無題17

515 名無しさん@ピンキー sage 2008/03/29(土) 02:33:53 ID:tGIGjC3f
 俺は、父性が人より強いんだろうか。
 最近よくそう思う。
 リビングにある机の上に、落書き帳と書かれたノートをこれでもかというぐらいに広げる少女。幼女。
 俺の十歳離れた妹だ。
 名前は智。智ちゃん。
 智ちゃんは、ふーん、ふーん、なんて鼻歌を歌いながら色鉛筆で何かを描いている。
手をグーにして文字通り殴り描く姿は、幼い姿がとても映えていて、頬が自然と緩む。
 俺は、高校の制服を着ながらカレンダーを確認した。
 六月十八日。木曜日だ。
 今日は智ちゃんも幼稚園があるはずなのに、いまだに寝巻きのままというのはいただけない。
 俺はゆっくりと智ちゃんに近づいて、もうすぐ幼稚園のバスが来るよ、と伝えた。
 すると、俺の姿には気づいていたのか作業を止めて振り返ってくれる。
にっこりと大輪の向日葵が咲いたような笑顔だ。
「おにーちゃん、みてー」
 差し出してきたのは、もじゃもじゃと肌色と黒で描かれたわけのわからない絵。けれど俺はすぐに頭を撫でてあげた。
「おっ、よく描けたねー。これは……すごくきれいな絵だねー」
「えへへー。あのね、あのね。これ、おにーちゃん」
「おー、そうかー。俺を描いてくれたのかー。智ちゃん、どうもありがとう」
「うん。だって智、おにーちゃんのことが大好きなんだもん」
 そういうと、頭を俺の足にこしこしとこすり付けてくる。
 ほら、準備しないと、なんていいながらも自分とてこの子が離れるのが寂しくてしばらくそのままでいた。
 平日の日に起きてすぐに俺の絵を描いてくれた妹。こんなにも可愛い存在がいてもいいのだろうか。心が喜びに打ち震える。
 両サイドに結んだ髪をゆっくりと梳いてあげると、嬉しそうに今度は体ごと引っ付いてきた。
「おにーちゃん、好きー」
 ……あまりにも可愛かったので抱っこして自室に連れて行くことにした。きゃあきゃあ、と嬉しそうにする姿を見ると、こちらも幸せになりそうだ。
 部屋の前に着く。
 すると、ひょいと俺から下りて、勢いよく扉を開けた。
すぽぽん、寝巻きを脱いでしまう早業にちょっと苦笑しつつも、肩からかけられる黄色い鞄に今日必要なものを入れてあげる。
 うん、忘れ物はない。
 智ちゃんを見ると上着ボタンをつけずに、俺を待っているようだ。
つまりもう準備はできたということ。ボタンが空いているのはわざとだ。
「はーい、ばんざーいして」
 頭を押さえるように腕が上げられて、俺は一つ一つボタンを留めてあげる。
 これで終わり。
 丁度ぷっぷー、なんていう音が聞こえてきたから幼稚園バスが来たのだろう。
 窓から外を覗いてみると、猫の姿をした乗り物がエンジン音を鳴らせて待っていた。
 玄関を開けると、保母さんが俺達を迎えてくれる。おはようございます、と頭を下げられて、苦笑しながらあわせた。
 笑顔で智ちゃんを引き渡し、幼稚園に向かわせた。


516 名無しさん@ピンキー sage 2008/03/29(土) 02:34:25 ID:tGIGjC3f
 さて、俺にはもう一つ仕事がある。
 家を出るまでに後三十分。
 もう一人の妹を叩き起こす作業だ。
 プラカードがかけられている部屋に向かう。ノックを数回、返事を待つ。けれども、当然のように反応がないドア。
 俺はため息をついて、中に入った。
 俺の部屋とは匂いから違う異質な空間にちょっと複雑になりながらも、ベッドを見る。
 こんもりともりあがった布団と、中心に向かってしわを作ったシーツ。
 妹の住処だ。
「おい、朝だぞ」
 返信はない。
 山の布団がゆらゆら揺れる。
「おい、朝だって」
「今日は休むことにした」
 くぐもった声が聞こえてくる。どうやら起きてはいるらしい。
「何言ってんだよ。早く起きろって」
「わかってる。もうちょっとまて」
「そうやっていつも起きないだろ」
 ううー、と唸りながらも顔を出してきた。こうしてみると亀のように見えなくもない。
 こいつの癖は寝ている間に自然と体が丸まって、いつも起きたら布団の中に身を潜めるようになっていることだ。
 こちらに伝わるぐらいに億劫におきだすもう一人の妹。
 名前は智代だ。
 今でこそこんな醜態を見せてはいるが、頭脳明晰で明るく家事なども万能で、夕飯の支度などもっぱら彼女が行っている。
 兄の俺としては誇らしいけれど、最近は少しそっけないので寂しさも覚えそうなところだ。
 女の子って、成長するとこんなになっていってしまうのだろうか。
 智ちゃんに「お兄ちゃん、ウザいんだけど」なんていわれたら軽く死ねる。
 まあ、智代だってそんなことは言わないだろうけれど。
「朋也どけ。うっとうしい」
 ……たぶん。

