ヘタレキモウト

570 ヘタレキモウト sage 2008/02/28(木) 22:56:51 ID:ypYoR3Nt
 我が家の広いリビングの片隅、玄関側の廊下に通じる扉の影に、包丁を手にした妹の純子が立っている。
「なあ、いい加減諦めたらどうだ?」
 呆れて言ってやる。血走った目で玄関の方を睨みつけたまま、純子は険しい声で返してきた。
「いや、絶対諦めない。あの泥棒女、絶対ブチ殺してやるんだから」
「その台詞聞くのもう何百回目だっけかなあ」
「待っててねお兄ちゃん、あの泥棒女殺したら、あいつの死体のそばでHしましょ」
「しねえよ。っつーかその台詞も千回は聞いたよ」
 うっとりしている純子に吐き捨てたとき、廊下の向こうで騒々しい音がした。チャイムもノックも
なしに、玄関が開け放たれたのだ。
「来た!」
 妹がぎゅっと包丁を握りなおす。玄関で誰かが適当に靴を脱ぎ散らかす音が聞こえてきた。
「やっほー、浩二、純ちゃん、いるー?」
 馬鹿みたいに明るい声と共に、誰かが廊下を歩いてくる。五秒もしない内に、一人の女がリビング
の入り口に姿を現した。隣の家に住んでいる、俺と同い年の幼馴染で、名前は香苗という。長く艶の
ある黒髪と、いつも笑っているように細められた黒い瞳が印象的な女だ。香苗は軽く片手を上げなが
らリビングに踏み込んでくる。
「おーっす、元気にし」
「死ねよやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「てたか若人よ」
 挨拶の途中で、純子が包丁を握り締めて香苗に突進した。香苗は純子の方を一瞥すらせずに、足払
いをかけて転ばせる。すれ違い様にちゃんと包丁も奪い取っているので、転んでも特に危険はない。
「よう香苗、どっか出かけてたのか?」
 ダッフルコートを見ながら言うと、香苗は楽しそうに頷いた。
「うん、ちょっとCD買おうと思ってさ。ほらDMCのさ、グロ」
「まだまだぁっ!」
「テスクってやつ」
 言葉の途中で、復活した純子が二本目の包丁を取り出して勢いよく突き出したが、香苗はやはり刃
を見ることすらなく、その切っ先をやすやすと二本の指で止めて奪い取る。俺は苦笑しながら言った。
「DMCってお前、あの『SATSUGAIせよ!』とか言ってる連中だろ? 相変わらずスゲェ趣味だな」
「なに言ってんのさ、あれはもう芸術だよ芸術。いやー、わたしもクラウザーさんにだったらレイプ
されてもいいね」
「なら豚みたいな男にマワされてろやこの糞女がぁぁっ!」
 三度目の正直とでも言うのか、純子がまたも包丁を取り出して、後ろから香苗に切りかかる。いく
つ包丁持ってるんだお前は。
「やー、でもやっぱ冬だよね、外がもう寒いのなんのって」
 のん気に喋りつつ、香苗は純子の腕を器用に捻り上げる。悲鳴を上げて包丁を取り落とす妹の背中
にのしかかるように座り、笑顔で雑談を続ける。
「雪降るんじゃないかと思ったね、雪」
「いだいいだいいだいいだいいだい!」
「ほら見てよ、鼻の頭とか赤くなってない、わたし?」
「暴力女に殺されるーっ! 助けてお兄ちゃーん!」
「やっぱこういう日は出かけずにこたつにでも入ってるのが一番」
「なあ香苗」


571 ヘタレキモウト sage 2008/02/28(木) 22:57:29 ID:ypYoR3Nt
 真っ赤な顔で涙目になって痛がっている純子がさすがに不憫になってきたので、俺はため息混じり
に香苗の話を遮った。
「俺からも謝るからさ、純子のことそろそろ離してやってくれない?」
「えー、どうしようかなー」
「いだいっつってんだろこの糞女! っつーか気安くお兄ちゃんに話しかけるんじゃねえええええ!」
「まだ元気みたいだよ純ちゃん。ほーら、もっと痛くしようねー、どれだけ耐えられるかなー?」
 心底楽しそうな香苗の声と共に、極められている純子の腕から軋むような音が響き始めた。
「ぐがああああぁっ、ちょ、折れ、折れる! いだいいだいいだいいだい!」
「あはははは、今までいろんな人の悲鳴聞いてきたけど、やっぱり純ちゃんのが一番だねー。ホント
可愛いねー純ちゃんは。キャンキャン吠える子犬みたい。ほーら、もっといい声で鳴こうねー」
「ぴぎゃああああっ! いだいよぉー! だずげでおにいぢゃーん!」
 純子の悲鳴がどんどん悲惨なになっていく。その背に乗った香苗はうっとりと頬を上気させ、息を
荒げていた。黙ってりゃ美人なんだから涎とか垂らすなっての。
「おい香苗、さすがにそろそろ」
「分かってる分かってる。優しいねー浩二は」
 けらけらと笑いながら、香苗はあっさりと純子を離す。解放された妹は、泣き叫びながら俺の胸に
飛び込んできた。
「うわーん、いたいよおにいちゃーん」
「最初に手を出したお前が悪い。ったく、なんで懲りねーんだよお前は」
「だって、お兄ちゃんは香苗だけのお兄ちゃんだもん。こんなわけ分かんない女なんかに絶対渡さな
いんだもん」
「うはー、可愛いねー純ちゃん、兄貴冥利に尽きるねー浩二」
「いや、どっちかっつーとキモイんだけど」
 俺が正直な感想を言うと、妹は一際高い泣き声を上げた。
「ひどいよお兄ちゃーん! わたしはこんなにお兄ちゃんのこと好きなのにぃ」
「だからそれがキモイんだって」
「あーあ、ひどい兄貴だねー。かわいそうな純ちゃん。ほら、こっちおいで。香苗お姉さんが慰めて
あげよう。主に関節技で」
「うっせー! こっち来んな糞女ーっ! お兄ちゃんがお前なんか好きになるかーっ!」
 涙と鼻水で顔をべちゃべちゃにしながら、妹がぶんぶん腕を振り回す。香苗はからかうように避け
ながら、その様をデジカメで撮影していた。頬が赤い、とろけるようなにやけ面だ。
「あー、いいねその表情、ほら、もっとみっともなく鼻水垂らしなよ純ちゃん、今日のオカズにするから」
「黙れバカーッ! キモイんだよこのレズサド女!」
「おー、こりゃあいい負け犬の遠吠えだ。録音したから後でたっぷりリピート再生してあげるね。あ
とわたしバイだから。なんなら兄妹丼もOKですよ?」
「ちくしょおおおおおおおっ! 悔しいよお兄ちゃーん!」
 真っ赤な顔で叫びながら、妹が俺の胸に顔を埋めて泣きじゃくる。これでまた連敗記録が更新され
たわけだ。ちなみに香苗の方はそんな妹の醜態を嬉々としてデジカメに収めていた。
 頼むから俺のいないところでやってくれ、お前ら……。

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最終更新:2008年03月02日 21:35
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