301 Ⅱ 妹-Ⅰ-妹 Ⅱ sage 2008/05/02(金) 01:15:22 ID:KEqrgyse
厚く敷かれた暗闇に、くぐもった呻き声が響く。
同時に、何か重たいものがもがく音が硬い床の上を伝った。
「「やっと目が覚めましたか」」
暗幕を垂らしたような視界。
一寸の先に闇がある廃工場の中、
錆びたドラム缶の山に腰掛けて暇を殺していた深高(みたか)家の姉妹、
深高 射空(いそら)と深高 断海(たつみ)は、待ち侘びた時間の到来にそう感想を漏らした。
互いに目配せもせず、同時に掛けていた山の中段から降りる。
平均より頭半個分も低い身長を反映した音が鳴り、夜気に流れた黒髪が肩口へ戻った。
寸分の狂いもなく同じタイミングの着地。
曲げた体を伸ばす時、そしてその姿さえ鏡に映したかのように同一。
呼吸を一つ。そうして、姉妹二人、濃く空間に満ちる闇の奥へと歩き出した。
「具合は如何(どう)でしたか? 先輩」
「気分は如何(いかが)ですか? 先輩」
吐息ほどの音もなく静かに、横並び、中心に線を引けば対象になるように歩む。
闇と同色の瞳にそれ以外の色彩が宿るまでに十秒近く。かけた声に、驚きの気配が返された。
「んん゛っ!? ん゛んんんんんん゛ーー!?」
不明瞭ながらも切迫の響きを含んだ叫びに、ドスドスと重いものが跳ねる音が重なる。
射空と断海は、更に床の上に転がされている物体へと歩み寄った。
「元気がいいですね。そんなに慌てなくても、すぐに外して上げます」
「活きがいいですね。そんなに暴れなくても、すぐに外して上げます」
一歩の距離まで近付いて、漸くその姿が明瞭になる。
深い漆黒が降りる真夜中の廃工場の床に、制服姿の女性が縄で縛られて転がっていた。
口には、通気のための穴を開けた球体を噛まされている。
射空と断海が唾液に塗れたそれをゆっくりと外すと、彼女は大きく息を吸い込み、
「どういうつもりよ貴女達っ!」
怒声染みた音声(おんじょう)を夜気へと叩き付けた。
「どう、とは? 意味が分かりませんね、先輩」
「どう、とは? 意図が分かりませんね、先輩」
射空が左に、断海が右に首を傾げる。
「~~~~~だからっ!!」
その反応が、彼女の機嫌を更に傾けた。
「何でっ! この私にこんなことをしたのかってっ! 言っているのよっ!!」
まだ両の手と足の間に縄を張られたままで吼える。凄まじい剣幕だった。
彼女の身長は一見して、立てば目の前の二人よりずっと高い。
その背には腰の辺りまで伸ばされた髪が垂れ、勝気そうな顔には不良少女などとは別種の気迫を漲らせている。
美しいことは疑いがない。
だが深窓という形容からは程遠い、地位を金を人望を引き寄せるエネルギーに満ちた人間に特有の顔。
彼女に凄まれれば、並の男性でも引くだろう。
302 Ⅱ 妹-Ⅰ-妹 Ⅱ sage 2008/05/02(金) 01:17:27 ID:KEqrgyse
「喚くな、射ち殺すぞ」
「騒ぐな、斬り殺すぞ」
その美貌に二本、朱色の線が引かれた。濃い闇に二つ、薄く金属の輝きが浮かぶ。
彼女から見て右側に立つ射空の左手に、ボウガン。
彼女から見て左側に立つ断海の右手に、肉厚のサバイバルナイフ。
向けられた刃と矢の先端が皮膚を裂いていた。大きく口を開けたまま、彼女が固まる。
その顔から血の気だけが移動したのを見てから、二人は手を下げた。
「では、改めて」
「さて、改めて」
下がって、再び一歩の距離から声をかける。
「初めまして────────射空の敵」
「こんばんは────────断海の敵」
涼しげに。それでいて彼女の怒声よりも決定的に、敵対的に。
「とても気持ちよさそうに眠っていましたね」
「とても心地よさそうに寝入っていましたね」
同じ容姿、同じ声、同じ口調に、ほんの少しだけズラした台詞。
「余りに無警戒過ぎるので」
「余りに無防備過ぎたので」
それでも、言葉の内容に変わりはなく。
「うっかりと」
「しっかりと」
同一の意思で、同色の瞳で彼女を見詰めながら。
「「殺してしまうところでした」」
二人は、同時にそう言ってくすくすと笑った。
