170 ちゅー音の多い料理店 sage 2008/03/15(土) 03:29:33 ID:SoGLKtpt
「ちゅーーーっ!」
今日も、厨房にいつもと同じ声が響く。
合わされた唇がきゅっと窄められるとこちらの唇が強く吸われ、
ぱっと吸引を止んだら次は啄むみたいに何度か軽く押し付けられる。
どんな食材とも違う人間の、多分女の子に独特の柔らかな唇の感触。
マシュマロに似ていて、だけどずっとしっとりとしている。
「────────っぷはあ♪」
そんなことを考える余裕が生まれるくらいには、
目の前で堪能したとでも言いたげな顔をする妹とキスをするのにも慣れてしまった。
「えっへっへぇ。それじゃあご馳走様でしたお兄ちゃん!
お兄ちゃん分補給率ひゃっく☆ぱあせんと!
元気復活した千癒(ちゆ)は早速戦線に復帰するでありますっ!」
妹は肩が重くなった気がするこっちとは対象に輝きそうな顔で敬礼をすると、
今もお腹を空かせて待っているだろうお客さんの下へと駆けて行った。
途中、装飾が多いのに露出度が高いウェイトレス用の制服から、ふりふりと揺れるスカートの中が覗きそうになる。
思わず溜息を吐こうとして、今は蓋を取った鍋の前にいることを思い出した僕はもう一度首を横に曲げた。
ここはさして広くもない、こじんまりとした料理店。
ずっと料理人を目指してきた僕がこのお店を開いてから、もうそれなりの月日が流れた。
同時に、美味しい料理を作ればお客さんが来るわけではないと知ってからも。
自分の料理を過信している訳じゃない。
自分より人気のあるお店と食べ比べてみて、今まで育ててきた舌で出した答えだ。
同じくらいの味の料理が並んでいる場合、当然だけどお客さんは味以外でどちらを食べるか決める。
それは値段だったり、その時の流行や、一緒に居る人といった状況による。
例えば、どんなに美味しくても恋人との外食でラーメンを選ぶ人はあまりいない。
僕はそういった料理そのもの以外に対する嗅覚が鈍かった。
僕みたいなようやく一人前になったばかりの料理人に集められる開店資金では、
あまりいい立地で店を構えることが出来なかったせいもある。
世の中には僕と同じ料理の腕と、僕以上に出す料理を選ぶ優れた感覚を持っている人がいた。
今、お店の経営は、あまり上手くいっていない。
元々規模を小さく、出来るだけ自分一人でやっていけるように店を構えたおかげで、
お客さんの入りの悪さが即致命的な打撃になることはないけれど。
それも長く続けば話は別だ。
実際にはそこまで悪い状況にはなっていないけど、
今の僕が客寄せから配膳まで調理以外の全てを一人でやってくれている妹にかなり助けられているのは確かだった。
妹は僕の料理が大好きで、普通に考えればかなり安い給料で働いてくれている。
どんな商売でも必ず頭を悩ませる人件費。
これが余所に比べて安上がりなっていなければ、この店はとっくに潰れていたに違いない。
妹の存在がこの店を支えていると言っても過言ではないだろう。
────その代わり、何故か妹はそれを盾に頻繁にキスをせがんでくるけれど、背に腹はかえられない。
この料理店が潰れるということは、僕の夢が終わるということだから。
思えば僕が料理人を目指したのも、
昔、今よりずっと小さかった妹が僕の料理を美味しいと言ってくれたのがきっかけだった。
母さんが早くに亡くなって、
それまでの二人分の稼ぎを父さん一人が背負うようになって、それで僕がせめて家事だけでもやろうと決めて。
妹が僕の料理を我慢せずに食べるようになったのはいつからだったか。
最後には僕の作った料理以外は口にしないと言って、
後で知ったことだけど、学校の給食に一切手をつけずに終わっているくらいだった。
家では僕が作るし、給食の年齢を卒業してからは毎日僕のお弁当、今はお店で余った材料で作る料理。
考えてみると、妹の食事は全て僕が用意している。
171 ちゅー音の多い料理店 sage 2008/03/15(土) 03:32:53 ID:SoGLKtpt
(またか・・・っ!)