526 名無しさん@ピンキー sage 2008/03/29(土) 09:48:09 ID:tGIGjC3f
 高校三年生にとって成績というものほど頭の痛いものはない。
 大学進学、就職、フリーター、どれを選ぶかは人の自由であり何か言及することなどありはしないけれど、この進学校においてほとんど選択肢はないからだ。
 俺も進学なので必然と成績というものが気になってくる。正確に言うならば偏差値といわれるものが心配で、今日は模試の結果が返ってくるのだ。
 学校へ向かう道の中、意味のないことだとわかっていながらも少しでもいい点でありますようにと天へ願う。
 手を擦り合わせていると横から声がかかった。
「何をしているんだ」
「神頼み」
「……模試の結果か? 今から神様に頼んでも遅いぞ」
「そうなんだけどなぁ。お前はどうだったんだよ」
「私か? まあ、たぶん七十前後じゃないかな」
 それってかなりのレベルでは、と思ったが深く考えることはやめにした。
 全く不公平なものだ。俺と智代は双子の癖に、こうも出来が違う。
 智代は七十前後、なんていっていたが俺はいいとこ五十の後半。偏差値だけの話ではあるが、学校定期の期末試験でもいつも智代には遅れをとっている。
 別に嫉妬なんてしないが、兄としては面目ない。
 良くこれをネタに馬鹿にされたりするし……。
 双子。
 それだけあって周囲の注目度も高い。
 おまけに智代は美人。
髪を肩まできれいに伸ばし、弱冠つり目だが、それでも凛とした雰囲気がとても際立っていて、男子生徒からはよく紹介してくれなんていわれている。
 別にしてもかまわないが、一回携帯のアドレスを俺の友達に教えていいかといったら、
何も言わずに拳が飛んできた。
 確かに俺とはクラスが違うとはいえ、同じ学年の奴を紹介なんて変な感じだし、俺の友達なんて智代の知り合いという意味だ。よく考えればこれはこれで変な話。
でも智代はあまり友達がいないようだから、男でも作って和気藹々としていてくれた方が安心はできる。
 そんなことを考えていると、とうとう地獄坂と言われている学校の麓にある場所までやってきた。つまりここを登ればもうそこは学校。
 俺はまた模試のことを思い出し、嫌な気分になる。
「朋也、神様は今日お休みなんじゃないか?」
 智代も追い討ちをかけてくる。
「なんで」
「だって、空」
 見上げると重厚な雲が、空を覆い隠そうとしていた。
 青と灰色の戦争は後者の方が分はありそうだ。
 傘を気にしたが、今からではもう遅い。
帰るまで降らないといいけれど、何て思ったが、帰宅時間になるころには、前が見えないくらいの大雨だった。



527 名無しさん@ピンキー sage 2008/03/29(土) 09:48:33 ID:tGIGjC3f
 昼休み、下駄箱でどうしようか悩む。
 このまま帰るというのは俺の模試の結果ぐらい良くないことだ。
 というのも、智ちゃんのこと。
 たぶん家の鍵の隠し場所なんて知らないし、バスで送迎されているとはいえ、家に入れないのではあまりに可愛そう。この大雨だ。
 俺は一瞬迷ったが、幼稚園に電話することにした。
 携帯を出す。
 無機質なコール音を後に、快活な声が聞こえてきた。
「はい、倉等幼稚園です」
「ああ、杏か」
「……呼び捨てにしろっていったのは私だけど、幼稚園に電話する時は気をつけなさい」
「ああ、はいはい」
「で、何の用よ」
「智ちゃんのことだけどな」
「ああ、大丈夫。雨だから心配なんでしょう? あんたが帰ってくるまで私の家にいさせることにするわ」
「悪い。じゃあ、よろしく頼むな」
「この借りは高くつくわよ」
「飯ぐらいならおごるよ」
「何で社会人の私があんたにおごってもらわないといけないのよ。姉としての面目がなくなっちゃうじゃない」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「そーね、……ま、考えとくわ」
「なるべく簡単なことにしてくれよ。んじゃな」
 ピッという電子音を最後に切った。一息つく。
 これで、智ちゃんに関しては安心だ。後は自分をどうするかだが……。
「智代」
 いい具合に妹がいた。見れば、持ってきていなかったはずなのに傘が手元にある。
 小走りで近づいて、俺も帰りに入れてくれと頼んだ。
「いいぞ」
「悪いな。そうそう智ちゃんも迎えに行きたいから杏の家に寄りたいんだけど」
「…………わかった」
 そうして、智代のなんともいえない顔が気にはなったが、自分のクラスに帰った。



