728 Ⅳ 妹-I-妹 Ⅵ sage 2008/05/14(水) 23:55:26 ID:kunBldfF
夢を見た。これまでも繰り返し繰り返し、気が遠くなる程に何度も見てきた夢。
まだ私達が幼かった頃、今よりもずっと脆弱だった時の夢を。
私達の前に立つ兄様と、二人で手を繋いでその後ろに隠れている私達。
夢の中の私達は常に泣いているか怯えているかで、兄様の顔を見ることは出来ない。
そんな私達を背にする兄様は手を横に伸ばして、背後を庇うみたいに立ちながら周囲へと何かを言う。
その内容だけが、いつも私達には思い出せない。
出来るのは、想像することだけ。ただひたすら、思い巡らすことだけ。
同時に同様の姿で兄様の後に生を受け、同等に育った一心同体の双子である私達。
物心ついた時から周囲より向けられる視線は好奇と奇異で、目にする反応は吃驚(きっきょう)と驚嘆。
行く先には常に周りからの違和があり、ただ目にする兄様の背にだけ安堵があった昔。
少しずつ上昇して行く意識が境目に見せる記憶が流れて行く。徐々に水面が近付いてくる夢幻の中は心地良く、
睡眠の快楽と合わせて苦々しい過去を忘却へと押しやろうとして────────自分で反吐が出そうになった。
「久し振りでしたね、断海」
「久方振りでしたね、射空」
緩やかな目覚め。荒れた床を覗かせる薄闇と、肌に絡む冷え込んだ夜気。
視覚と触覚の刺激に、自らの半身の声が合わさって覚醒を促す。
同時に顔を見合わせて、兄様のいない隙間を視線で埋めた。
「気分の悪くなる夢でした」
「胸糞の悪くなる夢でした」
ぼんやりと見える相手の肩が落ちる。お互いに憂いの篭もった吐息を胸に吹き掛け合ってから顔を戻した。
「まだ、射空と断海が兄様と手を繋げなかった頃」
「まだ、断海と射空が兄様と手を繋がなかった時」
言いながら思い出すのは夢の内容。
まだ幼い私達を取り囲んで見詰めている人間達の、無遠慮で不気味な、珍獣の類を見る時に似た瞳。
ゆらゆらと揺れる無数の光に震えることしか出来ない私達と、そんな妹達をかばって前に立つ兄様の背中。
「兄様を守れず、兄様と並び立つことの叶わなかった嘗て」
「兄様に守られ、兄様の前に立つことの叶わなかった過去」
あの夢を見る度、心臓が締め上げられる心地がする。当時の自分を殺せるものなら殺しているだろう。
愛する兄様の優しさに甘えるばかりで、状況を変える努力もせずただただ兄様に縋っていた己を。
「懐かしいものです。そして呪わしく、救い難い」
「忌わしいものです。加えて愚かしく、度し難い」
双子というのは世間一般では珍しい。特に私達くらいに似ている双子となると皆無絶無の域にある。
そう考えると、幼い頃の私達が年の近い子供から、
時には大人からも無遠慮な目を向けられたのも当然ではあったのかもしれない。
その頃の私達は自分で思い返しても怒りを覚える程に弱く、そういった、
本来の社会全体に比べれば片鱗にしか過ぎない他人の反応にさえ怯えていたように思える。
「正しく惰弱、虚弱」
「正しく脆弱、軟弱」
そんな私達の前には、いつも兄様がいてくれた。今でも憶えている。
ほとんど違わない年齢なのに、私達を庇って立つ背の力強さ。
身を竦ませている私達の手を取ってくれた時の温もりと、向けられた顔の優しさ。
悪戯をしてくる苛めっ子を追い払ってくれた時の頼もしさ。
今になってようやく、それらが得難いものだったということが理解出来る。
私達を好奇の視線から守り、時には私達が周囲へと馴染めむための切欠を作り、
そうやって二人の妹を助けた分だけ自分の自由に過ごせた時間を削って、
他の子供達と同様に遊びたい盛りだったはずの兄様は、どれだけの愛情と忍耐でそうしてくれていたのだろう。
思い返す度に胸が痛む。
729 Ⅳ 妹-I-妹 Ⅵ sage 2008/05/14(水) 23:56:54 ID:kunBldfF
「兄様の負担にしかならなかった、射空の汚点」
「兄様の重荷でしかあれなかった、断海の汚名」