言いかけて、何とか歯を食いしばって飲み込んだ。周囲のテーブルには他のお客さんの姿がある。
店の責任者として、下手なことは言えない。
「ではお客様、お会計をお願いしまーす。
警察沙汰にはしませんから、しっかり払って下さいね?」
「い、いいよいいよぅ。おじさん、幾らでも払うからねぇ・・・・・・うひっ!」
よく肥えた牛みたいな動きでのっそりと起き上がったお客さんは、
隣にいる僕に構わずに妹の誘導に従って歩き出した。
妹は既にレジの前に移動している。
蟹股になったお客さんは懐を探ってから手汗に濡れたお札を出すと、お釣りも受け取らずによたよたと店を出る。
気のせいか、蹴られたはずの股間を抑える手が前後に動いていた。
その姿を見送って、胸に岩塩でも詰めたみたいな溜息が出る。
「にへへー。オーナー、千癒が心配で見に来てくれたんだ? 嬉しいな♪」
妹はお客さん達の前では二人が兄妹であることを思わせるような言動は取らない。
厨房では呼ばれない呼び方に振り向くと、いつの間に来たのか、まだ膝をついたままの僕をにこにこと見下ろす妹。
こっちが立ち上がると曲げられた背が伸び、表情はそのままで僕を見上げる。
胸に深く切れ込みを入れたエプロン。
上向かせた首と一緒に張られた胸のせいで、その谷間の先が見えてしまいそうだった。
「千癒。もう、その制服は止めた方がいいんじゃないか?
最近、特にああいう・・・・・・その、セクハラが増えてきたけど」
「だいじょうぶっ!
触られる前に潰せば害はないし、ちゃんとお金は落として行ってくれるから。
あの手のタイプは程々にあしらえば常連になりやすいし。
幾らお金を落としてくれても、オーナー以外に玉のお肌を許す気はないけどねっ♪」
その常連になりやすいのが問題なんだけど、妹は明るく笑ってくるりと回って見せた。
ひらりと、フリルでデコレートしたスカートが舞う。
「・・・・・・」
周囲から注がれる視線が、むしろさっきの騒ぎの時よりも強くなるのが分かった。
鋭さを感じるのに、どこかドロドロとした湿気と粘りを持っていて、熱い。あの男性客と同じだ。
僕の背中を貫いて妹を目指そうとする視線が、
そこら中に座っているあの男と同じような風貌のお客さん達から注がれている。
妹の姿を、その露出の多い制服から覗く体を目当てに集まった人達。
大部分は大人しくて、無害で、意外に置いてあるアンケートにもマメな答えを書いてくれるけど、
それでも僕の料理を目当てに来ている訳ではない『お客さん』達だ。
おかげで、最近は本当に調理をしている間でも気が抜けない。
今のところ妹自身が被害を受ける前に撃退しているとは言え、
兄として、今も妹に助けられている一人の料理人として気が気でなく、
ついつい理由を付けて妹の働く姿を覗きに行くくらいだ。
それに。
思えば、このお店の客層がそういうお客さんで固定されてから、女性客はほとんど来なくなってしまった。
「それにね?
