897 埋めネタ ~妹葬~ sage New! 2008/05/25(日) 20:37:17 ID:d5H+dlRz
人が死にそうな夜だった。
一片の雲もない雨上がりの空には不足なく円い月が冴え冴えと輝き、
青白い輪郭を囲むように敷き詰められた星々が明滅を繰り返す。
星を隠す邪魔者も月光を翳らす無粋もなく、美しい、
それでいて夕暮れの前に上がった雨がじっとりと高湿の空間を作る、不気味な宵の刻。
人々の声は止み、呼吸は潜められ、見通せない闇の中で湿気を孕んだ夜気が肌を撫でる。
光は弱く、あらゆる存在の姿が暗闇に紛れ、真昼の喧騒は遠く、ひたすらに耳が冴えていく。
静かな、ただ見上げる天体だけが興味を引く。そんな夜。
誰かが敢えて死ぬ日を選ぶならこの上なく相応しく────或いは誰かを殺すには似合いの、常にない特別な時間に。
「うぅ・・・」
私は穴を掘っていた。
「ううっ・・・!」
湿気を重量として含んだ大地へ金属の矛先を向け、汗を流して軽くなった体重をかけて突き刺す。
じゃりっと音を立てて食い込む穂先。後ろから足を乗せて押し出すと、ようやく先端が入り切った。
手に体重をかけるとテコの原理で土が押し上げられ、シャベルの先に載った重さが容赦なく腕に圧し掛かる。
震えそうになる腕を気合で持ち上げて、横へ。放り投げられた塊が、私のすぐ傍にある土の山に混じった。
最初の頃に比べて随分とその高さも増している。じっとりと汗ばんだ額を腕で拭うと、余計に汗だらけになった。
ぽたぽたと頬を伝った雫が顎の先から落下する。この作業を始めて、もうどれ程の時間が経っただろうか。
「どうして」
そう呟かずにはいられない。
「どうして、こんなことに・・・・・・」
穴を掘る。
小石や草、ひどい時には木の根まで混じった土の中にシャベルの先を突き立てて、懸命に体重をかけて土を掬い上げる。
掬ったら、持ち上げて横へ。地下から減らした分の体積を、地上へ加算する。穴を掘って、土の山を作る。
それを繰り返す。繰り返し繰り返し、繰り返す。単純な労働だ。
単純で億劫で難儀で、疲れる労働だ。それでも繰り返さなければならない労働だ。
飽き果てても、疲れ果てても、終わるまで。その繰り返しは終わらない。終わらせてはいけない。
「────────」
悪夢のようだと、ふと思った。
こんなはずではなかった。こうなるはずじゃあなかった。
私はただ、たった一つのものを守りたかっただけなのに。ずっと、大切な人の傍にいたかっただけなのに。
誰もが邪魔をしなければ、私はこんなことをしなくてもよかったのに。
胸を締め付けられる思いに、搾り出された涙が穴の中へと落ちて行く。
小さな水分の塊は、すぐに地面に触れて吸い込まれた。
既に気が遠くなるくらい掘り続けているのに、それでも必要な深さには全く足りていない。
その事実に腕が重くなる。まだ掘らなくてはならない。まだ帰ってはいけない。
私はまだ、胸を締め上げるこの罪悪感から逃れてはいけない。
898 埋めネタ ~妹葬~ sage New! 2008/05/25(日) 20:39:37 ID:d5H+dlRz
「・・・・・・兄さん」
月を見て呟く。夜の太陽。星明りの世界で最も強く輝く天体。
叶うなら、今すぐにでもその下へと走り出したい。何もかもを放り出して、愛する人のいる場所へ帰りたい。
大好きな、私がこの世で唯一愛する人────────兄さんの待つ家へと。
でも、それはまだ出来ない。
これは罰なのだ。私と兄さんの仲を引き裂こうとした悪魔を殺した罰。
私にとっては間違いなく悪魔で、だけどきっと兄さんにとって大切であっただろう人達を殺した罰。
兄さんを想うあまりにそんなことをした浅ましい私の罪に対しての、罰。
だからこそ逃げられない。逃げるわけには行かない。暗い夜はいつか明ける。
これさえ終われば、私はまた兄さんと平穏に暮らせる。それだけが、私が今を耐える希望だ。
この腕を動かした分だけ、穴が深くなった分だけ、私は兄さんとの幸せに近付く。
「あと少し・・・・・・あと少しなんだから・・・・・・」
また、シャベルを持ち上げる。
土を払った先端が、鈍く月明りを反射した。この時の為だけに慎重に慎重を期して用意した新品。
照り返った月光が私の足元を照らす。大きく息を吐いて足を広げようとして、ごっ、と踵が何かを蹴った。
「・・・?」
振り返る。何もない。
下を見る。人がいた。
「っ・・・・・・そんな目で、見ないで」
咄嗟に目をそらす。気にしなければよかった。掘り続けた穴。
その深さも広さもまだまだ足りないけれど、それでも耐え続けた作業は、穴の直径となって私を後ろへ下がらせていた。
そのせいで。転がしておいた物体へと足がぶつかった。
私が殺した両親の死体へと。
私と兄さんの部屋を別々にしようとした両親。私が兄さんと一緒にお風呂に入るのを止めさせた父。
私を兄さんから引き離すために必死に女子高を薦めた母。
私と兄さんの絆を引き裂こうとした人間。私と兄さんが結ばれるのを邪魔し続けてきた悪魔。
ぱっくりと割れた頭から汚物を見せる死体が二つ、驚きに見開かれた目で私を見上げていた。
こんなモノでも兄さんを生んでくれた親。こんなモノでも兄さんに慕われた親。
この二人が『失踪』すれば兄さんは悲しむだろう。そのことだけが、私を苦しめる。
この感情も、兄さんとの生活に不要な邪魔者も、早く埋めてしまわねばならない。
「兄さん。待っていてください」
私は穴を掘る。忌まわしいモノを埋めるために。愛する兄さんとの未来のために。
シャベルを構える。夜明けはまだ遠い。葬るべき両親の死体は、まだまだ埋められそうになかった。
最終更新:2008年05月25日 21:46