「自分の置かれた状況の説明は、必要ですか?」
「自身の置かれた状態の把握は、不要ですか?」
笑って────────二対の瞳に喜色を湛えたまま、覗き込むように彼女を見下ろす。
そのタイミングさえも同じで、まるで薄闇の中に鏡が浮かんでいるかのようだった。
「・・・・・・当たり前でしょう」
下に置かれた彼女がそう返す。
声量こそ低くなったが声に震えはなく、目は真っ直ぐに眼前の姉妹を見据えていた。
「何を考えているのよ・・・貴女達。人を呼び出して、あんなことをした挙句に・・・こんなこと」
視線が落とされ、我が身を縛る荒縄へ向けられる。
身じろぐようにして四肢を結ぶ拘束が引かれたが、微かに音を立てただけで解けはしなかった。
303 Ⅱ 妹-Ⅰ-妹 Ⅱ sage 2008/05/02(金) 01:18:40 ID:KEqrgyse
「あんなこと?」
「こんなこと?」
そんな抵抗を愉快そうに見詰めながら、射空と断海は疑問符を続ける。
一拍の間を置いてそれぞれ右手と左手を背に回し、長方形に台形を足したような無骨なフォルムの物体を取り出す。
重なるスイッチ音。
夜気の焼け弾ける音が響き、姉妹と彼女の間に蟠る闇が紫電に裂かれた。
「それは、呼び出した先輩をスタンガンで気絶させたことでしょうか?」
「それは、気絶させた先輩をここに運んで縛り上げたことでしょうか?」
一瞬のフラッシュに鏡合せの笑みが浮かぶ。
「っ・・・・・・そうよ」
決して一般的ではない言葉を臆面もなく乗せてくる相手に、彼女は激しかけたのを抑えてから肯定を送った。
「一体、何が目的なの? 貴女達の家が金銭的に困窮している、とは聞いたことがないけれど・・・」
言外に、身代金目的という推測を添える。
彼女の家は近隣では名の知れた資産家である。加えて彼女と姉妹は初対面ではない。
どころか、間接的ながら交友の関係にあったと言ってもいい。
彼女の通う学校において目前の二人、言動一致の双子姉妹は有名な存在だった。
それ故の判断であり、それ故に彼女は恐慌に陥らずに済んだ。
殊にこの国において、誘拐犯の目的には人質の────あくまで当面の────安全が付きまとうことが多い。
「どちらにせよ、こんなことをしても無駄よ。
お父様は簡単に犯罪者に屈する人ではないし、いずれ家と警察の者が大挙してここにやって来るわ」
言い切って、左右一対の不埒者を見上げる。
暗闇に立つ二人の顔からは笑みが消えていた。
「「これはこれは」」
狐に摘まれた顔で、ぱちぱちと瞬(まばた)く。
「存外に甚だしい思い違いをしているんですね、先輩」
「案外と馬鹿馬鹿しい勘違いをなさるんですね、先輩」
嘆息。
「意外です。的を外すにも程がある」
「慮外です。期待外れにも程がある」
どこか拍子の抜けた顔が彼女へと向き直る。
「射空が、愛する兄様のため以外に心を動かす訳がないのに」
「断海が、愛しい兄様のため以外に身を動かす筈がないのに」
今度は、彼女の顔から間が抜ける番だった。
304 Ⅱ 妹-Ⅰ-妹 Ⅱ sage 2008/05/02(金) 01:19:56 ID:KEqrgyse
「・・・はあ? 何を言っているの? どうしてそこで陸渡(りくと)さんが────」
物体の速度に負けた空気が押しのけられる音。
曲線を帯びる柔らかな肉が宙を舞う。
腹部に痛烈な蹴りを叩き込まれた彼女の体が数瞬滞空し、冷えた床の上を跳ねた。
摩擦の多い平面を滑り終わってから蹴り出された空気を肺に取り入れ、音の濁った咳と共に吐き戻す。
「お前が兄様の名を口にするな。売女の分際で」
「お前が兄様の名を口にするな。淫売の分際が」
痛む場所を手で抑えることもできずに拘束された四肢でのたうつ彼女。
殺す気を思わせる蹴りを放った姉妹は、感触の悪いボールでも見ているかのような目で相手へと吐き捨てた。
「男なら誰だっていいくせに」
「兄様でなくてもいいくせに」
蹴り飛ばされ、開いた距離の分だけ広がった闇に隠された姉妹の姿は彼女には見えない。
にも関わらず、声の聞こえてくる方向からは激痛の走る腹部とも酸素を求める肺とも違う、