兄様への限りない愛に満たされた私達の胸に沈む、どうしても晴らせない暗い何か。
「雪(すす)ぎ難く、許し難い」
「雪(そそ)ぎ難く、忘れ難い」
息苦しさを訴えるお互いの胸元に手を当てても、兄様への申し訳なさはなくならない。
「もっとも────────反面、愛は人を強くするという証明でもありますが」
「とは言え────────反転、愛は人を強くするという証拠にもなりますが」
だからこそ、私達は決意した。強くなると。兄様の負担にならないよう、兄様の隣に立てるくらいに。
射空が兄様の右手を取って。
断海が兄様の左手を握って。
誰も兄様に近付けないように。誰も、私達と兄様の間に入って来れないように。
今度は兄様に助けられた私達が兄様を助けるのだ。
「兄様・・・・・・射空は強くなりましたか? 兄様を守れる位に」
「兄様・・・・・・断海は強くなれましたか? 兄様を守れる程に」
よく、私達は二人一組として扱われる。
他人が見る射空と断海は何もかも同じ半身同士、双子なのだからそれ自体は不思議ではない。
けれど、当の私達からすればその認識は間違っている。二人一組ではない。三人一組だ。
兄様なくして私達は成り立たない。あの頃の兄様が私達を守ってくれたからこそ、今の私達がある。
射空と断海には兄様のいなかった人生など考えられない。
兄様がいてくれたからこそ今の私達があって、今の私達は兄様と共にある。
兄様と、射空と、断海の三人。兄様を中心に、その左右に妹の私達がいる対称な三人一組だ。
お互いを愛し合う三人一組の兄妹。それが兄様と私達。
故に、射空と断海はその間に入ろうとする者を許さない。
730 Ⅳ 妹-I-妹 Ⅵ sage 2008/05/14(水) 23:59:01 ID:kunBldfF
「さて。一休みしたことですし、そろそろ始めましょうか」
「さあ。一眠りしたことですし、それでは始めましょうか」
錆の浮き始めたドラム缶から腰を上げて軽く跳ぶ。刹那だけ夜気に強く肌を撫でられ、膝を軽く曲げながら着地。
殺した位置エネルギーの残滓を足の裏から逃がして立ち上がり、星明りさえ遠い密室の闇に一歩を踏む。
靴の裏が剥がれ落ちた錆か床の欠片を挟んで、ざりざりと音を立てた。
そんな微かな振動さえ鼓膜に伝わる程、眼前に広がる空間の大気は死んでいる。
「今日も私達と兄様のために」
「今日も私達と兄様のためを」
町の喧騒から離れた廃工場。この場所を見つけた時は、二人で幸運を喜んだものだ。
おあつらえ向きで、幸先が良いと。
錆び朽ちた外壁や機材の醸し出す不気味さに、動かない電気系統や汚れという使い勝手の悪さ。
人気を寄せ付けない雰囲気と溜り場にするには不向きの不便さを持った此処は、
私達がするコトにはとても都合がいい。
悲鳴も死体も何もかも、全て闇が覆い隠してくれるから。
「鉄槌を以て、兄様を誑かす淫売に死の裁きを」
「鉄塊を以て、兄様を惑わす売女に死の捌きを」
目を凝らしてようやく数m先が見える暗闇を歩いて、おおよそ十秒。漆黒だけが横たわる視界に別のモノが映った。
制服姿を縄で飾った女。つい数時間前に攫ったばかりの、私達の敵。
緩く上下する胸と血の気を失っていない肌。
その姿を見てゆっくりと静かに、だけど確かに殺意が湧き出すのを感じる。
暗がりに薄く浮かぶ一対のレンズと、学校の規定に合わせて女子の平均より丈のあるスカート。
転がっているのは兄様のクラスメイトの、いわゆる委員長という奴だった。
「○○○ ××。品行方正と成績優秀、正義感に溢れることで有名。将来の夢は検察官・弁護士・裁判官等等」
「○○○ ××。品行方正で成績優秀、正義感に溢れることで有名。将来の夢は警察官・保育士・公務員等等」
事前に調べ上げた簡単なプロフィールを反芻する。特に面白味はない。
「馬鹿な女です。兄様に近付かなければ夢も実現したものを」
「愚かな女です。兄様に近寄らなければ夢も成就したものを」
これといって怪しい経歴の持ち主ではなかった。補導暦もなく、兄様をして『良い人だよ』と言わしめるだけのことはある。