528 名無しさん@ピンキー sage 2008/03/29(土) 09:48:58 ID:tGIGjC3f
 六時限目の授業が始まる。
 日本史。
 個人的には好きな強化で得意科目だが、教師に関しては別だ。
 わけのわからないパンチパーマの髪型や鼻の下についた爆弾のような黒子がまずむかつくし、何よりも性格が我慢ならない。
 女を優遇して男を蔑視する。
 この手の教師というのは、何かしら思い過去でも背負っているのだろうか。
そうだとしても、体育教師でもないのに時代錯誤的な竹刀で生徒を叩くなんて許されることではないだろう。
「岡崎、この問題をやってみろ」
「……はい」
 席を立って前に出る。
 案の定、かなり難しい。
 日本史という科目は大体が記憶の作業だ。頭に詰め込んで覚えていれば正解できる。
 ただこの覚えるというのが曲者で、ただ単に名称を覚えているだけではすぐに忘れてしまうのだ。
 得意科目と入ってもすべてをわかっているわけじゃない。俺は黒板を前に、舌打ちしそうになった。
「どうした、こんなのもわからないのか」
 やばいな、と思いチョークで何か書くフリをする。
 でもそんなものがいつまでも続くわけがないので、さりげなく周囲を見た。
 こういう時は。
「…………」
 一番前の席に座る女生徒。
 机の上の参考書を指差している。
「できました」
「……おし、席に戻れ」
 悔しそうに顎で促す教師に反感を覚えつつも、席へと戻る。
途中、目でお礼だけ言った。いえ……、と小声で言っていたけれど俺には十分に聞こえた。
 座る。
 すると待っていたようにポケットの携帯が震えた。
 隠すように操作しながらメールを見ると、なんと智ちゃんからだった。
『おにーちゃん、おべんきょ、がんばれ。智はいい子にしてるから、安心していいよ』
 やべえ、かわいい。
 送り主を見ると、杏になっている。
 たぶん、あいつが智ちゃんに打たせてやったんだろう。
 時計を見る。
 そうか、もう幼稚園は終わってるか。早く終わらないかな、何て思って返信してあげることにした。
 読みやすいように全部ひらがながいいだろう。
『ともちゃん、ありがとう。あとで、ともよといっしょにむかえにいくからね』
 これでいいだろう。
 すぐに返事が返ってきた。
『おにーちゃん、ひとりがいい』
 ……ん? これは、どういうことだ。
「岡崎、なにこそこそしてる」
 これ以上は操作が難しくなったので、そこで中断して再度授業に集中する。
 でも、ひとりでいいなんて、もしかして喧嘩でもしているんだろうか。
 そういえば智ちゃんはあまり智代と話さない。仲が悪いというわけではないけれど、避けている印象はある。
 ……まあ、そんなに深く考えることじゃないかな。
 黒板を写す作業に戻った。