身の震える息苦しさを感じる何かが向けられていた。
「っ!? げほっ! げほっ、げほっ!!」
焼けるような痛みが体の中心から広がっていく中で、冷気染みた感覚に覆われる肌が粟立つ。
「やはり殺す」
「やはり殺す」
込み上げてくる咳の音に混じって、近寄ってくる小さいはずの足音がいやに大きく聞こえた。
「お前を殺す理由を教えてやろうか、先輩」
「お前を殺す訳を聞かせてやろうか、先輩」
小柄な姉妹に相応の、軽妙で軽快な、なのに耳朶に張り付いて残る靴音。
「お前が兄様に近付いたから」
「お前が兄様に近寄ったから」
急げば秒の間に詰められる距離を、あえてゆっくりと踏みながら宣告する。
「兄様に声をかけた。兄様に笑顔を見せた。兄様に女を意識させた」
「兄様の声を聞いた。兄様の笑顔を見た。兄様を男として認識した」
計るように台詞のタイミングも足音も揃えながら、姉妹が歩む。
「兄様と手を繋いだ。兄様を遊びに誘った。兄様を家に呼んだ」
「兄様を誘惑した。兄様を誑かした。兄様を汚そうとした」
概して五歩。
「「射空と断海と兄様の間に────────入ろうとした」」
二人が彼女の前へと立った。
「だから殺す」
「ゆえに殺す」
白く暗闇に浮かぶ腕が彼女に伸ばされる。
左右から迫る手に、見上げる彼女の表情が引きつった。
305 Ⅱ 妹-Ⅰ-妹 Ⅱ sage 2008/05/02(金) 01:20:57 ID:KEqrgyse
「ひぃっ!?」
縛られた肉体を、更に指と体重で押さえ込まれる。
彼女が求めた誘拐という暴挙へ至った理由と、先の殺気さえ滲ませた蹴り。
身の危険は疑いがない。
「や、やめなさいよっ!? いやっ・・・いやぁあっ!」
渾身の力で反抗するが、彼女に施された拘束と神経に残る痛みが抵抗の気勢を削ぐ。
どこか慣れさえ感じさせる姉妹の連携が加わり、体格で勝る彼女はあっさりと押さえ込まれた。
背に置かれた手に胸と顔が床へと押し付けられ、首を捻ってかろうじて背後へと向けた視界に光が瞬く。
「ひっ────」
逆手、彼女へと先端を向けたサバイバルナイフの刀身が、きらりと僅かな光を反射した。
その煌きが尾を引きながら落とされる瞬間だけが、ゆっくりと知覚される。
体の揺れと、ざくっという重い音が響くのを聞いて、彼女は暗くなっていく視界を自ら閉ざした。
「っ────────・・・・・・・・・?」
現状への不理解と、理不尽と。泣きたくなる気持ちに顔を伏せる。
目を押さえる指と手の平の感触が頬に伝わった。
「・・・?」
温もりとはとても言えない、手首を縛られて悪くなった血流が冷やした指先の体温。
何か忘れたものを思い出した気がして、閉じた視界を開く。
動かせないはずの手が眼前にあった。咄嗟に浮かんだ疑問に身をよじって、ちゃんと下半身も動くことに気付く。
「「だが」」
反射的に、上からかけられた声に振り仰いだ。
まだそれぞれの手に得物を握ったままの姉妹が、その矛先を彼女へと揃えている。
「ただでは殺さない」
「ただでは許さない」
手に持つ武器だけを変えた鏡像が口を揃えた。
「永劫に。生まれ変わっても、兄様へ近づいた罰を忘れぬよう」
「永遠に。生まれ変わっても、兄様へ近寄った罪を悔いるよう」
彼女の見上げる先には、喜悦とも憤怒とも違う、
それらより遥かに得体の知れない感情を浮かべた顔が左右に並ぶ。
「逃して」
「追って」
「追い詰めて」
「追い込んで」
真っ直ぐに彼女を見詰める四つの瞳。
「泣き叫んでも、くたばるまで」
「泣き喚いても、くたばるまで」
彼女の瞳の震えを解することもなく視線。
306 Ⅱ 妹-Ⅰ-妹 Ⅱ sage 2008/05/02(金) 01:21:46 ID:KEqrgyse
「穿って」
「斬って」
「殺して」
「解体(バラ)して」
上級の家に生まれ育った彼女の常識にはない、
単なる高低差とは異なった、もっと根源的なところで彼女を見下している目。
「「撒いてやる」」
姉妹の兄と共に過ごす時以上の、そして対極の熱をもって、彼女の心臓が鳴る。
反対に、頭の中は冷水をかけたかのように一瞬で冷え切った。
「さあ逃げろ」
「早く逃げろ」
