ちょうど両耳用のイヤホンだからさ、片側に着けて
もう片方の耳は指で塞いでね」
しぶしぶ、姉の言う通りにイヤホンを左耳に入れる。
こまきは、部屋の明かりを再び消し、MDを再生させる。
一馬とこまきは音楽を共有している。誰にも邪魔されず、二人の感覚は聴覚だけの贅沢な時間。
二人が聴いているのは「アドバルーン」という女性シンガーの曲。
一馬は、初めて聴く曲だ。
毎日がつらい。頑張るって何だろう―
前の見えないモヤモヤの中で、答えを出そうとするが―
いつか笑い飛ばせる時がくるんじゃないか―
そんなメッセージをのせた歌声の女性ボーカルが、一馬の左耳に突き刺さる。
こまきは、突然一馬のイヤホンを引っこ抜く。
「ふう!!」
一馬の耳に熱い息を吹きかける。一馬は一瞬何が起こったかわからなかった。
こまきは、ニヤニヤしていた。
468 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage New! 2008/02/24(日) 12:08:49 ID:PEp2bEWx
「とりあえずさ、一緒におこたに入ろ。それから、今日の夜ご飯考えよっか?」
しかし、一馬は一刻も早く夕飯にありつきたいのだ。こんな事なら、自分だけ牛丼なり食べて帰ればよかったと後悔する。
こまきは、一馬を羽交い絞めにしこたつの中に引きずり込む。
姉の胸が一馬のうなじに当たる。
「おこたは、暖かいぞお」
一馬はこたつに姉と並んで寝転ぶ羽目になった。
「暖かいね」
姉は、相も変わらず幸せそうな顔をしている。
「ふふふ。こんなの夢だったんだ」
のんきなこまきは、一馬の赤くなった顔を見つめながら笑う。
「ねえ、姉ちゃん。オレの面接の事とか聞かないの?」
不思議そうに一馬はこまきに問う。
「んー」
「働くとか、そうゆうの興味が沸かないの?」
「うーん。わたしね、働くとかそういうのなくなっちゃえばいいなあ、って時々思うんだよね」
一馬は絶句した。姉に対して失礼だが、ぶん殴ってやりたい気分だ。
(オレは、これから働くって言うのに姉貴は…)
のほほんとした姉が横にいる。
もともと、楽天家のこまき。「どうにかなる」「なんとかなる」が口癖。
「一馬はいいなあ。甘えられる人がいて」
こまきは、こたつの中で小さな一馬の体を優しく抱きしめた。
「甘えてなんかないよ!」
一馬は強がる。しかし、本音を言えば「なんとかなる」で救われたい。
正直、一馬は今日の面接は不安だった。ちゃんと、自分が認められているのか。
「なんとかなる」で救われるのなら、どんなに楽になるか…
「大丈夫。お姉ちゃんがなんとかしてあげるから―」
そのあと、こまきは何も言わなかった。憂いに満ちた顔をするこまき。
のほほんとした姉しか知らない一馬は、こんな姉を初めて見る。
もしかしたら彼女は内心、一馬に悟られないように焦っているかもしれない。
こたつの魔力に包まれた一馬とこまきは、そのまますやすやと眠りに落ちた。
469 こまきと一馬 ◆H9jBOlCxdQ sage New! 2008/02/24(日) 12:09:15 ID:PEp2bEWx
翌日、面接先から連絡があった。採用だった。
一馬はこぶしを上げて喜んだ。一方、こまきは少し寂しそうな顔をした。
(一馬と一緒にいる時間って、これから先どのくらいあるんだろう…)
内心、春休みは一馬とずっと遊んでいたい。
が、弟の喜びを素直に受け取れない姉は失格じゃないのか、と自問自答を繰り返していた。
「一馬…。よかったね」
一馬には、姉の瞳は潤んでいる様に見えた
と次の瞬間。こまきは、ふうっと一馬の耳に息を吹きかけた。
次の日曜日、一馬と美貴は100円ショップで働いていた。
こまきは、相も変わらずこの日もこたつで寝ていた。
「一馬はちゃんと、働いてるのかねえ」
のんきなのか、心配しているのかわからないこまき。
午後十二時。
「店長。二番入りまーす」
一馬がバイトのお昼休みを取る。狭っ苦しい休憩室には、先に休憩に入った美貴がいる。
休憩時間、美貴は音楽を聴いていた。
「一馬くん、この曲いい曲だね。どこで知ったの?」
「えっと、ネットの書き込みだよ」
美貴が聴いているのは、一馬が貸したMD「アドバルーン」だった。
おしまい。
最終更新:2008年02月24日 19:15