529 名無しさん@ピンキー sage 2008/03/29(土) 09:49:28 ID:tGIGjC3f
 叩きつけるという形容がふさわしいような雨の中兄妹で歩く。
 双子のくせにこうも似ていないから、へんな関係じゃないかと勘違いされそうだ。
 ちらりと横を見る。
 濡れないように所狭しと俺の方へ身を寄せてくる智代。俺が傘を持って配慮はしているが、やはりどうしても肩が少し雨に当たってしまう。
 しかし智代はあまり気にした様子はないようだ。
「傘、持ってきてたんだな。」
「ああ、これか。学校に一本置いてあるのがあったんだ。私も天気予報は見なかったし」
「見なかったというか、……寝坊したから見れなかったんだろ」
「ま、まあ、そうともいう」
 考えてみれば智代とこうして歩くことは多い。
世間一般では兄妹の仲は良いほうが少ないというが、思春期を迎えても我が家に限ってはそんな事はなかった。
 まあ、昔いろいろあったていうのもあるんだろうけど。
 それにしても、こうして兄貴と登下校を共にするというのは妹からしたらどうなんだろう。
 もちろん今日の下校は偶々だが、登校に関して言えば毎日一緒に行っている。
 何か取り決めをしたわけではないが、一緒の学校なのだからわざわざ時間をずらすこともないだろうと思って今に至るが、兄に気を使っているなら止めた方がいいだろうか。
「朋也」
「うん? なんだ」
「今日の夕食のことだが、何かリクエストはあるか」
「そうだな……、今日は智ちゃんを一人にしちゃったからな。ハンバーグとかで喜ばせてあげたいな」
「……ああ、そうだな」
 話していると、杏の家のマンションに着いた。
 茶色で縁取られたベルを押す。
 何回も木霊する無機質な音。これがコンビニに入ったときの音に似ていると思うのは俺だけではないはずだ。
 杏がドアから顔を出す。
「いらっしゃい。ちょっと待ってて」
 智ちゃーん、と呼ぶ声が聞こえた。
 とてとてと奥から智ちゃんが出てくる。
俺の顔を見ると嬉しそうに走り出した。飛びついてくる。
「おにーちゃん」
 撫でてあげると子猫のようにごろごろとのどを鳴らして目を細めた。
 おぶってほしいといわれたので、快く背中を差し出して持ち上げた。
「あがってく? 夕食ぐらい作ってあげようか?」
 杏はすでに保母さんの服を脱いでいるようだ。ちょっと露出の大きいワンピース。
 雨なのにご苦労なことだ。
「悪い、やめとくわ。あんまり外食したくないんだ」
 そういうと、僅かに残念そうにする。
「この子の料理の方がおいしいから?」
 予期していない皮肉まで返ってきた。
 驚く。
「そういうことじゃねえよ」
「冗談よ」
 愉快に笑う。
 あまりいい冗談とも思えなかったけれど、杏はさっぱりとした性格だから、そんなねちっこいのは本心じゃないだろう。
 俺は智ちゃんを預かってくれたことに礼を言うと、帰ることにする。
 帰り際、傘を使っていいといわれたので一本借りた。
「じゃあな」
「うん、ちゃんと返しにきなさいよ」
「明日また幼稚園バスに乗ってくるんだろ? そのとき返す」
「だめよ。あんたが家に持ってきなさい」
「はあ? なんで」
「それが礼儀ってもんじゃない」
 まあ、そういわれればそうかもしれない。渋々ながらも了承して後にした。




530 名無しさん@ピンキー sage 2008/03/29(土) 09:50:07 ID:tGIGjC3f
「今日ねー、お友達とお料理の練習したの」
 夕闇さえ灰色の中、智ちゃんは元気だった。
 負ぶった背中でうれしそうに騒ぐ。
「おっ、えらいなー。でも智ちゃんはまだ小さいんだから危ないものは使っちゃ駄目だぞー」
「智ちっちゃくないもん! それに砂のカレーだったから大丈夫!」
 砂のカレー? ああ、砂場でカレーのようなものを作ったということか。泥団子と一緒だな。
「だからね、あのね、今日はカレーが食べたい!」
 俺の頬に顔をくっつけてお願いしてくる。
 カレーか、そういえばしばらく食べてなかったな。
 さっき智代とハンバーグの話をしたけれど、カレーならば智代も作業が楽になっていいだろう。
「カレーか。それもいいね。ちゃんと残さず食べないと駄目だぞー」
「うん!」
 確認のため智代を見る。
 しかしは俺の意図とは反して、ずっと智ちゃんを見つめているようだった。
 智代も智ちゃんが可愛くて仕方ないんだろう。
「スーパーに寄っていいか? ハンバーグにするから色々買わないとだめなんだ」
 だからこんなことを言い出したのには驚いた。
 おいおいと思ったけれど、よく考えればこの雨だ。
 聞こえなかったのかもしれない。
 きちんと言い直した。
「智代。さっきの話の手前悪いけど、今日はカレーにしないか? 智ちゃんもカレーが良いって言ってるし」
「わかった」
 即答。
 俺の言うことがわかっていたようだったので引っかかったけれど、傘に隠れてよく顔が見えなかった。
 赤い傘が、よく似合っている。
 そういえば、今いくら財布に入っているか心配だ。
 俺は智ちゃんを背負ったまま、起用に財布を取り出して中身を確かめた。
 一、二、三、うん。これだけあれば大丈夫だ。
 安心してポケットに入れる。
 途中、智ちゃんの顔が眼に入った。
「ん? 智ちゃん、どうした? あっかんべーなんかして」
 俺の言葉にびくりと体を震わす。
 怯えたように見てきたので、何かあったのかと聞いた。
 けれど、えへへ、と笑うだけでよくわからないままだった。
 だから気づかなかった。
 智ちゃんは、ずっと智代に向かってそうしていたことに。

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最終更新:2008年03月30日 22:24
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