おに────オーナー、千癒がこういうカッコしてると、心配でついつい見に来ちゃうでしょ?」
なのに。
当の妹は、それを理解していてこんなことを言う。
女性客のことも、
『千癒に聞けばいいの。千癒も女だもん。それも、誰よりもずぅっと沢山お兄ちゃんの料理を食べてきた』、
なんて言うくらいだ。
「それとも・・・千癒を見に来るのは、心配だからなだけじゃなかったり?」
172 ちゅー音の多い料理店 sage 2008/03/15(土) 03:34:42 ID:SoGLKtpt
ほんの少し下がって背を傾けた妹が、丁度僕の視線の直線上になるよう位置に胸を置く。
指で引かれた薄布が肌から離れた。
二つ。大きな曲線の先についた小さな突起が目に入る。
後ろでは、残った手で摘み上げたスカートがひらひらと揺らされていた。
「ば、馬鹿っ! そんな訳ないだろっ!?」
周囲で興奮のどよめきが起こったけど、それを気にする余裕もなく叫んでしまった。
叫びながら咄嗟にそらしたつもりで、瞳の中には見せられた光景が焼きついている。
妹の笑い声が、顔の代わりに向けた耳へと入って来た。
「えっへっへ。心配だから、っていうトコは否定しないんだー」
甘い、角砂糖を転がしたみたいに高くよく響く笑い声。
反論はしないけど、目を合わせて肯定する気にもなれない。
「っ・・・それは、そうだよ。はあ。
もういい・・・・・・僕は厨房に戻るから、千癒も仕事を続けてくれ」
そっぽを向いたままでそう言って、歩き出────────そうとして、捕まれた腕が邪魔をした。
「ちゅーーーーっ♪」
反射で振り向いたのがいけなかった。唇が柔らかい何かとぶつかる。
鼻の触れる距離にある、瞳を輝かせた妹の顔。
はっ、として吐き出した息が吸い込まれた。
吸い付かれたま、代わりと言わんばかりに何かが挿し込まれる。
口内に分け入ったそれが好き勝手に跳ね回り、僕の歯や歯茎、歯列の間に身を擦らせた。
「ひゆっ!」
「ちゅうううううぅぅぅぅぅっっ!!」
唐突にキスをしてきた妹を引き剥がそうとして、密着しているせいで簡単にいかない。
それどころか身長差を埋めつつ僕に張り付くために両腕両足で抱きついた妹のせいでバランスを崩し、
辺りのテーブルに並べた料理の皿を盛大に鳴らしてしまった。
「っつ・・・!?」
「もうっ、────ったら、本当に可愛いんだから♪」
咄嗟に背中を床に向けて倒れる。ガンと響く痛みの中で、一箇所だけ拘束が解かれた。
頭の中の痛みが、吸い込んだ酸素の美味しさに和らぐ。
「でもね?」
照明を後光のように浴びて、妹の笑顔がすぐ上にあった。
回された両腕も外され、硬い膝の感触が腰の両脇にある。
微かな光と一緒に注がれる、妹の視線。濁っているのに、怖いくらいにぎらぎらと輝いている。
気の遠くなるような時間ずっと何かを煮詰めたみたいな、さっきまでの男性客達のそれよりもずっと熱い、目。
「そんなに心配なら、千癒が誰のモノなのかを皆に教えちゃえばいいんだよ」
起き上がろうとして、両肩に一つずつ添えられた手に阻まれた。
「千癒が誰を好きで、誰に愛されてるのか。
二人の間には隙間なんてなくて、この世でたった一人、
千癒の愛する人以外は千癒に触れられないんだって、教えて上げればいいの。
だからね? 丁度、人も多いみたいだし」
173 ちゅー音の多い料理店 sage 2008/03/15(土) 03:35:56 ID:SoGLKtpt
僕は妹に格安で働いてもらっている代わりに妹のキスに応じるという、
相手から強引に売り込んできたとは言えかなり変わった約束をしてはいるけれど。
そのセリフは果たして、セクハラ防止のために『そういうこと』にするためのものなのか。
首を巡らせた妹が、深く、僕の瞳を見詰める。
「集まってるお客さん達も、どうせそういうのが目的だから」
覆いかぶさる様にして胸を擦り付けると、僕にだけ微笑んで、僕にだけ聞こえる距離で囁いた。