兄様に近付いた切欠は提出物関係の遅れと間違い。
そこからしばしば兄様に苦言を呈するようになり、果ては成績の状況や生活環境にまで言及。
押し付けがましさはあるものの兄様への態度は非常に親身で、助言の類も的確だったと聞いている。
「残念でしょうね。いい気味です」
「無念でしょうね。いい気味です」
正直に言って、どこの漫画だろうかと思う。そんな裏のない善意などあり得ない。
あの優しく人を疑えない性格の兄様を前にして、この女は影でどんな企みを持っていたのだろうか。
「射空は騙されない」
「断海は騙されない」
人間は皆、例外なく悪意を隠している。
幼い頃、私達は物珍しい双子というだけで無遠慮な目で見られ、中には何の正当性もなく、
私達を気味が悪いだのおかしいだのと言って苛めたり悪戯したり、様々な攻撃をして来る者もいた。
私達は忘れていない。
確かに周囲の、同年代の人間達は成長するに従って私達を攻撃することはなくなった。
双子だから、珍しいからといって他と違う扱いをしない者も増えた。けれど、私達は忘れない。
そういった人間の目の中にも、ずっと変わらずに昔と同じ、自分達とは違う存在を見る時の光がある。
結局、揃って隠すのが上手くなっただけなのだ。
常識や道徳と呼ばれるものを植えつけられて、それで蓋をして、あの珍獣を見るような瞳の色を隠している。
言葉に出さず、態度を装うだけで、思っていることや根本の感情は変わっていない。
731 Ⅳ 妹-I-妹 Ⅵ sage 2008/05/15(木) 00:00:31 ID:UpNmOwpN
兄様だけだ。私達をそのままに見てくれるのも、私達を守ってくれたのも、ずっと兄様だけ。
だからこの世で信じられるのは、私達を助けてくれた兄様と、己の半身だけ。
父と母でさえ、いずれ私達も周囲も慣れる、
しばらく我慢してごらんと言うだけで、私達を助けてくれなかったのだから。
体を張って、自分の時間を削って色々な我慢や努力をして私達を守ってくれた兄様。
そんな兄様だけが唯一、私達にはこの世で信じられる。
その兄様を今度は私達が守ると決めた以上、私達は兄様以外の誰にも心を許さない。
私達は周囲と違うから攻撃された。
ならば、結局は自分でない他者である兄様に悪意を持って近付く者などいないと、誰に断言出来るだろうか。
私達は兄様を守ると決めた。どんな些細な悪意からでも、どれほど小さな危険からでも。
悪意。敵意。ほんの少しでもそれを持つ可能性のある存在が、他人が兄様に近寄ることは許せない。
私達だけだ。
兄様に救われた私達だから、兄様の妹である私達だから、人の悪意を知る私達だからこそ兄様を守ることが出来る。
射空が兄様の右手を取って。
断海が兄様の左手を握って。
私達以外の誰も兄様に寄せ付けない、兄様を中心にした線対称の三人一組で。
そうやって生きていければ、私達は他に何も要らない。
そのためには、この女が邪魔だった。
「射空と断海と兄様の間に入ろうとする他者」
「断海と射空の兄様の間に入ろうとした他人」
殺す。淡々とそう思う。
「そんな者は要らない」
「そんな者は必要ない」
兄様の傍には私達だけがいればいい。
「だから殺す」
「ゆえに殺す」
少し前にも、同じ場所で別の女を始末した。思い出すだけで胸糞が悪くなるような豚だったと思う。
そいつも、兄様を必要としているわけでもないのに私達から兄様を奪おうとしたクズだった。
今の射空は、兄様なしでは生まれなかった。
今の断海は、兄様なしでは生きていけない。
ただそれだけのことを、どうして他の人間は理解しないのだろうか。それこそ理解出来ない。
コトのついでにこの女に聞いてみるのもいいだろうか。改めて、スタンガンと薬で眠っている女を見下ろす。
よし。そうしよう。
「兄様と私達のために」
「兄様と私達のために」
二人、同時に足を上げる。
「「愛しています、兄様」」
振り下ろした踵の下から、小気味いい音と悲鳴が上がった。
最終更新:2008年05月18日 18:48