射空のボウガンと断海のナイフの先端が迫る。
「っい────いやあああぁぁぁぁぁっ!!」
それを認識した瞬間、彼女は身を起こして駆け出した。姉妹の視線を背に受けながら瞬く間に姿を消して行く。
壁に囲まれた廃工場の中、出口があるかも知れぬ闇の向こうへと。
それから数日後。
とある学校にて、生徒の一人が行方不明となっていることが生徒達の口を賑わせていた。
彼女────女生徒────が地元では有名な資産家の一人娘であったことが憶測の種となり、
口さがない者はそれぞれに事態を推理して話の種としている。
学校側も死亡が確認されていない生徒に関して安易に発表やコメントを行うことも出来ず、
ただマニュアルに沿って集団登校の呼びかけやカウンセラーの招聘をするだけだった。
「「お待たせしました、兄様」」
そんな折。当の学校の正門で、ある男子生徒に対して同時に頭を下げる二人の女生徒の姿がある。
制服どころか、全身の細かな造りまでが鏡に映したように同じ二人だった。
深高家の双子姉妹、射空と断海。そして長男の陸渡の三人である。
「ご免なさい、兄様。折角、兄様の方から一緒に帰ろうと誘って頂いたのに・・・」
「済みません、兄様。折角、兄様の方から一緒に帰ろうと誘って頂けたのに・・・」
右に立つ射空と左に立つ断海が、顔を上げながら待たせたことへの謝罪の言葉を続けた。
「そんなに謝らなくてもいいよ、二人とも。僕が好きで待っていただけなんだし」
妹達の畏まった態度に、陸渡が苦笑して返す。
生徒の、同じ学び舎に通う人物の行方不明事件。
普段は積極的でない姉妹との下校を彼から申し出たのは、万一の場合を心配してのことだった。
ふと。つ、と流れた陸渡の視線が姉妹から校舎、彼の教室の方を向く。
「それに・・・・・・最近、物騒だからね。行方不明なんて、さ」
細められた目が懐古とは別の、温もりのない憂いに彩られる。
行方不明の生徒とは、彼が最近親しくしていた女生徒のことだった。
307 Ⅱ 妹-Ⅰ-妹 Ⅱ sage 2008/05/02(金) 01:22:43 ID:KEqrgyse
「・・・・・・」
姉妹は何も言わない。
ただ、黙したままで兄の左右へと移り、その手を握った。
「帰りましょう、兄様。兄様が憂いても、『今は』なんにもなりません」
「帰りましょう、兄様。兄様が嘆いても、『もう』どうにもなりません」
自分達よりずっと背の高い兄を見上げて他者から見れば冷淡に、
だが兄にだけは気遣いの響きが感じられる声で促す。
「・・・そうだね」
微笑んで、それでもどこか弱弱しい声で陸渡が応じた。
「射空と断海だけは・・・僕が守らなきゃ」
珍しく。兄の方から姉妹の手を引いて歩き出す。
日没の近付いた陽の光に照らし出される影が三つ、人気の減った通学路で揺れ始めた。
「「大丈夫ですよ、兄様」」
兄の言葉にか。不安も憂いもない晴れやかな顔をした姉妹の声が、兄の左右から響いた。
「射空が、兄様のこの手から離れることはあり得ません」
「断海が、兄様のこの手から逸れることはあり得ません」
強く、手を握られる。
「永久に、射空と断海は兄様と共にいます」
「永遠に、断海と射空は兄様の傍にいます」
怖いくらいに真摯な目が、陸渡を見詰めていた。
思わず足を止め、二人を見返す。
「ありがとう。二人とも」
自然に出て来たのは笑みと、感謝の言葉だった。
兄に釣られて姉妹も笑う。
きっと、年の割には仲のいい兄妹に周囲からは見えることだろう。
赤みを増していく帰路。今度は三人で同時に歩き出す。
一頻り笑いながら歩いて、射空と断海は顔を見合わせた。
「それにしても。兄様の方から誘って頂けることになるなんて、アレも案外と役に立ちましたね、断海」
「それにしても。兄様の方から誘って頂けることになるなんて、アレも存外に役に立ちましたね、射空」
吐息の距離で、互いに頷き合う。
「ん? どうかしたかな? 二人とも」
「「いいえ。何でもありません、兄様」」
ただ。
兄の頭よりぐっと低い位置で交わされた囁きの内容は、彼には聞こえなかった。
最終更新:2008年05月04日 22:32