「Get chu♪」
それは違う。
僕はそう言いたくて、だけど歯止めを失った妹は、僕にまともな発音を許してくれなかった。
「ちゅう、ちゅう、ちゅーーーーっ♪♪♪」
比較的、いつものことではあるけれど。今日は特別多く、それも人前で、僕のお店にこの声が響いた。
「つ、疲れた・・・・・・」
ステーキ数人前分は痩せたんじゃないかと思いながら、今日の店仕舞いを終えた僕はげっそりと呟いた。
もう手羽先の骨一本分の出汁だって出ない。コシのないヨレヨレの麺状態だ。
搾り取られるという表現の意味を体感した気がする。
「千癒も無茶をするよ・・・」
あの後。
何故か白熱する男性客達の前で数分に渡って僕の酸素と言葉を奪い続けた妹は、
天日干しの出来そうな晴れやかな顔で仕事を上がった。
僕は明日の分の仕込があるので、もう一頑張りしてからの帰宅となる。
「・・・・・・おや?」
と、包丁が一本足りないことに気が付いた。
足りないのは使用頻度が一番低い一本だけど、命ともいえる仕事道具を失くしたとあっては一大事である。
何処にやったかと大慌てて厨房を駆け回ること一分、自分が間抜けだったことに気が付いた。
「そっか。千癒に貸してやったんだっけ」
何で忘れていたのか。記憶まで妹に吸われてしまった気がする。
そう言えば、職場の影響を受けたのか急に自分も料理を覚えたいと言った妹に請われて貸してしまっていたのだ。
それならそれで僕に教わればいいのだろうけれど、
素人が曲がりなりにもプロである人間にいきなりマンツーマンで教わるのは敷居が高いらしく、
しばらく自主的に練習をしてから見てくれればいい、ということだった。
貸したのはいつ頃だったかな。
あまり上達されると、ただでさえ調理や仕入れ以外を妹に任せている僕の存在意義が無くなってしまうのだけど。
「まあ、そのうち聞いてみればいいか・・・・・・」
もう、考え事に回す体力も惜しい。
今日は余計な消耗があった分、仕込みの最中に集中力を切らさないように気を付けないといけない。
明日もお店は、僕の料理店は開くのだから。
そう思い、僕は今日あった色々なことも含めて頭から閉め出すことにした。
たとえ誰が相手でも、来てくれたお客さんには自分に出来る最高の料理を。
もう自分の手みたいに馴染んだ包丁を握る。
食材毎に違う、一定の切るリズム。一つ息を吐いて、僕はその中に埋没していった。
ちゅー音の多い料理店 sage 2008/03/15(土) 04:41:51 ID:SoGLKtpt
「ちゅっ☆」
キレイなキレイな銀色の刃。
愛するお兄ちゃんがずっと使ってきた、お兄ちゃんが料理を作る手伝いを沢山してきた包丁。
その、きっとお兄ちゃんの手の汗で汚れて、お兄ちゃんの手との摩擦ですり減った、
お兄ちゃんの努力を受け止めてきた木の柄にちゅーをする。
「にへへ。お兄ちゃんの味」
舌を出して、ちょっと波みたいになってる模様に沿って鉄の部分をなめてみる。
「えへへ。お兄ちゃんの料理の、味」
千癒の大好きな味。千癒の体を作っている、味。
千癒はお兄ちゃんの料理を食べてから、今までずっとこの味だけを食べてきた。
お兄ちゃんの汗とか唾とか、それからお兄ちゃんが作ってくれた色々な料理。
千癒を生かしてきた食べ物。それ以外の物なんて、いらない。
学校の先生は、お残しはいけませんって、それだけしか言わなかったけど。
千癒は給食なんて食べなくても死ななかったし、お兄ちゃんの料理を残したことはない。
今でも学校の先生は嫌いだ。大嫌い。
お兄ちゃんの料理だけで生きていける千癒に、
自分の体をお兄ちゃんの料理だけで作りたかった千癒に、いつも吐き気のするものばかり食べさせようとしたから。
でも。一個だけ。お残しはいけませんっていう言葉だけには、納得してる。
「────────あ」
いけないいけない。
考え事をしていた、ううん、それともお兄ちゃんの味で興奮しちゃったからかな?
思っていたより早く相手の所に着いちゃった。
「ちょっとそこ行くおブタさん」
お兄ちゃんの包丁みたいにキラキラ光るお星様でいっぱいの夜空。
お兄ちゃんが次の日の料理の準備を始める、もう外をあんまり人が歩かなくなる時間。
遠くまで続くイカスミのスープみたいに真っ黒な道の上で、ムダなお肉ばっかりを横に詰めた背中に声をかけた。
「っ!? ・・・? ・・・・・・あ、あれぇ?」
首から上に遅れて、ハムみたいな体が振り向いた。ふしゅーっと、ヤカンみたいに息を吐く。
夜になって涼しくなっても油みたいな汗だらけの顔。
今日、お兄ちゃんのお店でセクハラしようとした時にお股を蹴ってやった、男のお客さんだ。
でも、先月くらいからよくお店に来てたからお金になってたけどそれも今日で終わりだし、
顔も名前もあんまり憶えてないから面倒だしブタでいいや。
「ぐふふ。だだ、誰かと思えばちゅーたんじゃあないかぁ」
ブタが、お兄ちゃんのお店に来る男のお客さんが勝手につけた千癒の愛称を呼ぶ。
きっと千癒っていう名前と、お兄ちゃんとよくちゅーをしてることからつけたんだろう。
鈍ちんなお兄ちゃんが気付いてないだけで、
千癒とお兄ちゃんがしょっちゅう厨房でちゅーをしてることはお客さんに結構知られてる。
悲しいけど、今のところお兄ちゃんのお店に来るのは、
お兄ちゃんを誘惑するための衣装を着た千癒と、お兄ちゃんとのちゅーシーンを目当てにしてるバカばかり。
流行のスイーツ(笑)とか目当てなだけのクソ猫どもが来るよりはずっといいけど、
お兄ちゃんが不満に思ってるのは知ってる。
ああ。可哀想なお兄ちゃん。
177 ちゅー音の多い料理店 sage 2008/03/15(土) 04:43:16 ID:SoGLKtpt
「こ、こここんな所でどうしたのかなあ? うへっ、へへへ。
もし、もしかして昼間のお詫びをしようとおじさんを追いかけてきたとか、かな?
うひっ! ひひっ! あぁ、でもブタ呼ばわりはひどいなぁ」
折角お兄ちゃんのことを考えていたのに、気持ち悪いブタの声で中断された。
どうしたらこんな声が出せるのかって思うくらい。
お兄ちゃんの声や、お兄ちゃんが食材を切る時の澄んだ包丁の音とは大違いだ。
吐き気がする。
────────いいや、さっさと殺っちゃおう。
「ちゅーっ♪」
お兄ちゃんの包丁にちゅーをして、お兄ちゃんの柔らかい唇にする時みたいに吸う。
薄いけど、口の中に伝わってくるお兄ちゃんの汗の味と、匂い。
それだけで、すぐに千癒の体はあったかくなる。
「ああああれええ? ででも、ちゅちゅちゅーたん、そう言えばその手に持ってるモノは────」
ブタが何か言っているけど、お兄ちゃんを感じている千癒には邪魔。
殺しちゃうのに遠慮はいらない。だから体は簡単に動いた。
お兄ちゃんの体から出るものとお兄ちゃんの料理だけを食べて生きてきた千癒の体は、
お兄ちゃんの味や匂いを感じると、ぽかぽかしてじんじんして、とってもリラックスする。
体が軽くなって柔らかくなって、必要な時に、必要な場所に必要なだけ力が入るようになって、
こういう時の千癒は、パワーアップアイテムを食べたヒーローになった感じ。
お兄ちゃんを大好きな千癒は、お兄ちゃんの一部やお兄ちゃんの料理を食べて強くなる。
「────────あれ?」
急にアップになった千癒の顔に驚いたブタが鳴いた。それ以上は許さない。
左手でブタの頭に生えた体毛を掴んで引っ張り、
右手で切りやすくなったブタの首にお兄ちゃんが研ぎに研いだ包丁を入れる。
さくりと音がしそうな感触がして、何て言うのかな? 豚肉の首の部分がかなり切れた。
引っ張る左手の勢いをそのままに、踏みつけていたブタの両肩を思い切り蹴って跳ぶ。
やっとブタの顔が動いた。なんだか変な形に歪む。汗を上にのっけた唇が開こうとする。
でも、遅い。みりみり。ぶちぶち。
ジャンプと一緒に引っ張ったブタの頭が取れた。千癒も地面に近付きながらブタの体から離れる。
途中でブタの頭を横に放り捨てるのも忘れない。
お兄ちゃんの包丁だけ落とさないようにして、足が着いてから急いで後ろに下がる。
すると、ブタの体から噴水が上がった。びゅーびゅーって。
真っ赤な水溜まりを作りながら、豚肉の血抜きが始まる。物凄い勢い。
お兄ちゃんのために夜なべして作った服にかからないよう、念のため後ろにもう何歩か。
安全な場所に移動してから見ると、勢いが凄かった分、噴水が弱くなるのも早かった。
飽きるヒマもないくらいの間に、もうほとんど勢いが止まってしまう。
残ったのは火の消えた花火みたいな、ブタの首無し死体だけ。
「ん。処理、終わり」
あんまりやったぞ、っていう感じがしないけど、一応は言ってみる。
やっぱり詰まらなかった。けど、大体いつもこんなものだから仕方がない。
「お残しはいけません」
それっぽく決めてみる。出来ればお兄ちゃんに見て欲しかった。
180 ちゅー音の多い料理店 sage 2008/03/15(土) 04:53:11 ID:SoGLKtpt
このブタの罪は、今日、お兄ちゃんの作った料理を残したままお兄ちゃんのお店を出たこと。
いつもはちゃんと食べてたけど、セクハラをしようとした今日は食べかけのままだった。
だから、判決は死刑。
千癒のお兄ちゃんが苦労して作った料理を残した奴が平気な顔をしているなんて許せない。
昔、学校に通っていた千癒はどんなに食べたくてもお昼にはお兄ちゃんの料理が食べられなかった。
お兄ちゃんは給食を食べなさいって言って、お昼だけは千癒のご飯を作ってくれなかったから。
残したくても、残すものがない。
ひもじくてひもじくて、でも千癒はそれを頑張って我慢しているのに、
先生達はゴミみたいな給食を食べさせようとしてばかり。
あの頃、千癒には毎日のお昼の時間は戦いだった。
お兄ちゃんがお店を開いた今でも、本当はお兄ちゃんには千癒のご飯だけを作っていて欲しい。
学校に通っていた時も、学校を卒業してからも、千癒はお兄ちゃんの作った料理だけを食べてきた。
お兄ちゃんだって嬉しかったはずだ。
料理の学校に通っている時だって、一日に一回、必ず千癒のお弁当だけは作ってくれた。
だけど。
お兄ちゃんは、千癒以外の人にも料理を食べて欲しいみたい。
自分の作った料理を食べて喜んでいる人を見ると、お兄ちゃんはとても嬉しそうな顔になる。
お兄ちゃんが幸せなら、千癒は我慢する。ううん、して来た。
その反対に、お兄ちゃんが悲しんだら、千癒は我慢しない。
頑張って作った料理を残されたお兄ちゃんはつらそうな顔をする。
千癒なら、お兄ちゃんの料理を残したりしないのに。
本当は、誰にもお兄ちゃんの料理を食べさせたくないのに。
お兄ちゃんの嬉しそうな顔も、お兄ちゃんの料理も、お兄ちゃんも、独り占めしたいのに。
だから、判決は死刑。
千癒が独り占めを我慢してるお兄ちゃんの料理を残してお兄ちゃんを悲しませる奴は、千癒がぜーんぶ捌いちゃう。
お兄ちゃんに借りた包丁で。
「ちゅっ!」
持ってきた布でブタの血を取ってから包丁にちゅーをする。
キレイになった包丁は、お月様に照らすとキラキラと輝いた。
刃の部分に、にっこり笑った千癒の顔が映ってる。
「えっへっへぇ。よーし! 残り七人。千癒は頑張るからね、お兄ちゃーん!」
お兄ちゃんの包丁にちゅーをすると、また元気が湧いてきた。
今日、お残しをしたのはあと七人。全員住んでる場所は分かってる。
お兄ちゃんは嫌がるけど、お客さんが常連ばかりになるとこういう時に便利だ。
調べるのが楽ちんで助かる。
「ちゅーーーーーーーーっ♪」
早く済ませて、帰ってお兄ちゃんと一緒に寝ようっと。
仕込の終わったお兄ちゃんは疲れてるから、後で同じお布団に入ってもなかなか気付かない。
お兄ちゃんと見る夢は、いつだって最高に気持ちがいい。
あったかいお兄ちゃんの体に抱きついて、それから朝起きたときにおはようのちゅーをするのを想像した千癒は、
我慢できなくなってついお兄ちゃんの包丁にまたちゅーをしてしまった。
大丈夫。七人なんてあっという間。さっさと終わらせて、すぐに帰るからね?
だから、お布団に入った千癒を抱っこして、
朝起きたらおはようございますを言って、それからまた美味しい朝ご飯を作ってね、お兄ちゃん♪
最終更新:2008年03月16日 20:03